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第16話 夏祭りの夜

 淡く赤く輝く提灯の列と煌びやかなライトに照らし出された出店の列が、参道の奥の石段までずっと続いていた。

 その間を縫うようにして、浴衣の女の人や家族連れ、そして子供たちが所狭しと溢れている光景は、普段の人気のない神社とは大違いだ。

 人々の笑い声とスピーカーから聞こえてくる祭囃子が、賑やかに響き渡っている。同時に、焼きそばやたこ焼きの香りにりんご飴や綿菓子の甘い匂いも漂って来て、お祭りなんだという高揚感がだんだんと湧き上がって来る。

 むんっとした熱気が漂う夏の日の夕時。

 今日はこれから、夏祭りと花火大会という特別な時間が始まるのだ。

「よーし、クジの景品は私が独り占めだっ!」

 ピンク色の浴衣に大きな花の髪飾りを付けた莉乃が、目を輝かせて出店の列を見据えていた。さながらその様子は、狩りに向かう子猫の様だ。

「屋台の食べ物って、高いのについつい買っちゃうよね」

 明穂は、私に向かってのほほんと微笑み掛けて来る。明穂も、白と淡いピンクの浴衣姿だった。

「気を抜いてると迷子になるよ、明穂」

 その明穂にクールに注意しているのは、金井さんだ。

 金井さんは、黒のTシャツにベージュのズボンというラフな格好だった。

 実は、女性陣の中で普段着なのは私と金井さんだけだった。その事で先程まで、私は莉乃に散々文句を言われていたのだ。

 夏を満喫するには、それに相応しい格好というものがある……というのが莉乃の主張らしい。

 そんな私とは対照的に、紺の浴衣に身を包んだはるかは、莉乃から大絶賛を受けていた。

 褒められたはるかは、私に対して勝ち誇った様なドヤ顔を向けて来た。

 どうやらはるかは、私も一緒に浴衣になると思わせておいて1人だけ着替えさせた事をまだ根に持っているみたいだった。

 私が目を細めて見返すだけで特にリアクションを取らないでいると、むうっと膨れっ面になっていたけれど……。

 和装の駿太も、莉乃に褒められていた。莉乃だけでなくはるかからも褒められて、駿太も満更ではない様子だった。

 私が冷やかしの意味を込めてじっと視線を送ると、こちらに気が付いた駿太は、はっと姿勢と表情を引き締めてなんでもない様な顔をする。

 その様子がおかしくて、私は思わずふっと笑ってしまった。

 駿太とそんなやり取りをしていると、何故かさらにうぐぐぐっと機嫌を悪くしたはるかが、どんっと体をぶつける様に私にくっ付いて来た。

 暑苦しいから、やめてもらいたいのだけれど。

 ……それにはるかの姿をしているけれど、こうして隣に並んでいるのが遼だと思うと、ドキドキが止まらなくなってしまうし。

「やあ、待たせたね、みんな」

 そんな感じで神社の鳥居の外、細い通りにたむろしている私たちのもとに、今日一緒にお祭りを回るメンバーである中崎くんがやって来た。

 中崎くんが最後で、これで全員揃った事になる。

 しかしそんな事より、ポロシャツにジーンズという休日のお父さんみたいな格好をした中崎くんを見て、私も含めてみんな一緒固まってしまった。

 ひょろっと背が高く、眼鏡を掛けたお父さんみたいな容姿の中崎くんは、幼稚園か小学校1年生くらいの女の子の手を引いていた。

 その女の子も、可愛らしい浴衣を着ていた。

「娘! その子、中崎くんの娘?」

 みんなが思ったであろう事を、莉乃が代表して口にする。

 落ち着いた、悪く言えばおじさんっぽい中崎くんが小さな女の子を連れている図は、お父さんが娘と一緒にいる様にしか見えない。

「妹だよ」

 中崎くんは、はははっと苦笑を浮かべた。

「真理亜っていうんだけど、お祭りに行きたいっていうから……。一緒に行っても大丈夫かな?」

 後頭部を掻きながらみんなを見回す中崎くん。

 まぁ、問題ないだろう。

 私はこくりと頷いて、今日の言い出しっぺである莉乃を見た。

 莉乃も、うんっと頷く。そして小走りに真理亜ちゃんに駆け寄ると、膝を折って視線を低くした。

「よろしくね、真理亜ちゃん!」

