第20話 プリンのち新しい目標
秘密の庭にはるかを送り届けた翌日。
アミリアさんの宣告通り、はるかは学校をお休みした。
秋陽台高校に転入して来てから今まではるかが学校を休んだ事はなかったので、莉乃や明穂はもちろん、クラスメイトのみんながはるかの事を心配していた。
さらに金井さんや中崎くんだけでなく、隣のクラスの子たちの間でも久条さんがお休みだとちょっとした騒ぎなっているみたいだった。
こうしてみると、はるかはやっぱり目立っていたんだなと実感せざるを得ない。
どこから漏れたのか、はるかのお休みを先生に連絡したのが私だと知れると、色んな人たちがそれとなく、又は直球に事情を尋ねにやって来た。今まで話した事もない男子まで話し掛けて来て、私は少しびっくりしてしまった。
気の弱そうな感じの男の子だったので私はなるべく優しく対応していたのに、駿太がやってくるとその子は逃げる様に立ち去ってしまった。
……駿太の体格が威圧的なのが悪いのだ。
お昼休みになると、私は駿太に誘われて中庭の片隅のベンチスペースへと向かった。話したい事があるので、一緒にお昼を食べようと言われたのだ。
私はお弁当箱持参、駿太は昼休み開始と同時に買い込んで来た大量のおにぎりを携えて中庭に出た。
つい先日までのギラギラとした日差しは随分と落ち着いて、いつの間にか外でお昼を食べるにはちょうど良い陽気になっていた。
爽やかな風に吹かれ、茶色く色付き始めた中庭の草木がさらさらと揺れている姿を見ていると、もう秋なんだなと思ってしまう。
気候が良くなったので、私たちの他にも外で食事をしている生徒は沢山いた。しかしなんとか、私と駿太は庭木に囲まれた人目に付かないベンチを確保することが出来た。
2人並んで食事を始める。
最初駿太は、じっと黙ったままだった。
「はるか、大丈夫かな」
しかしいくらも食べない内に、駿太がボソリと呟いた。
駿太が私をお昼に誘ったのは、2人きりでこっそりとはるかの事について話したかったからだろう。
「わからないけど、昨日の様子からしたら大丈夫そうだけどね」
2人きりになった途端、駿太は一目でわかる程落ち着きがなくそわそわしていた。はるかの事が気になって仕方がないといった様子だ。
だから私は、駿太を落ち着かせるためにも、わざとゆっくりな口調で静かにそう告げた。
ところが駿太は、私の反応が気に入らなかったのか、少しむっとした様に眉をひそめた。
「だけど、あのアミリアさんが学校を休めっていうからには、きっと何かあるんだろ?」
「それはそうだけど」
私は真剣な顔を向けて来る駿太に対して、ふっと息を吐いて見せた。
「少し落ち着くの、駿太。アミリアさんとはるかの事情なら、なおさら私たちが騒いだところでどうしようもないでしょ」
私は駿太を横目で見ながら、その太い二の腕を手の甲でとんっと叩いた。
「だけどな、やっぱり心配って言うか……奈々子も心配じゃないのか?」
いつも穏やかな駿太にしては棘のある言い方だった。
私は、もう一度わざと大きなため息を吐いてみせる。
……私がはるかの事を心配していない訳がないじゃないか。
「……だから、学校が終わったら、お見舞いに行くから」
私は当然の事を言わせるなという様に、唇を尖らせた。
「放課後の準備とリレーの練習は、今日は欠席するって先生に言っておいたから。もちろん、私と駿太2人とも」
私は箸を動かすと、お弁当箱から玉子焼きを摘まみ上げる。そしてそれを、はむっと口の中に放り込んだ。
駿太は一瞬呆気に取られた様に目を見開き固まってしまった。その顔には、しかし直ぐに何かを納得したかの様な、理解したかのような満足そうな笑みが浮かんだ。
「ああ、ああ、そうだな、行こう!」
私を見つめたまま、力強くうんっと頷く駿太。
嬉しそうにニヤニヤとしながら、駿太が私の肩をぽんぽんと叩く。
