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第15話 勘違い×勘違い

 海から帰って来た翌日、はるかからメールが来た。

 何だか要領を得ない文面だったけど、色々と話がしたいからどこかに出掛けないかという内容だった。

 はるかは、海で話した、これからの私たちの事について相談するという話を早速実行するつもりなのだ。

 私や駿太にとっても大切な事だとは思うけれど、当事者はやはりはるかなのだ。気持ちが逸るのも、当然のことだと思う。

 指定された場所が私たち誰かの家やアミリアさんのお屋敷、もしくはフローレスタとかではなくて隣町の大きな映画館なのは少し引っ掛かったけれど、せっかくはるかから声を掛けてくれたのを無碍にする訳にはいかない。

 私は、もちろんOKだと返信しておいた。

 しかし、アミリアさんの秘密の庭は携帯の電波が入らない筈だ。それなのにメールを送って来たという事ははるかが外にいるという事なのだけど、それなら今からでも呼んでくれれば駆け付けるのになと思う。

 タイムリミットがある以上、早めに動いた方が良いに決まってるし。

 私は、忘れないうちに駿太にも連絡しておく事にした。

 そして、はるかと約束した当日。

 やはり夏らしく朝からとても暑い日だったけれど、私は早めに家を出た。

 待ち合わせ場所に指定された隣町の映画館は、フローレスタと同じ様な巨大ショッピングモールが付属した施設で、最近出来たばかりの場所だった。学校でも話題になっていたけれど、私はまだ行った事がなかった。だから、約束の時間より早めに到着するように向かったのだ。

 落ち合う場所になっていた映画館スペースの前は、夏休み期間ということもあってか、人でいっぱいだった。

 私みたいに誰かと待ち合わせをしているのだろう、キョロキョロと周囲を見回している人たちも沢山いた。

 もう少し時間に余裕がある筈だったので、初めてのこの場所を見学でもしようかなと思っていたその時。

 人混みの向こうに、見慣れた艶やかな黒髪が見えた気がした。

 私はむっと一瞬考え込んでから、そちらに足を向けた。

 指定の時間には、まだかなりあると思うのだけれど……。

 中学生くらいの男子の集団をやり過ごすと、その先には、案の定柱に背中を預けたはるかの姿があった。

 黒いズボンにゆったりとした白のブラウスを身に付け、ちょこんと頭に帽子を乗せてショルダーバックをたすき掛けにしたはるかは、美人さんが無理やりボーイッシュな装いをしているといった感じで、何だか周囲の注目を集めていた。

 すぐ近くで、大学生くらいの男の人が2人、はるかの方をチラチラと窺いながら何か話している。

 ……このままだと、もしかしたら声を掛けられてしまうかもしれない。

 私は、見当違いの方向を窺っているはるかに、すたすたと近付いた。

「早いね、はるか」

 私が声を掛けると、はるかはびくりと身を竦ませた。

「ナ、ナナ、いつの間に!」

 はるかは恥ずかしそうな表情で体を強張らせるが、直ぐに気合いを入れ直したかの様にキッと顔を引き締めて私を見た。

「その、今日は悪いな、来てもらって」

 私は、んっと首を傾げた。

 今更改まって何を言っているのだろう。

 これからの私たちの事を相談するのに、私たちが集まるのは当たり前の事なのに。

「この後、あの新作のスパイ映画を見るつもりだったけど、はは、ナナがこんなに早く来るとは思ってなかったから時間がまだあるな。どうしようか……」

 はるかが少し困った様にむっと唸る。

 えっと、私よりもはるかの方が早く来ていたみたいだけれど……。

 それよりも。

「……映画、見るつもりだったの?」

 これからの事やアミリアさんの弟子の事、話し合うんじゃなかったのか?

「ナ、ナナ、映画嫌いだったか?」

 私の怪訝な声に、はるかが可哀想なくらい動揺し始めた。

「いや、はるかが見たいなら付き合うけど……」

 私は胸の下で腕を組み、ふっと息を吐いた。

 途端に、はるかがぱっと顔を輝かせる。

 この子供みたいにコロコロと表情が変わるところも、遼を思い出させる。

 ……まったく。

 同い年なのだけど、駿太や遼が弟に思えてしまうのと同様に、妹がいればこんな感じなのかなと思ってしまう。

「それじゃあ俺、チケット2枚買って来るから! そうだ、ポップコーンも買って来よう! ナナ、何味がいい?」

 ニコッと嬉しそうに微笑むはるか。

 どうやら機嫌は治ったみたいだけど……。

「みんなで映画みるなら、3枚でしょ。ポップコーンは駿太が来てからで良いんじゃない?」

 さすがに駿太はまだ来ないかなと周囲を見回しながら私がそう言った瞬間、少しはにかんだ様な笑みを浮かべていたはるかが、凍り付いてしまったかの様に動きを止めて固まってしまった。

 ん?

