第ⅩⅩV話 死神
この物語はただの創成物語である。
(今回はベル目線の物語です)
すっかり日が暮れてしまった。
あれから私達は彼女の家を見つけて、その親御さんにお礼と言われてご馳走になっていた。
流石に家でも晩御飯が待っているので、お茶程度に済ませたけど、つい長話になってしまい、気づいたらこの時間だ。
リリスも表情は薄かったけど、楽しそうに見えた。
アニキ達も心配していることだろう。
早く帰らなくては。
「おーい、君達」
すると、衛兵2人に声を掛けられた。後ろから急に話し掛けられた為、警戒してしまったけど、杞憂だったらしい。
「マナベル君じゃあないか」
突然、衛兵の口から私の名前が飛び出る。
声を掛けてきた彼の顔には見覚えがあった。
何度も会ったことのある衛兵。私とアベルくんの事情聴取もしたリハエロさんだった。
「何だ、知り合いか?」
「ええ、つい最近私が事情聴取を担当した子です」
リハエロさんがもう1人の衛兵に説明している。
「こんなところで、お嬢ちゃん2人どうしたんだい?」
もう1人の衛兵は優しい声でこちらに尋ねてくる。
「これから帰るところかい?」
「はい、迷子を送り届けた帰りで……」
「そうかい、それはご苦労様なことで」
「確か、家はギルドの西寮だったね」
「最近物騒だし、良かったら家まで付き添うよ」
衛兵の2人がどうやら家まで送ってくれるようだ。
ここはお言葉に甘えよう。殺人鬼の件もあるし、断る理由もないからね。
「ありがとうございます」
それから私は衛兵2人と歩きながら喋った。
なんてことない他愛のない世間話────。
けど、リリスは何故か喋らないまま、私に隠れるように隣を歩いていた。
人見知りしているのだろうか。確かに異性とパーティの3人以外とはあまり話していないけど、そんなに交流を毛嫌いする子だったかなとふと思った。
そして、灯りの少ない通りに差し掛かった時だった。
何故か私は途端に嫌な気配に包まれた。
その予感に被さるようにリハエロさんが話を切り出す。
「じゃあ、ここから先は私だけで送っていくよ。キミは邪魔だ。先に帰ってくれたまえ」
「リハエロ殿、我々は行動は2人行動と分かっているはずだ。それはどういう……」
「いいから帰りたまえ、邪魔なんだ」
「何のつもり……」
ザクッ
衛兵の首から死の美酒が飛び散る。
赤いワインのようなそれは、彼に何があったかを瞬時に予感させた。
「リハエロ……さん?」
「ほら、だから帰れと言ったんだ」
まるで、人が変わってしまったよう。いいや、違うかもしれない。寧ろ、今までがただ化けていただけ。
この時、私は悟った。
そう、彼こそがこの街を恐怖に陥れた死神────。
「まさか標的が自らこちらにやってくるとは────神とやらは、本当にいるとでも言うのかね」
連続殺人犯────それは紛れもないリハエロさんだったのだ。
■ ■ ■
こちらに目線を向ける死神。
月夜に照らされた彼の目は、非情に笑っていた。気持ちの悪い、歪んだ眼光────。
けど性的な目ではなかった。まるで、玩具を見つけた子供のような、けど残酷で冷徹なそんな奇妙な眼光────。
目の前で衛兵が殺されたことについては、特に何も感じなかった。死体を山ほど見た私には耐性がついてしまったようで、心が動かない。
少しの間の後、死神の鎌がこちらへ向けられているのを感じた私は咄嗟に身構える。
けど、駄目。
所詮幾ら私が抵抗したところで、現役の衛兵に及ぶような身体能力があるはずもなく、刃が目前まで届く。
こんなことになるのなら、もっと対人を想定した訓練でもしておくんだったと後悔する。
キンッ
刃が止まった。いや、止めてくれたのだ。
リリスが私とリハエロとの間に入って止めてくれたのだ。
そのまま、彼女はで腹部に回し蹴りを放つ。魔物ですら一撃で気を失うほどの蹴りがしっかり命中したように見えた。その威力に彼の身体が後ろに吹き飛ぶ────けど……
「おっと、危ない危ない」
直前で左腕によるカバーと咄嗟の後ろへ跳ね退いたことでことで大きなダメージはそこまで入っていないようだった。
「腕が痺れてしまったじゃあないか」
あれほどの蹴りを「腕が痺れる」程度で抑えられているのは最早流石としか言えない。
次の一手はリリスが火蓋を切った。
彼女の手を見れば、爪が伸びている。獣人の特性だろう。伸ばした爪はもはや短刀みたいで、食らってしまえばひとたまりもないことは取るに容易い。さっきの剣による一撃もこれで対処したのだろう。