 そして真理亜ちゃんに向かってにこっと微笑みかける。

 私や明穂も順番に、よろしくと挨拶した。

 真理亜ちゃんは物怖じしない性格なのか、私たちを見上げてにこりと笑うと、うんっと元気よく頷いてくれた。

 ちなみに私たちが真理亜ちゃんに挨拶している間、駿太とはるかはふらふらと所在なさげにうろついているだけだった。

 少し緊張した表情から察するに、どうやら真理亜ちゃんに対する接し方がわからないみたいだ。

 うちの男どもは、まったくもう……。

 あ、約1名は、元男だけど。

「よし、じゃあみんな揃った事だし、お祭り会場に突入しますか!」

 改めてみんなに向き直り、さっと足を開いて仁王立ちになった莉乃が高らかに宣言する。

「そうだね。行きますか」

 私はふっと息を吐きながら、改めてお祭り会場である神社へと目を向けた。

「もう、ナナは何でそんなにクールなのよ!」

「でもそれが奈々子ちゃんのカッコイイところだよねー」

 莉乃と明穂がそれぞれ好き勝手言っているが、いつもの事なのでいちいちツッコミは入れない。

 集合したのが夕方だったので、なんだかんだとしている内に既に陽が落ちてしまっていた。

 夕陽の名残は、神社の裏山の向こう、西の空に微かに残る茜色だけだ。大木が並ぶ周囲の森は、既に大部分が深い闇に飲み込まれてしまっていた。

 お祭りの華やかな空気が及ぶのは参道の周囲、一部だけで、他はいつも通りの静かな夜が始まろうとしている。

 その暗闇を見ていると、何だか不安になってしまう。

 一年前の日置山の事を思い出してしまって……。

「じゃあ、行こう!」

「中崎くん、真理亜ちゃんをちゃんと見てなくちゃダメだよ」

 莉乃が歩き出し、金井さんがそれに続く中崎くんに注意する。

 みんなが出店の列に向かう中、はるかは1人立ち止まって遠く神社の裏山の方へと視線を向けていた。

 はるかは、無表情だった。

 まるで、アミリアさんみたいな……。

 胸がトクンと震える。

 ここに来る前、駿太の家の前でもはるかは厳しい表情をしていた。

 何だか嫌な予感がする。

 胸の奥がざわざわする。

 私がはるかと呼び掛けようとした瞬間。

 ふっとこちを見たはるかが、ふわりと微笑んだ。

「あー、ぼうっとしてたら置いていかれるな。行こう、ナナ!」

 はるかは何事もなかった様に、僅かに首を傾げる。そして、少し恥ずかしそうにしてから、私に向かってすっと手を差し出した。

 艶やかな黒髪が、その動きに合わせてはらりと揺れる。

 私は嫌な予感の事を口にしようとして、でもやめた。

 嫌な事や不安な事を口にしたら、それが現実になってしまうような気がしたから……。

「……うん、行こ」

 私は小さく息を吐いてから、はるかの手を取った。

 はるかは嬉しそうに微かに頰を赤らめながら、うんっと頷いた。




「ナナ、あたしは明穂とあっちで射的やってるから!」

 興奮した様子の莉乃は一方的にそう宣言すると、私の返答も聞かずに明穂を引き連れ、ぐいぐいと人混みの中を進み出した。

「あー、じゃあ私もそっちに行くかな。お邪魔虫はっ」

 そう言ってにやりと意味ありげな笑みを向けて来たのは、金井さんだ。

 女子3人組が行ってしまうと、今度は中崎くんがあのうと声を掛けて来た。

「こちらは、向こうで綿飴見てくるよ。妹が欲しいって言うからさ……」

 真理亜ちゃんに手を引かれた中崎くんが、苦笑を浮かべる。その姿は、やっぱりお父さんにしか見えない。

 こうして私たちの集団は、折角集合したというのに、瞬く間に空中分解してしまった。

 みんな一緒にいたのは、最初、夜店の並ぶ参道をぐるっと一回りした間だけだった。それで、結局私の左右に残ったのは、はるかと駿太といういつものメンバーだ。

 秋野市の片隅で催されているこのお祭りは、もちろん1つの地域の催しレベルのイベントなので、会場となっている神社もそれ程大きくないし、出店が並んでいる範囲も広くない。近くに沢山住宅街があって参加している人は多いけれど、その気になればお互いを見つけるのは簡単だろうし、直ぐに合流出来るとは思うけれど……。

