第 ⅩIV 話 謎の少女
この物語は、ただの創成物語である。
幾つもの声が聞こえる────聞き覚えのある懐かしい声だ。
幾つもの背中が見える────見ただけで涙が出てきそうになる背中だ。
楽しそうな情景、かつてあったいつもの光景。
日常がまだ日常として存在していたあの日までの光景。
私は走り出す。再びあの中に入れると夢見て、必死に向かっていく。
だが、一向に追いつかない。それどころか、離れている気がする。「待って」と声を掛けるも、聞こえていないようで、遂には見えなくなってしまった。
暗い空間に1人、私だけが残った。
また、声が聞こえる────聞き覚えのある、懐かしい声だ。
お前は弱い
俺もまだ生きたかった
何でお前なんかが
私は何故ダメなの
醜い、お前が醜い
死にたくなかった、死にたくなかった
お前に力があれば、俺は……
何故助けられなかったんだ
生きれれて良かったな、俺は死んだのに
お前も死んでしまえば良かった
────何故お前らだけ、生き残ったんだ。
────
「っ!?」
突然目が覚めた。
「はぁはぁ……」
息が荒い。
身体が中の毛穴という毛穴から、汗が吹き出し、内着がもうずぶ濡れだ。
この夢を見るのも何度目だろうか。
死んでいった友人や知人、そして家族。
彼らが私に対して、恨み辛みを吐き捨てる────そんな夢である。
だが、これは当然だ。私は誰一人助けられなかったのだから、その業を、その責任を、その無念を負う義務がある。
しかし、重い。そして、辛い。
逃げてはいけない過去に、つい背を向けてしまいそうになる。
だが、逃れることは出来ない。否、逃してくれない。
私はこの罪悪感を一生抱き続けなければならないのだろう。
そして幸い、まだ夜が深いだけあって、誰も目覚めていない。
この苦悩は、私一人でいい。
ベルにすら背負わせなくない。
そう思い、私は来る明日に備え、再び眠りについたのである。
■ ■ ■
アークルットの樹海、その周辺────アルデートの北部に位置し、鬱蒼と生い茂る木々の中を縫うように、その馬道は存在している。
かつてアークルットと呼ばれる旅人が、この森で行方不明になった為に名付けられた名前だが、今や馬道が整備され、人の足で入ることが滅多に無くなってしまい、樹海とは名ばかりになってしまった。
もっとも、今回私達が向かう場所はその樹海の入口付近だ。迷う事などまず無いだろう。
だが、人が奥深くに寄り付かない故に、数々の野生生物、そして魔物が生息している。調査隊などもあまり派遣されない為、一体どんな生物が生息しているかすら未知数だ。
唐突に先頭を歩いていたアニキが手で制す。
何かを感じ取ったのか、アンジュさん達も直ぐに戦闘態勢に切り替わる。
私には全く分からなかったが、アニキの目線の先、森の奥の方を見やると、直ぐにその正体と気配を感じ取った。
紅い目が、1つ、2つ、3つ────時間を追うたびにその閃光が増えていく。
標的である。
群居性の彼らが、続々と集まっているのである。
そして、こちらに向かっている。
陽の光の当たる場所までくると、ようやくその全貌が把握出来るほどになった。
かなりの集団だ。20……30はいるだろうか。どちらにせよ、数だけは揃っている。
「よし、じゃあ、討伐開始だ!」
「おう」とアンジュさんとルークさんが答え、気持ちのスイッチが切り替わったのを感じる。
顔立ち……いや、雰囲気が違う。顔では余裕ぶってはいるものの、放っているオーラは真剣そのものだ。見えはしないが、確実に感じる。
アニキはいつもの手袋を外した。
