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第18話 突っ走る彼と彼女

 夏休みが終わってしまった。

 ついこの前始まったばかりで、まだまだ続くと思っていた夏休みは、気が付くともう過ぎ去った後だった。

 相変わらず暑い日が続いているのに、カレンダーが1枚変わっただけで毎日学校に行かなければならないというのは理不尽ではないだろうか。

 別に何をするでもなく過ごしていた夏休みだったけど、毎日決まった時間に決められた様に動かなければならない学校生活が始まってしまうと、自由って貴重だったんだなとしみじみと思ってしまう。

 もっとも夏休みの終わりには毎年そんな事を考えてしまうのだけれど、今年もこうして私の二学期は始まったのだ。

 夏休みは、海や、あの夏祭りの夜以降、特に何かがあった訳ではなかった。

 私は毎日の様にはるかや駿太と集まって、宿題とはるかの花結びを操る練習に付き合っていただけだ。

 けれど、アミリアさんのあの課題については、今のところ全く進展がなかった。

 それに加えて駿太のあの爆弾発言のおかげで、夏休み後半は、何だかずっともやもやしっぱなしだった。

 ……その、私の事を好きだと口走った上に、中身は遼であるところのはるかが気になると明かした駿太は、表面上はいたって平然としていた。

 何だか色々気にしている私が、馬鹿に思えて来る程に……。

 でも、私は気が付いていた。

 駿太がいつもはるかを目で追い掛けている事を。

 未だに遼の時の感覚で距離を詰めて来るはるかに、ドギマギしているという事を。

 ……まったく。

 ホームルームが開かれている教室で、私は教壇の上で一生懸命に話をしているクラス委員長から視線を外すと、微かに蝉の声が響いて来る外の世界へと目を向けた。

 そして、ふっと溜息を吐く。

 駿太とはるかは、最初の頃私が勘違いしてたみたいに、外見上はお似合いの2人ではある。

 でも、はるかは、私の事を好きだと言ってくれた。

 つまり、中身はまだ遼なのだ。

 そこのところを、駿太はわかっているのだろうか。

 私は、むうっと唇を尖らせる。

 ……まぁわかっているから、駿太は私に相談しに来るのだと思うけど。

 駿太も色々悩んでいるんだと思う。でも、私にもどうしたらいいのかなんてわからないのだ。はるかの事、どんな風に見たらいいのか……。

 そんな混沌とした状況にある私たちを、時間の流れと学校行事は待ってくれない。

 今ホームルームの議題に上っているのは、体育祭の参加種目や大会役員の選出などについてだった。

 二学期も始まって間も無いのだけれど、私たちの秋陽台高校ではもう直ぐ体育祭が開催される。そしてそれが終われば中間テストを挟んで文化祭があり、その次にはもうクリスマスが見えてくる。

 この前高校に入学したばかりだと思っていたのに、月日が経つのはなんて早いんだろうと思ってしまう。

 ……そう、時間が経つのはあっという間なのだ。

 はるかに残された1年というタイムリミットは、もう半分しか残っていない。

 あまり他の事でうじうじと悩んでいる暇なんてないんだけれど……。

 私は体育祭の話し合いを聞き流しながら口元を覆う様に頬杖を突くと、ギラギラとした夏の終わりの日差しが照り付ける窓の外を見つめる。

 結局体育祭の実行委員会は、体育の得意なというイメージだけで選ばれた男子と、誰もやらないなら私がと手を上げてくれた生真面目な女子が選出された。

「では、最後の議題に移ります。体育祭最後の競技である男女混合クラス対抗リレーのメンバーを決めたいと思います」

 委員長が、これまで司会進行を務めて来て疲れたのだろうか、張りのない声で宣言した。

「男女比に指定はないけれど、必ず男子と女子両方をメンバーに入れなければならない決まりです。定員は5人です。どなたか立候補する人はいませんか?」

 委員長がクラスのみんなを見渡すが、立候補する者はいない。

 当然だと思う。

 リレーなんて疲れるもの、進んでやりたがる人はいないだろう。

 このまま多分、クラスで足の速い人にという話になるのかなとぼんやりと考えていると、はいっと元気よく莉乃が手を上げた。

 莉乃、立候補するの……?

