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第29話 白銀の後継者

 文化祭が終わると、次は期末テストが待ち構えている。

 カレンダーはもう12月。

 本来は気持ちを切り替えて勉強に集中しなければならないところなのだけど、文化祭が終わって一週間。みんな、まだあのお祭り騒ぎの余韻に浸ったままの様子だった。

 特に私たちのクラスは、劇が大成功し、学校中から高評価をもらったため、まだまだ興奮冷めやらぬといった感じだった。

 現国の先生の呪文みたいな授業が続く中、教室のあちこちからひそひそと話し声が聞こえて来る。

 クラスの中には、どこかふわふわとした空気が漂っていた。

 他のみんなの事を冷静に分析しているけれど、ならば私は勉強に集中しているのかというと、それはそうでもない。別にみんなみたいに、お喋りに興じているという事はないのだけれど……。

 今日の3時限目は現国だった。

 3限目というのは、実に中途半端な時間だ。まだ1日が始まったばかりだと言えるし、お昼休みまではもう少し時間がかかる。ましてや放課後など、まだまだ先だ。

 ……早く学校が終わって欲しいなと思う。

 私は今、ここでこうしてぼんやりとしている暇なんてないのだから。

 先生が朗読する教科書の詩を聞き流し頬杖を突きながら、私はふうっと深くため息を吐いた。

 教室内は、寒風吹く外とは対照的にとても暖かい。とうとう暖房が入り始めた上に、何よりもクラスのみんなの熱気が凄いのだ。そのため、ほとんどの窓が曇ってしまっていた。

 外とは隔絶されたこの教室の中にいると、何だか少し息苦しさを覚えてしまう。

 私は白い窓に目をやりながら、もう一度小さく息を吐いた。

 チャイムが鳴り休み時間になると、教室はわっと賑やかになる。

 男子たちがわいわいと騒がながら廊下に出て行き、女子のみんなが仲良し同士で集まっておしゃべりを始める。

 毎日変わらない光景。

 毎時間変わらない休憩中の風景だ。

 しかし私は、そんなみんなの中には入らず、授業中と同じ姿勢で、曇ってよく見えない窓の外をぼんやりと眺めていた。

「ナナー」

 パタパタと足音を立てて、莉乃が駆け寄って来る。その後ろには、柔らかな笑みを浮かべる明穂の姿があった。

「今日のお昼なんだけどさ、前原さんたちも一緒に行きたいんだってさ。別にいいよね」

 ぽすっと私の机にお尻を乗せた莉乃が、ニッと人懐っこい笑みを浮かべる。

 私は、「いいよ」と返事をしながら、左前方の前原さんの席を一瞥した。

 やはり私たちみたいに仲の良いグループで集まっておしゃべりしている前原さんは、私と目が合うと恥ずかしそうににこりと微笑んだ。

 私も軽く微笑みながら、手を振る。

 その途端、前原さんはうっと驚いた様に視線を泳がせると、さらに恥ずかしそうに縮こまってしまった。

 文化祭の劇以来、前原さんや長門さん、畠中さんたちがよく話しかけてくれる様になった。イベントを通して、一気に仲良くなれたみたいだ。

 私は笑顔を消すと、軽く目を瞑って息を吐いた。

 文化祭を通じてクラス全体が仲良くなれたのは、良い事だとは思うけど……。

 私には、そんなクラスの状況がどこか遠い事の様にしか思えなかった。

 今は、それより……。

「何かナナってさ」

 莉乃の声に、私は顔を上げた。

 机の上に腰掛けた莉乃が、目を細めて私を見下ろしていた。

「最近、前の雰囲気に戻っちゃたよね。どうしたの、何かあったの?」

 そう尋ねて来た莉乃の声には、いつもの茶化す様な響きはなかった。

 私自身、文化祭から口数が減り、1人で思い悩んでいる時間が増えている事は自覚している。だから、変に気を使われるより、こうして単刀直入に尋ねてもらえる方がありがたい。