アニキのもつ恩恵────"造形"
この恩恵は「触れた物の形を自由自在に変形させられる」というものだが、実はその発動をコントロールすることが出来ない。
つまり、物質に触れると問答無用で能力が発動してしまうのだ。基本的に、アニキが変形するものの形を想像していないと既に形を帯びているものは液化する。
日常生活において、物に触れられないというのは致命的であり、かなりの欠陥である。
そして、ベルの恩恵が3つの欠点、もとい「制約」を持っているように、この恩恵にももう2つ制約がある。
1つは「能力を行使している間は、常にその物質に触れておかねばならず、かつその形を想像し続けなければならない」というもの。
そしてもう1つは「変形させられるのは無機物だけ」というものだ。つまり「有機物」は変化することが出来ない。
故に、アニキはいつもああやって、能力の誤動作を防ぐ為に皮の手袋を嵌めているのだ。
そして、恩恵の能力を解禁する時に限ってその手袋を外すらしい。
手袋を外し、曝け出したその掌には神の恩恵を受けた証────"神の紋章"が刻まれている。
神の恩恵の所有者の恩恵が発動する部位に、その紋章は刻まれているのだ。ベルはコアのある右胸に、アニキは両手の掌だ。
アニキはその紋章の刻まれた掌を、地面に向かって、思いっきり力を込めて触れた。
あのウルフェンを撃退した時のような触手が、また地面から伸びてくる。
アニキは武器を持ち合わせていない。その場の素材を恩恵で整形し、己が力の一部とする、対応力の塊だ。
象られた剣が折れれば、投げ捨て、次は篭手を作り出し、相手を殴り付ける。自身の持つセンスと力強さをフルに活用し、魔物を相手取る。
土の触手を使って戦うのは、それが1番想像を保っていやすいからだ。剣のように、造形が細かい物を象るよりも、触手のような単純な構造の物を象るほうが、応用力も効きやすい。
ましてや、こんな大勢を相手取る時は、剣などの攻撃範囲の狭いものよりも、触手の方が扱いがいい。
ヴァスカ=ビル────一般人なら震え上がるほどの邪気を纏っていて、あの龍を相手取った私も少したじろいでしまう。
牙はアニキの作り出した土の装甲さえ貫通し、仲間が殺されても何の躊躇もなく立ち向かってくる。────しかしアニキは動じない。
木々と共にヴァスカ=ビルを薙ぎ払い、その群衆を一掃していく。荒々しく、そして力強さを感じる。
だが、そんなアニキでも本気は出せていないのは想像に容易かった。
何故ならアニキは魔法を使えていない。
こんな森の中で火属性魔法を放つなど、自殺行為に他ならないからだ。
だが、アニキは生き生きとしていた。
まるで戦闘に愉悦を感じているように────ここが彼の居場所と言わんばかりに。
「1匹も逃すな」
笑みを浮かべながらそういった。
不気味な笑みだ。私が今まで見てきたどの笑顔とも違う、不敵な笑みだ。
「了解」
そう言いながら、ルークさんは杖を構える。
杖から飛び出た棘に自らの指を傷つけ、流血させる。飛び出した血液から、マナが当人の命令に従って、事象を創り上げる。
「第3級陰属性魔法────枷」
そう言われたマナは命令通りに反応し、相手を包み込む。それはまるでその名の通りの"枷"のよう。相手に不利益を齎し、自分の有利な戦況に持っていく為の布石。
相手の動きが確実に遅くなっているのが分かった。
それにルークさんは畳み掛けるように次の魔法を繰り出す。
「第2級闇属性魔法」
2つの属性を持つ彼のマナは、その命令によってまた別の反応を見せる。
