第ⅩⅩVⅡ話 正体
この物語は、ただの創成物語である。
答えは単純だった。そして純粋だった。
そこには、混じりっけなんてものはなく、純度10割の屈託のない真実であった。
なんてことはない。これはただの一人芝居、なんの種も仕掛けもない茶番劇────そう、全てが茶番だった。
私は他でもない、"自分自身"と話していて、"自分自身"を認識出来ないでいたのだから、これほど滑稽なものは無い。
彼の知ったような表情も
彼の知ったような発言も
彼の知ったような信頼も
他でもない"自分自身"のことであるからだ。"彼自身"のことであるからだ。
目の前にいるのは容物を替えただけの自分────中身は変わらない、同じ魂の片割れなのだから、そりゃああんなにも自信に満ち溢れているはずだ。知ってもいるはずだ。
君はもう知っている────
それもそうだろう。
私は現実にいる────
それもそのはずだ。
それは誰よりも知っていることであるからだ。
何故なら自分自身のことなのだから。
彼の顔に見覚えのあるようで、思い出せないのも、単に私が私自身の顔をあまり見ていない所為だろう。
考え過ぎとは言っていたものの、確かに考え過ぎだったようだ。何しろ、私の考えなんて見透かされているのだから、私がどう思い、どう行動するかなんて、彼自身が1番よく知っている。
そして、もうそんな茶番劇も幕を閉じる。
何故なら私は私を見つけたのだから。
まったく、何とも奇妙な自分探しの旅だ。
そんな自分探しの答えが、こんな身近にあっただなんて、いやはや、なんて遠回りだったのだろうか。
■ ■ ■
「多重人格障害」
正確には解離性障害と呼ばれている、所謂「心の病」と言うやつだ。極度の心的障害、「ストレス」と呼ばれる悲しみや苦しみの負の感情が自身の許容量を超えることによって自身の脳に負荷を与え、その痛みを軽減するために自己を分離させ、意識を保つ────防衛本能の一種であるとのことだ。
記憶を分かちあっているケースとそうではないケースが存在し、私は前者にあたる。
だが、私の存在はどうやら意図的にでは無く、あくまで後天的に生まれた副産物であるようなのだ。
「転生」による魂の流転。器が変われば魂もそれによって変化する。だが、その魂にまで刻まれたキオクは消えない。そこで私の魂は転生する度に「人格」を形成し、今の私を、後世の私へと繋いでいく為にその時々の魂のコピーを作った。そうしなければ、そうでなければ私は重みと多くの記憶に潰されてしまうからだ。
そうすることで私は自我を保ち、私は私でいられている。ここまで生きていられている。
それが私の本質であり、私という人間の内に潜む真実である。
■ ■ ■
「君は、私だ」
もう、私の答えに迷いはない。
ハッキリと、くっきりと、私はその事実を彼に伝えた。
私の声以外にこの空間を支配するものなど何も無く、この茶番劇を終幕へと導く。
私の答えを聞き届けると、俯いた顔を上げ、笑みを浮かべながら彼が私の目を見てこう言った。
「そう、それが答えだ」
ガシャンッ、カラン
重厚感のある音が辺りに響き渡る。
それは彼の方から聞こえてきた。
まるで朽ちてしまったかのように彼の両腕、両足を縛っていた枷が外れ落ちたのだ。
メキッ、ピキピキピキッ
彼の後方、虚空に罅が入った。
まるで此処が偽りだったかのように、それは真実を示していく。
そして────
バリーン!!
空間が、私の意識の世界が硝子瓶のように割れ、崩れていく。割れた隙間からは光が漏れ、隠された別の景色が眼前に写し出される。まるで、これを見られたくなかったかのように。
だが、差し込む光に希望はない────青暗い沈んだ光。
硬い床、冷たい壁、重苦しい鉄格子────。
目の前に広がる、その光景は────
紛れもない「牢獄」だった。
■ ■ ■
「そう。これが、この空間の真実だ」
あの白い何も無い空間の面影など何処へ消え、虚無の方がまだ良かったかのような空間が姿を見せる。
辺りを見れば檻が全部で11────その数が示すのは、私の持つ人格の数。
そう、ここには2人以外の他の私も存在しているのだ。
「檻の扉が2つ開いている……」
「私達は元々あの檻の中に居たんだよ」
狭く、重く、暗く、見ているだけで苦しい。部屋と呼ぶにはあまりにも素っ気ない。寝床もなければ便所もない────これは最早、閉じ込めておくだけの、ただの"牢獄"だ。
「そう、あれは我々の存在を閉じ込めておく記憶の牢獄。私を縛り付けておく"呪い"の正体だ」
私達は牢獄に縛られた囚人────何者かによって呪いをかけられた咎人。それが、私。
この空間はその私の状況を具現化した精神と物質の狭間にある世界だったのだ。
「転生直後、私達君以外の他の人格はこの檻の中に閉じ込められた。気付いたらここにいたんだ。理由も何も覚えていない。だが、これだけは分かった────『外に出なければならない』と」
本能……いや、そんな生物的なものではなく、もっと私個人の持つ見えざるもの。
私の奥底に眠る根源たる"意志"────私を突き動かす強き覚悟の表れだ。
「だから、出た。あそこから私達は自力で何とか抜け出した。サヴァもそうだ」
