第 ⅩⅤ 話 強くなりたい
この物語は、ただの創成物語である。
「アニキ、私に戦いを教えてくれ!」
リリスの件で一段落し、私はアニキをギルド寮の中庭に呼び出した。そして、私はアニキにそれを伝えた。
私が密かに今回の件で決意した想い──それは「強くなること」。
夕暮れ時──世界が橙色で染まる中、そんな私の声だけが中庭で木霊する。
「まあ、大体言いたいことは分かる」
どうやら、アニキも私の意を察していたようだ。
そもそも、今回の依頼、私が完全な下っ端として働いていたのはそういう力の差が理由だろう。私は完全に戦力として未熟なのは、私ですら承知の上だった。
そして今日、目の前で見せつけられたリリスのあの身体能力──もうプライドはズタボロだ。男としても、友人としても、流石に自分の現状に黙っていられない。
「アベルと俺とではマナの属性が違う。よって、俺が教えられるのは体術や剣術くらいだな」
魔法はそれぞれ、魔法として現象を起こす原理が異なる。アニキの火属性魔法なら、空気中の成分を利用し、マナによる事象変換能力で摩擦による熱を発生、火を作り出しそれを肥大化させることで、1つの術として完成させる。
私の氷属性なら、空気中の水分を利用し、マナによって急速な気温変化よって水分を結晶化、それを寄せ集め更に大きくし、氷塊として完成させる。水属性なら温度変化を行わず、水分を寄せ集めるだけでいい。
まあ……詰まる話、そもそもとして教えられるはずがないのだ。
だが、それで十分だった。寧ろ男性ながら非力な私としてはそれを教えて欲しいまであった。
そして、アニキは魔法よりも体術に優れている。昔から喧嘩は強かったし、聞くところによれば、とある人物の元で1年以上の積み重ねを遂げ、戦闘能力の向上も果たしているらしい。
「一応、理由を聞いておこうか」
どうやら、本質までも見透かされているようだった。普段は鈍かったり、少し抜けているところが多いアニキなのに、こういった時だけいつも鋭い。
そう私には、それとは別に強くなりたい理由があったのだ。
私は少し震える声でこう言った。
「私は……目の前で誰かを失うのが……怖い」
目の前の少女を助けられなかったのはこれで2度目だ。
1度目はあの龍の群れに襲われた時
そして、今回──。
今回はたまたま助けようとした相手が良かったが、前回は出来なかった。名前も知らない少女──だが、あの場で他人など関係ない。力がないが故に、私は1つの尊い生命は、永遠に失われてしまった……。あの女の子だけじゃあない。親も、友人も、知り合いも──あの町に住む誰一人も、私は力が無いが故に何も出来なかった。あの時力があればと、どれほど嘆いただろう。
トラウマだ。あの記憶が蘇る度に、自責と畏怖の念に囚われてしまう。何度、発狂しかけたことか、最早分からない。
もう、あんな経験はしたくない。
私はそんな想いをアニキに全て打ち明けた。
それに対して「分かった」と、アニキはただ納得し、それ以上何も私の想いに対し何も言わなかった。
そのまま、私に向かって近づいてくる。
「構えろ」
「えっ……!?」
そのまま、兄貴は思いっきり振りかぶった。
咄嗟の攻撃であったが、なんとか反射神経だけで凌ぐ。
しっかりと両腕で受け止めたはずなのに、あまりの衝撃に身体がバランスを崩す。
骨まで軋む。
流石は普段から鍛えているだけのことはある威力だ。
「少しは手加減してくれよ……」
相手に手加減を求めるとは、流石に情けない話だ。
だが、言いたくもなる。
物事には順序ってものがあるだろ。いきなり、本気の殴り合いは御免だ。
しかし、一方のアニキはと言うと──
「俺は相手を選ばない。手加減なんか知らん」
私の考えなんかものともせず切り捨てた。
アニキは昔からそういう性格だ。
例え歳下だろうが、歳上だろうが、全力を尽くすと心に決めたら容赦をしない。
分かってはいたが、しかし、こうも全力でぶつかってくるとやる気が削がれてしまう。
アニキには勝てない。それが分かっているからだ。例え防御に徹したとしても、私が彼の攻撃に耐え切るのはほぼ不可能といっていい。それほどまでに、私とアニキとの差は大きい。
私も、そしてアニキもそれは理解しているだろう。
だからこそ、これから本気で殴りかかってくるであろうアニキに対して、どうしても私はやるせなくなったのだ。