 やっぱり莉乃は優しいなと思う。

 私は苦笑を浮かべて、上目遣いで莉乃を見る。そして、「ありがと」と短く呟いた。

 莉乃の優しさには応えたいけれど、私が悩んでいる原因を口にする訳にはいかない。上手く説明出来る自信もなかったけれど……。

「……ハルカン、今日も来ないね。何かあったのかな」

 莉乃は、はるかの席の方へと視線を向けた。いつの間にか莉乃のはるかに対する呼び方が、久条さんからハルカンに変わっている。

 私も、誰もいないはるかの席を見た。

 この教室に欠けているもの。

 私の生活に欠けているもの。

 それは、久条はるかだ。

 はるかは、文化祭以来ずっと学校を休んでいる。

 表向きはいつもの体調不良という事になっているのだけれど……。

 私は眉をひそめ、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 はるか……。

 文化祭2日目の夜。

 あの出来事以来、はるかはずっと眠ったままなのだ。

 一年前の日置山での事件では、私と駿太は遼の犠牲により助かった。だから今度こそは、遼……はるかだけをそんな目に合わせないと決めていた筈なのに……。

 結局、私たちは……。

 休み時間が終わって次の授業が始まっても、はるかの事を考えると、授業に集中する事なんて出来なかった。

 前原さんや長門さんたちと一緒に、お昼を食べている間も同じだ。

 私自身は普段通りにしているつもりだったけれど、莉乃にも指摘されるという事はやはり内心の戸惑いを隠し切れていないのだと思う。別に、殊更隠すつもりもないけれど……。

 朝は、どんよりと重苦しい気分が続き、午後になると学校が終わるのが待ち切れなくなる。

 ここしばらくは、ずっとそんな感じだった。

 早くアミリアさんの秘密の庭へ行きたい。

 早く、はるかに会いたい。

 文化祭の後、あの日以来ずっと、私は毎日欠かさずにはるかのもとに赴いていた。

 以前みたいに、心配して秘密の庭に足を踏み入れた瞬間、どうしたんだと言わんばかりの元気なはるかが出迎えてくれる。

 毎日毎日そう期待して……。

 やっとの事で放課後になると、みんなが遊びに行く算段を始める中、私はそそくさと帰りの準備を始める。

「水町さん、今日は一緒にフローレスタに行かない?」

 そんな私の元に、莉乃よりも早く長門さんと畠中さん、それに前原さんが駆け寄って来た。

 ここしばらく、前原さんも含めてこうして色々と誘ってくれるのだけれど、申し訳ないが、私は秘密の庭に行かなければならないのだ。

「ごめんね、今日も用事があって……」

 私は眉をひそめて申し訳ないという表情を作りながら、僅かに首を傾げる。

「奈々子、準備出来たか?」

 そんな私の元に、タイミングがいいのか悪いのか、隣のクラスから駿太がやって来た。

 駿太の方は、もう帰る準備万端だ。いつもながら、男子は私たちより身軽みたいだ。

「あ、うん。大丈夫」

 私は頷いてから、カバンを取り上げる。

 もちろん駿太も一緒に秘密の庭に行くのだ。

 はるかのもとに……。

「長門さん、畠中さん、ごめんね。前原さんも」

「あ、いいよ、全然!」

「また今度ね」

「うんうん!」

 私が挨拶すると、長門さんたちは笑顔で手を振ってくれた。

 しかし、一転して3人が駿太に向ける目は厳しい。

「くっ、またあいつに水町さんを取られたよ!」

「まったく、なんなのあいつ!」

 去り際に、前原さんと長門さんが低い声でぶつぶつ文句を言いながら、駿太を睨み付けているのに気が付いてしまった。

 さすがに毎日お誘いを断って駿太と一緒に帰っていれば、事情の知らない長門さんたちが不満に思うのももっともだ。

 私は苦笑を浮かべながら、みんなに「ごめんね」ともう一度謝った。

「いやいや、大丈夫だよ、水町さん!」

「そうだよ。悪いのは……」

 ぶんぶんと手を振る長門さんと、先に廊下へと向かう駿太の背中を睨み付ける前原さん。

 私は、はははと苦笑を浮かべる。

