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第21話 体育祭

 結局はるかが学校にやって来たのは、お休みをしてから3日目、体育祭本番の2日前だった。

 私と駿太はお休みの間毎日お見舞いに行っていたけれど、本人が言うみたいに、はるかは特に不調なところはないみたいだった。

 むしろ暇だ暇だとブーブー文句を言い、元気と秘密の庭での静かな時間を持て余している様子だった。

 私と駿太はお見舞いに行く度に、いつまでもはるかに引き留められて、平日だというのにアミリアさんのお屋敷に泊まる事になりそうだったのだ。

 そんな状態だったので、久しぶりに学校に来たはるかはもちろんいつもと同じ調子で、特に変わった様子もなく、心配して話し掛けて来るクラスメイトたちににこやかに応対していた。

 1限目の後の休み時間。

 ガヤガヤと賑やかな教室で、私は自分の席からみんなに取り囲まれるはるかをそっと見守り、小さくため息を吐く。

 はるかが登校出来るようになって、これで私の周囲もすっかりいつも通りだ。

 ……まったく、あのお休みは何だったんだろう。

 これで体育祭が終われば、またしばらくはるかの花結びの訓練に集中出来るかなと思いたが、新たに発生した問題が1つある。

 それは、日置山の怪鳥を含めてアミリアさんが越境者と呼んでいる者たちの存在だ。

 私は正直、そんなものよりもはるかの体調とか行く末の方が心配なのだけれど、そのはるかの方が越境者たちの発生状況をとても心配しているのだ。

 最近になってこの秋野市で越境者の出現が頻発していて、もしかしたらあの日置山の怪鳥もまた現れるかもしれないとの話らしい。

 はるかからの依頼もあって、そのお休みの間、私と駿太は怪鳥に限らず何か怪しい噂がないかそれとなく聞き込みを行なっていた。しかし、今のところめぼしい情報は何もなかった。

 情報がないという事は、私たちの周りに越境者がいない可能性が高いという事だ。

 一年前の日置山の事件や、この夏、中崎くんの妹の真理亜ちゃんが巻き込まれた様な事件は、もう出来る事なら起こって欲しくない。

 だから怪しげな噂がない事は歓迎すべきなのだけれど、何だかこう、嫌な予感が消えてくれないのだ。

 その不安の原因は、多分、越境者の事だけじゃない。

 はるかの体調の件やアミリアさんに与えられたタイムリミットの事など、まだそこまで差し迫ったものではないけれど、しかし漠然と重たく圧し掛かってくる懸念事項が沢山あるせいもあると思うのだ。