「そもそも、私は相手と戦う方法を知りたいのであって、自分を守る方法を知りたい訳じゃあないんだ……」
「戦いも知らぬ奴が口出しをするな!」
話を遮られた。どうやらこちらの言い分はあまり聞いてくれないようだ。
「そもそも、"守り"も戦いの一部だ。攻撃し、防御する。それが勝負における基本だ」
そのまま、アニキは尻もちをついている私の胸ぐらを掴み、持ち上げてはそのまま続ける。
「自分でも分かってるだろ。お前は弱い。戦いにおいて、お前が俺に言えることなど、ひとつもない」
「キッパリ……言うなぁ……」
だが、ぐうの音も出ない。私なんか、アニキからすれば一回りも二回りも格下であり、経験もあるアニキに反論できることは1つもないのは事実だった。
「俺は、正直、お前には戦いに参加して欲しくない。勿論ベルにもだ」
「……!?」
「俺だってもう失いたくねぇんだ。俺があの場にさえいれば、もう少しでも早く町に帰っていれば、多少はあの惨状がマシにはなったかもしれない。でも現実は違う。家族も、友人も、家も何もかも、失ってしまった。残ったのはお前達だけだ」
強くなりたい──それはアニキも同じだった。
「だからこそ、俺達はお前達を守る義務がある」
アニキは真剣だった。
本気で、私やベルを守ろうとしている。そう感じさせる気迫があった。
「だが、あの調子を見ると、お前らは今後何かあった時に、自ら突っ込んで行くんだろうな。特にお前」
「え、私が!?」
「お前、あの時リリスを助けに行く時、見えてたか?」
アニキは"何が"とは言わなかった。が、しかし、言いたいことは分かる。見えていたと聞かれれば、見えていたと答えるつもりだ。あの時、1体の魔物がリリスを狙っていて、アニキは触手が届かないことを悟り、アンジュさんは矢の装填に時間がかかり、私、ベル、ルークさんは次の魔法の発動に手間取っていた。
私はそれをそのまま伝えた。何の疑いもなく。
だが、アニキは「それが見えていないってことだよ」と私の意見を全否定した。
しかし、その理由はアニキの次の台詞で直ぐに分かった。
「お前は知らんだろうが、あの時2体の"ヴァスカ・ビル"がお前を狙っていたんだぞ。まあ、あん時は俺が気付いていたが、もし誰も気付いていなかったらどうする?」
私が見えていなかったのはそういうリリスに対する戦況ではない。
"私の状況"であった。
私は何よりも私自身の周りが見えていなかった。
「魔物は事情など知らない、心もない、場も弁えない、ただ抑えきれぬ野性を発散するために、相手を襲う。そして、戦場は常に誰かが誰かを狙っている。他人の心配より、自分の安全だ」
生命の奪い合いにルールは1つしか存在しない。
"生き残った者が勝者"
それ以上もそれ以下でもない。
狡もなければ卑怯なんて通用せず、ましてや理性なんてものすらない。
それに必要なのは、相手よりも上である──"強さ"。
今なら分かる──だからこそ、アニキは真剣なのだと。
「俺達ギルドには"ルール"がある。ギルダー登録の時に聞いただろうが、"ギルド準則"って言ってな。そん中の1つだ」
『格上には挑むべからず。常に相手を見定め、格上と分かりし時、すぐ避けるべし。然して、救えぬ者を救うべからず』
聖人が聞けば最低の準則だろう。仲間を見殺しにして、何よりも自身の生命を優先するなど、誇れることではないのは確かだ。
だが、それを言えるのは力のあるものだけだ。
力が無ければ誰も救えない。
ならせめて、自分だけでも助かる──"見殺し"が許されているほど、この職場はそういった思わぬ格上との絶体絶命が多い。そして、こういった規則がなければ、生き残った者は自負の念に囚われ、折角助かった生命を棒に振る。だからこそギルダーなら、ギルドの一員として、そして人間として、強くなければならない。
「俺達はいつも死ぬ覚悟でやってんだ。忘れんな」
アニキの声色は低く、重く、そして深かった。
私とたった2つしか歳が変わらないのに、その瞳はまるで自分と人種も育ちも違うかのように、私よりも何年も経験を積み、そして私とは違う何かを見てきた目だ。
その言葉の裏には、具体的に何があるかは分からない。
だが、おおよその予測はつく。想像もしたくない、けど私には分かった。
同じだ。
アニキも過去に目の前で誰かを失っている。
