第 ⅩⅩⅢ 話 最後の質問
この物語はただの創成物語である。
大荷物を抱えて、部屋に戻った私は本を読んでいた。
図書館から借り漁った精神医学の本だ。
この中には様々な精神医学の情報が詰まっており、もしかすれば国中の精神医学という精神医学が全てこの本の山に集まっているかもしれない。
それくらいの大量の本が机の上を占拠していた。
だが、如何せん医学書は文字量も情報量も桁外れだ。読み解くのは容易ではない。とにかく今の私には時間が無いのだ。
そう、3日後に私達はリリスの頼みで一時この国を離れるのだ。
無論リリスを送り届けたあと、この場所に再び戻ってくるとはいえ、私は答えを急ぎたい。10年以上待ち望んだ王都での情報収集────今の私はそんな積もりに積もった好奇心を爆発させてしまっていたのだ。
となると、そろそろ先に読む本を絞らないといけないだろう。
だが、どうしたものか。
絞るにも、宛てが無さすぎる。
私は手元で悪戯に筆を回した。
考えても、考えても埒が明かないことに少し苛立ちすら覚えていたからだ。
ダメだ、冷静になれ────こうなっては、思うようにもならない。
1度、頭を真っ白にしよう……。
息を整え、考えるのを辞める────
そして、今一度脳を再起動させる。
「ヌネ」
一番最初に浮かんだのは彼の影だった。
ふと、彼の言葉を思い返してみる。あの意味深で曖昧で、掴みどころのないような発言が耳に染み付いて離れないのだ。
「私には何も分からない。でも、キミになら分かるはずさ」
いや、そんなはずはないだろう。少なくとも私の身の回りのことくらいは、あの口ぶりからして、私以上に知っているはずなのだから、何も知らないという発言は不自然にも思える。
────ならば、何故彼は彼自身のことを「何も分からない」などと言ったのだろうか。
────いや、待て。そもそもだ、何故ヌネは私に彼の正体を探るように仕向けているのだろうか。
「キミはその答えを見つけなければならない」
彼はいつもそう言っていた。
だとしたら、何か裏があるのは明確だろう。何故今の今までそれを考えなかったのだろうか。ならば、目的は何だ────彼がそう誘導しているのなら、彼の言動に何かヒントが隠されているやもしれない……。
思い返す────彼の目的のそれらしきものを。
彼の言葉の数々を追っていき、思い返していると
『呪縛』
その単語が、脳内に表示される。
そうだ、あの意識の世界で彼は言動が制限されている。『呪縛』のようなものと彼自身がそう言っていた。
なら、彼の目的はその呪縛を解くことなのだろうか。
そもそも、『呪縛』とはなんだ。魔法か、或いは神の恩恵によるものなのか、その全容すら見えてこない。そして、誰がそんなことをしたのだろうか────考えれば考えるほど連想が暴走し、疑問が膨れ上がっていく。
────だが、そんな理屈や理由は後でいい。問題は「どうやったらその呪縛が解けるか」だ。それさえ分かれば、自ずと真実が見えてくる────そのような気がした。
なら、思いつく中で呪われているもの、縛られているもの……、或いはそれに近いもの……。
私の考える中でそれに当てはまるものは1つしかなかった。
「そうか、そうだったのか……」
彼の台詞を更に思い返してみる。一言一句覚えている訳では無いが、必死に彼の台詞を思い出そうとした。
────すると、あの言葉が酷く頭に残った。
たった一言。何気ないように思えるたった一言が、私の脳裏に深く刺さった。
「まさか……」
そう言えば、確かに彼はいつもその言葉を口癖のように、前置きのようによく言っている。まるで、それが重要な一言かのように、敢えて言っているかよように。
すると、何かに駆り立てられた私は、まだ読んでいない精神医学の書物の山を食いつくように漁った。その中でそれに合致しそうな本を抜き取り、手に取った。