「はい! やっぱりうちのクラスの女子だと、久条さんがいいと思います!」

 元気よく響き渡る莉乃の声。

 私は、肩を落としてはぁっと大きく溜息を吐いた。

 ……まぁ、そんな事だろうと思った。

 クラスのみんなから、次々に同意の意見が上がる。

 はるかはいつも、種目を選ばず、体育の時間は大活躍していた。クラスの中には、久条さんはスポーツ万能という印象が出来上がってしまっている。

 クラス1番の女子となれば、はるかの名前が上がるのも時間の問題だとは思っていたけれど……。

 ……莉乃め、余計な事を。

 周囲から押し寄せる期待の声と眼差しに、はるかは困った様に笑っていた。

 こうなっては、断れないだろう。

 近くの席の女子に促されて、はるかが立ち上がる。

 私が束ねてあげた黒髪をふらふら揺らして、委員長に呼ばれたはるかが壇上に上がった。

 ……あーあ、決定だ。

 はるかが、捨てられた子犬みたいな目で私を見て来る。助けて欲しいアピールだ。

 私は、諦めなさいというように小さく首を振った。

「じゃあまず久条さん、と。他の女子はどうしますか? 女子メンバーは久条さんだけにしますか?」

 黒板にはるかの名前を書いた委員長が、再びみんなを見渡した。

 教室の中は、先ほどまでの静まり返った空気とは打って変わって、ざわざわと賑やかになっていた。莉乃の発言が、みんなの議論の呼び水になってしまったみたいだ。

 その中に特に加わる事もなく、私はそっと事態の推移を見守る。そして何となく再び顔を上げて、壇上にぽつんと立っているはるかを見た。

 その瞬間。

 はるかはすっと目を細め、にやりと笑った。

 む。

 ……嫌な予感がする。

 凄い、嫌な予感が……。

「はいっ!」

 教壇の上のはるかが、勢い良く手を上げた。

 クラスのみんなが、一斉にはるかに注目する。

「女子のメンバーは、あとは水町さんがいいと思います! 100メートル走だと、お……私、水町さんに負けましたから!」

 そう宣言すると、にこりと極上の笑顔を浮かべるはるか。

 何てことを……。

 思わず私は、額に手を当ててふうっと息を吐いた。

 100メートル走なんて、いつの話をしているんだ、まったく……!

 はるかの発言のせいで、クラスのあちこちから「水町さんなら」とか「水町さんも運動出来るよね」という声がちらほら上がり始める。

「水町奈々子さんなら、間違いないと思います!」

 莉乃が、すかさずはるかを援護する。

 ……こうなってしまっては、先程のはるかの時と同じだ。

 逃げられない。

 クラスの空気を無視してまで拒否出来る程私は強くないし、それに走る事自体はそれほど嫌でもない。ただ、面倒なだけで……。

 こうして私は、はるかと並んでみんなの前に立つ事になってしまった。

 余計な事をしてと文句でも言ってやろうと思ったけれど、隣で嬉しそうにしているはるかを見ていると、まぁ別にいいかなと思ってしまう。

 はるかが、楽しそうなら……。

 残りの男子メンバーは、意外とあっさりと決まってしまった。

 水町さんと久条さんが一緒ならと、それほど走るのが得意ではなさそうなメンバーまで多数の立候補者が出て来たのだ。

 まったく、男子は私たちに走らせて、自分たちは楽しようという魂胆なのだろうか。

 ともあれこうして私たちのクラスのリレーメンバーは決定してしまった。

 私たちが一旦席に着くと、ホームルームが無事終わりそうな事に安堵の表情を浮かべた委員長と、にやにやと満足そうな笑みを浮かべる担任の田邊先生が体育祭に向けての諸注意と予定を説明し始める。

