第ⅩⅥ話 サヴァ
この物語は、ただの創成物語である。
背中が見える。白い背景に、1人の人間の背中が、逆光で影となって、私の視界に映し出されている。
「あァ、身体が重ったりィ……やっと抜け出せたからかァ?」
そこには寝起きの人間のように、少し動きがおぼつかない男が1人、こちらに背を向け立っていた。
腕を後ろで組み、背筋を伸ばす。1人で伸び伸びとしていると────
「おっ、やっと会えたな、おめェが……おっと、これは言えねェ事だったか」
視界が次第に開けてきた。輪郭がハッキリとしていく。
どうやら男が私の存在に背中越しに気が付き、ゆっくりとその容姿をこちらに見せたようだ。
ツンとした白髪に、吊り上がった鋭い眼光、そして蒼い瞳────格好は白い服に両手首、両足首、首の5箇所に重苦しい錠で拘束されていた。まるで、あの男のようだ。
その姿に見覚えは勿論ない。声も聞いたことすらない。
だが、何故だろう。その容姿に、妙な感覚が湧いてくる。
「貴方は一体……ヌネさんは……」
この空間と言えばあの男だ。いつもあの男が私を待っていたかのように佇んでおり、私を揶揄うかのように意味深な発言を繰り返す。
ヌネ────彼は自身のことをそう言っていた。
「ヌネ? ヌネ、ヌネ……ヌネねぇ……」
私がそう言うと、目の前の男は拍子抜けた様子で、必死に私が指す"ヌネ"という人物が誰なのか、答えを絞り出そうとしていた。
腕を組み、「う〜ん」と暫く唸っていた。
すると突然、
「ああ! アイツのことか!」
と大きな声で、その答えが導き出せたことを伝えた。
「ケハハハ! アイツここでは"ヌネ"って名乗ってんのか! まんまじゃあねぇかよ! ケハハハ!!」
今度は笑いだした、下品な声で高らかと。
"まんま"とは────一体。何が"まんま"なのだろうか。学は多少なりともある私ではあるが、ヌネなんて単語聞いたことすらない。────そんなに彼らの中では有名な言葉なのだろうか、笑われる程に。
話が分からず、ポカンと口を開けてその様子に困惑する私を尻目に、目の前の彼は大きな声で笑っていた。
そして、一段落すると、目に浮かべた涙を指で拭き取りながら、私にこう諭す。
「アイツのことなら安心しろ。多分、俺達を気遣って敢えて出てこねぇだけだ。ったく、いけ好かねぇ野郎だ」
出てこない────ちょっと待て、それも身に覚えのない情報だ。彼はこの空間に顔を見せるも見せないも自由自在なのだろうか。頭が追いつかない。彼は本当に何者なのだろうか。
────いや、寧ろそうなってくると、"彼は現実に存在する説"が濃厚になる。現実で都合の悪い時があるからこそ、不定期に現れ、逆に敢えて見せないという芸当も出来る……のだろうか。
だが、彼は"キミは既に私を知っている"と言っていた。現実にいる人物として彼の面影を当て嵌めようとすると、どうしても私の知っているどの人とも違う。
────ますます彼の正体が気になる一方だ。
だが……今はそんなことより、まず処理すべき情報がある。
「貴方は、一体誰なんだ……」
この目の前の男は、そもそも何者なんだ。
振る舞いからして、あのヌネさんとは知り合いのようだが────。ヌネさんと同様に、やはり心当たりがない。
「ああ、名乗り遅れたな! そうか、アイツがヌネなら俺ァ……」
少しの間が空き、彼はその場にあった台の上に乗ると、高い位置から堂々と自身の名をこう語った。
「"サヴァ"だ!」
ヌネさんの時もそうだったが、取ってつけたかのような言いぶりだ。
"サヴァ"────ヌネさんと同じく、変わった名前だ。私が知っている限りでは、そのような名前の人も、言葉すらも思い当たる節がない。
