第ⅩⅩⅥ話 それでも戦うしかない
この物語はただの創成物語である。
今考えれば、確かに彼は怪しかったかもしれない。
毎回毎回、事件現場に確認でもするかのように鉢合わせる彼を少しは疑うべきだっただろう。
だが、被害者に抵抗した後がないというのも、彼が衛兵だからだろう。誰も殺人鬼の正体が衛兵だなんて思ってもいないだろうから、被害者も他の衛兵も安心しきってしまうのは当然だ。
私も相対して初めて彼が殺人犯だということを理解したが、しかし、こうも事実を突きつけられると複雑な気持ちになってしまう。
「キミっ」
後ろからベルの声が聞こえた。
何とか相手の攻撃を躱し、ベル達の元へ駆け寄る。倒れたリリスの脇腹から零れている。見たところ命に別状はないが、直ぐに治療が必要だ。
ベルはベルで足を怪我している。これでは戦闘には参加出来ないだろう。
なら、取れる行動は────
「ベル、君はリリスの回復を頼む。私がここを抑える」
ベルがリリスの回復に専念し、私が足止めする。
こうしかなかった。
「分かった」
妙に聞き分けが良かった。ベルもそれが最適かと思ったのだろうか。なら尚更私がここは相手しないといけないだろう。
とは言ったものの、どうしたものか……。
ハッキリ言って勝てる見込みがない。
「どうした? 馴れ合いは終わったかい? やれやれ、目の前に危険人物が居るというのに、随分とのんびりなものだねぇ」
「お前が言うな」とは言いたいが、相手の言うことにも一理あるのは確かだ。
「ふむ。構えは素人、経験も少ないと見た。手も震えているじゃあないか」
その言葉に手元を見やると、確かに小刻みに震えている。無意識のうち、私も気付いていなかった。それもそうだろう、自分の目前には死の気配────怖いと言えば嘘になる。
その他にも、緊張、迷い、心配────色んな気持ちが錯綜し、戦いへの決意を曇らせる。
だが────
「関係ない。私はただ、成すべきことを成すだけだ」
「じゃあ、いかせてもらうよ! 君の大事で大切な姫君を守りきって見せ給え」
■ ■ ■
あれから、早速戦闘が始まった。
しかし、重い……。今まで模擬の木剣でやっていたため、騎士が持っている剣が比べ物にならないくらい重く感じる。
アニキや騎士達はこんなに重いものを振り回せるのかと思うと、やはり彼らが凄く思える。
お陰で相手の攻撃をいなすのがやっとだ。まともにやり合っては相手の力に押し潰されて負けるだろう。
だからこそ、攻撃しない。多少でも時間を稼いで
そして恐らく、相手は手加減している。遊ばれているのだろう。あれだけのタンカを切ってこれとは情けない。
次の攻撃も、同じように避けようと努める。
しかし、この攻撃はスピードが違った。微細ながらも、さっきよりも速いことは素人の私にも容易に感じ取れた。
目の下から暖かいものが零れ落ちるのを感じる。
確認はしなかったが、攻撃を完全に避けきれなかったようだ。だが、あれには身体が追いつかない。
なら、会話で揺さぶりをかけようと少し切り出してみる。
この人が会話が好きなのは知っている。まあ、今の状況でもそれが通じるかどうかは分からないが。
「流石ですね」
「素人に負けるほど、私の身体は訛っちゃあいないさ」
乗っかってきた。
私の推測は間違いなかったようだ。
「人が変わったようですね」
すると、彼はニヤリと口角を上げながらこう言った。
「『人が変わった』ねぇ……私には言い得て妙な言葉だ」
どういった意味だろうか。
その言葉の真意は全く分からなかったが────いや、待て、それは違う。私には分かる。私には分からないといけないはずだ。
何の意図もなく、ただ思ったことを告げただけなのだが……それが当たってしまった気がする。確信はないが。
だが、先程の"訛った"という発言にも少し引っかかる。常に鍛錬を重ねる衛兵が、そのような発言をするのも些か気になる。
だったら尚更────だが……
「戦いの最中に余所見は厳禁だぞ、少年」
考え過ぎてしまったようで、不意を付かれてしまった。
悪い癖だ。避けられたものの、命知らずにも程がある。
相手の意識を緩めるために行ったのに、私の気が緩んでは本末転倒にも程がある。
しかし、1回避けるだけでは問題は解決しない。
殺人犯は思いっきり振りかぶり、力のままに私に斬りかかった。
技術────そんなものは一切絡んでいない、力のままの攻撃。
何とか間に合わせて、正面から迎え撃つ。無事に身体への直撃は防ぎ、受け止めることに成功するが────
ガキンッ
足が地面から離れる。そして、剣が吹き飛んだ。
────そうか、これが狙いだったのか。
攻撃手段を奪って徹底的に打ちのめす。そんなつもりだ。趣味が悪い。
後方に吹き飛んだ私は無事に受身を取る。アニキとの修行の成果がこんなところで役に立ったのは少し不服だが、しかしアニキには感謝しなくては。
だが、危機的状況には変わりない。