 邪険に扱われている当の駿太は、自分が私のクラスでどんな扱いになっているか、想像もつかないだろう。

 私は前原さんたちに手を振って別れると、駿太の後に従い、教室を横断する。

「ナナ」

 その途中で、今度は莉乃が声を掛けて来た。

「また明日ね」

 莉乃は、にこりと微笑む。

 いつもより落ち着いた雰囲気の莉乃に少し驚きながら、私はこくりと頷いた。

「明日はハルカンも来れたらいいのにね」

 莉乃はそう言うと、誰もいないはるかの机を見た。

「……うん」

 そうだ、明日は……。

 明日こそは、また元どおりの私たちに戻れる。

 せめて私と駿太くらいは、そう信じてはるかを待たなければならないのだ。

 胸がきゅっとする。

 体の深いところから、何か熱いものが込み上げて来る。

 表情が崩れて涙が滲んでしまう前に、私は莉乃から視線を外した。

「……莉乃、ありがと。また明日」

 私はぼそりと一方的にそう告げると、足早に駿太の後を追った。




 私と駿太は、翼のネックレスの導きにより、すんなりとアミリアさんの秘密の庭に到着した。特に会話する事もなく、黙々と歩いて。

 外の世界は、下校時刻にはすっかり日が落ちてしまっていたけれど、秘密の庭は未だ微かに夕日が残り、薄っすらと明るかった。気温も寒いというよりもひんやりと爽やかな感じだ。

 手入れの行き届いた庭を通り抜け、敷地の最奥、アミリアさんのお屋敷にたどり着く。

 薄闇の夕景の中に無数の明かりが灯ったお屋敷がどっしりと待ち構えている光景を目にすると、自分の家でもないのに、今日も一日が無事に終わって帰って来たという様な安堵感を抱いてしまう。

 これでいつかみたいに、お屋敷の前庭のパラソルの下で、はるかが微笑みながら待っていてくれたらどんなによかっただろうか。

 重苦しい扉を開いて、お屋敷に入る。

 邸内はいつも通りシンっと静まり返っていて、人の気配はまったく感じられなかった。

 でも、淡い照明と飴色の調度品のおかげで冷たさを感じる事はない。

 それは、ここがはるかの家だからだろうか。

 ……灯の届かない廊下の先の方は、暗くて少し不気味に思えたけれど。

 私は駿太と並んで広い正面階段を上がると、2階のはるかの部屋へと向かった。

 通い慣れたはるかの部屋には、ノックしてからまず私が入る。

 仮にも女の子の部屋なのだから、不用意に駿太を解き放つ訳にはいかないのだ。

 はるかの部屋は、甘い花の匂いがした。

 広さは学校の教室くらいはあるだろうか。他と同様に不思議な淡い光に満ち、アンティークで可愛らしい家具が並んでいる。そしてその一番奥には、堂々たる巨大なベッドが横たわっていた。

 私は猫脚の丸テーブルにカバンを置き、学校指定のコートを脱ぐ。それを近くの椅子に掛けて、ベッドの方へと向かう。

 もこもことしたクッションや掛け布団が積み重なるベッド。

 それらに埋もれる様にして、少女が1人、静かに眠りについていた。

 はるか……。

 私は、ぎゅっと唇を引き結び、その寝顔をじっと見つめる。

 はるかの顔は、特に普段と変わった様子はなかった。別に苦悶の表情を浮かべているという訳でもない。

 とても一週間も眠ったままだなんて信じられない。どちらかというと、気持ち良さそうに穏やかに眠っているみたいに見える。

 ……でも。

 眠り続けるはるかには、1つだけ以前と大きく違ってしまっているところがあった。

 私は、はるかの頰に張り付いた髪をそっと払ってあげる。

 そのはるかの髪は、いつもの艶やかな黒髪ではなく、透き通る様なプラチナブロンドだった。

 はるかの長い髪は、色が変わってしまっていた。

 黒から銀へと。

 この変わってしまった髪の色が、あの文化祭の夜の出来事が夢なんかじゃない、覆る事のない現実の出来事であるという事を物語っていた。

 もともとはるかの容姿は、遼とは似ても似付かない。そのはるかを遼だと認識出来たのは、その性格や言動が遼そのものだったからだけど、同時にはるかが黒髪をしていたのも大きかったと思う。

