第6話 秘密の庭園
町が薄暗闇に包まれる。
山の端に太陽が沈んでしまうと、僅かな残光だけが群青の空に微かに残り、夜を迎えようとする町に街灯の明かりが灯り始める。
ふわりと駆け抜ける風は、昼間の暖かさが嘘の様に、既に夜の冷ややかさを孕み始めていた。
微かに漂って来る良い匂い。どこかの家で準備している夕ご飯の香りだろうか。
カレーかな。
何だかお腹が空いてきてしまう。
黄昏時。
秋野市の中心部や国道の周りなら、まだ帰宅する勤め人や学生たちが沢山いる時間帯だけれど、この日置山の裾野に広がる古い住宅地では、もうすっかり夜を迎える準備が整っている様だった。
私と駿太は、久条さん……はるかに連れられて、私たちの家がある場所から日置山を挟んで反対側にあたる、この古い住宅地までやって来ていた。
薄暗い迷路の様な街並みの中を進みながら、私たちは、はるかが今住んでいるというその場所へ向かっていた。
この辺りに広がる家は、どれもお屋敷という形容がぴったりな大きな家ばかりだった。
どのお屋敷も広い庭と鬱蒼と茂って森の様になっている庭木を備え、高い塀に囲まれていた。
その塀の圧迫感と陽が落ちて暗くなってしまったせいで、何だか本当に迷路に迷い込んでしまったかの様な気分になってしまう。
私は、はるかの後に続きながらそっと周囲を見回した。
先ほどから変わり映えのしないお屋敷の列。
さっと吹き抜けた宵の風が、ざわざわと庭木たちを揺らしていく。
私は、自然と眉をひそめていた。
このままここにいると、もしかしたら知らないうちに別の世界に連れ込まれてしまうんじゃないかという不安が頭を過る。
思わず、私は隣を歩く駿太との距離を詰めた。
……ほんの少しだけ、だけど。
「なぁ、はるか」
木々が静かになると、今度は微かな虫の音しか聞こえなくなった周囲の静寂を破り、駿太が口を開いた。
私と駿太の少し前を歩いていたはるかが、んっと顔だけで振り返る。
「さっき、あの怪鳥に食われたって言ってたが、あれはどういう事なんだ? 俺と奈々子は、あの後遼の見舞いにも行ったんだぞ。でも遼は意識不明状態だったけど、どこか食われたみたいには見えなかったが……」
駿太の質問に、私も同意する様に小さく頷いた。
……もっとも、身体の事を言うのなら、遼がはるかになってしまったというのも大いに不自然な状況ではあるのだけれど。
私は、怪鳥の、あの恐ろしい金色の目を思い出す。
確かにあの鳥の大きさなら、魚を食べるみたいに人間なんて一呑みにしてしまうだろう。
思わずぎゅっと肘を抱き寄せる。
……誰も信じてくれなかったけど、確かに私たちはあの恐ろしい怪鳥を目の当たりにしたのだ。そして襲われて、それで遼は……。
私は、どう話したらいいのかなと呟きながら眉をひそめて中空を睨んでいるはるかの顔に、ちらりと視線を送った。
はるかは、自分の胸の膨らみをつっと指差し、私と駿太を交互に見た。
「えっと、何て言うか、俺もいまいちわかってないんだが、あの鳥に食われたのは、俺の魂とか精神とか、そういうものだったらしい。それで体は無傷だったけど、俺の意識は帰ってこれなかったんだ」
はるかは、はははっと少し困った様に笑った。
私は、ぎゅっと眉をひそめる。
精神、魂……。
……やはり、はるかの言っている事を俄かには信じ難い。
遼の家に行って遼のおばさんにも久し振りに会って、何だか済し崩し的にはるかが遼だという事を受け入れそうになってしまっていたけれど……。
私は、小さく首を振った。
やっぱり、あの遼がこの久条はるかだというのは、信じられない……。
でも。
私は、街灯の光が落ちるアスファルトに視線を落として考える。
はるかは、日置山の怪鳥の話を知っていた。私たちが、その怪鳥に関わったいる事も。
これは、どういう事なのだろう……?