闇が集う。そしてマナの反応で形を持った闇は、鋭い槍のように先端を尖らせ、速度の衰えた獲物を容易く捉える。串刺しである。
役目を終えた闇は虚空へと消え、残ったのは胴体を貫かれた死体のみ。
これがルークさんの戦法────相手の能力を下げてから確実に仕留める。2属性のマナを持つ者ならではの戦い方だ。
「言われなくても分かってるっての!」
アンジュさんが矢を射る。
射った矢は、物凄い勢いで魔物の元へと飛んでいき、脳天を貫く。相手に避けられたりして百発百中ではないが、確実に数を減らしていく。
そして、この射った矢はただの矢ではない。アンジュさんの血が染みた、特製の鏃。
「第2級無属性魔法────纏衝」
ただの矢が、敵に着弾すると同時に敵の身体が吹き飛ばす。纏わせた魔法は無属性魔法に部類される"衝撃魔法"────対象に触れた途端に発動し、その衝撃を何倍にも拡張するパワータイプの魔法だ。
これがアンジュさんの戦法────遠距離、中距離を保ちつつ、自身の得意な魔法を矢に乗せて放つ。弓矢の扱いに慣れた精人の血が混じってる彼女らしい戦法だ。
アニキ達が取り逃した魔物達を、的確に処理していく────2人とも、正しく前衛を支える後衛の鑑である。
そして、一方の私と言えば────
「死体、忘れんなよ」
死体の処理という、地味な仕事をやらされていた。
いや、別にこれが必要のないことでは無い。むしろ、魔物の討伐と同じくらい重要な任務である。
邪素は死んでも、宿主の体内で生き続ける。そして邪素が他者の体内に侵入すると、その宿主を食い滅ぼさんとばかりに侵食を開始する。
つまりは、他の生物がこの死体を口にでもしたら、また新たな魔物の発生に繋がってしまうのだ。よって魔物の死体処理は"完全消滅"を以て完了としている。肉塊の一欠片をも残さない。これは九大国間でも取り決めがなされている、人類が対魔戦争より定めた重要事項である。
完全消滅となると、燃やすに限るのだが森の中でそれは出来ない。なので、私にできることは、倒れている死獣を集める事だ。
ましてや今回は集団で行動しているヴァスカ=ビルだ。処理するにも数が多く、取り零しは問題に繋がる。
だからと言って、私には何も出来ないので、出来ることと言えば死体を処理しやすいように1箇所に集めることくらいである。
死の臭いがする。鼻が嫌悪を覚える死の臭いだ。持ち上げるとまだ生暖かく、さっきまで生きていたのを直に感じる。
覚えのある感覚に思わず、あの日の記憶に紐付けてしまう。冷や汗が滲み出て、生唾が口に溜まる。相手は魔物だというのに、何故だろうか────。だが、今は自分の役割に徹しなければならない。余計な考えは払拭しなければ。
さて、そんな私と違って、後衛でのサポートを命じられたベルの方だが────
「第2級雷属性魔法」
そんなの構わず、ヴァスカ=ビルを相手に雷属性魔法を放っていた。
雷は荒れ狂い、周囲に木の葉が舞う。
相手の骨が見えるかのように、対象の身体が白く光る。相手の身体を高出力の電流が伝わり、残った死体からは煙が出ている。その威力を物語っていた。
あれじゃあ最早、最前線の攻撃役だ。
取り逃しどころか、アニキ達が倒すであろう獲物も横取りしている。
成程、あまり嫌がらなかったのはこれが理由か。
自身の実力が存分に活用出来る場所────最早1つの名家のお嬢様だなんて肩書きは似合わない程に、彼女はその力を奮っていた。
何だか、ギルド登録してすぐさま仕事に駆り出されるのに若干躊躇していた私が情けなく感じる。