 いきなりアミリアさんみたいな日本人離れした容姿の子が現れたら、私ならすんなりコミュニケーションを取る事さえ難しかっただろうから。

 だから、はるかの髪の色が変わってしまった事への戸惑いは大きかった。

 もともと整った顔立ちをしていたからこの銀髪も似合ってはいたけれど、なんだかはるかが遠いところに行ってしまった様な気がしてしまって……。

 ……はるかが目を覚ましていつも通りの調子で話してくれたなら、そんな些細な違和感は、瞬時に吹き飛んでしまうと思うのだけれど。

 指先に触れたはるかの頰からは、確かに温もりが伝わって来る。

 髪の色は変わってしまっても、はるかはここにこうしてちゃんといてくれるのだ。

 私は、ふっと短く息を吐いた。

 そこに、背後から控え目なノックの音が響いて来る。

 アミリアさんが来たのかと、私は少しだけ身を固くする。

 あ。

 しかし直ぐに、そういえば駿太を廊下に放置しっ放しだった事を思い出した。

 ……いけない、いけない。

 私ははるかのベットから離れると、駿太を部屋に招き入れるべく、小走りに扉へと向かった。




 柔らかくて淡い光が満ちるはるかの部屋は、とても静かだった。

 私も駿太もじっと黙ったままだったので、耳を澄ませばはるかの寝息すら聞こえて来そうだ。

 私はベッドサイドに椅子を引き寄せてその上に陣取ると、じっとはるかを見守っていた。いつはるかが目を覚ましても、直ぐに対応出来る様に。

 私は革靴を脱ぐと、大き目の椅子の上に足を乗せて三角座りの態勢を取る。駿太には背を向けているので、こんな体勢でもスカートを気にする必要はない。

 そのままはるかの顔をじっと見つめ、それが辛くなると、私は自分の膝に顔を埋めて深くため息を吐く。

 駿太は、私の背後でそのゴツい体に似合わないアンティークなテーブルに向かい、宿題をしている筈だった。時折微かに、ペンが走る音が聞こえる。

 先程までは駿太はソファーでこくりこくりと居眠りをしていたのだけれど、宿題の存在にやっと気が付いたみたいだ。

 私たちは時間の許す限り限界まではるかの側にいるつもりだったので、帰ってから宿題をしている余裕はないのだ。

 ちなみに私の宿題は、先程駿太が居眠りをしていた間に済ませてしまった。

 居眠りしたり漫画を持ち込んでみたり手持ち無沙汰な様子の駿太だったけど、このはるかの部屋からは決して離れようとはしなかった。

 ……駿太も、はるかの事が心配で心配でたまら無いのだ。

 私は、膝を抱く腕にぎゅっと力を込める。

 あの夜。

 はるかは、確かにあの怪鳥を捕らえる事に成功した。

 あの花結びの組紐を使って。

 追い詰められていた私たちにとって、それはまさに劇的な逆転劇だったと思う。

 学校裏手に広がる未開発区域。

 木々が伸び放題となり森の様になってしまったその場所で、私とはるか、それに駿太は、巨大な鳥の怪物と対峙した。

 体育館の運動部の間で噂になっていた怪物。そして、一年前の日置山で私たちを襲った憎むべき怪鳥と。

 私がその怪鳥に襲われそうになった時、道路脇のフェンスまで吹き飛ばされていたはるかは、制服のポケットからあの花結びを取り出して、さっと空中に放り投げたらしい。

 私は目の前に迫る怪鳥の嘴から目を離せなかったけど、その時のはるかの様子は、後になってから駿太が教えてくれた。

「はああああっ!」

 はるかが気合いの声を上げたその次の瞬間。

 アミリアさんからもらった花結びが、眩く輝く。

 そしてその光の中から、幾本もの赤い紐が怪鳥へ向かって伸びた。

 それまでいくら練習してもまったく反応しなかったアミリアさんの組紐の花結びを、はるかはここに来て操る事に成功したのだ。

 はるかが放った赤い紐が、怪鳥の体に巻き付く。そして、まさに私に襲い掛かろうとしていた怪鳥の動きを止める。

 その隙に、私は駿太の手を借りて怪鳥のもとから離れる事が出来た。

 怪鳥と距離を取った私は、駿太と一緒に赤紐によって動きを止めた巨体を見上げた。

 怪鳥は、何とか組紐の拘束を逃れようともがいていた。

 苦しそうな呻き声が、短く何度も何度も響く。

 しかし、状況はそこで拮抗してしまった。

 動きは止めたけれど、はるかにはそれ以上怪鳥をどうにかする事は出来無いみたいだった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 怪鳥の鳴き声の合間に、はるかの苦しそうな息遣いが聞こえて来る。

 花結びの組紐を操る事は、どうやらはるかにとって大きな負担になっているみたいだった。

 私は、ぐっと強く手を握り締める。

 私たちがしてあげられる事は、何か無いのだろうか?

 アミリアさんは、まだ来てくれ無いのだろうか……?