 まったく、みんな自由なんだから。

 私は腰に手を当てて、ふっと息を吐いた。

「ナナ、俺、焼きそばが食べたい」

 特にそんな周りの事は気にした風もなく、はるかがにこにこ微笑みながら私の腕を引いた。

「……そうだね、私たちも行きますか」

 私は駿太に視線を送ってから、はるかと並んで歩き出した。

 せっかくだし、花火大会が始まるまで私たちもお祭りを見て回ろう。

 おばさんから十分に軍資金を仕入れていたらしいはるかは、焼きそばだけでなくイカ焼きとか焼きとうもろこしとか、お祭りの出店ならではの食べ物をどんどん買い込んで行く。

 両手と荷物持ちの駿太の手が一杯になった時点で、私たちはお祭り会場から少し離れた場所に設置された仮設ベンチに落ち着いて、その食べ物を消費する事にした。

「美味いな、これ! こういう所で食べるのは、何でいつもより美味く感じるんだろうな! ナナ、これ、駿太も!」

 私と駿太の間に座ったはるかが、楽しそうな笑みを浮かべながら、ひょいひょいと食べ物を配ってくれる。

 ぱたぱたと足を振りながら、焼きそばを頬張るはるか。

 私もイカ焼きを食べる。

 醤油の焼けたいい匂いが食欲を誘う。歯応えのあるイカ、やっぱり美味しい。

 私たちは、学校のどうでもいい事で笑い合いながら食事を続ける。

「ああ、夏祭り、また来れて良かったなぁ」

 不意に、フランクフルトを半分齧った駿太が、月の昇った夜空を見上げてぼそりと呟いた。

 会話が止まる。

 ……それは、私もそう思う。

 私は、こくりと小さく頷いた。

「うん」

 はるかも箸を止め、短くそう応えた。

 少し空気がしんみりとしてしまう。でも直ぐに、はるかが前にみんなで一緒にお祭りに来た中学の頃の話を始めると、私も駿太も思わず笑ってしまった。

 お互いの食べ物をシェアしながら色々な事を話していると、時間はあっという間に過ぎてしまう。

 色んなものをあれこれ摘んでいたはるかは、最終的にお腹が一杯になってしまったのか、残り物を駿太に押し付けていた。私も雰囲気に呑まれて沢山食べてしまったけど、余った分は駿太にあげる事にした。

 ぼそぼそと何か文句を言っていた駿太だけど、あの体の大きさなら、このくらい余裕だと思う。

 駿太が食べ終わるのを待つ間少し休憩した私とはるかは、改めてお祭り会場を一回りしてみる事にした。

 この時間なら多分、神社の脇の駐車場で、盆踊りかキャンプファイヤーみたいな催しもやっている筈だ。

 はるかは、今度は食べ物系以外の出店を順番に覗いて行く。

 金魚すくいとかくじ引きとかお面屋さんとか、見ているだけで小さい頃のわくわくした気持ちが甦って来る様だった。

「あ、綺麗」

 その中でも特に私が気になったのは、色とりどりの水風船が沢山並んだヨーヨー釣りのお店だ。

 金魚すくいは金魚が可哀想であまり好きではないのだけれど、これは昔からお祭りに来る度にやっていたと思う。

 ただのゴム風船に水が入っているだけのものなのに、色とりどりのカラフルな風船たちがプカプカと水面に浮かんでいるのを見ていると、どうしても1つ欲しくなってしまうのだ。