 隣でお喋りを続けている莉乃の話を聞き流しながら、私はもう一度ふっと息を吐いた。

 ……最近私、ため息が多くなったなと思う。

 莉乃に、廊下にいたクラスの女子からお呼びが掛かる。

 私の方に手を振って断ってから、莉乃は元気よく飛び跳ねる様に廊下に向かって行った。

 その莉乃と入れ替わる様にして、黒髪をふわふわ揺らしたはるかが、とととっと小走りに駆け寄って来た。

「ナナ、どうしたの、浮かない顔をして」

 余所行きの口調で話しかけながら、ニコッと人懐っこい笑みを浮かべるはるか。

 ……クラスのみんなは、この笑顔にやられてしまうのだ。

「別に。それよりもはるか、あまりはしゃぎ過ぎない様にね。何かあったら大変なんだから」

 私は、すっと目を細めてはるかを見上げる。

「だから、大丈夫だって。もともと自覚症状なんて何もないんだからさ」

 はるかは声をひそめていつもの男口調に戻ると、うーんっと困った様に笑った。

「そんな事より、怪鳥の噂なんだけどな……」

 はるかがクラスのみんなに視線を送りながら身を屈め、すっと顔を近付けて来る。

 声がさらに小さくなったので、私も少しだけはるかの方に体を寄せた。

「それとなくみんなにも聞いてみたけど、ナナたちの言う通り、特に怪しい話はないな。アミリア先生が被害を抑えてくれてるのかな……」

 先程までとは一転して、真剣な表情を浮かべるはるか。

 確かに一年前の私たちの事件みたいに何か具体的な騒ぎが起これば、普段軽い交通事故でも珍しい秋野市でニュースにならない筈がない。

「でも油断出来ないからな。アミリア先生が言うからには……」

 キッと目つきを鋭くしたはるかが、ばっと勢いよくこちらを向いた。

「何かある、筈……」

 内緒話をする為に顔を近付けていた私は、はるかと至近距離で見つめ合う。

 私もはるかも、びっくりしてそのままの体勢で固まってしまう。

 長い睫毛に縁取られたはるかの大きな目が、パチリとまん丸に見開かれる。

 一瞬の間の後、はるかの整った顔がさっと赤くなった。

「わ、ご、ごめん!」

 おろおろと狼狽えながら、ばっと身を離すはるか。

 はるかのイメージには合わない様な動揺した大きな声に、クラスのみんなが何事かと私の席に注目する。

 むう。

 はるかのせいで目立っている。

 私は周囲の視線を無視する様に、何でもない事をアピールする為に無表情を作って頬杖を突いた。

 ……内心では、少しドキドキしてしまっていたけれど。

「おっ、水町と久条、またいちゃいちゃしてるぞ」

「水町さんってクールって感じだし、女の子らしい久条さんとお似合いだよねー」

「そうそう!」

 クラスのみんなが好き勝手言っているのが聞こえてくる。

 男子も女子も、こういう誰かをカップリングする話が大好きなのだ。

 照れ隠しによくわからない話をまくし立ているはるかには、からかい混じりの周囲の声は聞こえていないみたいだ。

 ここで私が慌てたり怒って見せても、周りが悪乗りするだけだ。

「……落ち着いて、はるか。休み時間終わるから」

 私は、視線で自席に戻る様にはるかを促す。

「なんだー、水町奈々子さんはもてもてだなぁー」

 遠くから私を茶化す大きな声が聞こえて来る。

 いつの間にか戻って来た莉乃が、教室の入り口にもたれかかってニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべていた。

 ……まったく。

 私はまたまた小さくため息を吐く。そして、莉乃の言葉に一切反応しない様に努めながら、机から次の授業の教科書とノートを取り出した。




 日曜日。

 空気の澄んだ秋晴れの下、予定通り秋陽台高校の体育祭が開催された。

 スコアボードや観覧席が設置され、万国旗とかお決まりの飾りつけによって普段とは様変わりしてしまったグラウンドに、全校生徒が集合し開会式が行われる。

 高校の体育祭といっても、やっている事は基本的に小中学校の運動会と変わらない。ただそれらよりもお祭り的な賑わいが少なく、クラス別スコアや大会記録とかを争う、スポーツの大会といった性格が強い様だった。

 もっとも、運動に興味のない一般生徒たちにとっては、一年に一度の賑やかなお祭りイベントである事は間違いないみたいではあったけれど。

 秋陽台の体育祭は、一応保護者や学校付近の住民の方々には解放されていて観覧自由だった。

 ビデオカメラを構えた保護者の人たちが一般観覧席に集まっているのがちらほら見えた。でもさすがに、こちらも小中学校みたいに大騒ぎな感じはなく、落ち着いた様子だった。

 雲ひとつない晴天だったので、体を動かしていると直ぐに汗が吹き出して来る。しかし時より吹き抜ける風は芯に冷たさと微かな金木犀の香りを孕んでいて、熱くなった体にはとても心地よかった。