 赤紐の拘束する力が弱まったのか、やがて怪鳥がゆっくりと動き始めた。

 私と駿太に向かって、じりじりと近付いて来る。

 怪鳥の動きは鈍い。

 このまま後ろを向いて逃げ出す事は簡単に思えた。

 ……でも。

 1人で怪鳥を抑えているはるかを置き去りにして、本当に逃げ出して良いのだろうか?

 私や駿太には特別な力は何もない。しかしだからといって、はるかに全てを押し付けるなんて事はしたくなかった。

 乾いた音が響く。まるで、ガラスが割れるみたいな音だ。

 はるかが放った赤い紐が、怪鳥の力に耐え切れずに引き千切られた音だ。

「くっ……!」

 私と駿太のところからも、はるかが苦しそうな顔をしているのがわかった。

 ならば、なおの事はるかを置いて逃げる訳にはいかない……!

「はるかっ、もういいよ! またもう一度、こちらで引き付けるからっ!」

「奈々子は俺がフォローする! はるかはその隙に態勢を整えろっ!」

 私と駿太ははるかに向かって叫ぶ。

 先程みたいに私と駿太が囮になって怪鳥を引き付ける事が出来たら、はるかが休憩する時間を稼ぐ事も出来ると思う。

 私たちが咄嗟に思い付く事は、それぐらいしかなかったのだ。

 でも、はるかは退がらなかった。

 ガラスが割れる様な音が連続し、はるかの赤い紐が全て断ち切られる。

 怪鳥が自由になったのを確認する様に、ぶるぶると体を振る。そして、勝利を確信したかの様に鳴き声を上げた。

 空気がピリピリと震える。

 その大音声に顔をしかめながらも、私と駿太は視線を合わせて頷き合った。

 怪鳥をこちらに引き付ける。

 そのために、私たちが一斉に走り出そうとした瞬間。

「ナナたちの所へは……行かせない!」

 はるかの鋭い声が響いた。

 再びはるかから、赤い紐が伸びる。

 それは一条の光となって、まるで意思を持っているかの様に怪鳥の左脚へと巻き付いた。

 私と駿太に襲い掛かろうとしていた怪鳥は、不意に片脚を取られてバランスを崩す。

 巨体が地面に叩きつけられ、地響きが起こる。

 はるかはその紐を解くとさらに怪鳥の首に新たな赤紐を繰り出し、タンっと地面を蹴った。

 怪鳥の首に巻き付いた紐につかまってふわりと身を躍らせたはるかは、弧を描く様な軌道で宙を駆けると、私と駿太の前に着地した。

 眼前に、はるかの黒髪と黒マントが広がる。

 私は唖然として、言葉を失う。

 その動きは凄く華麗で見事だったけど、ただの学生にしては少しアクロバティックすぎる様に思えた。

 私と駿太に背を向け、怪鳥の前に立ち塞がるはるか。

 その背中には、今までにない凄みがあった。

 まるで、はるかがはるかではなくなってしまったかの様な……。

 はるかが、僅かにこちらを振り返り、私を一瞥する。

 その顔には、微笑みが浮かんでいた。

 少し悲しそうな……。

 そんな笑顔を見た瞬間、ドキリと胸が痛んだ。まるで、鋭い刃物を突き立てられたみたいに。

 嫌な予感がした。

 これからはるかが行おうとしている事を許してはいけ無い。

 そんな気がしたのだ。

 しかし、私が口を開くよりも早く……。

「さぁ、ここで決着をつけるぞ!」

 何かを決意したかのような、はるかの凛とした声が響き渡った。

 次の瞬間。

 私の眼前で、はるかの長い髪の色がさっと変化した。

 夜と同じ漆黒から、銀色に輝くプラチナブロンドに。

 色味の違いはあっても、それはまるでアミリアさんの髪の色みたいだった。

 はるかは、身に付けたままだった魔女の黒のマントを外し、ばっと捨て去る。そして、怪鳥に向かってさっと手をかざした。

 赤の光が迸る。

 あの組紐の花結びからではない。

 怪鳥を取り囲む様にして、周囲の空間から無数の赤紐が伸びる。

 次々に怪鳥の体に絡まり付く赤紐。

 怪鳥が、悲鳴の様な声を上げる。

 それは、苦悶と憎悪に満ちた断末魔だった。

 怪鳥が、ギラリと光る目ではるかを睨み付けた。

「このまま元いた世界に帰れ!」

 その怪鳥を睨み返し、突き放す様な冷たい言葉を放つはるか。