地面を蹴り、空中から振り下ろす形で全体重を乗せた一撃が彼を襲う。リハエロは剣を構え、それを両手で受け止めた。
幼い少女の一撃でも、獣人の規格外の力が合わされば、幾ら戦闘慣れした衛兵でも直撃は両手で受け止めざるを得ないようだ。
キリキリと刃物が競り合う音が聞こえる。
「中々に素早い動きだ。だが……」
そう言って、リハエロは剣を支えていた左手を外した。
無論、それによって支えきれなくなったリリスの拳が彼に近づく。けど、これは彼の掌の上だった。
そのまま、彼の身体は彼女の横に回り込むように開いたのだ。
そして空いた手を腰に刺していた小剣に伸ばし、それを振るった。
敵ながらなんとも見事な流れだった。一連の動作に無駄がなく、最短で最適な行動に移っている。
けど、リリスもリリスでもう1つの刃物の存在に気付いたようで、脚が地面から離れていながらも大きく身体を翻す。あの不自由な体勢でよくここまで動かせるものね……。そして、次の短刀による攻撃を避け、こちらに逃げる。
一見、互角の戦い。けど────
「うっ……!」
リリスの腹部から赤い鮮血がポタリと垂れ落ちる。
服には赤黒い染みが出来、その痛々しさを物語っていた。
「ほう、あの体勢から急所を外させたか。存外、ここで殺すには惜しい少女じゃあないか」
嬉しそうな彼の笑顔────攻撃を受けているというのに不気味で、得体が知れない。
そんな笑みを浮かべながら彼はリリスに近づこうとしていた。
私は彼女に更に攻撃しようとしていると悟り、リリスに駆け寄ろうとした。
けど、そこは衛兵。私よりも素早い動きで彼女の元に一瞬で距離を詰め、そして……
「私の目当てはキミじゃあない。キミもこの場はご退出頂こう」
彼は傷口のある腹部に強い蹴りを入れる。彼女の防御姿勢も間に合わず、クリーンヒットしてしまっている。今、彼女には想像も絶するような激痛が走っているだろう。
吹き飛ばされたリリスは私の背後にある壁にぶつかる。物凄い勢いだった。それから、彼女が受けた蹴りの威力が想像に容易い。受け身は当然取れておらず、そのままの衝撃が彼女の背を伝っていく。
そして、地面に付いたリリスはそのままうつ伏せのまま倒れ込んでしまった。絵の具が徐々にタイル張りの地面に広がっていくのが見える。
これで、あっという間にリリスは戦闘不能にされてしまった。あのリリスが、こうもあっさり敗北してしまうとは幾ら想像はついても信じたくないものね。
「相変わらず、いい素体だ。心が殺したくてウズウズしている!」
彼はリリスをもう見ていなかった。「目当てはキミじゃあない」とは言っていたものの、まるで無かったかのように切り替わったその思考回路は『狂人』────。
標的は、他でもない『私自身』。
でもやはり、私に向けられているものは卑猥な感情ではないのは確かのようだ。リハエロの眼光からは決して艶かしいものが感じ取れない。
そういった感情というよりは、まるで子供のようなキラキラとした期待と興奮の眼差し────それに近かった。その辺の子供とはかけ離れた容姿ではあるけども。
読めない────私に何があるのだというのだろう……。人の顔色を伺うのは得意な私でも、この人はまるで読めなかった。
「やあ、始めまして、被検体。いや、この身体には何度も会ったことがあったのか。ようやく2人きりになれたじゃあないか」
彼はまるで初対面のように振る舞う。確かに今の彼の口調、その仕草や表情まで、私が知っている『リハエロ』とはまるで違うけど、しかし会っているのにこの発言はとても不自然だ。
けど、人柄の良い彼はもういない。
────もう、彼を『リハエロ』の名前では呼べない。
いや、今はそんなことよりも────
「リリス、大丈夫?」
返事は無い。けど、呼吸があるのは直ぐに分かった。生きている。無事とは言えないけど、まだ助かる。
私は彼女の生存を確認し少し安堵した。
相変わらず、心の中はここまで冷静だった。
身近な人が命の危機だというのに、全くたじろがないのは私としてもとても不愉快で仕方ないけど、けど今はこの冷静さが役に立つ。
窮状において正常な判断で行動できることほど大事なことはない。
すぐさま、私は目の前の死神と対峙した。
「おやおや、友達想いなんだねぇ。今まで殺してきた奴らはだいたい、1人になると逃げようとしていたというのに」
逃げることはできない。1人でなんて以ての外。
