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第22話 秋の日の2人のデート

 ずらりと並んだ国道の街路樹は、もう既に黄色く色づき始めていた。ひらひらと舞い落ちる葉が、レンガ敷きの歩道や、路肩に停まっている車を秋色に染め上げている。

 電車のドア近くに立つ私は、車窓から見えるそんな秋野市の日曜日の朝の風景をぼんやりと眺めていた。

 電車が駅に入る。

 駅のホームに立つ人々の装いも、夏の名残はすっかり抜け去って、本格的な秋のものに変わりつつあった。

 この前まで、みんな半袖だったのになと思う。

 再び動き出す電車の揺れに身を任せてそんな事を考えている私も、パンツにシャツといった軽装の上に、薄手のオータムコートを羽織っていた。

 街を吹き抜ける風はもうすっかりひんやりとして来たけれど、建物の中だと蒸し暑かったりする。さらに体を動かしているとやっぱり暑くなってきたりして、色々と着こなしが難しい季節なのだ。

 車掌さんのくぐもったアナウンスが響き、電車は秋野市で1番栄えた場所である秋野駅へと到着する。

 プシュっとドアが開くと、私はコートの裾をひるがえして1番に電車を降りる。そして、とんとんっと階段を駆け上がって改札へと向かった。

 到着した電車から吐き出されてくる人たちと、ホームへ向かう人たちの間を縫うようにして、私は足早に駅舎を出る。

 今日のお天気は晴れ。

 ビルの間から覗く空の遥か高い場所に、いわし雲の群れが見えた。

 絶好のお出かけ日和だ。

 秋野駅前は大きなバスターミナルになっていて、その周囲を昔からあるデパートや大きな本屋さん、大型家電店や色んなお店が入っている複合施設がずらりと取り囲んでいた。

 どのビルもお休みにはそれなりに賑わってはいるけれど、なんだかいまいち寂れた感じが拭いきれない。

 それらビル群は、本当に駅の近くにしかなくて、その向こうには昔から少しも佇まいに変わらない月見アーケードという商店街がある。

 そちらの方まで行くと、お休みでも平日でも変わらない、のんびりと買い物をしているおばさんや犬の散歩をしているお爺さんが歩いている様な典型的な地方都市の町並みが広がっているだけだ。

 私は歩調を緩めてキョロキョロと周囲を見回しながら、歩道橋を進む。2階部分にある秋野駅の駅舎からは、バスターミナルを覆う様な大きな歩道橋が伸びていて、各施設に直接つながっているのだ。

 待ち合わせの場所はデパート前の広場だったから、もう姿が見えてもいいのだけど……。

 周囲には、呑気に笑い合う人々の声と、どこかのお店から響いて来る賑やかな音楽、それにバスの発車音などが忙しなく響き渡っている。

 寂れた感はあっても、お休みの日の駅前はさすがに人が多い。同じ秋野市内でも、私の家や学校がある場所とは大違いだった。

 デパート前の広場に到着すると、直ぐに待ち合わせ相手を見つける事が出来た。

 私は小走りに、そちらに向かって駆け寄った。

「おはよ、はるか」

 デパートの柱を背にして立っているはるかに向かって、明るく声を掛ける。

「あ、ナナ、おはよう。早いな」

 私の待ち合わせの相手である久条はるかは、一瞬びくりと肩を竦めた後、こちらを見て硬い笑みを浮かべた。

 早いも何も、はるかの方が先に来ているのだけれど……。

 待ち合わせ時間には、まだ余裕がある筈だ。

「えっと、その……ナナ!」

 はるかは、緊張した様子のまま何かを決意する様に表情を引き締めた後、ずいっと一歩、私の方に進み出た。

 私は、んっと僅かに首を傾げる。

「ナナ、今日の服は凄い似合ってるな! その、か、可愛いと、思う!」

 顔を真っ赤にしながら、しかしじっと私を見つめたまま、一気にそうまくし立てるはるか。

「……ありがとう」

 私はとりあえずお礼を言ってから、改めてはるかの姿を見た。

 はるかは私と同じパンツスタイルだったけど、長い脚とスタイルの良さがよく分かるすらりとしたシルエットのズボンに、ふわりとしたカーディガンを羽織っていた。長い黒髪は、やはりふわふわとした感じのシュシュで、真後ろではなくやや右サイドにずらしてまとめている。