 プログラムが滞りなく消化されていく中、放送部が選曲した流行りの音楽に合わせて一年男子の100メートルハードルが始まった。

 実況役の放送部員が実際のスポーツ中継を真似たノリノリの放送を行なう中、赤白青のチームカラーを示すハチマチを身に付けた男子たちが、グラウンドを走り回る。

 こんなものただの学校のイベントで、勝った負けたに意味はない。

 でも、真剣に走る者たちを目の前にしていると、自然と味方チームを応援し始めているから不思議なものだ。

 指定されたクラスの待機スペースで100ハードルを観戦していた私たちのクラスの女子たちも、自然といつの間にか自分たちのクラスの男子を応援していた。

 それは私たちのクラスだけでなく、体育祭に参加している他のクラスも同様だった。

 開会式直後は静かだったのに、種目を重ねる毎に、プログラムが進むにつれて会場全体が大きな盛り上がりを見せ始める。皆が段々と熱くなっているのが空気から感じられる。

 私は腕組みをしながら、自分のクラスの男子が勝ったら拍手をする程度だったけど、右隣の莉乃なんかは腕をぶんぶん回して大声を張り上げていた。

 ……恥ずかしいから、ちょっと自重して欲しい。

 次の組の走者がスタートラインにつく。

 あ、次は駿太か。

 他の走者より背が高く、がっしりとした体つきの駿太の姿は、遠くからでも一目瞭然だった。

 駿太は何かを探す様にキョロキョロとする。そして私たちのクラスの待機場所を向いて腕を振り上げると、ガッツポーズをする様に拳を振った。

「あ、駿太だ。頑張れー!」

 周囲の歓声やBGMのせいで多分聞こえないとは思うのだけど、私の左隣のはるかが、駿太に応える様に声を上げた。

 満面の笑みを浮かべ、ぴょこぴょこと手をあげるその姿は同性から見ても可愛いなと思ってしまう。付近の男子たちがはるかをぼおっと見てしまっているのも、何だか理解出来てしまった。

 同時に、駿太の方に憎々しげな目を向けている男子もいる。

 ……まったく、もう。

 駿太も一応クラス対抗なのだから、はるかにではなく自分たちのクラスに向かって手を上げるべきだろうに。

 スターターピストルの銃声が轟く。

 男子たちが一斉に走り出す。

 体の大きな男子たちが一斉に飛び出す光景は、女子とは違ってなんだか圧迫感というか迫力があった。

 駿太は、速かった。

 でも、うちのクラスの男子もなかなか速い。

 スタートダッシュで距離を稼いだ駿太だったけど、段々と距離を詰められてしまっている。

「駿太、いっけっー!」

 はるかが、ポニーテールにまとめた黒髪を揺らして叫んだ。

 ゴールが迫る。

 駿太の背後から、私たちのクラスの走者が迫る。

 まずい……!