しかしこうもまで実力差を見せられると、自身の存在に疑問が生まれる。
やはり、私、今回いなくても良かったんじゃ……。
そう思えるほど、仕事は順調だった。
そう、ここまでは────。
────
突然、1体のヴァスカ=ビルが群れから抜け出し、誰もいない森の中に走っていった。
どうも様子がおかしい。あのヴァスカ=ビルが、あの龍にすら恐れず挑む愚犬が、逃げるなど有り得ない。
その理由は直ぐに分かった。
勿論、逃げ出した訳では無い。
そこには────
「おいおい、何でこんなところに!」
私達とは別にフードを被った人が、そこに立っていたからだ。
■ ■ ■
想定外も想定外。
この道付近で魔物が出現するという情報が出た時から、この馬道は私達が襲撃するまでの数日の間、一切の通行を禁止されているはずである。今までこの道を通っていた馬達は、別の道を迂回して通っている。
ましてや、そもそもこんな人1人が通るような道でもなく、ここに人がいるだなんて誰も考えていなかったのである。
これはマズい。全くのノーマークな上に、それにつられて1匹、また1匹とあのフードの人に向かって走っていく。群居性のヴァスカ=ビルの特徴である、1匹の行動に釣られて周りもそれにしたがって行動する集団行動。それが今回は悪い方向に動いている。
何故こんなところに私達以外の人がいるのか、何故1人でこんなところを歩いていたのか、考えが追いつかない。
早く逃げろ────
そう思いながら、私達は彼女に向かうヴァスカ=ビルの処理を最優先に、脳を切りかえた。非戦闘体制だった私も、急いで魔刃を取り出す。
魔刃────魔法を使う者であれば誰しもが携帯している小さな刃。切れ味が悪く、持ち手から出ている刃先も短い。皮膚に少し切込みを入れる程度のものでしかなく、他人にダメージを与える武器としての役割は期待できない。
血液中に存在している魔法の元、マナ────魔法を発動するにはこのマナを対外に放出しなければならず、つまり流血する必要がある。
私はその魔刃を自身の指に突き付け、血を出させる。私の血液は、表面張力で膨れ上がり、私が手を振るうと血液が水滴となり、飛沫する。
そして、私の命令によって血液中のマナは形を帯び、相手に向かって勢いよく射出する。
第2級氷属性魔法
氷塊と化したそれは、相手を殺傷するに十分たる威力を有する。龍でもない限り、一度食らってしまっては致命傷になりうるだろう。
そして、3つ放った氷塊のうち、1つがヴァスカ=ビルの胴体に命中した。
やった、と私は歓喜した。初めて役に立ったと思ったのだ。今まで、死体処理という雑用に回されていたことに、少し憤りを感じていたのもあって、役に立てたという実感が湧いた。
しかし、たった1匹当たったところで状況は変わらない。
相手は数十匹もいるのだ。数匹仕留めたくらいで、危機は去らない。
だが、一方のフードの人はその場を動こうとしない。何をしているんだ。恐怖で足が動かないのだろうか、あの時の私のように。
そんなフードの人を守るため、アンジュさんが矢で1匹を仕留め、今度はベルが雷属性魔法でまた1匹仕留め、ルークさんが陰属性魔法で1匹を邪魔立てし、そうやって確実に1匹ずつ減らしていく。が、しかし────
「危ない!」
1匹のヴァスカ=ビルがその中を掻い潜り、フードの人に向かっていく。
アンジュの矢は装填に時間がかかる。アニキの恩恵は範囲外の場所になる。私達3人の魔法も、あの魔物を仕留めるのには間に合わない。
あのフードの人は助けられない────誰もが、そう思っていた。
その時であった。
ドスッ!