 その宣告と同時に、赤い紐が一気に広がり、怪鳥の身体を包み込み始めた。

 やがて家程の大きさを誇っていた怪鳥の体は、完全に赤色で包まれてしまった。

 それは、怪鳥の放っていた光沢のある赤ではなく、様々な色味の赤色が混じり合った組紐の赤だ。

 暗闇の中に、赤い光球が出来上がる。

 私と駿太は、ただただその光景を見守る事しか出来ない。

 やがて光球の光が揺らいだかと思うと、その赤の塊はゆっくりと収縮し始めた。

 怪鳥の巨体を包み込み、家程もあった光球がトラックぐらいになり、大人1人分くらいになり、そしてひと抱え程になってしまった。

「これで終わり」

 囁く様なはるかの声が聞こえた。

 それと同時に、怪鳥を包み込んだ赤の光は空中に溶ける様にすっと消滅する。

 それが、私たちをずっと苦しめて来た日置山の怪鳥の最期だった。

 あまりにも突然で、あっけない最期だった。

 周囲に宵闇の静寂が戻って来る。

 特に変わったところのない、いつもの私たちの夜だ。

 微かに学校の方から、構内放送の音楽が聞こえて来る。

 私たちは、こんなにも学校に近い所で怪鳥と戦っていたのだ。

 そう思うと、少しぞっとする。学校の方に怪鳥が向かわなくて、本当に良かったと思う。

 ……終わったのだ。

 心の底から、私は安堵の息を吐いた。

 よかった……。

 被害が何も出なかったのもすべて、はるかのおかげだ。

「……はるか、やったね!」

 私は固まってしまったままだった足を何とか動かし、はるかの元へ駆け寄った。

 しかしはるかは、私の方を見る事もなく、そのまま膝から崩れ落ちる様に倒れてしまう。

「はるか!」

 私は、咄嗟に手を出してはるかを受け止める。

 私の腕の中に倒れ込んで来たはるかは、完全に意識を失ってしまっていた。

 片膝を付いてはるかの身体を路面に横たえながら、頭だけは硬い路面に落ちない様に私の太ももの上に乗せる。

 私は、眉をひそめてはるかの様子を窺う。

 突然糸が切れてしまったみたいに倒れてしまったからドキリとしたけど、はるかは特段顔色が悪い訳でもなく、呼吸が乱れている訳でもなかった。外傷も、特に見当たらない。

 大丈夫そうだけど……意識がなくなっても、髪の色は白銀のままだった。

 とりあえず、怪鳥騒ぎはこれで終わった。あとは一刻も早くはるかをベッドに運んであげないとと思う。

 病院に連れて行った方が良いのだろうか、それともアミリアさんに診てもらった方が良いのだろうか。

 ……それにしても、またはるかに助けられたなと思う。

 でもこれで、日置山の怪鳥は退治する事が出来た。さらに、アミリアさんの課題であった、花結びの組紐を扱うというのもクリアした筈だ。

 これではるかは、アミリアさんの弟子になる事が出来る。そうすれば、私たちとまたずっと一緒にいる事が出来る筈……。

 私がそんな事を考えていると、カツカツとアスファルトを踏み締める足音が近付いてきた。

 顔を上げると、暗闇の向こうからその闇と見間違える様な漆黒にドレスを身にまとった女性が、こちらに向かって来るところだった。

 アミリアさんだ。

 無表情なその白い顔とアッシュブロンドの髪だけが、まるで空中に浮かんでいる様に見える。

 アミリアさんはそのまま意識を失ったはるかを抱き抱える私と駿太の前までやって来ると、薄く微笑んだ。

「こんばんは、ナナコ、シュンタ。良い夜だな」

 いつも無表情なアミリアさんの笑顔に、なんだか私は激しい違和感を覚える。

「はるかに成り代わり、私からも礼を言おう、ナナコ、シュンタ」

 私たちが返事するよりも早く、抑揚のないアミリアさんの声が響く。

「ハルカは、境界の管理者たる資質を十二分に示した。これでハルカは、正式に我が弟子となる」

 極めて重大な事の筈なのに、アミリアさんが言うと、何だか明日の時間割を告げている程度にしか聞こえないから不思議だ。

 でもこれで……。

 私はアミリアさんを見上げて、こくりと頷いた。意識を失っているはるかに成り代わって、力を込めて。

「やはり鍵はナナコ、君たちの存在だった様だな」