……痛いから、やめて欲しい。
今日の放課後とリレー練習は、全体予行練習を除けば体育祭本番前の最後の準備時間だった。みんなが頑張っている手前、なかなか欠席し辛いのだけど今はそうも言っていられない。
はるかの事、心配だし……。
「……ただの風邪とかならいいんだけどね」
私はお弁当箱の中のプチトマトを箸で突きながら、ぽつりと呟いた。
先程とは打って変わって駿太は、「そうだな」と明るく返事をしてくれるが、私はどうしても昨日の夜の会話を思い出してしまう。
……はるかが、アミリアさんの課題をクリアして私たちのもとに残る、という事を諦めてしまっているのではないかという話だ。
そんなの、遼らしくない。
そんなに簡単に諦めてしまうなんて……。
それとも。
はるかは遼だったかもしれないけれど、体が変わってしまった事により、その中身も完全に変わってしまったのだろうか。本当に、女の子の久条はるかになってしまったのだろうか。
……それなら、何で私に好きだなんて告白してくれたのだろう。
私はのり玉ふりかけがまぶされたご飯を口に運んでから、ふうっとため息を吐いた。
「悪いな、奈々子。気を使ってもらって」
駿太は、私の肩をぽんっと叩くと立ち上がって大きく伸びをした。
どうやらあれだけあったおにぎりを、いつの間にかペロリと食べてしまったみたいだ。
「授業が終わったら即行帰らなければ、な。はるかの奴、きっと屋敷で暇してるだろうから、コンビニプリンでも買って行ってやるか」
駿太はそう言うと、私に向かって何だかすっきりとした様子で、にっと爽やかな笑顔を向けてきた。
いくらお見舞いに行く事になったとはいえ、少しはしゃぎすぎだと思う。
……多分駿太は、私が考え込んで暗い顔をしてしまっていたから、励まそうとしてくれているのだ。
確かにうじうじ悩んでいてもしょうがない。何か、答えが出るわけでもないのだから。
はるかの気持ちは、はるかに直接確認すればいい事なのだ。今度花結びの訓練をする時に、それとなく聞いてみるとか。
私は気持ちを切り替えるために、少しだけ目を瞑ってふっと息を吐く。そして改めて駿太を見上げた。
……まぁ、色々とそう簡単でない事はわかっているけれど。
「駿太、食べるの早すぎでしょ。それと、お見舞いに行けるからって、あまりはしゃがない事」
1日の時間割の最後、ホームルームが終わると、クラスのみんなはそれぞれ部活や体育祭の準備に取り掛かる。廊下や教室が、今日も1日が終わったのだという開放感からにわかに賑やかになる。
当番が面倒そうに箒を取り出し掃除を始める中、私はさっと帰る準備を始めた。
莉乃や明穂には、ちょっと用事があって帰るとだけ説明し、はるかのお見舞いについては話していなかった。
私と駿太がはるかの家に行くのだと知れば、莉乃たちは間違いなく自分たちも一緒に行くと言い出すだろう。
もちろんその申し出はありがたいし、はるかも喜ぶだろうけど、アミリアさんの秘密の庭にみんなを連れて行く訳にはいかないのだ。
アミリアさんやはるかの事情は、私たちだけの秘密なのだし……。
莉乃に用事ってなんだよぉっとぶーぶー言われながらも私が帰る準備を整えていると、こちらもカバンを手にして帰る態勢万全の駿太が現れた。
「奈々子」
「うん」
私は莉乃や明穂に声を掛けて帰りの挨拶をしてから、廊下に出た。
ちらりと振り返ると、明穂が目を爛々と輝かせてこっちを見ていた。また私と駿太でよからぬ妄想をしているのだろう。莉乃も不満そうな表情で何か言いたげにしている。
私は、苦笑を浮かべて2人に手を振っておいた。
多分明日は、色々と厳しく追及されてしまうだろう……。
私と駿太は、学校を出ると駅近のコンビニで差し入れを買い、バスで日置山の麓の住宅地へと向かった。
急いで学校を出て来たので時間はまだ早い筈なのに、目的の住宅街に着いた時には既に陽が傾き始めていた。