「ナナ、昔から好きだよな、これ」

 足を止めた私に気が付いたはるかが、ふっと不敵に微笑んだ。

「俺が1つ取ってやる」

 はるかはそう言うと、浴衣の袖をまくって早速プールの前に座り込んだ。

 取ってくれると言うのなら……。

 私も、はるかの隣にしゃがむ。

「じゃあ、遼。あれがいい、芝犬のキャラクターのヤツ!」

 私ははるかの肩に手を当てて、プールの中央辺りに浮いている風船を指差した。

 最近の水風船は、絵の具を流しただけのカラフルなものだけじゃなくて、色々なキャラクター柄のものも沢山あるのだ。

「よーし!」

 はるかは、私の指差した風船に果敢に挑む。

 しかし動きが雑なのか、水風船を吊り上げるための紙紐はあっさりと切れてしまった。

 しばらく固まった後、再びチャレンジするはるか。

 だけど、やはり失敗だ。

 もう一度挑むが、また失敗だった。

 お店のおじさんが見かねて1つプレゼントすると言ってくれたのだけど、むうっと膨れたはるかは、自分で取ると言い張った。

 軽いデジャブを覚える。

 ……小さい頃にも、こんな事があった気がする。

 さらに続けて2回失敗したはるかは、うぐぐっと顔をしかめた後、隣に立っていた駿太を見上げた。

 はるかは特に何も言っていなかったけど、うっと軽く呻いた駿太が少し赤くなる。そしておもむろにしゃがみ込むと、「今度は俺が……」とヨーヨー釣りに挑戦し始めた。

 私は、思わず苦笑を浮かべてしまう。

 はるか、意識してか無意識にかはわからないけれど、完全に駿太を操っている。それに、駿太もなんだかんだではるかには甘いのだ。

 私はしゃがみ込んだまま膝の上に肘を突いて、手を頰に当てると、半眼ではるかと駿太に視線を送った。

 2人はどこか、共犯者めいた笑みを浮かべて笑い合っている。

 少し疎外感を感じるけれど、昔からの事なので不快には思わない。

 駿太は、一発で芝犬水風船を釣り上げた。

 それを受け取ったはるかは、満面の笑みを浮かべてはいっと私に差し出して来た。

「……駿太、ありがとね」

 水風船を受け取った私がはるかの後ろの駿太にお礼を言うと、何故かはるかがブーブーと文句を言い始めた。

 私が笑いながらそんなはるかは放置して、次へ向かおうとしたその時。

「山内、水町さん!」

 雑踏の向こうから、私たちを呼ぶ声がした。

 振り返ると、顔面蒼白になった中崎くんが駆け寄って来るところだった。

 その慌てた様子に、私はぎゅっと眉をひそめる。

 ……お祭りにの前に感じた嫌な予感が、もくもくと甦って来てしまう。

「どうしたんだ、中崎さん」

 駿太が声を低くして、中崎くんに声を掛けた。

 中崎くんは私たちの前で立ち止まると、さっと周囲を見回した。

「その、真理亜がいなくなったんだ。見てないか、みんな……」




 真理亜ちゃんは、中崎くんがお面の代金を払おうとして少し目を離している内にいなくなってしまったらしい。

 中崎くんは直ぐに周囲を探して回ったけれど、真理亜ちゃんの姿はなかったそうだ。

 いつも落ち着いた雰囲気の中崎くんも、随分気が動転してしまっているみたいだった。

 しどろもどろになりながら説明してくれた話によると、中崎くんは最初は1人で真理亜ちゃんを探していた様だ。でも途中で莉乃たちに出会って事情を話し、お祭りの実行委員会の人たちにも相談してみんなで探してもらうようにしたみたいなのだけれど、未だ発見には至っていないとの事だった。

 もちろん私やはるかたちも、即座に真理亜ちゃんの捜索に参加した。

 3人で手分けして、お祭り会場とその周辺も見て回る。そんなに広くない会場なので、見つからない訳がないとは思うのだけれど……。

 途中、莉乃や明穂、それに金井さんとも合流して情報交換を行ったけれど、今のところは手掛かりなしだった。

 何も進展がないまま時間だけが経過し、得体の知れない不安感だけが大きく膨らみ始める。それまで特に気にしていなかった周囲の森に潜む暗闇が、何だか恐ろしいものに見えて来てしまう。

 この指先がジンジンする様な緊張感、背筋に冷たいものが流れ落ちる様な感覚、以前どこかで感じた事がある……。

 私は、隣で駿太と話し込んでいるはるかの顔をそっと盗み見た。

 真理亜ちゃんの親御さんには、中崎くんが連絡した。その上で、もう一度私たちとお祭りの実行委員会のおじさんたちで周囲を探して、ダメだったら警察に連絡しようという事になった。