 お休みの日のモデルさんみたいなカッコよさを漂わせながら、しかし小物とか、年相応の女の子らしさも忘れていないコーディネートだ。

 はるかが自分で考えたのかはわからないけれど、その辺りにあった服を適当に着て来た私なんかと比べて、圧倒的に女の子らしくて可愛らしいと評価せざるを得ない……。

 言ってやったぜと満足そうな表情を浮かべるはるかの前で、私はふっと軽く息を吐いた。

 ……はるか、気合いが入っているな。

 はるかの中身は遼の筈なのに、女子として何だか完全に負けてしまっている様な気がする。

 ……別にいいのだけど。

「それで、この後どうするの?」

 私は気持ちを切り替える様に、周囲に目を向けた。

 今日。

 私とはるかは、えっと、その、デートをする事になっていた。

 体育祭の時に、駿太とのリレー勝負の結果としてはるかが望んでいたあのデートだ。

 結局体育祭のクラス対抗リレーには、はるかは参加出来なかった。

 軽い目眩だけだったとはいえ、その直前に倒れてしまったのだから当然だ。本人はずっと、もう大丈夫だ、参加すると言い張っていたのだけれど。

 リレーの結果は、私のクラスの勝ちだった。

 はるかの代走で出場した莉乃も含めて、総合力では私たちが他に比べて優っていた。駿太のクラスも健闘していたけれど、やはり駿太がワントップといった感じで、他のランナーの時に抜かれてしまっていた。

 自分が走っていないにも関わらず私がデートに付き合うことになったのを、はるかは駿太に対して申し訳なく思っている様だった。

 はるかは未だに、駿太も私とデートがしたいのだと思い込んでいるから……。

 しかし体育祭の時にはるかが倒れたと聞いて血相を変えていた駿太にとっては、はるかの無事が何よりも1番なのだ。

 駿太は、本人も認めている通り、中身が誰だという事に関わりなく、今、久条はるかという女の子に惹かれてしまっているのだから……。

 ……うーむ。

 この状況、すれ違いを、何とかしたいと思う。

 3人で集まってばっと腹を割って話してしまったら、うじうじと悩まなくていいのになとも思う。

 でも、はるかの気持ち、駿太の気持ち、そして私の本当の気持ちを曝け出すには、私には勇気も度胸も全然足りない。

 ……いや、私たちには、というべきだろうか。

 少なくとも私には、一度失なってしまったと思った私たち3人の関係を変えて、壊してしまいかねない様な事は出来ないのだ。

 体育祭の後、はるかはまた数日お休みする事になった。

 またしばらく駿太と一緒にアミリアさんの秘密の庭にお見舞いに通う日々が続いて、その後はるかが学校に戻って来て、やっと私たちの日常が戻って来たと思った頃には、もう中間テストに備えなければならない時期になってしまっていた。

 今日は、そのテストの後の最初の日曜日だ。

 慌ただしかったテスト週間が終わってやっと、私とはるかは、こうして満を持してデートすることになったのだ。

 体育祭からしばらく時間が経って、色々な事が沢山あった夏休みからは季節が巡ってもう秋になってしまったけれど、その間、私たちの複雑な関係は、幸か不幸か殆ど変わっていなかった。はるかの望みどおりにこのデートに付き合っても、果たして何かがかわるのだろうか?