 夏休みの余韻に浸る暇もなく、私たちの学校は大きな行事へと向かって動き始めた。




 お昼休み。

 教室で莉乃やはるかたちとお昼ご飯を終えた私は、みんなと一緒に学校面倒だとか夏休みが短いだとかぐちぐちと文句ばかりの実りのないお喋りを続けていた。

 扇風機の風がむわっと熱のこもった空気を掻き回す教室には、お弁当の良い匂いが漂っていた。同時に、男子の大きな笑い声と女子の軽やかな声が、放送部の流すお昼の放送を掻き消してしまうくらい賑やかに響き渡っていた。

 元気いっぱいなみんなの人いきれで、空調の冷風は完全に無効化されてしまっている。

 莉乃は常時タオルを首に巻いていたし、私もハンカチより厚手のハンドタオルを常にポケットに忍ばせていた。

 髪や制服が張り付いて汗は不快だし、あまり薄着にすると夏服は下が透けるし、夏の学校は女子にとって色々と大変なのだ。

 それでも莉乃や明穂、はるかたちと一緒にいると、その厳しい環境や不快な事も忘れてしまえるのが不思議なのだけれど。

「おっと、私はトイレねー」

 話の区切りがついたところで、莉乃が立ち上がった。

「あ、私も」

 明穂も空になったお弁当箱を手にして立ち上がる。

「私も行く」

 はるかも、続いてすくっと立ち上がった。

 綺麗な黒髪が、白い肌と制服の上でふわりと揺れる。

 どうやらはるかはあまり汗をかかないらしく、教室の中でも涼しい顔をしていた。主に秘密の庭での事だけど、結構外に出ていて日焼け止めもしてない筈なのに、はるかの肌は全く日焼けしておらず、透き通るように白かった。

「ナナは?」

 うんっと伸びをしてから、莉乃がこちらを見る。

「私はいいや。ちょっと用事があるし」

 私は莉乃を見上げて小さく首を振った。

「おう、りょーかい!」

 莉乃は特に気にした様子もなく、ニコッと微笑む。

 女子の中には、特にトイレなんかがそうだけど、一緒に行動しなければ気が済まない人たちがいる。

 私は、そういうのが苦手だった。

 昔からずっと遼と駿太の3人組だったので、女子として私は常に単独行動だった。そのせいか、私はどこか女の子の団体行動には馴染めないところがあった。

 莉乃は特にそういう事は気にしていない様なので、私としては居心地がいい。

 しかしその私と一緒に育った筈の遼が、今ははるかだけれど、女子らしく莉乃たちと仲良くトイレに向かっている姿には、何だか軽い目眩を覚えてしまう。

 最近はもう、はるかは女子トイレに入るのに躊躇いは無いみたいだった。

 俺、という言葉を使わない限り、はるかの行動に女子としての違和感は殆どない。足は閉じて座っているし、髪のセットやお化粧にも馴染んで来て、かなり自然に女の子をしていると思う。

 1人残った教室で、私はそっと溜息を吐いた。

 ……果たしてそれがいい事なのかどうか、私にはわからないけれど。

 そのまま教室で待機していると、食事を終えたのだろう駿太が、ふらりと私のもとにやって来た。

「あれ、はるかは」

 開口一番はるかを探す駿太。

「今トイレ」

 私はガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。

 駿太は、それを聞いて少しほっとした様な顔をする。はるかと一緒だと嬉しいけど緊張する、といったところだろうか。

 はるかが戻って来たら、私たちはお昼休みの残りの時間を使ってあの花結びの訓練をしようという事になっていた。

 ……はるか、忘れていないといいのだけれど。

 私は、ギロリと駿太を見る。

 駿太は少し視線を泳がせてから、はははっと苦笑を浮かべた。

 教室の中では目立つので、私たちは廊下に出る事にした。

 廊下でもあちらこちらで生徒たちが屯し、お昼休みを満喫していた。小学生かと突っ込みたくなる様に走り回っている男子なんかもいて、ガヤガヤとうるさく、私たちが何を話していてもそんなに目立たないだろうと思う。