「駿太!」

 思わず私は腕組みを解き、一歩前に踏み出して声を上げていた。

 次の瞬間。

 ゴールを示す銃声が響き渡った。

 一位は駿太。

 二位がこちらのクラスの男子だった。

「よーし! 駿太が勝ったぞ、ナナ!」

 私の体操服の袖を引っ張りながら、にこりと笑うはるか。

「……ナナ、久条さん。どうして敵を応援してるのかなー」

 はるかとは逆側から、低い声を出す莉乃がどんっと体をぶつけて来た。

「えっと、はは、つい、ね」

 私は思わず駿太を応援してしまった自分に気恥ずかしさを覚えながら、莉乃に向かって苦笑を浮かべる。

 次の走者がスタート位置につく。

 また、わっと一年生コーナーから歓声が上がった。

「裏切り者のナナは、もうすっかり山内のハーレム要員か」

 しつこい事に、莉乃がぶうっと唇を尖らせて追い打ちを掛けて来る。

 誰がハーレム要員か。

「違うよ、城山さん。駿太とナナは、そんな関係じゃないから!」

 はるかが、私を挟んで反対側の莉乃をむうっと睨み付けた。

 その反応が少し意外だったのか、莉乃が驚いた様な顔をした。まさかはるかから突っ込まれるとは莉乃も思っていなかったのだろう。

 そんな2人の様子が可笑しくて、私は思わずふっと笑ってしまった。

「あ、ナナ、その笑い方、何かムカつく!」

「もう、ナナの事弁護してやってるのに!」

 今度は莉乃とはるかが、両側から私を睨んで来る。

 私は困った様に笑いながら、「あー、ごめんね」と何に謝っているのかわからない謝罪を口にした。

『一年男子の諸君、躍動感に溢れる走りをありがとうっ!』

『続きましては、3年女子による二人三脚競技です』

『お姉さま方のご活躍に期待しましょう!』

 放送部員のノリノリの案内が響き渡る中、私は楽しそうに莉乃と話し込んでいるはるかの顔をそっと見た。

 先日のお休み騒ぎを受けて、私や莉乃たちはもちろん、田邊先生や斎藤先生たちも、はるかに体育祭を見学した方がいいのでは告げていた。

 みんな、はるかを心配してくれているのだ。

 しかしはるかは、そんな周囲に大丈夫だと言い張り、結局こうして体育祭に参加しているのだけど……。

「水町さんと久条さん、次の次、陣地取りのスタンバイだって!」

 体育委員の子からお呼びが掛かる。

「よし、行こう、ナナ!」

 隣のはるかが、私の方を向いてニッと不敵に笑った。

 はるか、やる気に満ち溢れているみたいだ。

 ……体育祭、満喫しているなぁと思う。

「……うん、じゃあ行こうか」

 私は目だけではるかを見て、ふっと息を吐くのと同時に笑った。

 このまま何事もなく、はるかが体育祭を楽しんでくれるのが一番だ。参加してしまった以上、私も出来る限り協力したいとは思う。

 何かあった時は、私が素早くフォローしよう……。

 並んで歩き出したはるかは、これから参加する競技に向けて気合を入れる様に、拳をぐっと握り締めてこくりと大きく頷いていた。




「水町さんと久条さん、すっごいかっこ良かったね!」

「奈々子ちゃん、凄いよ!」

「久条さんもさすがだなぁ」

「良くやった、ナナ! さすが私のオンナだっ」

「やっぱり水町さんと久条さんって、お似合いのコンビだよね」

 グラウンドから校舎へ続くレンガ敷きのフリースペースに、色とりどりのレジャーシートが広がる。