 アミリアさんは、真っ直ぐに私の目を見据える。

 ガラス玉みたいな澄んだ目に見つめられると、私は妙な居心地の悪さを感じてしまう。何だか心の中をすべて見透かされている様な気がしてしまって……。

「えっと、その、あの赤い紐を使った後、はるかが倒れてしまったんです。はるかは、大丈夫なんでしょうか?」

 私は気を失ったままのはるかをぎゅっと抱き締めて、アミリアさんに問い掛ける。取りあえず今は、先の事よりもはるかの容体だ。

 アミリアさんは、すっと目を細めて鷹揚に頷いた。

「問題ないだろう。力に覚醒した事により、ハルカの中で魔素を操るにふさわしい体になるための準備が始まったのだ。今の眠りは、次への備への眠りだ」

 アミリアさんが膝を突き、はるかに手を掛ける。

 私は、素直にアミリアさんにはるかを預けた。

 アミリアさんは私を一瞥した後、細い体に似合わない力で軽々とはるかを持ち上げた。

「時はまだ少しある。ハルカの目覚めを待つ暇はあるだろう。君たちは我が弟子が覚醒する切っ掛けとなった功労者だ。別れ言葉を交わす時間くらいは与えよう」

 別れ……?

 私は、ぽかんとしてアミリアさんを見上げた。

「え、それはどういう事、ですか……?」

 かろうじて言葉に出来たのはそれだけだった。

 別れ?

 はるかがアミリアさんの弟子になれたら、私たちはまた一緒にいられる、そうではないのか……?

 私は何を問いかけたらいいのか、何を確かめたらいいのかわからず、口をぱくぱくさせながら、アミリアさんの顔をじっと凝視する事しか出来なかった。

 アミリアさんは私の動揺が理解出来ないのか、僅かに首を傾げる。

「今後の事はいずれ説明しよう。我が後継たるハルカが目覚めたその時に、な」

 アミリアさんは淡々とそう告げると、はるかを抱きかかえたまま私たちに背を向けた。そして、夜闇の中へ向かってゆっくりと歩き始めた。

 アミリアさんは、そのままはるかを秘密の庭のお屋敷に連れ帰ったみたいだ。その日の夜、もしかしてと思って私と駿太が秘密の庭を訪ねてみると、もうはるかはこのベッドで眠りに就いていた。

 その時からずっと、はるかは眠り続けている。

 私と駿太は色々話し合ったけれど、答えは出る筈もない。アミリアさんに詳しい話を聞こうと探し回ったけど、あの文化祭の夜以来、私たちは未だにアミリアさんに会う事が出来ないでいた。

 はるかの変化した髪色とアミリアさんの不穏な言葉だけが、私たちの不安を日に日に膨らませている。

 変わってしまったはるか。

 アミリアさんの別れという言葉。

 私たちはこれから、どうなってしまうのだろう……。

 はるかの声が聞きたかった。

 また一緒に学校に行って、一緒に遊びたい。

 私たちはただ、はるかと一緒にいたいだけなのに……。

 あの文化祭の夜の事を思い出すと、胸が苦しくて苦しくて、耐えらない。

 私は、はるかのベッドサイドに置いた椅子の上でぎゅっと身を固くする。

 その私の肩に、ぽんっと大きな手が置かれた。

 顔を上げると、駿太が私を見下ろしていた。

「そろそろ帰ろうか、奈々子」

 駿太が、柔らかな優しい声でそう告げる。

 携帯を見ると、時刻はいつの間にかもう夜の10時を回ってしまっていた。

「……そうだね」

 私は小さく頷くと、椅子から降りて帰る支度を始める。

 本当なら、ずっとはるかと一緒にいてあげたかった。でも帰らないと私の家族にも心配を掛ける事になってしまうし、明日も普通に学校がある。ずる休みするのは簡単だったけど、それではるかが目覚めた時に一緒に学校に行けなければ意味がない。

「はるか。また来るからね」

 私はコートを腕に掛けカバンを持つと、ベッドに横たわる銀髪の少女に声を掛ける。そして、この場に残りたい気持ちを打ち払う様にさっと踵を返すと、そのまま廊下に出た。

 明日もくるからなと挨拶して、駿太が扉を閉める。

 私はぎゅっと手を握り締め唇を噛み締めて、足早に秘密の庭のお屋敷を後にした。

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