「はるか、で、どうするの?」

 返答がなかったので、私はもう一度そんな台詞を口にしながらはるかの方へと目を戻した。

 はるかは、先ほどまでの明るい顔とは一変して眉をひそめて厳しい表情を浮かべると、キョロキョロと周囲を窺っていた。

 まるで、何かを警戒している様だ。

「どうしたの?」

 私も眉をひそめる。

 そのまま何度も周囲を見回してから、不安そうな表情のはるかが私を見た。

「……その、ナナが駿太を連れてきているじゃないかと思って」

 私は、はるかの言葉を聞いてむっと疑問符を浮かべる。

「何で駿太?」

 デートをするといって待ち合わせをしているのに、第三者を呼ぶ訳がない。

 確かに私が家を出て来る時、タイミング良く駿太も家の前の道にいて、どこへ行くんだとか気を付けてなとか、声を掛けて来たけれど。

 駿太も、今日私がはるかとデートする事は知っていた筈なのに。

 はるかは、不満そうにじとっと半眼で私を睨み付けて来る。

「……だってナナ、鈍いし。前もそうだったし」

 ん、前も?

 私が首を傾げると、はるかは俯いてはあっと少し疲れた様に息を吐いた。

「まぁ、いいか」

 ぼそりとそう呟いた後、はるかはさっと顔をあげてにこりと笑顔を浮かべた。

 ……まったく、本当にころころと表情が変わる子だ。

「じゃ、さっそく行くか」

 はるかはそう言うと、艶やかな黒髪とカーディガンの裾をふわりと翻して、キラキラと輝くデパートの入り口へ向かって歩き出した。

「はるか、無理はしちゃダメだからね」

 私はふっと息を吐いてから、その背中に声を掛ける。

 今日は1日、はるかに付き合うと約束していたけれど、私ははるかのお目付役も兼ねていた。

 はるかの体調は、体育祭の後も完全に良くはなった訳ではなかった。だから、アミリアさんからも無理は禁物だと言われているのだ。

 私としては、はるかが楽しんでくれて、なおかつ何事も起こらなければそれでいいと思っている。

 でも。

 やはり、体育祭の、はるかが倒れた時に感じた恐怖や不安は、漠然とだけれどずっと私の胸の中に残ってしまっていた。

 私はすっと目を細めてはるかの方を見つめる。

 そして小さなため息と共にその不安をぐっと胸の奥に押し込めると、私は「ちょっと待ってよ、はるか」と声を上げながら、黒髪の揺れるその背中を追い掛けた。




 デート、といっても、具体的には何をどうすればいいのだろう。

 告白される事はあっても正式に誰かとお付き合いまではした事のない私にとっては、デートといわれてもピンとこないのが正直なところだった。

 それははるかも同じみたいで、あそこに行こうあれを見てみようと色々リードしてくれるのだけど、特に変わった事は何もなくて、普段みんなと一緒に遊んでいる際の行動パターンとだいたい同じ動きだった。