相手は素早い動きで距離を詰める。一気に仕留める気だ。
咄嗟に頬の傷に指をやる。
そして、私は魔法を使った。
氷の暑い壁が目の前で顕現する。一瞬で目前の敵は氷塊へとすり変わった。流石の衛兵でもこの壁は一撃では突破出来ない。
案の定、メキメキという氷の削れる音が響く────いや、何かがおかしい。罅が、向こう側からでも観測できる程の大きな罅割れが出来ている……。
そして、殺人犯は再度思いっきり振りかぶった。
ミシッ……ミシミシッ────
おおよそ壁からは聞こえてはいけない音が暫く続いた後────
パリガラガッシャン
硝子が崩れるような、軽くも虚しい音が散らばった。
流石にニ撃で破壊は想定外だ。幾ら急拵えとは言えそう簡単に突破できるようなやわなものじゃあないはずだ。それは顕現させた私が1番よく分かっている。
────しかし、時間は稼いだ。
血切り刃による流血、弾かれた剣の回収、血による魔法罠の設置、体勢を整え今できる相対する準備は整った。
さあ、仕切り直しだ。
■ ■ ■
私は相手に氷柱を何も無い空中に作り上げた。そして、それは真っ直ぐに相手目掛けて飛んでいく。
普通なら当たればひとたまりもない氷柱────普通なら避けようとするのが常人の思考だ。しかし、相手は減速すらする気配がなかった。
そのまま突っ込んできては埃でも払うように剣を振るっては撃ち落とす。
なら次の手と、今度は相手の足元から氷柱が発生する。少し反応が遅れたのを見ると、想定外だったのだろう。しかし、全く当たらない。掠りすらしなかった。
飛び退いた先々に仕掛けた魔法を発生させ氷柱を作り上げるも、尽く当たらない。
私が最後の罠を作り上げた後、相手はそれをスルりと華麗に避け、今度は一気に距離を詰めてきた。
そして、思いっきり目の前で振りかぶる。
私もそれに対抗して思いっきり振りかぶった。
ガキン
先程よりも強い一撃。金属音も心做しか重い気がする。腕が痺れるほどの一太刀を、なんとか気合いだけで受け止めた。すると────
ガシャン
聞き慣れぬ音と共に一瞬で軽くなる感覚が手元から伝ってきた。
ふと矛先を見上げると、切っ先だけが空を舞っていた。
まるで私の力量を表しているかのように、その様はどこか無力だった。
しかし、握る剣は同じもののはず────扱う者の力量差だろうか、こうまでもハッキリさせられると流石に諦めたくもなってしまう。
そして、そのまま相手は剣を振りかぶった。
私はそれに持っている反射神経だけだなんとか食らいつく。残った刀身に当たり致命傷は免れるも、相手の力に身体が宙に放り出される。
そのまま受け身を取り、意識は無事に保つ。アニキとの特訓が早速役に立ったが、しかし、ここからどうしたものだろうか。
魔法による罠は使い切った。新たな魔法は詠み透かされているのはこれまでの相手の動きで分かっている。手持ちの剣ももう使い物にならない。
絶体絶命の状況再び。
その時だった。
「────っ!? こんな時に……」
あの、いつもの酷い頭痛が私の頭を貫いた。
頭痛────そう、あの頭痛だ。
そして、頭痛に伴って続いてくるものが来る。
(おいおい、どうすんだよこの状況)
聞きなれた男の言葉、直接脳内に響く声なき声、何度も味わった頭が歪むほどの頭痛────間違いない、これはサヴァだ。
彼は私を試すようにそう語りかけてきた。
どうするもこうするも、やるしかないだろ。
今、ここで私が折れたら誰が2人を守るんだよ。
(力もない、技術もない、攻撃も当たらなければ、それを巻き返せる切り札もない。正に無謀だ)
言われなくたって分かってるよ、それくらい。
(だが、度胸は認めよう。流石は、俺達が認めた男だ)
それはそれは光栄だ。それに価値がある訳でもないが、悪い気はしない。
(仕方ねぇ、ここは俺に任せろ)
戦い最中の体調不良、相手から見れば格好の獲物。
相手の足音が聞こえる。恐らく、もう始末を付けようと私の元へ近づいて来ているのだろう。
だが、彼になら任せられる。
(アイツと話つけてこい。あとは、俺がやっておく)
ああ、任せた……
私は私の意識のままに、気を失った。
そう、私の意識の世界へと────。
■ ■ ■
嗚呼、あのいつもの空間だ。
何も無ければ、誰もいない、不思議で無意味に思えるこの"意識の世界"。
いや、誰もいないは違った。
そう、彼を除いては────。
「やあ、さっきぶりだね」
何度会っても胡散臭い男だ。
「ここに来たということは、もう準備は出来ているんだね」
ああ、そうだ。だからここに来た。ここに来なければならなかった。
だが、それは私も望んだこと。いつか向き合わないと思っていたことだ。
私はゆっくりと、かつハッキリと、その言葉を口にする。
恐れなんてない。今あるのは確かな答えを求める探究心だけだ。
だから、彼に伝える。
いや、彼でも無いのか。
君は────
"私"だ。