「ナナ、信じられないって顔してるな」
突然歩調を緩めたはるかが私の隣に並ぶと、こちらの顔を覗き込んで来た。
「……そりゃ、まあね」
私は、少し憮然としながら答える。
こちらは、遼が女の子になってしまったという話だけでも既に許容範囲を超えてしまっているのだ。平静を装っているけれど、もういっぱいいっぱいなのだ。
「それじゃあ、俺が遼だっていう証拠として、1つ、俺たちだけの秘密を話そう」
夜の帳に溶けてしまいそうな黒髪をゆらして、はるかが悪戯っぽく微笑んだ。
「あれは小5のバレンタインだったな。ナナが始めて自分でチョコ作って俺と駿太にくれたよな」
はるかはそこで、くくくと楽しそうに笑った。
「あの時、手作りだって知らなくてチョコの形が酷いって言ったら、ナナ、怒って、ナナの家まで俺たち謝りに行っただろ?」
私はうっと息を呑み、はるかの顔をまじまじと見てしまう。
恥ずかしさが込み上げて来る。
……確かにそんな事もあった。
私にとっては、些細な事で子供みたいに怒ってしまった恥ずかしい出来事だ。確かに、あのチョコの形は酷かった。出来れば忘れてしまいたい事なのだけれど……。
「はははっ、あったあった」
何が楽しいのか、駿太が笑いながらうんうんと頷く。
「……駿太、うるさい」
私は駿太の肩をぺしっと叩きながら、こちらも楽しそうに笑っているはるかに視線を送った。
日置山の事件は、警察沙汰にもなった事だけど、手作りチョコ事件は、遼と駿太と私くらいしか知らない些細な出来事だ。
それを、何故この久条はるかが知っているのか……?
まさか、やっぱり……。
「でも、あのチョコは美味かったな。今まで食った中では、一番だ」
はるかがニッと微笑む。
「ああ、確かに。美味かった」
駿太が共犯者めいた笑みを浮かべる。
「ただ、形がなー。なかなか勇気が……」
明るい調子で話を続けるはるかの横顔を見て、そこで私は、はたと気が付いた。
薄闇の町をぶらぶらと歩いている今の私たちのこの雰囲気が、とても心地よく居心地の良い、そして懐かしいものだという事に。
遼がいなくなってもう失ってしまったのだと思っていた、私たち3人を包み込んでいた昔の空気にとても良く似ているという事に……。
「あっと、今日はここか」
安堵とも後ろめたさともつかない複雑な感情に眉をひそめる私をよそに、スカートを揺らして小走りに前に出たはるかが、古いお屋敷の木塀と木塀の間の狭い路地を覗き込んだ。
「さぁ行くぞ、ナナ、駿太。驚くなよ」
長い髪をふわりと揺らしてこちらを見たはるかは、ふっと不敵な笑みを浮かべた。そして、街灯の光が届かない狭い路地の奥に視線を送った。
そこは、左右から迫ったお屋敷の庭木がトンネルのように覆い被さった細い路地だった。
私とはるかなら並んで歩けるけど、駿太が2人は無理だろう。
そのため路地に足を踏み入れると、必然的に私とはるかが前になり、後ろから駿太が付いて来る形になった。
周囲は暗い筈なのに、不思議と足元が淡く輝いている気がして、完全に真っ暗という訳ではなかった。
もしかしたら暗さに目が慣れて来ただけかもしれないけれど、怪しい。
怪しすぎる。
私がそれを口に出して言おうとした瞬間。
不意に目の前に、蔦の絡まった鉄柵と、古ぼけた鋲と金属のノッカーが付いた木戸が現れた。
その木戸の上には、これまた古ぼけた感のあるランプが1つ、ぶら下がっていた。
蛍光灯とは違う淡い温かな光が、ぼわっと私たちを照らし出す。
路地の入り口から見えた左右のお屋敷の和風な作りとは違い、柵も木戸も洋風だった。