 ただ今日は、はるかと2人きり、というだけで……。

 デパートの中をうろうろして本屋さん辺りを冷やかして、ゲームセンターでかなりの時間を費やした後、私たちはお昼を食べる為に月見アーケードの方へと向かった。

 最初はデートという事で身構えたところがあったけど、時間が経つにつれて私は、いつの間にか普段通り過ごす事が出来ていた。

 はるかと一緒にいると純粋に楽しかった。

 はるかという女の子と一緒にいるのにも関わらず、昔と同じ様に遼と遊んでいるのと同じ感覚で過ごす事が出来たから。

 はるかは遼なのだから、当然の事なのだけれど。

 私には、遼と一緒にいられると感じられる事が何よりも嬉しかったのだ。

 でもその感覚のせいで、思わず「ねえ、遼、あれ!」みたいにはるかを遼と呼んでしまう事が何度かあった。

 遼の名前を口に出す度に、はるかは微妙な表情を浮かべていた。

 でも基本的には、はるかは笑って跳ね回って元気一杯に、私より楽しそうにしていた。

 また倒れる様な事があってはいけないと私も気をつけていたのだけれど、幸いはるかには、特に不調なところは見受けられなかった。

 お昼は、月見アーケードの洋食屋さんでハンバーグ定食を食べた。

 少し値段は高かったけれど、はるかも私も、今日くらいはまぁいいかという事にしたのだ。

 食事の後、私たちはアーケードの下の商店街をゆっくり見て回る事にした。

 小さい頃から友達や家族と何度も訪れている月見アーケードだったけど、最近はフローレスタなんかに行く事が多くてこうしてじっくりと見物する機会がなかったと思う。

 改めて見て見ると、結構閉まってしまっている店が多い。昔はもっとこう、賑やかだった気がするのだけれど……。

 やっているのか閉まっているのかよくわからない駄菓子屋さんを覗いたり、デパートやフローレスタでは決して扱っていないレトロなラインナップが並ぶ文房具屋さんに入ってみたり、月見アーケード巡りもなかなか楽しかった。

 はるかは私に、文房具屋さんで芝犬のロゴが入った手帳をプレゼントしてくれた。

 見た事のないデザインだったので、嬉しかった。帰ったら、さっそく部屋の芝犬グッズのコーナーに飾っておこうと思う。

 私とはるかは、お喋りを繰り返しながら月見アーケードで午後の時間を過ごした。

「ナナ、帰りなんだけど」

 アーケードに所々設置されたベンチに腰掛け、商店街のお肉屋さんで買ったコロッケを食べながら、はるかが話し掛けて来る。

「ちょっと寄って行きたい場所があるから、電車じゃなくてバスでもいいか」

 上目遣いに私を窺うはるか。

 私たちの家がある地区には、秋野駅からなら国道を通る路線バスでも帰る事が出来る。

「別にいいけど」

 こちらとしては、特に断る理由はない。

 私の返事を聞くと、はるかはよしっと手を握り締めてにこりと微笑んだ。

 ……まったく、何を企んでいる事やら。

 私ははるかに誘われるまま一旦秋野駅前まで戻ると、歩道橋からバスターミナルへと下りた。

 時間はまだ夕方というには少し早い筈だったけど、既に太陽は傾き始めていた。ガラス張りのビルの壁面は茜色に輝き、気の早い街灯は既に灯り始めている。

 ビルや歩道橋の下など影になる場所は、既に薄暗くなっている所もあった。何だか街角のあちこちから、夜がじわじわと湧き出して来ている様だった。

 はるかが案内してくれたバス停は、他の場所よりも明らかに混み合っていた。さらに、私や駿太の家がある地区に向かうバスでもない。

「はるか、これ、どこいくの?」

 バス待ちの列に並びながらそう尋ねて見るが、はるかはにこりと悪戯っぽく笑うだけだった。

 私たちが乗り込んだ満員のバスは、秋野市の中心を走る国道を超えて古い町並みが残る旧街道へと入って行く。

 薄紫に染まる夕暮れの空の下、淡い街灯に照らされながら、バスは狭い道を進んで行く。

 20分くらい走っただろうか。

 次のバス停は旧陣屋前というアナウンスが流れたところで、停車を告げるチャイムがなった。

「次、降りるからな」

 はるかが顔を寄せて囁き掛けて来る。

 旧陣屋町と呼ばれるこの辺り一帯の事は、私も知っている。

 昔の街道の関所だとかお代官さまが住んでいたお屋敷があるとかで、江戸時代くらいのお屋敷がいくつも保存されている地区だ。

 秋野市の唯一の観光スポットともいえる場所で、市の広報誌なんかでは強力にプッシュされている。たまに地元のケーブルテレビとかが取材に来ていたり、学校の遠足の目的地になっていたりする。

 私も小学校の遠足で来た事があるけれど、それ以来だった。

 確かに名所ではあるけれど、高校生がデートで来る様な場所ではないと思う。どちらかというと、お爺ちゃんお婆ちゃんが似合う場所だ。

 同じバスに乗っていたお客さんの大半も、私たちと同じ陣屋前のバス停で下車した。

 周囲のお客さんたちは、わいわいと笑い合いながら江戸時代の遺構が残る陣屋の中心へと向かっていく。はるかも、私の背中を押しながらみんなと同じ方向へと向かった。

 バス待ちをして移動している間に、周囲はもうすっかりと薄闇に包まれていた。気温も下がって来ていて、コートを着ていても少し寒い。

 バスを降りた人々は、正面の大きな古い門へと吸い込まれていく。今はもう闇に呑まれて殆どシルエットになってしまっているけれど、江戸時代から残ると言われている古い門だ。