辺りに鈍い音が鳴り響いたのである。
その音を発したのは、私でもなく、ベルでもなく、アニキ達でもなく、ましてやヴァスカ=ビルでも無かった。
となると、候補は1人しかいない。
────
殴った。
フードの人がいとも容易く、魔物を殴り飛ばしたのだ。
自分よりも幾まわりも大きな相手を軽々しく、宙に浮かせて見せたのだ。
魔法なんて使ってる素振りもなかった。もしかしたら私達が彼女を発見する前にもう使っていたのかもしれない────いや、だとしても、そんな事するか普通。
倒れ込んだ。
彼女はそのまま、膝から崩れ落ちた。力を使い切ったのだろうか、目の前で起きたことを理解するのに少し時間がかかったが、我に返ると直ぐに駆け寄る。
「大丈夫か?」
そう言いながら、駆け寄り、うつ伏せに倒れ込んだ人の身体を起こす。
近づいて分かったが、身体は小柄だった。私の両手で収まってしまうような小さな身体だ、子供のような。
しかし、フードで顔が隠れて、一体何の種族か判別は出来ない。その上、相手の表情すら確認できない。苦しんでいるのか、はたまた大丈夫なのか。
そのフードを捲り、顔を拝見する。
すると耳が飛び出た。人間のような目尻の先の、顔の横についている耳ではなく、頭の上に付いている、猫の耳────。
「女の子っ!?」
目の前の少女は、獣人の少女であった。
■ ■ ■
獣人────身体能力の高さは7の種族の中でも随一であり、その力は女性でも生まれながらにして真人の数倍の怪力を持つという。
私が生まれ育った「レガリア」にも、獣人は居なかった訳では無い。だが、これは規格外だろう。
非力そうなか細い腕をしているのに、少し触ると筋肉質なのが直に伝わる。あの魔物を素手で倒すだけの力強さを感じる。
しかし、明らかに歳下だ。この銀髪の少女が、あのヴァスカ=ビルを殴り飛ばしただなんて、見た目だけでは些か信じ難い。
「あ、起きた」
少女は何事も無かったかのように、直ぐに上半身を起こした。そして、辺りをキョロキョロと見回している。
視界に入った景色に覚えがないのだろう。それも当然、あれから私達が、急いでヴァスカ=ビルの処理を終え、彼女を抱えて王都に担いで帰ったのだ。
「おい、大丈夫か?」
とアニキが大声で尋ねるが、特に反応を見せない。
「ここは?」
そんなことよりも、ここが何処なのかが気になっているようだ。
「ギルドの医務室だ」
しかし少女はピンと来ていない。ギルドを知らないのか、それとも情報が少な過ぎるのか。いや、前者はないだろうけども。
だが、少女が特に何の問題もなさそうなので、私達は一息をついた。
「お、起きてるじゃん」
すると、カルテを持ったカタリーナ先生が入ってきた。
念の為、身体の調子はどうなのか尋ねておこう。見た目と中身の様子が、必ずしも一致するとは限らないからな。
「で、先生、異常は?」
心配なさげにルークさんが尋ねる。
まあ、薄々彼女の様子を見て、察しているのだろう。私も同じではあるが。
「怪我や病気といった症状は無い。寧ろ健康体だよ。強いて言うなら────」
何かあるのだろうかと、私達は少し身構える。
先生が彼女の症状を告げようとするその矢先であった。
ぐぅぅぅううう〜〜〜〜
大きな腹の虫の泣く声が、部屋中に鳴り響いたのである。その鳴き声の主は、直ぐに分かった。
「栄養が足りてない、要するに空腹。あんた達、何か食べさせてあげなよ」
■ ■ ■
「しっかし、よく食うなぁ。何処にこの量を仕舞い込む胃袋があるんだ?」
「まあ、見る限り育ち盛りだしな。ましてや聞いたところ、2日間何も口にしてなかったらしいし」
食卓はとても忙しかった。
運ばれたそばから、食べ物が胃袋に収納され、また次の料理にカトラリーが伸びる。
こんな食べる少女は初めてだ。男の、それも成人である私の倍以上の量を食べていたのである。
流石の食べる量に、調理台ではベルとアンジュが一生懸命調理を行っている。次から次へと消えていく料理に手を焼きつつ、一つ一つ丁寧な調理を行っていた……のだが────。