目を凝らして見るが、鉄柵の向こうは暗くて良く見えなかった。
ただ、ずっと向こうに微かな明かりが見えた気がする。
「ここが今、俺が住んでいるところなんだ」
はるかはそう言うと、ノッカーをリズミカルに叩く。そして、キッと軋みを上げる木戸を押し開いた。
私たちを一瞥して、はるかが木戸の内側へと入る。その後に、私と駿太も続いた。
鉄柵を超えて中に入った瞬間、ふわりと甘い花の香が漂って来た。同時に、濃い土の匂いと草いきれが押し寄せて来る。
周囲は、きちんと刈り込まれた生垣と、蔦草がアーチを描く緑のトンネルに囲まれていた。
空気が変わった気がした。
先ほどまでの慣れ親しんだ夕方の町の空気から、私の知らない場所のものへと。
でも、ここは……。
私はすっと大きく息を吸い込みながら、周囲を窺う。
何の確証もないけれど、似ているなと思ってしまった。
忘れもしない。
私や遼たちがあの怪鳥に出会った、日置山の不思議な泉に……。
「えっと、ここは……」
私ははるかに向かって声を掛ける。しかしこちらを一瞥したはるかは、微笑みを浮かべるだけだった。
黒髪を揺らして、さっさと歩き始めるはるか。彼女の長い髪と制服の短いスカートが、ふわりと揺れる。
駿太がその後に続き、私も少し小走りに2人を追い掛けた。
生垣と蔦草のアーチは、直ぐに終わった。
視界が広がる。
草木のトンネルのその向こうには、手入れの行き届いた広い庭園が広がっていた。
周囲は薄暗かったけれど、所々に立つアンティークな装飾が施された街灯が、淡く温かな光でその庭を照らし出していた。
綺麗に刈り整えられた芝生。色とりどりの花々が咲き乱れる生垣。さらさらと涼やかな音を立てる小川もあって、その上には優美な曲線を描く小さな石橋が掛かっていた。
草花や低木ばかりではなく、枝葉を茂らせた大きな木も何本かあった。所々に石造りの灯篭みたなものや、東屋も見て取れた。
一見して素人目にも、隅々まで手入れが行き届いているとわかるその庭園の周囲は、シルエットになった木々がずらりと取り囲んでいた。
林の向こうの様子は窺えず、沈んだ日の名残で薄紫に輝く空が見えるだけだ。
ふと違和感を覚える。
先ほど町中を歩いていた時には、もう完全に日は落ちていたのだけれど……。
それに、どこを見回しても日置山が見えない。
何なのだろう、ここは……。
私たちは、庭園の隅から出て来てしまったみたいで、草木のアーチから続く石畳の小径の先には、庭園を左右に貫く道が走っていた。
どうやらそちらが本道の様だ。
道の一方は、緩やかにカーブしながら庭園の奥の林に向かっていた。もう一方もやはりカーブしていて、その先に大きな建物の一部が見えた。
どうやら庭の奥に、お屋敷があるみたいだ。
「さぁ、行こう。まずは先生に挨拶しなければ」
はるかは私と駿太を一瞥すると、カツリと石畳を踏みしめながらお屋敷の方へと向かって軽快に歩き始めた。
私も駿太も、その後を追いかける。
薄闇の中に点々と灯る街灯の柔らかな光は、私たちを誘う様に点々と続いている。
私は、じっと黙って周囲を観察する。駿太もきょろきょろと周りを眺めていた。
しんと静まり返った中に、私たちの足音と虫の声、そして微風に揺れる枝葉の音だけが微かに響いていた。
直ぐに木立の向こうに、先ほど見えたお屋敷の全容が姿を現した。
私たちの前に現れたのは、重厚な雰囲気をまとう洋館だった。
シンメトリーに整えられた庭の奥に、この場所の主人である事を明確に表す風格を漂わせ、三階建てのお屋敷が佇んでいた。