 その門の左右には、薄闇に淡く灯る、秋野市の名前が入った大きな提灯が掲げられていた。

 私は、はるかと並んでその門をくぐった。

 次の瞬間。

 思わず私は、はっと息を呑み、目を見開いて固まってしまう。

 私たちの目の前には、ほんのりと朧に輝く光の列があった。

 薄闇が広がる中、木製の家屋や土塀、漆喰なんかで形作られた古い町並みが静かに広がっている。

 その時代劇の中に迷い込んでしまったかの様な純和風な景色を、無数の提灯や紙燈籠が優しく柔らかく照らし出していた。

 大きなお屋敷の二階や商家の玄関先、武家屋敷を取り囲む土塀の上なんかにずらりと、淡い光を内包した紙灯篭が並べられ、提灯が吊り下げられていた。

 様々な模様が入った紙燈籠は、石畳の路面にも並べられている。提灯には、秋野市の名前をはじめとして色々な会社の名前や人名が描かれていた。

 行き交う人々の姿が、そんな灯の前で影絵の様に揺らめいている。

 現実の光景ではなく、まるで幻灯機が作り出したかの様な幻想的な町並みが、私とはるかの前に広がっていた。

「すごい……」

 揺らめく蝋燭の灯が作り出す光と陰のコントラストに目を奪われながら、思わず私はそう呟いていた。

「うん、綺麗だな」

 隣ではるかが、満足そうに息を吐いている。

「はるか、こんな場所があるって知ってたの?」

「ああ、デートでどこに行こうかなって考えてて、市のホームページでこのライトアップイベントを知ったんだ。俺たち、地元のイベントなんて殆ど関心ないからな。珍しくていいかなって」