 その上で輪になってお弁当を並べた私のクラスの女子たちが、午前の部で行われた陣地取りの競技の感想を口にしていた。

 お昼の時間のお弁当タイム。

 私のクラスは、ほとんどの女子が集まって一緒にお弁当を食べる事になっていた。

 もちろん全員ではないけれど、いつも集まる仲良し友達グループが複数、いつの間にか合体して、私やはるか、莉乃や明穂を含めたほとんどの女子が集まる形になっていた。

 最初は女の子だらけの空間に居心地悪そうに私の隣に座っていたはるかだったけど、陣地取りが話題になると、嬉しそうに笑っていた。

 陣地取りというのは、秋野市で一般的な鬼ごっこと陣取りを合わせた遊びだ。

 守備側が守る複数の陣地を、攻め側2人が踏んで行く。守備側にタッチされれば攻め側の負け、全部の陣地を踏めば攻め側の勝ちとなる。

 この競技で出場した私とはるかは、敵クラスを圧倒して勝利したのだ。

 私やはるかは、小さい頃から駿太と一緒に陣地取りでよく遊んでいた。はるかや駿太とペアなら、簡単に負ける気はしない。

「それにしても、転入して来てすぐに水町さんと久条さんって仲良くなってたよね」

「そーそー」

「何だか怪しい関係だったりして!」

 レジャーシートの上の女子たちに、ぱっと明るい笑い声が広がる。

 私もはるかも、はははっと苦笑を浮かべるしかない。はるかの中身は遼なのだから、私たちの付き合いは殆ど年齢イコールなのだ。

「でも、久条さんは隣のクラスの山内くんとも仲良いよね。どこで知り合ったの?」

「そーそー、山内くん、結構かっこいいよね!」

「貴子、そんなのが趣味だったの?」

「そんなのって」

「ハーレム野郎の山内駿太に死を!」

 再び賑やかな笑い声が上がる。

 まぁ、女子ばかりが集まればうるさいくらい賑やかになってしまうのはしょうがない。誰が好きとか誰が良いとか、そんな話題になってしまうのもしょうがない。

 ……当の駿太は、私のクラスで話題になっているなんて想像もしていないだろうけど。

「でも、山内だったら久条さんにもギリギリ釣り合うかなー」

「水町さんとの組み合わせもいいけど、百合カップルなんて所詮、漫画の中だけだしねー。面白いけど」

「久条さん、そこんとこ、どうなの?」

 好き勝手に話していたみんなが、息ぴったりに一斉にはるかに注目した。

「えっと、駿……山内くんとは、ただの友達、かな」

 はははっとどこか乾いた笑い声を上げるはるか。

 はるかは、そのままみんなに調子を合わせながら、しかし何か気になる事でもあるのか、ちらちらとこちらを窺ってくる。

「山内くんと付き合ってないなら、水町さんにもチャンスあるねー」

「だから百合はもういいからっ」

「山内くんもなかなかだけど、2年の小早川先輩も活躍してたよね!」

「そうそう、バスケ部でしょ!」

 自然と話題は、私たちの関係から他へと逸れて行く。

 私は、内心ほっとと安堵の息を吐いていた。

 みんなからは散々茶化されてしまったけど、私がはるかから告白されてしまったのは事実だ。

 中身が遼だという事情はあるけれど、他から見れば私とはるかは女の子同士であるのは間違いないし、みんなが冗談めかして言っている女の子同士で、という状態もあながち外れではないのだ。