 私たちは無言で肯き合うと、神社の敷地だけでなく周辺地域も確認すべく四方に散った。

 人をかき分けて、あの小さい姿を探し回る。

 同年代の浴衣を着た女の子を見掛ける度にドキリとしてしまうが、真理亜ちゃんは見つからない。

 人が唐突にいなくなってしまう恐怖。

 それは、痛い程よくわかる。

 見つけてあげなくちゃと思う。

 私はぎゅっと痛くなる程手を握り締めて、流れ落ちてくる汗を拭って走り周った。

「駿太!」

 お祭り会場から少し離れた駐車場になっている空き地で、偶然駿太と合流する。

「いたか?」

「ううん……」

 厳しい表情の駿太に、私は首を振る事しか出来ない。

「子供の足でそんなに遠くに行けるとは思えないんだけどな……」

 駿太は眉をひそめながら周囲を見回した。

 真理亜ちゃんは、小さいといっても自分でしっかり考える事の出来る年頃だ。お兄ちゃんと一緒にお祭りに来ているのに、そのお祭りと全然関係のない場所に行くとは思えない。

 ……それなのにこれだけ探しても見つからないなんて、何かの事件に巻き込まれたのではと考えてしまうけど。

 トクンと胸が鳴る。

 私は握り締めた手をぐっと強く胸に抱く。

 とにかく、今は探すしかない。

 もう一度行こうと駿太に声を掛けようとしたその時。

「奈々子、あれ……」

 不意に駿太が、私の背後を指差した。

 振り返ると、その先には浴衣姿のはるかが立っていた。

 私たちから少し離れた街灯の下に立っているはるかは、こちらには気が付いていない様だった。

 はるかが見つめているのは、お社の背後に広がる森へと続く小道だった。

 そちらは、お祭り実行委員会のおじさんたちが見に行くと言っていたけれど……。

 遠くて表情までは読み取れなかったけど、少し迷った様子の後、はるかは森の中へと歩き出した。

「駿太!」

 何か引っかかるものを感じて、私は思わず声を上げる。そして、はるかを追い掛けた。

 直ぐに後ろから、駿太も追い掛けてくる。

 まったく、はるかは何を考えているのだろう。

 夜の森に、着慣れていない動きづらい浴衣で入るなんて、怪我の元だ。それに、暗くて人気のない場所で女の子が1人ふらふらしていれば、真理亜ちゃんとは別のトラブルに巻き込まれてしまう恐れだってある。

 もともと遼だから、男子だから、そういう危機感が無いのかもしれないけれど……!

「奈々子、足元に気をつけろよ」

「わかってる」

 私と駿太も、はるかを追って森の中へと入った。

 夏の夜の森には、うるさいくらいの虫の声が響き渡っていた。何だか濃密な生き物の気配がして、すぐそこに何かが潜んでいる様に思えてしまう。

 救いなのは、耳をすませば微かに祭囃子の音も聞こえてくる事だ。近くに人がいると思うと、少し安心出来る。

 足元は枝や根っこが沢山あって走りにくかったけど、一本道だったので、私と駿太は直ぐにはるかの背中を見つける事が出来た。

「はるか!」

 駿太が声を上げる。

 いくら虫がうるさくても、聞こえない距離じゃない。なのに、はるかは反応しない。

「はるか!」

 私も呼び掛けるけど、やっぱりダメだ。

 ……なんだろう。

 蒸し暑さで流れるのとは別の汗が、首筋を伝い落ちる。

 そして。

「はるか!」

 やっと追い付いた駿太が、はるかの肩を掴んだ。

 その瞬間。

 私は、微かな目眩を覚えた。

 はるかは振り返ると、私たちの顔を見て驚いた様に目を丸くした。しかしすぐに、むっと眉をひそめた。

「来たのか、ナナたちも……」

 普段よりもはるかの声は低かった。

「もう、さっきから呼んでるのに!」

 私は、眉をひそめてはるかの目を見る。

 はるかは、何も言わずにつっと私から目を逸らした。そして、森の奥へと向き直る。

「……多分、真理亜ちゃんはこの奥にいる。危ないから、駿太とナナは帰れ」

 はるかは私や駿太の方は見ずにそれだけを告げると、森の奥に向かって歩き始めた。

 どういう事だと尋ねようとして、そこで私は、いつの間にか周囲がしんっと静かになっているのに気が付いた。

 虫の音が止んでいる。

 祭囃子も聞こえない。

 さらに、先ほどまであれ程暑かったのに、今はヒヤっとする様な冷たい風が流れていた。

「奈々子、周り!」

 駿太が声を上げる。

 周囲は、相変わらず鬱蒼とした木々に囲まれていた。神社の森だけあって、どれも太い木ばかりの森だった筈だけど……。

 私は思わず息を呑む。そして、目を見開いて周囲を見回した。

 辺りに密生しているのは、太いというレベルの木ではない。数人がかりでも腕を回せない様な巨大な、幹の捻れた奇妙な大木ばかりだった。

 これは、この場所は……!