 はるかの事以外だと、私たちの話題は自然と体育祭の事になった。

 どうやら駿太も、あちらのクラスのリレーメンバーに選ばれたみたいだ。

 駿太は、私とはるかが出場する事に少し驚いた様子だった。でも直ぐに、嬉しそうな顔をする。

 ……多分、敵同士でもはるかと一緒の種目なのが嬉しいのだろう。

 普段からあれほど一緒にいるというのに。

 私がジッと睨み付けていると、駿太は少し赤くなって慌てた様に手を振った。

「べ、別にはるかと一緒だなんて思ってないからな! 俺は、はるかも奈々子も、また3人一緒なのが嬉しいだけで……」

 うぐっと黙り込む駿太。

 ……やっぱりそんな事を考えていたのか。

 駿太の考えている事なんて、姉同然の私にはお見通しなのだ。

 私は廊下の窓の枠に背を預けて、胸の下で腕組みをする。そして、目だけで駿太を見上げた。

「気持ちの整理は……付いてないみたいね」

 駿太が笑みを消して私を見る。

「ああ」

 低い声でそう答えると、駿太は肩がぶつかりそうな近さで私の隣に並んだ。

 しばらく沈黙した後、駿太は私の方に体を倒して顔を近付けて来る。

「はるかが気になるのは、やはり間違いないと思う。俺は、あいつの力になりたい。それで、あいつと一緒にいたいと思うんだ。出来る限り、ずっと」

 周囲に聞こえる心配はないのに、限界まで声をひそめてぼそぼそと話す駿太。

 駿太がはるかの事が気になると言い出した後、私は何度か駿太と2人だけで話をした。

 はるかは遼で、その事を私より先に認めたのは駿太じゃないかという話は何度もした。

 その度に駿太は、今ははるかの事を遼そのものではなく久条はるかとして見ているのだという事、そして気になるというのは、多分恋愛感情ではなくはるかを純粋に大切に思う気持ちなのだという様な説明をしていた。

 でも駿太の話を聞けば聞くほど、その気持ちは「好き」だという事がわかる。

 恋愛沙汰に疎い私でも、わかる。

 それは、私が遼に抱いていた気持ちによくよく似ていたから……。

 何かがおかしいと思っても、しかし私には、駿太に的確なアドバイスをする事が出来なかった。

 だから学校が始まって環境が少し変わった段階で、気持ちを切り替えてもう一度冷静に自分の想いを見つめ直してみてはとだけ言っていたのだ。

 私たちはそのまま、お互い前を向いたまま沈黙する。

「奈々子は、どうなんだ?」

 しばらくして、駿太がぼそりと呟いた。

「何が?」

 私は、隣の駿太を見上げる。

「奈々子ははるかに告白されたんだろう? 奈々子とはるかだって、表面上は女同士じゃないか。その辺り、どう思ってるんだ?」

 駿太の問い掛けに、私はうっと押し黙ってしまう。

 はるかの告白については、あの後色々な事があってうやむやになってしまっている。こんな状態ではいけないと思うのだけれど、はるかが返答を求めて来ない事もあって、私は明確な答えを出せていなかった。