「……駿太?」

「うん」

「……駿太に声掛けたのか?」

「うん、あ、あれ駿太来たかな」

 私は、人混みの向こうにチラリと見えた背の高い人影に目を凝らした。

 あ、やっぱり駿太だ。

 駿太もこちらに気が付いたみたいだ。

 私は、駿太に向かってさっと手を上げた。

 はるかと私たちのこれからの関係について話し合うなら、この3人が揃っていなければ意味がない。海でも確認した通り、私たちが一緒に力を合わせなければならないのだから。

 はるかが声を掛けているかとは思ったけど、念のために私からも駿太に声を掛けておいた。初めての場所だったけど、無事合流出来てよかった。

 後は、話をする場所を確保しなければ。

「はるか?」

 私はそこで、はるかが黙り込んでしまっているのに気が付いた。

 はるかの方を見る。

「えっと……」

 はるかは、ぎゅっと唇を噛み締めて、今にも泣き出しそうな潤んだ目で私を睨み付けていた。

 うぐっ。

 その顔があまりにも可愛らしくて、女の子そのもので、思わず私はドキリとしてしまう。

「……俺、ナナと2人きりがよかったのに」

 むうっと膨れたはるかが、低い声でぼそりと呟いた。

 2人きりって、つまりそれは……。

 私はそこでやっと、はるかが今日何をしたかったのかに思い至る。

 一瞬にして、自分の顔がカッと熱くなるのがわかった。

 ……はるかは、その、私とデートしたかったのだ。

 タイムリミットの話か衝撃的だったのでついつい考えるのを後回しにしてしまっていたけれど、はるかは私に告白していたのだ。ならば、その、好きな相手と一緒にいたいと思うのは、当然の事だと思う。デートしたいと思うのも……。

 それを私は……。

「お、俺が最後か。奈々子もはるかも早いな」

 気まずい空気が漂う私たちのもとに、やっと駿太が到着した。

 私とはるかは、同時に駿太を見上げる。

 はるかは、邪魔者を見る厳しい表情で。

 私は、はるかの気持ちに気付いてあげられなかった自分への腹立たしさと、この気まずい状況にうぐぐと顔をしかめながら。

「うお、な、な、なんだ?」

 今まさにここに到着したばかりの駿太は、私とはるかに気圧された様に一歩後退り、困惑した声を上げた。




 とりあえず映画はまた別の機会に見るとして、私たちは同じ建物の中にあるフードコートに集まる事にした。

 フローレスタにも匹敵する広さのフードコートは、やはり沢山の人たちで混み合っていた。

 同じ形のテーブリと椅子がずらりと並ぶその場所は、軽快なBGMをかき消してしまう程賑やかな人々の話し声や笑い声、そしてぐるりと周囲を取り囲む食べ物屋さんから漂ってくる良い匂いに包まれていた。

 私たちはそのフードコートの端、たこ焼き屋さんの前の席を確保する。

 ソースの焼ける芳ばしい匂いがふわっと漂って来るけれど、私たちの前にはそれぞれ自販機の紙カップジュースが並んでいるだけだった。

 食事は後。

 せっかく集まったのだから、まずは話し合いをしようと決めたのだ。

 ……はるかには、申し訳ないことをしたけれど。

 そのはるかは、頬杖を突いて隣の駿太をギロリと睨み付けていた。

 駿太は全然悪くないのだけど、はははと苦笑いを浮かべている。

 駿太には、先程私から事情を説明しておいた。

「えっと、それでアミリアさんが言っていた1年間というタイムリミットだけど、これは本当という事でいいんだよね」

 私はゴホンと咳払いしてから、話を切り出した。

 本当はこういう進行役みたいなのは苦手なのだけれど、みんなで話し合う事にしたのは今日の事を勘違いしていた私なのだ。これくらいはしょうがない……。

 はるかは、はあっと短く溜息を吐いてからこくりと頷いた。

「……本来俺は、あの日置山の鳥に食べられてこの世界では死んだという扱いになる筈だったんだ。アミリア先生に助けられて、新しい体をもらって、別の世界に生まれ変わる筈だった。でも……」

「遼は、それでも遼の意識を保っていられたから、アミリアさんに弟子候補にしてもらえたんだよね」

 私は、はるかの言葉を引き継ぐ。

 死、という単語に胸がドキリと震える。

 背筋に冷たいものが走った気がして、思わず私はぎゅっと自分の肘を抱き締めた。

 はるかは、真面目な顔で私を見つめたまま、こくりと頷いた。

「1年の間に俺がアミリア先生の弟子になれる力を得られなかったら、俺は予定通り向こう世界に送られる。弟子になれたら、あの秘密の庭に留まっていられる。そういう事みたいだ」