 私は、はるかの告白の事を思い出してドキドキし始めてしまった胸を無視するために、お弁当箱の中のいなり寿司をパクパクと口に運んだ。

 ジューシーなお揚げさんがご飯と一体となって、とても美味しい。

 お弁当を食べながら、私は僅かに視線を伏せて考え込む。

 はるかの告白の事は、真剣に考えなければならないなとは思う。

 でもあれ以来はるかから、向こうから尋ねてこないのをいい事に、私はその事を意識しない様にしているのだ。

 それよりも考えなければならない事、こなさなければならない事が沢山あるから……。

 特に今は、はるかの体調とアミリアさんの言う越境者、そしてはるかに課せられた課題とタイムリミットについての方が優先だ。

 はるかが私たちのもとに残ってくれれば、私たちの新しい関係はまたゆっくりと探って行けばよい訳だし……。

 私は一旦箸を止めて、ふっと息を吐く。そして、そっと隣のはるかを窺った。

 目が合う。

 はるかもこちらを見ていた。

 先程までクラスのみんなと楽しくお喋りしていたと思っていたはるかは、しかし微かに不安な光を湛える目で何かを求める様に、じっと私を見つめていた。




 お昼の後、3個目のプログラムが、私やはるかの出番だった。

 一年女子全員によるオリジナルダンス。

 テレビで毎日流れている有名なアイドルの曲に合わせて、体育の斎藤先生が考えたと思われるダンスを踊るのだ。

 大勢の前で踊るのは恥ずかしかったけれど、勢いと体育祭のノリでなんとか乗り切る事が出来た。ミスもあったけれど、みんなも楽しそうだったし、まぁいいかという感じだ。

 演技の後、みんなでクラスの待機席に戻りながら、私はほっと息を吐く。陣地取りとか徒競走とか単純な競技より、こういう表現系の方がどうしても緊張してしまう。

 キャッキャと賑やかに笑い合いながらゾロゾロ歩く女子の群れの中で、私は前方にはるかの姿を見つけた。

 はるかは、隣のクラスの金井さんと話をしていた。

 私はお疲れと労いの声でも掛けてあげようと、小走りにはるかのもとに駆け寄る。

 その時。

 私の目の前で、ぐらりとはるかの体が傾いた。

 まるで足腰の力が抜けてしまったかの様に、その場ではるかが蹲る。ポニーテールにまとめた黒髪が、しゃがみ込んだ勢いでふわりと揺れる。

「はるか!」

 思わず私は、悲鳴にも似た声を上げていた。

「く、久条さん?」

 隣の金井さんも驚いた様な声を上げている。

 周囲がざわめく。

 みんな足を止め、固まる。

 そんな中、私ははるかのもとに駆け寄った。

「はるか、大丈夫?」

 学校を休めと言っていたアミリアさんの顔が脳裏を過る。

 やっぱりどこか、体調が悪いのだ、きっと……!

「あ、ナナ……」

 屈み込んだはるかは、幸いにも意識を失なったみたいな深刻な状況ではなかった。側頭部に手を当て、顔をしかめて私を見上げている。

「わ、悪い。ちょっと目眩がして……」

 ごめんと苦笑を浮かべるはるか。

 喋り方ははっきりしていたけれど、その顔色はあまり良くない様に見えた。

 ……やっぱり。

 私は、ぎゅっと唇を噛み締める。そして大きく息を吸い込むと、キッと睨み付ける様にはるかを見据えた。

 今日は、これ以上無理だ。

「ごめん、みんな。もう大丈夫だから」

 余所行きの口調を維持しながら、はるかがふらふらと立ち上がる。

 クラスのみんなが、心配そうに周りに集まっ来ていた。

「ちょっと目眩がしただけだし、少し休んでれば……」

「はるか、保健室に行くよ」

 私は周囲に言い訳を始めたはるかの台詞を遮って、その腕を自分の肩に回した。

「ちょ、ナナ!」

 はるかが、驚いた様に声を上げる。

 しかし私はそれには構わず、近くにいた同じクラスの子に先生への伝言をお願いして、半ばはるかを引きずる様にして校舎へと向かった。

 はるかは柔らかくていい匂いがしたけれど、とても軽かった。こちらが、不安になってしまうくらいに……。

 最初は抗議の声を上げていたはるかだったけど、直ぐに静かになってしまった。口では大丈夫だと言っていても、もしかしたら体調不良の自覚があったのかもしれない。

 私に支えられたまま人気のない校舎に入ったはるかは、諦めた様に大人しくなっていた。

 校舎一階の職員室の並びの奥にある保健室には、誰もいなかった。

 保健の先生はグラウンド近くに仮設された救護所に行っているし、体育祭で怪我をした人や気分の悪くなった人は全員そちらに行っているのだろう。

 私がはるかをこちらに連れてきたのは、静かに横になれる場所というと咄嗟に保健室の方を思い浮かべてしまったからだ。私も少し気が動転していて、仮設救護所の存在に思い至らなかったのだけれど、アミリアさんの秘密の庭に帰らなければならないとかそんな話をするには、人気のない保健室の方が良かったかもしれない。