 こちらを見たはるかが、にっと笑みを浮かべる。

「さぁ、ナナ、一緒に見て回るぞ!」

 この古い町並みや和服が似合いそうな黒髪の美人さんなのに、男っぽい口調ではっきりとそう宣言したはるかは、ふわりと髪を翻して紙燈籠の町へと踏み出した。




 私たちは2人並んでゆっくりと歩き回りながら、ライトアップされた町を見て回る。

 周りには私たちみたいな見物のお客さんが沢山いて賑わっている筈なのだけれど、幻想的な雰囲気のせいか、不思議と周囲には静謐な空気が満ちている様に感じられた。

 凄いね、綺麗だねと感想を言い合う私とはるかの声も、だんだんと囁く様なものに変わっていく。

 他のお客さんたちは、殆どがライトアップ区間の入り口である門の付近に集まっていた。その辺りが紙燈籠も沢山あって、1番華やかに輝いていたから。

 しかし私とはるかは、純和風の町並みの奥へ奥へと向かって歩いて行く。

 淡い光の列に誘われる様に、夜の帳が下り始めた通りを進む。

 だんだんと周囲の観光客もまばらになって来て、本当の静寂が私たちを包み込んでいた。

 規則正しく私たちの足音だけが響いているけど、耳をすませば、隣のはるかの息遣いや紙燈籠の中の蝋燭が燃える音すら聞こえて来そうだった。

 光の列は永遠に続いているかの様に思えたけど、やがて私たちが入ったのとは反対側の門が見えて来る。

 歴史的な景観が保護されている地区の終わりだ。

 素敵な体験だったけど、この辺りで引き返さなければならない。私たちが帰るには、元来たバス停まで戻らなければならなかったから。

「はるか、戻ろっか」

 私は満足感に浸りながら、隣のはるかに静かに声を掛けた。

「う、うん……」

 はるかは、こちらを見ずに頷いた。その顔は、薄闇と淡い光の中でも少し紅潮している様に見えた。

 私たちは踵を返して元来た道を戻り始める。

 その時。

 不意に、私の手にはるかの手が触れた。

 はるかは、そのまま躊躇いがちに、でも最後はぐっと力を込めて私の手を握って来る。はるかの温かい手が、私の手を包み込む。

 私は、少し驚いてはるかを見た。

 はるかはしかしこちらを見ずに、前方をじっと見つめているだけだった。

 酷く緊張した様子で、がちがちになりながら……。

 ……別に、手を繋ぐぐらいいいけど。

 私も前を向く。

 そのまま私たちは、しばらく無言で歩いた。

 ゆっくりと進みながら、私はふと考えてしまう。

 今、はるかと手を繋いでいる。

 ということはつまり、遼と……。

 そう考えてしまった瞬間。

 私の顔は、カッと熱くなってしまった。

 遼と二人きりで、こんな素敵な場所で手を繋いで歩くなんて……。

 ……い、いけない、いけない!

 余計な事は考えないようにしなければ!

 私は、はるかと一緒にいるだけなのだ!

「あの、ナナ」

 不意にはるかが、緊張した強張った声音で話し掛けて来た。

「な、何?」

 私は、思わずびくりとしながら返事する。

 はるかが立ち止まる。

 手を繋いだままの私も立ち止まった。

「……今日は付き合ってくれてありがとうな」

 前を向いたまま、はるかがぼそりと呟いた。

「……その、なんだ。もしよかったら、今度、駿太ともデートしてやってくれ。そうだな、春になって、2年になったら」

 何かを諦めた様な、押し殺した様なわざとらしく明るい声で、はるかはそんな言葉を口にした。

 私は、思わずきゅっと眉をひそめる。

 何故ここで駿太が……。

 それに、2年、次の春という言葉が引っかかる。

 つまりそれは、アミリアさんの課題のタイムリミットの先、という事だ。

 私と駿太の関係を勘違いして体育祭でリレー勝負までしよう言い出したのに、はるかは今更なんでそんな事を言うのだろう。

 嫌な予感が脳裏を過る。

 以前駿太が言っていた事、はるかが実はこう思っているじゃんないかという事が。

 私はその思いつきから目を背ける様に、はるかの次の言葉を待ちながらその横顔をじっと見つめた。

 はるかは、ちらりと私を一瞥してから、また直ぐに前を向いてしまった。

「……どうしてそんな事を言うの?」

 とうとう耐え切れなくなって、私は口を開く。

「ナナは、駿太が嫌いか?」

 はるかはちらちらと私を見ながら、質問を重ねて来た。

「嫌いな訳ないじゃない。でも、そうじゃなくて……!」

 もくもくと暗く重たい不安が私の胸の中で湧き上がって来る。

 嫌な予感が止まってくれない。

「はるかは、遼はそれでいいの?」

 私は、ぎゅっとはるかの手を握り締める。

 はるかも、力を込めて私の手を握り返して来た。

「……俺だって、ナナとずっと一緒にいたい。いつまでも一緒にいたい。でも……!」

 はるかは、視線を落としてぎゅっと唇を噛み締めた。

「俺、女になっちゃったから、ナナと一緒にいるのって、おかしいだろ? ほら、この前体育祭の時、クラスのみんなも言ってたし。女同士なんて面白いだけで、冗談とか漫画の世界だって……」

 はるかは、そこですこしだけ間を置いた。

「それがわかってるのにナナに告白したりデートに付き合ってもらったのは、俺の自己満足なんだ。俺にはもう、はるかとしての時間もないから。またナナと離れ離れになるなら、その前に俺の本当の気持ちを伝えておきたかったんだ」

 低い声で、一気にそう言い切るはるか。

 時間がない。

 その言葉に、私はドキリとしてしまう。

 はるかとしての時間とは、アミリアさんに与えられたこの1年間の事だ。でもそれは、アミリアさんの弟子になれれば、問題ない筈なのに……。

「……何言ってるの? 今日は楽しかったし、デートなんてまたいくらでもしてあげるよ。時間だって、アミリアさんの課題をクリアしたら、またいくらだって取れるでしょ? 来年だって、再来年だって、大学生になっても!」

 アミリアさんの課題をクリアして、はるかがアミリアさんの弟子になれば、またずっと私たちは3人で一緒にいる事が出来る。

 その為に、私たちは頑張らなくてはならないのだ……!