「日置山と同じ!」

 私たちの周りには、いつの間にか一年前の、遼がいなくなったあの時と同じ光景が広がっていた。まさに、あの怪鳥から逃げ回ったのと同じ様な森だ。

 はるかは、しかし臆した風もなくどんどんと森の奥へと歩いて行く。

 私と駿太は顔を見合わせ、その後を追い掛ける。

 本当の事を言えば、こんな場所からは今すぐにでも逃げ出したかった。

 ……でも。

 はるかがいる以上、私たちだけが逃げる訳にはいかなかった。

 駿太が言っていたみたいに、また私たちだけが逃げるなんて、そんな事……!

 不意に、前方の視界が開ける。

 奇妙な木々が意思を持って場所を開けたかの様なまん丸の広場に出た。

 地面は平坦で、短い草が生えているだけだ。広場の上空には、今にも零れ落ちて来そうな無数の星々が煌めいている。

 月は、見えない。

 そして。

 駿太やはるかの息遣いさえ聞こえて来そうな静寂の中、それはその広場の中心にいた。

 巨大な白い馬。

 一言で表すなら、それはそんな形をしていた。

 ただし、大きさは小さな家程もある。頭は体に比べて大きくて、額に二本の角が生えていた。背中には翼が生えていてペカザスみたいだけど、その羽は鳥や天使というよりも骨に皮が張っただけのコウモリみたいなものだった。

 白馬の双眸は黄金色に輝き、じっと私たちを睨み付けている。

 一見して、この世界の生き物ではないとわかった。

 そしてその馬は、浴衣姿の小さな女の子を咥えていた。

 真理亜ちゃんだ!

 私は、大きく息を吸い込む。

 助けなきゃと思う。

 でも、足が動かない。

 何とか視線を落とすと、私の足は冗談かと思える程ガクガクと震えてしまっていた。

 はるかも、身を強張らせて白馬を睨み上げている。

 そんな私たちの前に、身構えた駿太が立ち塞がった。

「駿太……」

 私たちを守ろうとしてくれているのだ……。

 くっ。

 私は、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 今の真理亜ちゃんは、1年前の私たちと同じだ。詳しい事はわからないけど、あの馬は、多分日置山の怪鳥と同類のものだ。

 ……助けなきゃ。

 自分の情けなさに、無力さに腹が立つ。

 どうにかして、真理亜ちゃんを!

 何とかその場に踏み止まっているだけの私たちを嘲笑う様に、白馬はすっとその金の目を細めた。そして僅かに巨大な頭を振ると、何度か前足で地面を叩いた。

 それが突進の合図だと理解した瞬間。

 家程もある純白の巨体が、私たちに向かって飛び掛かって来る。

 その風圧で、私の髪が、はるかの浴衣がふわりと揺れた。

 私たちは、動くことが出来ない。

 ただ、スローモーションの様にやけにゆっくりと迫って来る白馬の巨体を、じっと見ている事しか出来ない。

 はるかが、何かを言おうと口を開いた。

 その時。

「少し大人しくしてもらおう」

 落ち着き払った女性の声が、異様な森の中に凛と響き渡った。

 同時に、周囲の地面から、周囲の木々から赤い光が走る。

 光は、太い紐状になって、するすると白馬の体に巻き付いた。

 白馬が咆哮を上げる。

 真理亜ちゃんの体が、草の上にぽとりと落ちる。

 白馬の咆哮は、馬のそれではなく、まるでライオンみたいな肉食獣の声に聞こえた。

 鎖みたいになった赤い光に縛り上げられた白馬が、空中で停止する。

 その巨体を挟んだ広場の反対側から、ゆらりと黒い人影が現れた。

 それが誰なのかは、直ぐにわかった。

 アミリアさんだ。

 特徴的な漆黒のドレスに身を包み、いつもと同様にアッシュブロンドの髪を丁寧に結ったアミリアさんは、緑の瞳で私たちを見据えてふっと息を吐いた。

「こんばんは、ハルカ、ナナコ、シュンタ。この様な場所で会うとは、奇遇だな」

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