 あの時は、ぎゅっとはるかを抱き締めてしまったけれど……。

 確かに、私の状況も駿太と同じだ。

 ……やっぱり、私が駿太に対して偉そうに言える事なんてない、のだと思う。

「私は……」

 でも何も言わない訳にはいかないと思ったので、私は駿太の方を向いてずいっと身を乗り出した。

 そこに。

「じー」

 背後から、低い声が響いた。

 はっとして振り返ると、そこには目を細めて表情を消し、じっとこちらを見つめるはるかがいた。

「はるか!」

 私は、ドキリとして思わず肩を震わせる。

 はるかはそんな私から視線をずらすと、そのままギロリと駿太を睨み上げた。

 別に後ろめたい事なんて何もない筈なのに不意のはるかの登場に驚いたのか、駿太は顔を赤くして視線を泳がせる。

 事情を知っている私から見ても、駿太のその姿は明らかに挙動不審で怪しかった。

「駿太。そんなに密着して、ナナと何を話していたんだ?」

 はるかが不満そうにきゅっと眉をひそめる。同時に、私と駿太の間に割って入る様に、すっとこちらに体を寄せて来た。

 はるかの甘い匂いがふわりと漂って来る。

「い、いや、別に!」

 駿太がぶるぶると首を振ると、愛想笑いとも苦笑ともとれる笑みを浮かべてじりじり後退りし始めた。

 それ以上はるかの視線を正面から受け止められなかったのだろう、はははと乾いた笑いを上げながら、駿太はそのまま自分のクラスの方へと逃げ帰ってしまった。

 それをじっと見つめていたはるかが、力を抜く様にふっと軽く息を吐いた。

「……どうしたんだろう、あいつ。最近何だか余所余所しいんだよな。あんまり俺と目を合わせないし」

 私と肩を密着させて僅かに体重をこちらに預けたまま、はるかは反対側の手で後頭部の髪を撫で付けた。

 私は、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 駿太の悩みも私の悩みも、はるかが知ればどんな風に思うのだろうか。

「……駿太も、色々考えてるんだよ。その、恋愛絡みとか、色々と」

 私は、とりあえずそれだけははるかに伝えておく事にした。これくらいはいいだろうと思ったのだ。

 その私の言葉を聞いた瞬間、はるかははっとした様に目を丸くして私の顔を見た。そして駿太が消えた隣の教室の入り口をじっと見つめてから、再び私の顔をじっと見る。

 ……う。

 ちょっと近い……。

「……もしかしたら、俺が先に告白したから、あいつも」

 はるかは、何かぶつぶつと呟いている。

 えっと……。

「はるか?」

 私はそう問い掛けながら、今日のお昼休み訓練は無理かなと考えていた。




 体育祭についてのホームルームがあった翌週になると、本格的に学校全体が体育祭本番に向けて動き始めた。

 体育祭実行委員と委員長たちは放課後や昼休みを問わず頻繁に会議に出席していたし、他の生徒たちは展示パネルや会場の飾り付け案を考え、制作に取り掛かり、合わせてクラス競技なんかの練習にも従事していた。

 やっている事は中学までと然程変わらないし、始まる前は面倒だ面倒だと言っていた筈のに、いざ始まってみるとみんなノリノリだった。

 確かに、このお祭り前夜みたいな空気や非日常的な雰囲気の中にいると、胸の奥がふわふわして高揚感が高まって来る。それに、放課後遅くまでみんなと残っていると何だかんだで楽しいものなのだ。

 私やはるかは、もちろんクラスのみんなと一緒に行動すると同時に、選抜リレーの練習もしなければならなかった。

 各クラスのリレーメンバーは、クラス対抗といっても所詮は学校の催し物なので、それほどバチバチと対抗意識を燃やしている訳ではなかった。練習も大概学年合同で、戦力分析とか対策とかそんなものは無いもの同然だった。でも一応、放課後グランドに集合して各チームでバトンリレーや走り込みなどの練習を行っていた。