周囲には、既に黄昏時の少し烟った様な空気が漂っている。
どれも同じ様に見えて少しだけ形の違う建て売りの家々。その間の広い道路を、夕飯の買い物か、両手にスーパーのレジ袋を携えたおばさん達が行き来している。さらにその周りを、私たちよりもずっと早く家に帰って既に十分遊びまわった感じのする小学生くらいの子供たちが、賑やかに走っていた。
私は、胸元をそっと押さえた。
リボンタイを締めた制服の下には、アミリアさんから貰ったペンダントを隠してある。
制服越しにそれにそっと触れて、アミリアさんの秘密の庭へと続く入り口を確認する。
ちらりと隣を窺うと、駿太が制服の内側に着込んだTシャツの下から、やはりアミリアさんのペンダントを取り出しているところだった。
私がプレゼントしてあげたエクステンションチェーンのおかげで、駿太も問題なくそのペンダントを身に付けられている。
ペンダントに触れていると、不思議と向かわなければならない方向がわかる。
私たちは、住宅街の奥へ奥へと歩みを進めた。
秘密の庭へ繋がる今日の入り口は、住宅街の1番端、家々が並ぶ土地と人の手が入っていない雑木林の境にあった。
この先に家はなく人気もなく、舗装された道も終わってしまっている。
その道の脇に、こっそりとお馴染みの鉄柵と裏木戸があった。
私と駿太は、キッと軋むその戸を押し開いて秘密の庭へと足を踏み入れた。
葉が茶色や黄色や赤に染まり始めた蔦のアーチの先。
夕景の中に佇む秘密の庭は、黄金色に輝いていた。
森の向こうに落ち行く陽の光が、手入れの行き届いた庭木や生垣、石畳の小径や石造りの東屋、そしてその奥に見えるお屋敷を最後の力で照らし出している。
木々の間から斜めに落ちる木漏れ日も金色。
夜が濃くなり始めた秋晴れの空は、透き通る様な群青。
そして、石畳に落ちる私と駿太の長く伸びた影は黒。
幻想的で、でも遠い思い出の中の夕景みたいにどこか懐かしい空気をまとっているそんな光景に、私は思わず見惚れてしまった。
「奈々子、行くぞ」
立ち止まってしまっていた私を置いて少し先まで進んだ駿太が、こちらを振り返る。
「あ、うん」
私は、小走りに駿太を追い掛けた。
爽やかな微風が吹き抜ける中、石畳の道を進む私たちは、アミリアさんのお屋敷に入る前にはるかを見つけた。
そこで私は、もう一度はっと息を呑んでしまう。
はるかは、お屋敷のテラスではなく、その前の芝生に置かれた日除けの白いパラソルの下にいた。
パラソルの下、丸テーブルを前にして白色の椅子に腰掛けたはるかは、すっと背筋を伸ばして分厚い本に視線を落としていた。
アイボリーのロングスカート姿に白基調のカーディガンを羽織ったはるかは、いつもよりもずっと大人びて見える。
斜めに差し込む夕日が、その体のラインを金色に輝かせていた。
じっと見入っていると、時たまはるかの細い指がすっとページをめくり、はらりとこぼれ落ちてくる錦糸の様な黒髪を耳に掛ける。
私がその場で立ち尽くしてしまったのは、はるかのその姿がとても絵になっていたから、というだけの理由ではない。
はるかが、本物の深窓のご令嬢みたいに見えたからだ。
その姿を見て、私にははるかがはるかそのものに見えてしまった。
はるかと一緒にいると話していると確かに感じる事の出来る宮下遼の存在が、そこには全く感じる事が出来なかった。だから私は、まるで鋭い物を胸に突き立てられてしまったかの様に、息を呑んで固まってしまったのだ。
遼は、はるかになってしまったから。
だから、遼としてはもう私たちと一緒にいられない……。
駿太が話していた事、はるかが思っているかもしれない事が、段々と真実味を帯びながら私の中に広がっていく。
胸が痛くて息苦しくなって来て、私は助けを求めるみたいに隣の駿太を見た。
駿太も、はるかの姿にじっと見入っていた。