ふと、主を失った"檻だったもの"を見やる。その床にはその抵抗の残骸が散らばっていた。他の檻を縛っている鎖、閉じ込めるための錠前────それが粉々に砕け散って床に落ちていた。
「恐らく私達の記憶は、そこまで重要では無かったのだろう。その一方で、見てみろ、あの2つの檻を」
指の示す方角が変わる。その先には禍々しい檻が2つ並んで聳え立っている。
「あれは初代、そして11人目────我々の前世の檻だ。あの2つの檻だけ厳重に監禁されている」
明らかに雰囲気が違う。まるで、あそこが開放されるのを何者かが恐れているかのように。
「人格が監禁されている以上、私にも彼らの記憶は分からない。だが彼らが鍵であることは分かる」
彼らは記憶の結晶、私という情報の集合体────。
彼らがいるから私の前世の記憶が存在し、彼らがいなければ私の存在なんて他の人間と大差ない。
そう、彼らが閉じ込められるということは、前世の記憶を失うということなのだ。
だからこそ、彼らの存在そのものがこの謎を解く手掛かりとなるはずだ。
「それに────」
彼の表情が一気に変わる。
希望に満ちたような笑みを浮かべてこちらに振り向く。
「我々は諦めてなんかいない」
その目は、光が灯っていた。
その声は、曇りを感じさせなかった。
「よく見てみろ」
指を差した檻は、一見他の檻と大差ないように見えた。
しかし、その檻にびっしりと張り詰めている鎖を凝視すると初代、そして11人目の檻に比べ、明らかに劣化しているのが分かった。罅や錆、欠け等小さくはあるが叛逆の灯火がこの奥から漂っているように感じた。
「皆、抵抗している。君にも分かるだろう。あの鎖が緩めば緩むほど、記録が解放されていく────君が思い出した記憶達は、君に託した私達の"意志"だ」
そう、これまで私が興味を示しつつも、鬱陶しがっていたそれは過去の私達が今の私へ繋いだ────「希望」。
「だから、今私が目指すの目的は1つ」
「『私の解放』だ」
その言葉を聞いてようやく、彼の本質の1つが掴めた気がした。
「改めて、そしてここから始めまして。私の名は『セト=アタラクシア』────君が7つ前、かつてそう呼ばれていた名だ」
私は私が伸ばしたその手を躊躇無く強く握り締めた。
■ ■ ■
「────ぐッ!?!?」
全身に痛みが走った。
特に背中が熱を帯びている。まるで切り傷のようで気を失いかけるほど強烈で暫く汗と荒い呼吸が止まらなかった。
それはセトも同じのようで背中を抱えながら座り込んでいた。
そして、ようやく落ち着いた頃、後方からいつの間にか何者かの気配がした。
ここに入ることの出来る者なんて、私しかいないだろう。
そう、サヴァがいた。
「外の状況は、あれからどうなった?」
痛みを堪えながら、セトが彼に話しかける。
「悪ぃ、シクった」
その言葉が、外で何が起きたかを容易に想像出来た。背中の痛みも鑑みると、恐らく背後から切られたのだろう。
「もしかして……死ぬのか、私達は……」
「いや、あのイカれた殺人犯は倒した。仕留め損ねたが、少なくともアイツに殺られることは無い……だが」
心配になっている私を宥めるように彼はそう言った。
「後ろから誰かに切り倒された。瞬時に気付いて急所は外したが、ありゃあかなりの手練だ。お陰で反撃も出来ずに意識を失っちまった」
「どんな奴だった?」
「格好は衛兵だったな。顔はハッキリ見えなかったが、装備からして衛兵内でも偉い奴なのは間違いないと思う」
衛兵の上層部に協力者がいたのだろうか……。
確かに、もしそれが正しいのであれば、彼が好き勝手やっているのにも納得がいく。
だが、だとしたら同じ衛兵にも彼が手を出しているのには疑問がつきまとう。その辺、幾らでも協力者を手回し出来るはずだ。
「奴の増援か、それともただの勘違いか……」
「……」
「まあ、まだ"死んでねぇ"ってことは、少なくとも"生きてる"ってことだろ」
こうやって、我々が消滅せずにいることが、生きていることの証明────そうだ、まだ巻き返せる。
生きていれば、チャンスはまだ掌の上にあるはずだ。
他の人格が見えない敵に抗っているのと同じように、諦めなければ彼らのように光が見えるのはもう身知っている。
ところで、彼────もう1人の私の名をまだ私は知らない。
そう思って、私はサヴァに話しかけようとするが……
「話したいことは山程あるが、取り敢えず、今は戻れ」
意識が、遠のく。いや、意識が戻っていく。
視界があやふやになり、光が満ちていく。
また、足りなかったか……また、いいところでこの始末か……。
現実から私を呼ぶ声がする。
雄々しい、野太い声────。
嗚呼、またアニキか……。
アニキが、助けに来てくれたのか。だったら安心だ……。
「行ってこい。まずは、現実世界を何とかしないとな」
そう言う私達の後押しは、誰よりも、何よりも、どんな言葉よりも心強かった。
「ああ、行ってくる」
そんな私達に私は一先ずの別れを告げると、戻る意識に身を任せ、この重暗い空間から私の魂は現実へと吸い込まれていった。
※ヌネの名の由来はスワヒリ語で「nne」意味は「4」
※サヴァの名の由来はスワヒリ語で「saba」意味は「7」
次回はベル視点の話になります