 私は、ぎゅっと唇を噛み締めて、肘に当てた手に力を込める。

 ……つまりは、どうなってもはるかが、遼が、以前みたいに私と駿太のところに戻って来てくれる事はないという事なのだ。

「……本当に、すぐには信じられないよな」

 駿太がぼそりと呟いた。

 それは、私だってそう思う。眉をひそめているその表情を見ていると、はるかでさえも私や駿太と同様に、この話を完全に呑み込めていないのがよくわかった。

 ……姿形が変わってしまって、さらにはそんなよくわからない状況におかれて、それでもはるかは1学期の間、笑って過ごしていたのだ。

 それは、本当に凄い事だと思う。

「でも、この話が全て本当の事だとしたら、はるかはアミリアさんの弟子になるために頑張るしかないって事だよね」

 私は、自分の言葉を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 少しの間を置いて、はるかがゆっくりと頷いた。

 その隣で、駿太も力強く頷く。

「でも、具体的にはどうすればいいのかな」

 私は、僅かに俯いて顎の先に手を当てる。

「アミリアさんの仕事って、あの日置山の怪鳥みたいなのを捕まえる事だったよね……」

 その役割を継ぐって事は、あんな怪物みたいなのに対しなくてはならないという事だ。

 ……あの怪鳥をまた目の前にすると考えただけで、背筋がぞわりとしてしまう。

「アミリアさんからは、どうしろって指示はないのか」

 太い腕を組んだ駿太が質問する。

 はるかは、駿太を横目で一瞥して僅かに首を傾げた。

「聞いてないな。アミリア先生からは、俺が遼ではなく、一人前の女性としてきちんとはるかになる事が1番なんだって言われてる。だから、淑女に相応しい振舞いをしろって……」

 はるかは、大きく溜息を吐いてから首を振った。

「女らしくって言われても、俺は俺だしな。どうしたらいいなのか……。アミリア先生には助けられた恩もあるし、奈々子や駿太と一緒に高校に行きたいって願いも聞き入れてもらったし、俺のこれからは別にしても、期待には応えたいと思っているんだけどな」