しかしその横顔に浮かんでいるのは、私みたいに不安や恐れの表情ではない。
はるかに対する憧れとか特に体調不良でもなさそうな事に対する喜びとか、そういったキラキラした感情だった。
……たぶん。
私は、僅かに眉をひそめる。
駿太は、自分でも言っていたみたいに、今のはるかを認めているのだと思う。
それに対して、私が見ているのはあくまでも遼であったはるかなのだ。
私と駿太が見ているはるかは違う。
不意に、そんな考えが脳裏を過った。
どちらが正しいのか。
そんな事はわからない。
わからないんだけれど……。
私たちが固まったまま呆然としていると、ふとはるかが本から顔を上げた。そしてこちらの気配でも察したのか、そのまま私たちの方へと顔を向ける。
はるかが、一瞬驚いた様に目を見開いた次の瞬間。
それまでのお淑やかなお嬢さま然とした澄まし顔だったその面に、まるで宝物を見つけた子供みたいな笑顔が弾けた。
「ナナ、駿太!」
パタンと本を閉じたはるかが、勢い良く立ち上がる。
ふわりとその長い髪が宙を舞う。
「何だよ、どうしたんだ、突然!」
嬉しそうに笑顔を浮かべながら、スカートを揺らしてはるかが駆け寄って来る。
その無邪気な表情は、顔形は違っても私とずっと一緒に過ごして来た遼の姿を思い起こさせるものだった。
……いつも通りのはるかだ。
私は、何となくそんな当たり前の事を思ってほっとしてしまった。
「何だよって、お見舞いに来て上げたんでしょ。アミリアさんから、急に学校を休ませるって言われたから」
何だか安堵して笑顔になってしまうのをはるかに見られるのは癪だったので、私はキッと表情を引き締めた。
「そうなんだ。お前、大丈夫なのか、はるか」
駿太は心配そうな声を上げながら、私たちの前で立ち止まった笑顔のはるかに、一歩近付いた。
はるかは、駿太を見上げてうんっと頷いた。
「それがさ、俺的には特に何も無いんだよな。アミリアさんからは、体調が悪そうだから、ナナたちに学校休むって伝えたって言われたけど……」
はるかは、うーむと唸りながら小さく首を傾げた。
「でも何にせよ、来てくれて良かった! 話したい事もあったんだ!」
はるかは、指先だけを付ける様に胸の前で手を合わせた。そして再びぱっと笑顔を浮かべる。
「お茶の準備してくるからさ、ゆっくりしていけるんだろ? 何なら泊まって行けよ、前みたいにさ!」
にこにこしながらそう言うと、はるかは私たちの答えも聞かずにふわりとスカートを広げて踵を返した。そして小走りに、お屋敷の中へと消えて行く。
たぶん、お茶の準備をしに行ってくれたのだろう。
体調不良で学校を休んだ者にお茶の準備をさせるなんて、いささか後ろめたかったけれど……。
でも、特に具合が悪そうでもなくて、取りあえずは一安心だ。
私は隣の駿太に目を向ける。
駿太も私を見る。
私たちははるかの様子に苦笑を浮かべながら、お互ふっと息を吐いた。
アミリアさんの秘密の庭にも本格的な秋が迫って来たからだろう、先程まで黄金の夕景だった周囲はあっという間に薄闇に閉ざされてしまった。
私たちは芝生の上のテーブルからテラスに続く屋内の広間に席を移し、はるかの用意してくれた紅茶と駿太が買ってくれたコンビニプリンを囲んでいた。
淡い灯が照らし出すホールは壁も床もピカピカに磨き上げられていて、アンティークな雰囲気のテーブルが沢山並んでいた。
豪華な内装と規則正しく並んだテーブルたちのおかげで、まるで高級レストランにいる様な気分になってしまう。
もっともその席を占領しているんのは、私たちだけだったけれど。
アミリアさんとはるか、それに姿の見たことのない使用人さんしかいないらしいこのお屋敷に、どうしてこんな広間と沢山のテーブルが必要なのだろうと思ってしまう。
パーティでも催されるのだろうか。