まるで、テレビで見たことのあるヨーロッパの宮殿の様だった。
壁に蔦が張り付いているのが見える。かなり古い建物の様だ。
あまり誰かが生活している場所の様には見えなかったけれど、どうやら人はいるみたいで、お屋敷のどの窓にも煌々と明かりが灯っていた。
塔の様な作りの部分もあって、建物のシルエットは間違いなく洋風だ。でもだんだんと近づいて行くと、日本のお城を思わせる様な木組みと白塗りの壁を見て取ることが出来た。
薄闇の中では全体をきちんと見る事は出来なかったけれど、どこか和洋折衷の様な、不思議な雰囲気が漂う建物だった。
日置山を挟んですぐそこの場所に住んでいるのに、私はこんなお屋敷があるなんて知らなかった。
日置山のこちら側は古い日本家屋ばかりのイメージだったので、こんな不思議な雰囲気の洋館が気づきそうなものなのだけれど……。
洋館の雰囲気に圧倒されている私をよそに、はるかは躊躇なくお屋敷に向かって行く。
私は、はっとして慌てて小走りにその背中を追いかける。
洋館の正面玄関は、複雑な装飾が施されたランプに照らされていた。ランプは何かの動物を模しているみたいだった。でも、何かはわからない。ドラゴン、だろうか。
重厚な木製の扉には、このお屋敷の庭に入って来た木戸と同じ金属製のノッカーが付いていた。
そのまま洋館に入るのかと思ったけど、しかしはるかは、正面玄関脇の芝生に足を踏み入れて、そのまま建物の左側へ回り込む様に歩き始めた。
私と駿太は、良く状況がわからないままその後に続くしかない。
やがて私たちは、柔らかなオレンジの光が溢れるテラスに出た。
テラスを照らし出すお屋敷の中から溢れる光は、これまでの街灯と同じ様に蛍光灯とは違う温かみのある光だった。まるで、本当の火が、蝋燭が灯っている様な柔らかさだ。
そのテラスに、人がいた。
絵本にでも出て来そうな可愛らしい装飾が施された1組のテーブルと椅子。
そこに、黒を基調にしたアンティークなデザインのドレスに身を包んだ女性が腰掛けていた。
テーブルの上に白磁のティーカップを置き、彼女は手にした本に目を落としていた。
「ただいま戻りました、アミリア先生」
テラスに上がったはるかが、その女性の前に進み出るとすっと頭を下げた。
女性が、本から顔を上げる。
その瞬間、思わず私は息を呑んでしまう。
はるかがアミリアと呼んだその女性は、びっくりするほど綺麗だった。
はるかも美人だったけれど、アミリアさんははるかとはまた違う、どこか作り物めいた様にも見える程整った容姿をしていた。
先生と呼ばれていたけれど、歳は私たちの少し上くらいだろうか。
小柄で、白く透き通った肌に鮮やかなグリーンの瞳が印象的だった。
髪はお屋敷の光を受けて艶々と輝くアッシュブロンドで、後ろ髪を丁寧に編み込んだ複雑な髪形をしていた。
どこからどうみても外人さんだ。
アミリアさんが常人離れして綺麗に見えるのも、その日本人離れした髪や瞳の色が要因かもしれない。
「……遅かったな、ハルカ。待ちくたびれたぞ」
凛と透き通った声が響く。
外人さんみたいだけど、アミリアさんは流暢に日本語を操っていた。外国語が来るかと少し身構えていた私は、内心ほっと息を吐く。
「そちらは?」
アミリアさんが、私と駿太の方へと視線を向けた。
その冷ややかな眼差しに、思わず私はびくりと身をすくませてしまう。あまりに浮世離れした美貌に、何だか少し緊張してしまう。
「先生。この2人は俺の幼馴染の奈々子と……」
「ハルカ」
私たちを紹介しようとしてくれたはるかの台詞の途中で、アミリアさんがピシャリと言い放つ。