ページをひたすら捲る。
その答えを求めて、答えのあるページを確信して、目に刷り込むように瞼を開き、齧り付くように意識を集中させた。
そして、辿り着いた。
「────っ!?!? これはっ!?!?」
遂に私は、答えを見つけ出した。
■ ■ ■
その医学書は読めば読むほど、体験談や私の置かれた状況がその書かれている症状に似ている。
まるで、自分が書いたかのようにその要素の1つ1つひ聞き覚えがある。
元々本を読み終わるのが早い私だが、今回はあっという間に読破してしまった。医学本はただでさえ時間がかかるというのに、自分でも驚きだ。
「ふわぁ〜」
大きな欠伸が出た。
それと同時に激しい眠気が意識を揺さぶる。
そういえば、ここ最近まともに寝ていなかった。
一晩丸々調べ物で本を読み耽っては、飯を食った後は朝から夕方まではギルドの依頼を受け、帰ってきたらアニキとの修行、その後飯をまた食べてはまた本を読み耽る────。
そんな日々を送っていた。
多少仮眠は取ったものの、こんな生活リズムでは眠気を感じて当たり前だ。
どうやら、これまで成分で興奮冷めやらなかったのだろう。
だが、目的を達成した今、探し物が見つかった今、私の身体を繋ぎ止めていた紐は緩み、ようやく身体が悲鳴を上げた。
瞼が重い……これは、素直に寝た方がいいか……。
調べ物は捗らないし、何より身体に悪い。
それに今日は────もう、いい。
だって、その答えはもう見つけたのだから。
それに、寧ろ、寝る方が好都合だ……。
彼が呼んでいる。
眠気に身を委ねた私は、再びあの白の場所へと吸い込まれていった。
■ ■ ■
ああ、見慣れた空間だ。
何も無いくせにだだっ広いだけの空間。
「あの、サヴァ……いや、もう1人は何処に?」
「彼はいないよ」
「そうか……」
「そんなはずないだろう」と言いたかったが、
「その様子だと、もうほぼほぼ答えが出たんじゃあないかい?」
「いや、その前に3つ確かめておきたいことがある」
「まず1つ目」
「あの時、魔法を使ったのは他でもない……。『ヌネ』────君だね?」
「おいおい、何を言い出すかと思えば……それはこの前、結論が出たじゃあないか。『君がやった』ってさ」
「ああ、そうだ。確かにそう結論が出た。あの場で氷属性魔法を使えるのも私だけだ。でも、それにしてはやっぱり納得できないんだ」
「私はまだあの魔法を使えない。ましてや、あの時私は気を失っていたんだ。魔法どころか動くことも出来るはずがない」
「なら、こう考えたんだ」
「私の身体を使って誰かが魔法を使ったんじゃあないかって」
そうすれば、私が私の意思で魔法を使わずに私が魔法を使った理屈が通る。
「それに君は私が『君が魔法を使ったんじゃあないか』と尋ねた時、こうも言っていた。『あながち間違っていない』と」
つまり、彼の言ってることを是とするのなら、両方の回答が正しいということになる。
私とヌネ────2人であの魔法を使った。しかし、私に意識は無い。
なら、それをクリアするためにはこれしか方法はない。
「君が私の身体を操って、あの第1級氷属性魔法を使った」
「さあ、どうだろうかね」
彼の思考が分かってきた。
彼は間違っている時は完全に否定するが、一部でも正しいところがある時ははぶらかしたり、完全に否定しない。真実が言えない以上、そうするしか方法がないのだろう。
「2つ目、君はこの世界の人間ではない……だろ?」
「ほほう……その根拠は?」
「いや、これはただ、もう思い当たる候補が居ないだけさ。けど、だからこそ、あの時の質問のことも考えると『この世界に居ないんじゃあないか』って思って……」
あの時の質問────君はこの世界に存在するのか?