「真面目に花結びの訓練してアミリアさんに合格をもらえれば、気兼ねなくまた遊べるでしょ? だから、また明日から、きちんと訓練しよ?」

 私ははるかの方に向き直り、じっとその横顔を見つめる。

 しかしはるかは、ぐっと何かに耐える様に視線を落としたままだった。

 そのまま、しばらくの間静寂が私たちを包み込む。

「無理だよ」

 不意に、はるかがぼそりと呟いた。

 一瞬私は、はるかが何を言ったのか理解出来なかった。

「俺が、アミリア先生みたいに魔法使いになれる訳がないだろ。俺は、ナナや駿太と一緒に育って来た、ただの、在り来たりな一般人なんだし。こんな姿にはなったけどさ……」

 自嘲する様に、はるかはふっと笑った。

「それに、この前から体調が悪いの、アミリア先生によると、俺の体が拒絶反応を示しているからなんだってさ。俺は、はるかになった時からこの世界の人間じゃななったから。だから、あの日置山の怪鳥や神社の白馬みたいに、このナナたちの世界から拒絶されているんだ。このままだと、ここにはいられないらしい。俺はもう女で、宮下遼とは違うと同時に、ナナと同じ世界の人間でもないんだ……」

 こちらを見るはるかの瞳がゆらりと輝いた。

 そしてその目から、ぽろりと光る粒がこぼれ落ちる。

 拒絶反応?

 この世界の人間じゃない?

 私はどんと胸を殴りつけられた様な衝撃に息を詰まらせ、呆然としてしまう。

「……だから、少しの間でも、ナナと一緒に過ごせて、一緒に学校に行けて、デートも出来て、嬉しかった。俺はもうナナの隣にいるのに相応しくないけど、最後にこうして一緒にいられて良かった」

 はるかはそう言うと、私を見て微笑んだ。

 涙を流しながら。

「ごめんな、勝手な事ばっかりして……」

 消える様にしぼんでいくはるかの声。

 笑ってはいたけれど、はるかの声も表情も泣いている様で悲しんでいる様だった。とても言葉の通り、満足したり感謝したりしている様には見えなかった。

 少なくとも私にはそう見えた。

 ……だったら!

「諦めちゃダメだよ……!」

 私は、思わずはるかの手をぐっと引いてそう叫んでいた。

 いつか、駿太が言っていた事が脳裏を過る。

 はるかは、来年も私たちと一緒にいる事を諦め様としている。

 その通りだった。

 でも、その通りにしちゃダメだと思う。

 ダメなんだからっ!

「ちゃんと練習して、魔法使いにでも何でもなろうよ! そしたら、女の子だろうが異世界の人だろうがまた一緒にいられるんでしょ! だったら!」

 何か熱いものが、一気に体の奥から込み上げてくる。

 私には、それを抑えつける事は出来なかった。

 じわっと涙が滲む。

 ここで私が泣いてはいけない。

 そう思うけれど……。

 怒りとか悔しさとか、悲しみとか焦りとか、様々なものが一緒になってしまった複雑な感情が、私の中で暴れまわっていた。

 この感情を、そのままはるかにぶつけてしまいたい衝動に駆られる。

 でも、はるかの前でそんな子供みたいな醜態は晒したくなかった。

「……私と、私たちと一緒にいてよ、はるかっ」

 だから私は、かろうじてそんな言葉だけを言い放ち、繋いだままだったはるかの手を振りほどいた。そしてさっと踵を返すと、はるかから逃げる様に歩き始めた。

「ナナ!」

 背後から、はるかが追いかけて来る音が聞こえる。

 でも私は、止まって振り返ってあげる事が出来なかった。

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