ベルが調理台から急いでやってきた。
「ヤバいよ、もう材料がないよ……」
「マジか! まだ3日分くらいはあっただろ!」
なんということだ、私達の数日分の食料、即ち数十人前の食料をたった1人で食い潰してしまっているようだ。
もうそろそろ、衰えてはくれないものか……私達の食べる量がなくなってしまうじゃあないか。
そう言えば、名前をまだ聞いていなかったなとアニキが名前を伺う。
確かにここまで来て、まだ彼女のことを私達は何も知らない。
「君、名前は?」
「り、リリス」
「リリスちゃんか。可愛らしい名前だな」
アニキがちゃん付けとか、あまり聞き心地の良いものでは無いが、まあいいだろう。
「美味しいか?」
またもやアニキがまるで自分で作ったのように尋ねているが……まあ、これも良しとしよう。私だって人のことを言えないしな。
「こんなの、生まれて初めて食べた。なんなのこれ」
目が輝いていた。まるで宝石を眺めているような、そんな目だった。
舌に合う味だったようで、その手がさっきから止まっていない。感想の方も、絶賛のようだ。
一方で隣の部屋でベルとアンジュがハイタッチしたパチンという音が聞こえた。まあ、自身の作った料理で「美味しい」と言われて嬉しくない人はいないだろう。私はあまり料理を嗜まないが、気持ちは分かる。
だが、ちょっと反応が大き過ぎる気もした。
「おいおい、大袈裟だな。"オムレッタ"を知らないのかよ。炒めた野菜を焼いた卵で包み込んでソースを掛けた割と有名な家庭料理だぞ?」
「この"オムレット"、美味しい」
「"オムレッタ"だって……」
まさか知らないのだろうか。この辺では知らない人はいないごく一般的な料理のはずなんだが……。まあ、彼女の住んでいる場所では、あまり有名ではないのかもな。
美味しそうに食べる彼女を見て、ふと何かを思ったのかルークさんが1つ尋ねる。
「そう言えば、君、尻尾はないんだね」
獣人は体毛が濃く、頭に耳、後ろに尻尾という、目立った特徴を持っている。
一方でリリスは獣人にしては体毛が薄く、尻尾がない。耳だけはその種族らしさを残しているのだが……。
すると、リリスがむしゃくしゃ食べながらこう返した。
「私は獣人じゃあなくて、半真半獣、らしい……」
「らしいって……、君、親を知らないのか?」
ルークさんが真剣な面持ちで問いただす。
だが────
「育ててくれた親はいる。でも、血は繋がっていないし、種族すら、違う」
真顔で、淡々とした声で、リリスはそう答えた。
「済まない、あまり良くないことを聞いてしまったな」
「ううん、気にしていない。むしろなんで良くないの?」
「なんでって……」
寧ろ不思議がっていた。何故そんなことで悲しむのかと言わんばかりに、何故そんなことが触れてはいけないのかと言わんばかりに、彼女は首を傾げていた。
彼女の質問には誰も答えられなかった。
つい無言になり、雰囲気が悪い。
何とか、空気を打破せんと次の質問を探す。
すると、ベルとアンジュさんがまた料理の皿を持って、部屋に入ってきた。
「ねぇ、リリスちゃん。何であんなところにいたの?」
皿を運び終え、その場に座ったアンジュさんが尋ねる。
これまでのことは聞こえていたようで、気を利かせてくれたようだ。
「道に迷った。ホントは、ウェルネスっていう国のゼノビアっていう街に行きたかった」
ウェルネス中央連邦国────アルデート王国の北に隣接する世界最大の国家。毎年行われる九大国会議の開催国であり、首都の"ゼノビア"にはギルド本部や聖アリア教ジェミニ大聖堂、コースレット商会本部など、様々な分野の主要施設が軒を連ねる、まさに世界の中心である。
本当にそこに向かっていたのだとしたら、私達が出会ったあの道からだと、彼女が向かってきた方向と逆の方向なのだが……。
「ウェルネス中央連邦国の首都"ゼノビア"だって? リリス君、君は一体どこから来たんだい?」
ルークさんのその質問に、リリスが食べ物を頬張りながら答える。