あれに対して、ヌネは完全には否定しなかった。
ましてや、転生者という要素がある以上、他の世界があるという証明にもなる。
これを考慮しなければならないのなら、もう答えとしてはこれしか残されていないだろう。
「それに、私の考えが正しければ、キミ達はこの世界に本来居てはいけない存在のはずなんだ……」
彼は何も答えなかった。
つまり、それが答えなのだろう。
「3つ目、サヴァとヌネ、君たちは同一の存在……いや、同一人物だ」
「随分と言い切ったね。で、その根拠はあるのかい?」
傍から聞けばかなり突拍子のない質問だ。
しかし、こっちは真剣も真剣、大真面目だ。
彼もそれを分かっているのか、一切表情を変えずに私の話を聞いていた。
「君とサヴァ、私は君たちに初めて会った時、同じような雰囲気を感じ取ったんだ。初めは何かと思った。けど、過去に感じたことがあるようなどこか親しみ深い不思議なものだった」
「ほう……」
「いや、雰囲気────そんな曖昧で不確かなもので片付けてしまうには勿体ないくらいのこの感覚────それがようやく分かったんだ」
「それは?」
「魂の繋がりだよ」
魂────他人が聞けば、これも雰囲気と変わらない曖昧で不確かで実在するかも分からないような戯言だと思うだろう。
しかし、そのような存在が実在していることを私は知っている。そういう概念があることを私は覚えている。
あのお方────閻魔様がいる空間で、私はそれを経験しているのだ。
「そして、君たちと同一の人物はまだ居るはずなんだ」
そう。彼らは1人でも、ましてや2人でもない。
彼らを「人」と形容していいかすら分からないが、しかし、彼らのことがようやく理解出来た気がする。
「サヴァさん……いや、サヴァ。聞いているんだろ」
私は虚空にそう尋ねてみた。
唐突に思えるかもしれないが、返答があると思ってそう言葉を発してみた。
私の問いかけに答えるように、狭い空間にこれでもかというほどの高らかな笑い声が反響した。声の主は私でも、ましてやヌネでもない。
「なァんだ、折角人が空気読んで出てこないようにしてたってのに……ッたく」
振り返ると、そこにはいつの間にかサヴァがいた。まるで初めからそこにいたかのように、スっと現れた彼は悪態をつきながらも、その表情は如何にも喜ばしそうな顔をしていた。
「ヌネ、いい加減認めてやれよ。もう、あいつがここに来たときからお前も分かってる癖によォ」
彼もヌネの考えを見通しているかのようにそう言った。
「成程ね、君の言ってることはよく分かった」
すると、さっきまでニヤリと俯いていた彼の顔が急に強ばった。
「で、それがどうしたって言うんだい?」
ヌネは少し威圧的な声色でそう言った。睨みつけるようなその視線は、凍てつくように鋭く、普通なら怯んでしまうくらいには凄みがあった。まるで「ここから先に進むには、覚悟を決めろ」と言わんばかりの空気を作り出しているようである。
だが、そのような態度を見せる彼に私は一切たじろがない。もう、真実に踏み込む決心は、ずっと前から整っている。
「解に、近づいたってことさ」
私は彼と真っ直ぐ視線を合わせながらそう言った。
私のこの回答にそれなりの覚悟を感じ取ったのか、彼は
そして、私はそのまま彼に切り出した。
「じゃあ、もう1つ聞かせて欲しい。これが最後の質問だ」
改めて、そして尋ねる。彼のこの世界の仕組みについての説明を思い出しながら────。
「この意識の世界に入れるのは『私だけ』────そうだったよな?」
一瞬で静まり返る空間内。
そして、その静寂の中に1つ、ヌネが口を開く。
「なんだ、もう分かってるじゃあないか……」
その反応が、私の不確定を確定へと変えた。
「だが、残念ながら、その答えを聞くのは後回しだ」
「だな」
「えっ……」
ヌネは天井を指差した。
見上げると、光が強くなっている。
そして、聞き馴染みのある声が聞こえてくる。
「お〜い、アベル〜」
アニキの声だ。恐らく、私を起こそうとしているのだろう。
「アニキ達が呼んでいる。行ってこい」
「……」
「安心しろ。俺達は逃げない。というか、逃げたくても逃げられないんだ。ずっとここにいる」
「今のお前になら、分かるだろ」
ああ、そうさ。こんな場面から、彼らが逃げるような者ではないことは今の私自身が1番よく分かる。
だって……彼らは────。
「分かった。必ず戻ってくる」
確信があった。
再びここに戻って来れる確信が。
再び彼らと相まみえる確信が。
「それじゃあ、また後でな」
複雑な気持ちはあるが、私は現実の世界へと意識を戻していく。
そう、もうこの考えは確信へと化しているのだ。今でなくても悲観することは無い。
寧ろ、この時は晴れやかな気持ちだった。
何故なら、もう迷うことなんてないからだ。