知る由もないが、同じ境遇を味わった身として、それだけは理解出来る。
「俺がいつお前達を守れなくなるかは分からない。だからこそ、いざという時、お前の身はお前が守らなければならない。その為の"護身術"だ」
アニキがその"師匠"と仰ぐ人物から教わったのも、他人を守る戦闘術ではなく、自身を守る護身術──そこから発展させ、他人にも影響が及ぶよう当て嵌めたものが戦闘術であり、そしてようやく他人を守れるようになる。
自分の身を保障出来ない奴に、他人を救うことは出来ない──
アニキの師匠はそう言っていたそうだ。
「まあ、魔法の才能に関しては、俺とトントンと言ったところだろう。なんせ、杖無しで上手くコントロール出来る人間はそう多くない。俺が教えるまでもないだろうな」
"杖"──マナを媒介とする魔法道具の1つ。
杖には魔法の力を増加させたり、マナを増幅させる能力はないが、その一方でマナの調節機能、言わば魔法の精度向上の機能を持ち合わせている。
魔法のコントロールはあくまで大雑把、本人の感覚でしかない。これといった正攻法はなく、当人の才能以外で極められる魔法の力というのは、マナ量くらいしかない。
そんな不安定な魔法という文明を大きく飛躍させたのが、この"杖"である。
自身と同じ魔法属性のマナで構成された生物の"コア"を杖に埋め込み、コアに自身の血液を流し込むことで、自身の放つマナを調整する機能が働く。マナが多過ぎればコアがマナを吸収し、逆にマナが少な過ぎればコアからマナが補充される。
そうすることで魔法の規模や使用するマナ量が調整でき、自身の思った通りの魔法が放てるという仕組みである。
勿論、杖による調節機能が完璧である訳では無いが、少なくとも、自分に見合った魔法や普段使いでの使用となればかなり役に立つ代物になる。
普通はこの"杖"を使うことによって魔法の暴発や暴走を防ぐのだが、"杖"を使わない例外が存在する。
それが"杖無し"と呼ばれる連中だ。
所謂、マナの調整に長けた魔法の才がある人間──自分で言うのは恥ずかしいが、私はそんな人間だ。
私以外にもベル、アニキも杖を必要としない。だが、こんな身近に2人も"杖無し"の人間がいるのは珍しく、私の数十人同級生でも私とベルともう1人しかいなかったくらいだ。数万人に1人という程のものでもないが、珍しいのは確かだろう。
しかし、それもアニキやベルを見ればそうも自惚れていられない。自分は稀な存在なだけであって、特別ではない。才能があるだけで、決して魔法が上手い訳では無い。
今まで、「他人に負けたくない」と思ったことはあれど、今回のように本気になったのは初めてだ。
「しっかし、お前と比べてベルは凄いなぁ。戦いの経験ゼロだというのに、初めての魔物狩りで既に動きが玄人だ。俺達も直ぐに抜かれそうで……才能の塊は怖いもんだ」
全くだ。
情けない、そして悔しい。
昔から、勉学も魔法も運動能力さえも、ベルには適わなかった。強いて言うなら筋力くらいだろうか……それでも同級生の男には上がいたが、男性としてのポテンシャルでしか勝る要素がないくらい、私はベルに劣っている。
だが、アニキは私に続けてこう言った。
「お前は俺達とは違う。だがそれは、決して悲しむことでは無い。お前にだって強くなれる才能も理由もある」
アニキは私を認めてくれていた。あくまで将来性という部分についてだが、しかし、それでも私は嬉しかった。
「さて、やるぞアベル。俺は厳しいぞ。お前に俺の教えられることを全部叩き込んでやる」
アニキの言葉に魅せられ、次第にやる気が湧いてくる。そうとなっては、私も全力で応えて見せるさ。
私は、そう思いながら立ち上がり、構えた。
よし、強くなってみせる。
■ ■ ■
骨に罅が入った。
右の手首と左脚の脛。
4箇所の打撲、その他数十箇所の腫れ──
そして、あのカタリーナ先生による施術──駄目だ、思い出すと余計に傷口が痛む。
全治2日。流石はギルドの医療班だ。回復までが早い。1日もあれば動かせる程にはなるらしいが、まさか思い立った初日に骨を折られ、早々に心身共にズタズタにされるとは……。アニキがどんな相手にでも容赦ないのは知ってたが、流石にこれは度が過ぎるんじゃあないだろうか。
幸先が不安になりつつ、私はベッドの上で、思うままに動かない身体を奮い立たせ、近くの台の上にある本に手を伸ばす。