リリスを抱えてこの死神から逃げるのは無理だ。
助けを呼ぼうにも周囲に人はおらず、期待できない。衛兵を呼ぼうにも、この辺のルートは彼らが巡回していたのだから、周囲には今はいないだろう。
ならば残された手段は1つしかない────
そっとポケットに手を伸ばし、血切り刃を取り出そうとすると……
「この私が、そんなことをする暇を与えるとでも思っているのかね」
動きに敏感に気付いた彼は飛び込むように私と距離を詰め、そして────
「ぐわっ……」
首を捕まれ、壁に押し付けられた。身体が宙に浮き、咄嗟の衝撃に手から血切り刃が投げ出される。
けど、まだ抵抗は出来る。
「ひと思いに、楽に殺してやろう。君はこれから、私の実験の礎となるのだ」
今だ。
ここが隙だと思った私は高出力で魔法を放った。
魔法の発動を察してか、瞬時に彼は飛び退いたが、完全に避け切ることは出来ず、攻撃が当たった感触は確かにあった。
「ほう、爪で自らの指を割いたか……」
手元が自由で助かった。お陰でこうやって命が繋がっている。爪も少し伸ばしていたのが功を奏した。
けど──
「まあ、咄嗟の反撃で魔法が乱れたようだな。腕が多少痺れた程度で済んだか……」
魔法の制度が落ちてしまった。
本当は全身を麻痺させるほどの威力があるはずなのに、乱れてしまったせいで、腕1本を持っていくのがやっとだった。
それも、一時的で長くはもたない。
そのため、急いで次の魔法を放たんと落とした血切り刃をすぐさま拾い上げる。
「だが、今の魔法、中々のものだった」
そう言って、落とした短刀を拾い上げる。
「面白い……それでこそ、実験のし甲斐があるというものだ」
何を言うかと思えば、相変わらず狂った様子だった。例え理解出来ても共感なんて死んでも出来ないだろう。
完全に死角、相手の見えない場所からの攻撃。
血切り刃で既に指は出血済み、第2級雷属性魔法の準備は既に整っている。
これなら────勝てる。
そう思った矢先だった。
「惜しかったね、残念」
私は決して、油断なんてしていなかった。寧ろ、こんな状況で油断なんて出来るはずもない。
彼に魔法を放とうと腕を伸ばした瞬間、地面から闇の棘が地面から突き上げて、私を襲った。
私は魔法の発動を察知し、咄嗟に回避に入ろうとするも、避けきれなかった。
右脚を負傷する。
瞬間的に身体中に激痛が迸る。
私はそのまま、地面に倒れ込む。跳ね退いた勢いで、地面に擦り付けるように着地し、擦り傷があちらこちらに出来てしまった。
声こそ出さなかったけど、脚に襲う痛みに藻掻く。
幾ら精神的苦痛に慣れても、身体的激痛はやっぱり耐えられないな。
「私が『魔法を使わない』とタカを括ったのが、キミの敗因だよ」
見下ろすように佇み、彼はそう言った。
街灯の逆光がより現状の絶望感を引き立たせる。影った彼の顔が今も頭から離れない。
いつ、何処で。
こう考えた矢先、彼が胸元からとある入れ物を取り出した。
「幾ら魔法が上手かろうが、所詮対人戦などやったことのない戦闘処女────経験のある私とは比べ物になるまいよ」
彼は常に自身の血液を別の容器に移し替えて常備していたのだ。
恐らく、私との攻防……いや、リリスとの戦いの最中で、もう既に準備は出来ていたのかもしれない。
どこまでも周到過ぎて、まったく厄介な人物を相手取ってしまった。
立てない。右脚が言うことを聞かない────。
腱を切られたようで、右脚からはこの人生で経験しなかった量の血がダラダラと流れている。
後退りするも、相手の近づくスピードには到底対応出来ない。
なら魔法と、足からの流血に命令を下す。電気の玉が形成され、命令通りに相手に放たれる。けど、上手く当たらない。
やはり腕から以外の流血は制度が落ちるみたいで、文字通り必死の抵抗も呆気なく撃沈する。
もう絶体絶命────ここでこの命は終わりなのかな。
そう思った矢先だった。
「ほう、邪魔者の登場かね」
受け止めた。私がではなく、他の誰かが。
金属音が鳴り響き、一瞬火花が散って見えた気もする。
誰、誰なんだろう。月夜の逆光で尽くその判断が出来ないけど、いかにも格好良く見える。
すると、助けに来た人は私にこう呼びかける。
その声でこの人が誰なのか、私は瞬時に理解した。
「大丈夫か!? ベル」
その勇ましい後ろ姿は正しくアベルくんのものだった。
※「ジャック=リハエロ」の名前の由来は「ジャック・ザ・リッパー」