「育て親さんは私達の住んでた場所を、"ラーミア"って呼んでた」
「霊峰"ラーミア"!?」
霊峰"ラーミア"
主にウェルネス中央連邦国に跨る世界を北東部、南西部に分割する大きな山脈────
もし、本当にそこから来たとすれば、かなりズレた経路を辿って来てしまったようだ。というか、ウェルネスに向かうよりも、こっちに辿り着く方がかなり距離があるはずなのだが……。歩いて来たとは恐れ入る。
「あんなところに、人が住んでるなんて聞いた事もないけどなぁ……」
ベルがそう呟いた。
それもそうだ。あそこは人が住めるような場所ではない。岩肌が露出しており、平坦な土地などまともになく、標高の高いところには例え夏季でも雪が積もるほどであるのだ。
高所に街を形成している天人達でも、流石にあそこに居を構えるには環境が悪過ぎる。
私だけでなく、アニキ達もその言葉に驚いていた。
取り敢えず、この時点で疑問や聞きたいことは多いが話を進めるためにルークさんが別の質問をぶつける。
「リリス君、ところで君、身分を証明出来る物はあるかい?」
首を横に振る。更に続けて「そもそもそんなもの作ったことも無い」と言い出す始末だ。
────一体、どういった環境で育ったんだ。相当な事情がない限り、生まれて直ぐに身分登録はするはずなのだが……。霊峰ラーミアで暮らしていたというのにしろ、流石に妙だ。
リリスの言葉に、アンジュさんが顰めた表情をした。
「そうなのね……となると、この国には長期の滞在は出来ないよな……最大でも7日……」
猶予時間────身分証明が出来ない人が王都で滞在できるのは7日までというのがこの国での決まりだ。
彼女はそもそも、身柄が確認されていない人間だ。もしかしたら、他国から送られてきたスパイかもしれないし、亡命してきた犯罪者かもしれない────その可能性は低いだろうが、そういう疑惑がないわけではない。
少なくとも、"霊峰ラーミア"出身ということなので、このアルデートの人間ではないのは確かなのだろう。本国の生まれならば発行許可が下りるのが早いのだが、今回は発行許可までに時間がかかる。
ましてや、彼女の言葉通りに「1度も発行なんてした事ない」のであれば尚更だろう。
「新たに身分発行となると、ギルダー登録でも30日はかかるだろうな。だけど、その間はこの国からは出られない」
他国にて本当に身分証を発行していないかどうか、そもそもこの子が指名手配等されていないかどうかなどの確認をしなければいけないのだ。他国にまで調査の手を伸ばさないといけないのだから、それくらい掛かって当然だ。
だがしかし、
「それは、ダメ。私は早くゼノビアに行かないといけない」
かなり焦っている様子だ。
アニキの言葉に対して、直ぐに反応したところから、その時間のなさを如実に語っている。
内容は……聞くだけ野暮だと、私達は思って聞かなかった。何か事情があるのは確かだろうが、どうも気軽に聞けるような話ではないのを察してしまったのだ。
「流石に心配だし、俺達で連れて行ってやるか……割当も帰ってきてからでいいだろう」
ウェルネスの方が近いのに隣の国まで来てしまったほどの方向音痴だ。土地勘の無さも相まって、余計に1人で行かせるのは確かに心配である。
「但し、ここを出るのは7日後だ。それまでにやらなきゃならん事があるからな」
それは何かと私が尋ねると、
「ギルドへの休暇申請と出国許可証の発行だよ。数日はかかるからな」
と、ルークさんが答えた。
「というか、早く食べないと! 全部リリスちゃんに食べられちゃうわよ」
アンジュさんにそう言われて気づいた。
新しく持ってきた皿も、もう4分の1を平らげているじゃあないか。
流石に焦った私達は急いで食器を握り、奪い合うように料理にかっ食らう。これを逃すと、食材のない我々は晩御飯抜きだ。ひと仕事の後なので、如何せんそれは避けなければならない。
私も突き刺すように、皿に乗っている料理に手をつけた。
そして、これとは別に私はひっそりと、1つの決断をしたのである。