それとも、境界の管理者だとか人形師の人形だとかいう仕事には、必要なものなのだろうか。
落ち着かなくて私は少し居心地が悪い感じがするのだけれど、はるかは特に気にした様子もなく駿太にもらったプリンを食べていた。
一口一口、愛おしそうに。
幸せを噛み締める様に。
その姿はもはや遼ではなく、只のスイーツを楽しんでいる女子だ。
何故か私の分もあったプリンを、こちらもひと掬いして口に運ぶ。
……確かに美味しい。
幸せな気分になるのがわかる。スイーツには、こういう魔力があるから侮れない。
私とはるかがプリンを食べている隣で、しかし駿太はにこにことしながら紅茶を飲んでいるだけだった。
「駿太、自分のは買って来なかったの?」
私はスプーンを止めて駿太に尋ねる。
駿太も甘い物は嫌いではなかった筈だ。私たちばかり食べていて、なんだか少し申し訳ない。
「ああ、まぁな。俺は、お前たちが美味そうに食ってるのを見てるだけで腹いっぱいだ」
そう言うと、駿太はにっと悪戯っぽく微笑んだ。
私は、むっと眉をひそめる。
駿太がこういうふざけた冗談を言うなんて珍しい。
食べている姿をじっと見られるのは、さすがに駿太が相手でも少し恥ずかしいのだけれど……。
「気をつけろ、ナナ。こいつ、本気だぞ。ナナが喜んでいるのを見て喜んでいる変態だからな!」
早くもプリンを食べ終わったはるかが、悪い笑みを浮かべて駿太に流し目を送った。
「ば、馬鹿な事いうなよ」
駿太は恥ずかそうに顔をしかめて、ふんっと明後日の方向を向いてしまった。
私はスプーンを動かしながら、目を細めてはるかを見た。
今の場合……。
「駿太が変態なら、気をつけなければならないのはあなたでしょ、はるか」
にやりと笑いたいのを堪えて、私は澄まし顔ではるかと駿太を交互に見た。
「ん、俺?」
「な、奈々子!」
私の言葉の意味がわかっていないはるかは、疑問符を浮かべて首を傾げる。駿太は動揺した様に、声を上擦らせていた。
「それよりもはるか。どうして学校を休む事になったの?」
いつまでも馬鹿話をしている訳にはいかない。
私はこほんと咳ばらいをしてから、話題を変えた。
お見舞いに来たのだから、はるかが学校を休む事になった理由を聞かなければ。
「外にいたけど、寝てなくて大丈夫なの?」
私は探る様に真っ直ぐはるかを見据えた。
こういう場合、昔から遼はあまり自分の事をつまびらかにしない。大丈夫だよと誤魔化してしまうのだ。
「うーん、大丈夫だよ。さっきも言ったけど、本当になんとも無いんだよな」
はるかは、しかし誤魔化しているというよりも自分でも本当によくわからないという様子だった。
「アミリア先生からは、この秘密の庭から出てはいけないって言われているだけなんだ。ここにいる分には、何をしてても良いって」
はるかは、何かを思い出す様に僅かに視線を上げた。
「確かに最近は眠い事が多くて、少し疲れが溜まってるのかなとは思っていたけど……。学校を休む程じゃないと思うんだよな」
不満そうに唇を尖らせて首を傾げるはるか。
「でも、この体の事を1番知っているのはアミリア先生だし、まぁ、大人しく言われた通りにするしかないよな。あー、学校に行ける貴重な1日が無駄になったよなー」
はるかは、目を瞑り首を左右に振る。しかし直ぐにぱちりとその大きな目を開くと、ふわりと笑顔を浮かべて私たちを見た。
「でも、ナナと駿太が来てくれて良かったよ。相談したい事もあったし!」
「……さっきも言ってたけど、どうしたの?」
私ははるかに話を続ける様に促しながら、心の中ではアミリアさんとも話をすべきかなと考えていた。
もちろん、はるかの外出禁止についての話だ。
あのアミリアさんが、私にもすんなりと理解出来る理由を簡単に教えてくれるとは思えないけれど……。
「えっと、その事なんだが……」
はるかが、すっと声を低くした。