 私たちのクラスは、それほどやる気に満ちているという訳でもなかったけど、出席率はよかった。

 私はあまり乗り気ではなかったけど、はるかが燃えていたのでお付き合いで練習に参加していた。

 はるかを1人で放ったらかしにするわけにはいかなかったし。

 男子たちは、真面目に練習するというよりも、はるかと仲良くなりたいという魂胆が見え見えだったし。

 昼間の熱はまだ十分に残っていたけれど、微かに冷ややかさが潜んだ風が吹き抜ける放課後。

 体育祭準備期間も別に部活が中止になっている訳ではなかったので、グラウンドには吹奏楽部の調子はずれの演奏や運動部の掛け声が響き渡っていた。

 そしてその中に未だ居残りをしている生徒たちの声が混じり合い、聞こえてくる中、私はトラックの上を走っていた。

「はっ、はっ、はっ!」

 曲線を描く白線の向こうには、微かに茜に染まり始めた空とそれを背にした次の走者。そして、こちらに歓声を送る待機組のリレーメンバーたちの姿が見える。

 私は、ぐっと重心をトラックの内側に傾けて加速する。

「ナナ!」

 次走のはるかが、すっと手を上げて叫ぶ。

 ……まったく、練習なのにこんな真面目に走るなんて私も馬鹿だ。

 ラストスパートを掛ける。

「はるか!」

「よし!」

 はるかが、気合の入った凛々しい表情で私を見つめる。

 バトンを手渡す。

 その途端。

 はるかが、風の様に一気に加速した。

 クラスの男子から、おおっと歓声が上がった。他のクラスの人たちも、はるかに注目している。

 私は減速してはあっと大きく息を吐きながら、はるかの背中を見送った。

 はるかの走り方は、純粋に綺麗だった。

 長い足を繰り出し、黒髪をなびかせてグングン加速するその姿は、見ていて何だかこちらが爽快な気分になって来る。

 走るはるかの姿に見惚れているメンバーの中には、駿太の姿もあった。

 私は腰に手を当てて息を整えながら、グラウンド脇の芝生へと向かった。そしてそこに投げてあった自分の荷物の中からタオルを取り出し、汗を拭う。

 洗剤の匂いが微かに香る柔らかなタオルの感触が心地いい。

 運動するのは嫌いではなかったけれど、やはりまだまだ残暑が厳しい季節だ。少し体を動かすと、汗が止まらなくなってしまう。

 私はタオルをしまってから、ストレッチをする。多分、もう一回か二回は走らなければならないだろう。

 深呼吸しながらぐいぐいとアキレス腱を伸ばしていると、駿太がこちらにやって来た。

「お疲れ」

「うん」

 短いやり取りの後、私たちは何となく練習や体育祭の話をする。

 駿太も遼には及ばないかもしれないが、足が速い。多分、うちのクラスの男子では太刀打ち出来ないだろう。

 その分、女子では私とはるかのコンビの方が優っているけれど。

 グランドの反対側で走り終わったはるかに目をやりながら談笑する私たちの元に、校舎の方から一年女子体育担当の斎藤先生が現れた。

「おっ、ちょうどい所に水町と山内がいる。悪いけど、ちょっと職員室に行ってくれない? 先生たちからの差し入れがあるかさっ」

 日に焼けた顔に子供っぽい笑みを浮かべる斎藤先生。ショートカットなので、先生というよりも何だか在学生に思えてしまう。

 なんで私たちがと思わないでもないけれど、先生の頼みならまあいいかっと思えてしまう人懐っこさが斎藤先生にはあった。

 私と駿太は顔を見合わせてから、斎藤先生にわかりましたーと返事をする。そして、2人で並んで職員室へと向かった。

 西日が射し込む職員室には、担任の田邊先生が待っていた。他の先生方は部活の指導にでも行っているのか、姿は見えなかった。

 田邊先生は、汗で張り付いた私の髪を見てにっと笑った。

「お、やってるな。頑張っている様で、大変よろしい」

 冗談交じりにそう告げた田邊先生は、職員室奥の倉庫からクーラーボックスを2つ、私たちの前に持って来た。

「まだまだ暑いからな。水分補給はしっかりな。これ、山内のクラスの分もあるから、みんなで飲め」

 クーラーボックスの中身はスポーツドリンクだった。氷もたっぷりと入っていて、キンキンに冷えているみたいだ。

 先生たちから差し入れがあるなんて、なんか凄いなと思ってしまう。先生たちも生徒と一緒になって体育祭に備えているみたいで、少し好感度がアップだ。

 私と駿太は揃って頭を下げてお礼を言うと、それぞれクーラーボックスを肩に掛けた。

 それほど本数は入っていないと思うのだけれど、クーラーボックスはずっしりと重たかった。氷だとかのせいだろうか、肩紐が少し食い込んで痛い。

 職員室を出た後、廊下で私がんしょとクーラーボックスを担ぎ直していると、駿太が突然肩に手を回して来た。

「俺が持つよ」

 駿太は当然の事の様にそう言うと、その太い腕で軽々とクーラーボックスを持ち上げた。

 その時。

 私は、ふと視線を感じる。

 ん?