「さて、今日も読むか……」
私は古びた日記を手に取った。
あの日古本屋で買った、2つの名前が書かれた奇妙な日記だ。
忘れていた訳では無い。寧ろ、読める日は毎日欠かさず読んでいた。少しながら、この本に希望もあった。
だが、言うまでもない事が書いてあったのだ。
そこに書かれていたのは、紛れもない"日常"。
他愛もない、1人の青年の日々が綴られた何の変哲もない日記そのものだった。
文豪だとか、作家だとか、そんな文の書ける人の大それたものじゃあない。一般人が書く、本当にどうでもいいような日常しか書かれていなかったのだ。
今日は気になっている人がどうの、天気がああだの、今日食べた親の料理だこうだの、「そうですか」以上の感想が浮かばない程のものだった。
正直、読む気が失せていた。
私が求め過ぎていたのもあるが、日に日に読むページ数が減っていったし、期待もどんどん薄れていった。
しかし、私は僅かに残っている可能性を胸に、読み続けていた。次は何か書いてあるだろうと。
そして、今思うと、それは正解だった気がする。
──
私は、何の考えもせずに1ページを捲った。
それは唐突にこう始まっていた。
『これは刻んでおかないといけないだろう。今日は、そんな大事な話をここに記しておく』
──流れが変わった。今までの普通の日常とは違う雰囲気が、文脈からも感じ取れた。
『今までの話とは変わるが、私は今までとある頭痛に悩まされていた。頭が割れるような酷い頭痛だ』
──!?
"頭痛"────その言葉に私は反応した。
『初めはただの持病だと思っていた。医者も何らかの後遺症だと言っていた。だからこそ、あんまり気に留めなかったし、誰にも話さなかった。しかし妙だった。頭痛が起きる度に謎の記憶が蘇るのだ』
間違いない、そう私は確信した。
私と同じものだ。
この"キオク"が回帰する謎の頭痛──それが、この人にも全く同じ症状で現れている。
私の中で今までのこの日記に対する評価が払拭された。
つまらないと思っていた内容に、どんどん興味が湧いてくる。
『見たことない景色、会った覚えのない人々、聞いた事のない言語に、何の為に使うのかも分からない道具──知らない記憶、だが、私はそれが自身のことであることは何となく分かった』
『いや、何となくではない』
『確信していた。間違いなく、これは"私が経験した"記憶だ』
ページを捲る速度が上がる。
『だが、今まで私はそれが一体何の意味があるのか、理解が出来なかった。だからこそ、今まで誰にも言わなかったし、ここにも書かなかったのだ』
『しかし、書かないといけないと思った。そうでないと、忘れてしまいそうで怖くなったからだ。そう、気づいたのだ』
『話を変えるが、とある日を境に、私は"彼"に頻繁に出会っていた』
彼──思い当たる節がある。いや、私で言うあの人以外考えられない。
『夢の中で出会う男──初めは誰か分からなかった。だが、日を追う事にその記憶は鮮明に、そして彼の正体が明確になっていった』
『そして遂には、何者かが思い出せた』
『彼は──』
このページはここで終わっていた。そして、恐らく次のページにはその答えが書かれているのだろう。
私の欲しかった答えがこの次のページに刻まれているとなると、途端に緊張に襲われた。
恐る恐る、紙を捲る。
だが、その時だった。
っ……!?
痛い──あの頭痛だ。日記にも書かれていた、あの頭痛だ。
しかも、いつもの比ではない。
あの、瓦礫の下で感じた、頭が破裂しそうな我慢できない痛み──今まで死ぬほど痛い思いをしてきた私でも、流石に声を荒らげてしまう酷い頭痛だ。
無論、それと同時にとある"キオク"が流れ込む。
身体が、痛みに対して反応を見せる。
声にならない叫びが上がり、脚は狭いベッドの上でのたうち、手は何かに縋ろうとベッドを力一杯掴む。
心配になって、アニキが駆けつけてきた。隣の部屋にいたはずだが、私が叫び苦しむ声に気づいたのだろう。
「大丈夫か!」
そんな風な声で私を呼び掛けているのだろう。だが、意識が遠のいていく中、その声はハッキリとしなかった。
そして、次々と部屋には人が入ってくる。ベルだろうか、アンジュさんだろうか、ルークさんだろうか。しかし、誰だか分からない。
私はそのまま、抱えていた日記を放り投げてしまいながら、意識を失った。