私も駿太もその真剣な様子に、表情を引き締めてはるかに注目する。
「最近、越境者、あの日置山の怪鳥とか夏祭りの時の馬みたいなのが、頻繁に現れているらしい。昨日も俺が寝てる間にアミリア先生が捕縛に出て、実は今もまた先生は仕事に行ってるんだ」
はるかは、そこで何かを思い出した様にはっとした。
「あ、駿太。昨日は運んでくれてありがとな。ナナも」
はるかが笑顔を浮かべてキョロキョロと私たちを見た。
駿太は、おうっと答えながら僅かに顔を赤くした。どうやら、はるかをおんぶした時の事を思い出しているみたいだ。
「あ、話は戻るんだが」
はるかは、小さく咳払いをした。
「先生は昨日も越境者を捕縛して送還したらしいんだが、どうやらそれは事前に探知したのとは別の目標だったみたいなんだ。アミリア先生が感じたのは、捕まえたのよりももっと別の、かなり強い気配だったらしい」
はるかは、そこで一旦言葉を切った。
「……もしかしてその気配は、あの日置山の怪鳥かそれに並ぶほど厄介な相手だって言ってた」
私は、ギクリとして身を強張らせる。日置山の怪鳥の話題に、胸がドキリとしてしまう。
駿太も、ギリっと歯を噛み締めて厳しい表情をしていた。
去年の5月。
日置山であの怪鳥に遭遇した私たちは、遼を失ってしまった。
怪鳥に食べられたその遼を救ってくれたのがアミリアさんなのだけど、その際アミリアさんは遼を助け出すのに手一杯で怪鳥には逃げらてしまったらしい。
「あの時アミリア先生が深傷を与えたから今まで沈黙してたみたいだけど、そろそろ活動を再開するかもしれないんだ。異世界の存在は、この世界のものを取り込まないと生きていけないみたいだから、元の世界に送還しない限りは、いつかはまた活動を始めてこの世界のものを襲うって……」
はるかは、そこで視線を落として眉をひそめた。
あの怪鳥の事を思い出すのが、はるかにとって、遼にとって辛くない訳がない。さらに遼の性格なら、自分と同じような被害が発生してしまうかもしれないのに、それを防げないのも辛くして仕方がない筈だ。
私は、思わずはるかをぎゅっと抱き締めてあげたい衝動に駆られる。
しかし私が動くよりも早く、はるかはキッと顔を上げた。
「……俺は、日置山の怪鳥を捕まえてもらうために、アミリア先生に協力しようと思う。もう、俺たちみたいな目に遭う人が出ないために」
はるかは、強い光が宿った鋭い目で私たちを見た。
……遼なら、やっぱりそう思うか。
「今の俺なんかに何が出来るかはわからないけど、外出の許可が出たら、まずは怪鳥の情報を集めたいと思うんだ。俺たちの時も、怪鳥が出たって結構噂になってたし」
確かに、出現場所が絞り込めればアミリアさんの活動にも役立つかもしれない。
「だから、俺が学校に行くまで、ナナや駿太にも協力してもらいたいんだ。色々と噂とかを集めて欲しい。お願いしても……いいか?」
少し後ろめたそうに僅かに視線を逸らし、しかし再びこちらを見て問い掛けて来るはるか。
多分、私たちを怪鳥絡みの騒ぎに巻き込むのを躊躇っているのだろう。
何をいまさら、だ。
はるかが立ち向かおうとしているのに、私と駿太が逃げる訳にはいかない。
「任せて。だからはるかは、早く学校に来れる様にアミリアさんの言う事を聞かなくちゃだめだからね」
私はふっと微笑むと、力を込めて頷いた。
「はるか。俺がきっと守ってやるからな」
駿太も、はるかをじっと見据えながら力強く頷いた。
はるかは僅かに目を大きくして、私と駿太を交互に見た。
そして僅かな沈黙の後。
「……うん、よろしく」
はるかはそう告げると、ふわりと微笑んだ。
少し安堵した様に。嬉しそうに。しかし同時に、強い意志の力を滲ませて。
私たちは顔を付き合わせて越境者の情報収集という新しい目的の為の作戦会議を始める。
窓の外では、長い秋の夜が静かに始まっていた。