 さっと周囲を見回す。

「あ」

 その気配のもとを発見した瞬間、思わず私はびくりと肩を竦ませてしまった。

 廊下の脇、中庭を抜けてグランドに向かう出入口の柱の陰から、はるかがじっとこちらを見ていたのだ。

 柱に体を隠しながら顔だけを出して、半眼で駿太の方を睨み付ける様に。

「えっと、はるか?」

 私が声を掛けると、発見されて隠れるのを諦めたのか、腰の後ろで手を組んだはるかが姿を現した。そして、むうっとした表情のままですたすたとこちらにやって来る。

 はるかは、駿太の前に立ちはだかる。

 走り終えたばかりのはるかは、白い肌がほんのりと上気していた。ろくに拭っていないのか、慌てて走って来たのか、まだじんわりと汗を滲ませている。

 両肩にクーラーボックスを掛けた駿太が、体を強張らせるのがわかった。何だかいつも以上に緊張してしまっている様だ。

 それでも後退らずにその場に止まったのは、必死に平静を装おうとする努力の結果だろう。

「駿太」

 はるかが、上目遣いに駿太を睨み上げる。

 その距離の近さに、駿太がいよいよ真っ赤になり始める。

「俺がナナに告白する時、俺に先を譲ってくれたのも、背中を押してくれたのにも感謝はしている。でも俺は、駿太もナナを大切に思っているのも知っているんだ」

 ……は?

 何だか話がおかしな方向に向き始めた……?

「でもだからと言って、俺のいないところでこっそりナナの肩に手を回そうとか、そういうのはダメだと思うんだ」

 ……は?

 さっきのクーラーボックスの受け渡しの事を言っているのだろうか……?

 はるかの隠れていたところからでは、職員室側に立つ私のクーラーボックスが見えなかったのかもしれないけど……。

 私の隣で、駿太も唖然として固まっていた。やはり話の展開についていけていないのか、むうっと膨れて迫ってくるはるかに対処しきれなくてフリーズしているのかはわからないけれど。

「だから、正々堂々と勝負だ、駿太! 体育祭のリレーで勝った方がナナにデートしてもらう。どうだ?」

 ふんっと勢い良くまくし立てるはるか。

 えっと、これは……。

 私は、駿太とはるかの顔を交互に見る。

 近距離で睨み合う2人は、第三者から見れば痴話喧嘩をしている様に思われてしまうかもしれない。

 駿太は、顔を赤くしながら真っ直ぐにはるかの事を見下ろしていた。その顔には、しかし先ほどまでの動揺して呆けた様な様子はなく、必死に何かを考えている、葛藤している様な表情が浮かんでいた。

「……わかった」

 わずかな間の後、駿太が静かに答える。

 え。

 はるかの提案を、受け入れる……?

 私は、思わず駿太の顔を凝視してしまう。

「俺が勝ったら、はるか。俺の話をきちんと聞いてくれるか」

 これまでの動揺が嘘の様に、キッと引き締まった真面目な表情で真っ直ぐにはるかを見つめる駿太。

 あ。

 そこで私はわかってしまう。

 真剣そのものの駿太の表情。それは、覚悟を決めた顔だ。

 まさか駿太、はるかを好きになった事、告白するつもりなのでは……。

「うん、わかった。どんな結果になっても、恨みっこなしだからな!」

 はるかは、厳しい表情から一転してふんっと不敵に微笑んだ。

 そんな2人の間で、私は大きく溜息を吐いてがくりと肩を落とした。

 凄いデジャヴを覚える。

 昔からこの2人はこうなのだ。一度火が付くと、私の事なんてお構いなしに突っ走って……。

 私たちの関係は今まさに大きく変わろうとしているのに、そういうところだけは変わらないんだから。

 まったく、花結びの、アミリアさんの弟子になる訓練はいったいどうするつもりなのだろう……?

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