先ほどの私と同じ様に、今度ははるかがびくりと身を震わせた。
「え、えっと、この2人が私の幼馴染の奈々子と駿太です……」
私や駿太に対するのとは違う畏まった口調で、はるかが言い直す。
「ナナ、駿太。こちらがおれ……私を助けてくれたアミリア・ヴァーミリアン先生だ……です」
はるかは、緊張して何だか口調がおかしくなってしまっている様だった。
……こんな時だけれど、そのはるかの狼狽具合は、緊張した時の遼とそっくりだ。
私と駿太は、揃ってアミリア先生に頭を下げた。
アミリアさんが微かに微笑む。そして、カタリと椅子を鳴らして立ち上がった。
「こんばんわ、ナナコさんにシュンタくん。私はアミリア・ヴァーミリアン。この境界の秘密の庭で、人形師をしている人形だ」
優雅な所作で軽く頭を下げるアミリア先生。
秘密の庭……人形師……人形?
私たちが即座に理解出来ない単語を口にするアミリア先生。
しかしもちろん、いきなり質問なんて出来る筈もなく、私たちは「奈々子です」「駿太です」ともう一度挨拶して、頭を下げるしかなかった。
「先生。ナナたちにあれを見せてもらいたいんですが……」
はるかが少し緊張した面持ちでアミリア先生を窺う。
そんなはるかの態度を見ていると、このアミリアさんというのは怖い人なのではと思えてしまう。
アミリア先生ははるかを一瞥すると、ゆっくりと光が溢れるお屋敷の方を向いた。そして、視線だけを私たちに向けた。
「ふむ、良いだろう。それが、君の望みだったな」
アミリア先生は、綺麗だけど感情の窺えない平板な声でそう言うと、まるで喪服みたいなドレスを揺らして歩き出した。
キッとガラス戸を引き、アミリア先生がお屋敷の中に消える。その後に小走りに続いたはるかが、ガラス戸を押さえて私と駿太に手招きした。
一瞬駿太と顔を見合わせてから、私は大きく息を吸い込んでぐっと手を握り締める。そして、カツリとテラスの床を踏みしめて、はるかのもとへと向かった。
……ここまてま来たら、久条はるかの主張を、彼女が何を見せようとしているのかを確かめるしかない。
それで、遼に関する事が少しでもわかるのなら……。
私は意を決して、そのお屋敷へと足を踏み入れる。
淡いオレンジの光に満たされた洋館の中は、その外観と同様にアンティークな内装に彩られていた。
「……凄い」
私は、思わずそう呟いてしまう。
テラスに続く部屋は、一言で表現するとレストランの様な場所だった。
年季を感じる飴色のテーブルと椅子のセットがずらりと並んでいる。その上に掛けられた、染みはもちろん、しわ1つない純白のテーブルクロスが眩しい。
私たちが入って来たガラス戸には学校の講堂にあるみたいな重厚的なカーテンがぶら下がっていて、壁の高い位置にはこの洋館を描いたと思われる絵画が何枚も掲げられていた。
教室2つ分ほどの広さの部屋の奥には、偉い人が座る様な大きなソファーセットが並んでいた。
床は全面、学校指定のローファーが沈んで見えなくなる様なふかふかの絨毯で覆われている。
一見してこの場所が、高級な、セレブの人たちが集まる様な場所である事がわかる。秋陽台の制服姿のままの私と駿太には、場違いな所であるのは明らかだった。
2人で並んでぽかんと口を開け、室内を見回す駿太と私。
「こちらに来なさい」
そこに、抑揚のないアミリア先生の声が響く。
アミリア先生は、飴色の古そうな扉を開いて廊下へと出た。
はるかを先頭に、私たちもその後に続く。
廊下も先ほどの部屋と同様に、古めかしくてしかし豪華な雰囲気だったけれど、光源はぽつぽつと並ぶランプしかなく、少し薄暗かった。
