7.もう少しそのままで
「――ただいま帰りました……って、師匠と続木先生? 何してるんですか」
「店番」
「先生、副職は禁止では」
「給与発生しないからセーフ」
「おいブラック雇用主」
夢姫を送り届け、來葉堂の扉を開けた和輝の目に飛び込んできたのは、自身の学校の教諭がカウンターの中に立ち、カウンター席の端に師匠・八雲が座る不思議な光景だった。
何だかんだで真面目な性格の続木は店を黙々と守り続けていたらしい。
「店主のクララさんは用事があるとかでさっき出ていったんだよ……で、小さいソラ君だけに任せるのも不憫だし、灯之崎君が帰ってくるまでこうして店番してたって訳。いやあ帰ってきてくれて助かったよ~」
厨房からは野菜を切る音が聞こえてくる。
恐らくクララの代わりにソラが晩御飯の準備をし始めたのだろうと和輝は察した。
……こう言う時、真っ先に店番として動くべきは八雲である筈なのだが……続木も八雲の性格については熟知しているのだろうか、一切言及する事もなかった。
「そうでしたか、先生。うちの兄が迷惑をおかけしました。後は――」
和輝が言いかけたとき、背後の扉が勢いよく開き、冷たい風が店内を駆け巡った。
「和輝さん!」
「……あれ、風見……今日体調悪かったんじゃ」
「んなもんサボりです!……って、そんな事どうでも良いです!」
担任では無いにしても同じ学年の教師を前にとんでもない暴言を置き去りにすると、梗耶は和輝の腕を掴みそのまま店の外へ連れ出していく。
店内に残されたのは――
「あれ、これ無給店番続行コースじゃ」と現実を突きつけられた続木と、ソラの作る(いつもの)カレーの良い匂いだけだった……
―――
「風見、どうしたの?」
息を切らし肩で呼吸を繰り返す梗耶に対し、和輝は出来るだけ静かに声を掛ける。
梗耶は大きく息を吸い込むと、ゆっくり吐き切り、和輝に向き直った。
「さっき、クララさんに預けようと思ったんですけど、結局……これ、渡しに来ました」
「……あ、ありがとう」
クララは、兄は――ちゃんとメイクを落としただろうか。
仰々しいお着物姿で一族の恥を晒していないだろうか……と言う不安が脳裏を掠めたが――
今は考えるべきではない。梗耶の真剣な眼差しを受け取った和輝は察し微かに頷く。
「……お返しは何が良い?」
時間にしたらごくわずかなものだったのかもしれないが、その沈黙はとても居心地の悪いものであり、和輝はとうとう耐えきらずに声を出した。
「…………から……です」
「へ?」
催促のようなものと受け取ってしまったらしい梗耶は俯いたまま、消えそうな声を紡ぐ。
それは、声が小さいと揶揄される事の多い和輝よりも遥かに小さく……風の音に混ざり消えてしまった言の葉を辿るように、和輝は首を傾げる。
梗耶は、もう一度息を吐くと、顔を上げた。
「お返しはいらない、です。ただ、あげたかっただけだから……」
「……うん」
「代わりに、私のわがまま聞いてくれますか?」
「わがまま?」
「……待ってて欲しいんです。私にはやらなきゃいけない事があるから……全て、終わるまで」
いつぞやの夢姫の言葉を借りるならば、“キープ”扱いなのでは?
ふとそんなツッコミが喉まで出掛かった和輝だったが、言える空気でもなかった為、呑み込む。
そして、代わりに優しく頷いたのだった。
「……俺、逢坂さんみたいに女子の事、ちゃんと理解できていないと思うけど……でも、風見は大事だから、待つよ」
「逢坂さんは慣れ過ぎてて怖いので、結構です」
―――
「――んー……もう! ここからじゃ話が聞こえないっ」
子供たちを見守る母のような面持ちでクララは電柱の陰から二人を見守る。
強靭なコンクリートの塊であるはずの電柱でさえクララの肩幅は隠しきる事が出来ず、明らかにはみ出してしまっているピンク髪の姿を通りすがりの野良猫が怪訝な目線で見送っていった。
「……ま、良いか。じれったいのもまた“青春”よね! ガンバレ若人よ……なんてね!」
クララはフッと笑みを漏らすと、まだ手元に残る小箱――クララの“愛”を抱えなおし、商店街へと消えていったのだった。