 遠く微かに体育祭の賑やかな音楽や実況が聞こえて来る中、私ははるかをベッドに寝かしつけた。

 はるかは少し不満そうに眉をひそめ、もう大丈夫だと何度も訴えて来た。しかし私がギロリと睨み付けると、渋々ベッドの上で横になってくれた。

「……ナナって、たまに俺の姉貴みたいだよな」

 諦めて鼻の下まで布団を被ったはるかが、不満そうに呟く。

「たまに、じゃなくて、常にそうなんですが」

 私は半眼ではるかを睨み付けた。

 既にはるかの顔色は、倒れた時に比べればすっかりいつも通りに戻っていた。声もしっかりしていたし、多分とりあえずは大丈夫だと思う。

 ……いや。

 油断大敵だ。

 私は丸椅子を持ってくると、はるかのベッド脇に腰掛けた。そしてそのまま腕組みをすると、じっとはるかを見据えた。

 大丈夫だ、何ともないというはるかの言葉を信じた結果、またこうして倒れてしまったのだ。ここは慎重すぎるくらいの方がいいと思う。

「あの、ナナ、そんなに見られると、恥ずかしい……」

 はるかが小さい声で抗議してくるが、無視だ。

 私は、このままここで安静にしているか、それともアミリアさんの秘密の庭に帰らせた方がいいかを悩んでいた。

 アミリアさんが休めと言った時も、表面上ははるかは何ともなかった。でも、秘密の庭で大人しくしている様にとあのアミリアさんが言っていた訳だし……。

「……クラス対抗リレー、最後から2番目だったよな。それまで寝てるしかないか」

 目を瞑ったはるかが、ふっと息を吐きながら独り言のように呟いた。

 私は、むっと眉をひそめる。

「リレーなんて、ダメだからね。今の状態じゃ無理させられないんだから」

 また倒れたら大変なんだから。

 はるかに何かあったら、はるかが私の側からまた離れる様な事になってしまったら、私は、私と駿太は、もう耐えらないと思うから……。

「だけど、俺が欠けたらメンバーが……」

 こんな状態にも関わらずクラス対抗リレーには出るつもりだったのか、はるかは私を見上げて食い下がって来る。

 しかし私は、臆さずその視線を正面から受け止めた。

「ダメ」

 そして、ぴしゃりと言い放つ。

「メンバーなんて、莉乃あたりを走らせとけばいいから。あの子も足速いし」

 今まで散々練習して来たのだから、このまま投げ出す事が嫌なのだろう。はるかのそんな気持ちは、手に取る様にわかる。

 途中で投げ出したくない。

 遼は、そんな風に考える奴だったから。

「……でも、駿太との勝負もあるし」

 はるかはそこで、ふと恥ずかしそうに私から視線を外し、顔を背けてしまった。

「……駿太にナナとデートして欲しくないし。俺と、一緒にいて欲しいし」

 唇を尖らせ、不満そうにブツブツと呟くはるか。

 私は、一瞬きょとんと目を丸くしてしまった。

 ……はるか。

 僅かな間を置いて、私の中に暖かいものが広がる。胸の奥がキュッとなって、目の前で僅かに頰を赤くしているはるかをギュッと抱き締めてあげたい衝動に駆られてしまう。

 ……うぐぐ。

 私の顔も熱くなるのがわかる。

 気恥ずかしさを誤魔化す様に、私はグッと手を握り締めて、はるかから顔を背けた。そして、私たち以外誰もいない保健室の中で視線をさ迷わさせる。

 周囲を沈黙が支配する。

 ドキドキと震える私の胸の鼓動が、はるかにまで聞こえてしまいそうだ。

 ……デートくらいではるかが安静にしてくれるなら、まぁ別にいいけど。

「……いいよ」

 私は視線を逸らしてぐっと顎を引いて俯いたまま、ぽつりと一言そう口にした。

 はるかが、こちらを見るのが気配でわかった。

「デートくらい、遊びに行くくらい付き合うから。はるかは無理しないで」

 気恥ずかしさを押し殺して、私は言葉を絞り出す。

 ちらりと目を上げると、布団から半分だけ顔を出したはるかと目が合った。

 はるかは嬉しさを隠せないといった風にキラキラと目を輝かせていた。まるで、お散歩やご飯と言う言葉を耳にした時の柴犬みたいに、純粋に喜びと期待が滲んだ顔を向けてくる。

 はるかが何か言おうともぞもぞと動いたその瞬間。

 ガタンと勢い良く保健室の扉が開いた。

「はるか、大丈夫かっ!」

 それまで静かだった保健室に、大声が響き渡る。

 私とはるかは、同時にびくりと身をすくませた。

 恐る恐るそちらに目を向けると、保健室の入り口には、もの凄い形相の駿太が立っていた。

 はるかを心配しているのはわかるけど、その顔も勢いも倒れた女の子を見舞うそれではない。

 ……ちょっと怖い。

 何だか駿太らしくはあるけれど。

 私とはるかは顔を見合わせる。そして、どちらからともなくぷっと笑ってしまった。

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