クラシックな装いのアミリア先生の背中を見ていると、段々と自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。まるで夢の中にいるような、ふわふわとした感覚に襲われる。
広いお屋敷なのに、私たちは誰ともすれ違わなかった。
そのままの2階に上がり、長い廊下を進んだアミリア先生は、その突き当たりの扉の前で立ち止まる。そしてどこからか取り出したのか、これまた古めかしい大仰な鍵で、その扉を開いた。
室内は真っ暗だったけれど、アミリアさんに先んじて部屋に入ったはるかが、勝手知ったる様子でランプに火を灯し始めた。
どうやらはるかがここに住んでいるというのは本当の様だ。
マッチを擦った様子は見えなかったけれど、直ぐに他の場所と同じ淡い光が室内を照らし始める。
その部屋は、乱雑に本が積み上がった書斎だった。
正面のガラス窓と私たちが入って来た扉以外の壁面は全て書架で覆われてしまっている。さらに、その書架に入り切らない本が、床の上にも積み上げられて幾本もの塔を形作っていた。
ガラス窓の前には巨大な机が鎮座していたが、その周囲も本だらけだった。
机の周りには、本だけでなく、紙片や木の塊、瓶や工作物の様な得体のしれないものが沢山転がっていた。
「やれやれ。あれは私の失敗の記録でもある。あまり他人に見せたくはないのだがな」
ぼそりとそう漏らしながらドレスを揺らし、アミリアさんがゆっくりとした歩調で巨大机の向こうへと回り込んだ。
「あの時日置山で、俺はあの鳥に食われたって言っただろう」
ふわりと制服のスカートを翻し、私たちの方を向くはるか。
淡い光に照らされたはるかは、その時の事を思い出しているのか、遠くを見る様な目をして少し悲しそうな微笑を浮かべていた。
「身体は大丈夫でも、俺の魂はあの赤い鳥に食われてしまった。そこを、このアミリア先生が助けてくれたんだ」
胸に手を当てながら、はるかが静かに告げる。
「ハルカ。男の様な喋り方はやめろと言っている」
巨大机の引き出しから何かを取り出したアミリアさんが、それを私たちにも見える様にコトリと机の上においた。
それは、細長いガラス製の容器だった。
アミリアさんが、ふっと短く息を吐く。
「……ハルカを助けたのは収穫だったが、そのために、私は奴を取り逃がしてしまったのだ」
そう言いながら、ガラス容器の蓋をコンコンと指で弾くアミリアさん。
私は、その中身を見てはっと息を呑んだ。
それは、隣に立つ駿太も同様だった。
その容器の中には、淡い光に照らされて、金属の様な光沢を放つ赤い羽根が1枚、収められていた。
……間違いない。
これは……。
「これは、アミリア先生がお……私を助けた時に回収したあの鳥の羽根だ。ナナと駿太なら、わかるだろう」
はるかがすっと目を細め、私たちを見つめる。
あの事件の後、警察や地元の人たちが大捜索を行なっても見つける事の出来なかった怪鳥の痕跡が、今、私たちの目の前にある。
この羽根がここにあるという事は、少なくとも久条はるかとこのアミリアさんは、あの怪鳥に関わっているという事なのだ。
私や駿太が必死に訴えても発見されず、結局誰も信じてくれなかったあの怪鳥がいた証拠……。
ドキリと胸が震える。
はるかの言っている事は、真実なのだろうか。
もしそうであるならば、やはり久条はるかは遼、という事になるのだろうか……?
はるかと目が合う。
黒髪の少女は、私を見ながらふわりと微笑んだ。