2人の言い方から、何か意味はあるのだろう。言葉の規則性────いや、検討もつかない。何かの言葉をもじっているのだろうか。
ヌネとサヴァ────この2つの名前の由来に何か意味がありそうではあるが……。
「サヴァ……さんですか……」
突然現れた男に警戒しながら、私はそういった。ヌネさんと同じく、初対面なのに妙に馴れ馴れしいというか、不思議な気分だ。別にそんな対応に嫌な気分はしないが、それがかえって気持ち悪さを感じさせる。
「さん付けなんて要らねェよ、俺達とお前との関係だ」
複数形────ヌネさんのことも含んでいるのだろうか。いや、初対面なんですが……。関係も何も、そんなものを築く以前の問題なのだが……。
「何だ、どうした?」
私があまりにも真剣に頭を抱えて悩んでいる様子に心配になったようで、覗き込むように姿勢を低くしながら彼は問いかける。
「い、いえ……ちょっと情報を整理するのに時間が掛かってて……」
私がそう返事すると、「そりゃあそうか」と彼は再び高らかと下品な声で笑った。
何も無い、白い空間に笑い声だけが鳴り渡る。
意味もわからず笑う彼に対し、取り残されたかのように、私はピクリとも笑えなかった。
■ ■ ■
さて、状況を整理しよう。
私はまたもやこの"意識の世界"という自身の精神空間に迷い込んだ。
そこにはいつも"ヌネ"という男がいた。
しかし、今日に限って"サヴァ"と名乗る別の男がそこにはいた。彼はヌネことを知っている様子で、ヌネさんと同じように何処か胡散臭く、いちいち発言が意味深で、私の頭を混乱させてくる。
彼は"ヌネを名乗るのがまんま"と言っていたが……果たしてそれはどういう意味での話なのだろうか。ということは、この"サヴァ"という名前もそのままの名前なのだろうか。取ってつけたような名乗り方に、彼の名前も疑わざるを得ない。
いや、待て────やはり"敢えて出てこない"という言葉の真意も気になる。
それに、"俺とお前との仲"だって……。私はこの目の前の男とも知り合いなのだろうか……。
────ダメだ……纏まりかけていた考えがもうグチャグチャだ。色んな情報が混在してるせいで考えがひとつに絞れない。考えれば考えるほど、坩堝にはまっていく感じがする。
「そうか、俺の存在のせいで思考回路が狂っちまったか」
私の考えを見透かしているのも、ヌネさんと似ている……気持ちが悪い。
ここまでだと、同一人物とすら疑ってしまう────いや、同一人物、なのだろうか。
いや、だとしたら、容姿が違い過ぎる。髪色も髪型も、身長も性格も、口調も第一人称さえも丸っきりヌネさんとは違う。
違うのだが……どこか、似ている────。
理屈じゃあない。
同じ眼をしているからだろうか。
ヌネさんと同じ蒼い眼だ。
吸い込まれそうにまで、澄んだ眼だ。
そんな風に、私は彼を疑っていた。ヌネさんと同様、
「俺のことは気にするな、新人」
新人? 私のことを急に彼はそう呼んだので、驚きを隠せなかった。
「俺のことは気にせず、お前が導くべきと思う答えを探せばいい。そうすれば、自ずと俺の答えも導き出せる」
「ちっ、もう時間か。まあ、暫くは顔出さないでおくよ。お前の邪魔をしちまうのも癪だしな。俺自体の存在に関わる」
格好を付けながら、彼はこちらに背を向ける。
「じゃあ、あとは任せたぞ。新人、俺はお前を信じてる」
あの男にも言われた台詞を最後に、会話は途切れた。
その言葉に答えることは出来ない。
何故なら、意識が現実へと戻っていくからだ。だが、その言葉に答える必要などないと思った。あの男がそれを望んでいる。「俺を気にせず、お前は導くべき答えを探し出せ」と、彼がそう言うならそうさせてもらう。
それに、どの道私がするべきことは一つだ。
私は、自身の答えを求める。
ただ、それだけだ。