 私は、アミリアさんの白い人形の様な無表情を思い浮かべる。

 悪い人ではないと思うのだけれど、秘密主義というか無口というか、何を考えているのかはわからない人ではある。

 やっぱり、アミリアさんにもっと詳しく話を聞かなければならないだろうか。

「はるかも、俺たちと高校行きたかったんだな。別の進学校に行くとかって噂もあったが」

 顎先に指を当てて考え込む私をよそに、場の重苦しい空気を変える様に、駿太が明るい声を上げた。

 はるかは、はっとした様に息を呑んだ後、しまったという風に頰を赤らめながらむうっと押し黙ってしまった。

 別に、恥ずかしがる事でもないと思うけれど。

「はは、元遼でも、可愛いところがあるんだな」

 ここが攻め時と思ったのか、駿太がさらにそう続けて、はるかの肩をポンポンと叩いた。

 はるかは益々恥ずかしそうに顔をしかめ、そしてとうとう耐え切れなくなったという風に駿太の手をぱちんと払った。

 駿太は、やはりはははと笑っているだけだったけど、はるかは駿太の手を弾いた自分の手をぎゅっと抱き締める様に胸に抱いた。

 きっと駿太の手が大きくてゴツゴツしていて、弾いた自分の手が痛かったのだろう。駿太の馬鹿力には、私も色々と痛い目にあっているので、その気持ちはよくわかる。

「それで、弟子の話だけどさ」

 私は、楽しそうにじゃれあっている2人を半眼で見据える。

「具体的に何をどうするのか、アミリアさんに聞くとか、いっその事アミリアさんが仕事している現場を見学させてもらうとかどうかな」

 私は、取り敢えず現在わかっている範囲内で選択可能な行動について提案してみる。

「……やっぱりそうだよな」

 はるかが、難しい表情を浮かべて私から目を逸らした。

 きっとはるかも、またあの日置山の怪鳥みたいなのと関わるのが怖いのだと思う。

 それは私だってそうだし、一度あの鳥に食べられてしまったはるかなら当然の事だ。

 でも私は、遼が、はるかがまた私たちの前からいなくなってしまう事の方がもっと嫌だった。

「安心しろ」

 私とはるかが無言で俯いて眉をひそめていると、駿太が自信たっぷりにそう言い放った。

 私とはるかは、同じタイミングで顔を上げて駿太を見る。

 駿太は、にやりと不敵に微笑んで大きく頷いた。

「またあの鳥と対決する事になっても、今度は俺がはるかを守ってやる。今度は俺が、な」

 当然の事だという風に言い放つ駿太。

 それを聞いたはるかは、目を見開いてまじまじと俊太の顔に見入っている。

 しばらくの間の後、先程以上に顔を真っ赤にしたはるかが、視線を泳がしながらわなわなと小さく震え始めた。

 私も、トクンと胸が鳴るのがわかった。

 事情を知らない第三者には、今の駿太の台詞は告白の様に聞こえたかもしれない。でも駿太の守るは、あの時日置山で私たちを逃してくれた遼への感謝と恩返しの言葉でもあるのだ。

「……駿太のくせに、そんな台詞!」

 はるかも駿太の言葉の意味するところはわかっているのだろう、乱暴な口調でそう言いながら、でも少し嬉しそうに、バシッと駿太の脇腹にパンチを繰り出していた。

 あれは、照れ隠しだ。

 はるかのパンチを食らっても、駿太ははははと笑っているだけだった。

 ……はるか、また手が痛くなるから、やめておいた方がいいと思うのだけれど。

「うぐぐ、そんな台詞は、ナナにだけ言ってればいいんだよ!」

 パンチをやめて、むんっと駿太から顔を背けるはるか。綺麗な黒髪が、その動きに合わせてふわりと広がる。

 何故そこで私の名前が。

 少し引っ掛かるものはあったけれど、そのはるかの仕草が可愛らしくて、思わず私もははっと笑ってしまった。

「やっぱりその2人、付き合ってるんじゃ」

 その時不意に、背後から声がした。

 私は、思わずビクリと身を肩を震わせる。そして、慌ててばっと振り返った。

 そこには、このフードコートに出店しているうどん屋さんの制服に身を包んだ金井さんが立っていた。駿太のクラスメイトで明穂の友達、先日一緒に海にも行った金井さんだ。

 割烹着みたいなその制服は、大人っぽい金井さんによく似合っていた。

「えっと、金井さん、偶然だね。バイト?」

 内心の動揺を押し隠して、私は何とか質問する。

「そう。水町さんは、デートの付き添いかな」

 特に冗談を言っている風もなく、金井さんが質問を重ねて来た。

 確かに、今日はデートではあったのだけど……。

「……はは、まぁ、そんなとこかな」

 私ははるかを一瞥してから、苦笑を浮かべた。

「ふーん、山内くん、モテるんだね」

 金井さんが駿太とはるかに流し目を送りながら、すっと微笑んだ。

「あっ、勘違いするなよ、俺が好きなのはナナ……」

「あ、金井、この事はあんまり広げないでくれよな」

 思わず地が出てしまったはるかを、駿太が慌てて押さえつける。その姿は、やはり仲睦まじくじゃれあっている恋人同士に見えなくもない。

 金井さんは、ふーんと頷いている。

 金井さんの事はまだそれほど知っている訳ではないけれど、この顔を見ていると駿太の言う事を素直に聞き入れてくれるかどうかわからなくなって来る。

 ……私も、もう少し何かフォローした方がいいだろうか。

 そう思った瞬間。

 私とはるか、駿太と、それに金井さんの携帯が同時に鳴った。

 みんなそれぞれ顔を見合わせてから、携帯を取り出す。

 私に来たのは、莉乃からメッセージだ。

「なんだ、城山か」

「り……城山さんだ」

「あ、明穂の友達のあの子か」

 私たちは、もう一度顔を見合わせた。

 どうやらみんな、莉乃からの着信みたいだ。

 メッセージの内容は、この前海に行ったメンバーへの招集命令だった。夏の思い出作り第2弾として、夏祭り&花火大会へ行くぞ、とのことだったけれど……。

 私は、携帯を持ったままはあっとため息を吐いた。

 莉乃が今の私たちの状況を知っている筈もないのはわかっているけれど、こう思わずにはいられない。

 莉乃、夏を満喫しているな……。




 開け放たれたリビングの窓の向こうには、ほんのりと茜色になり始めた空が広がっていた。

 雲一つない夏の夕景。

 太陽の沈む西の空以外は、透き通り始めた群青に染まっている。

 もうそこまで夜が近付いている証拠だ。

 窓から流れ込んで来る風はまだまだ昼間の熱を孕んでもわっとしたままだったけれど、微かに聞こえて来るヒグラシの鳴き声が、今日も1日が終わりなんだなという事を感じさせてくれる。

 気が付くと、夏休みももう半分終わってしまった。

 時が経つのは本当に速いなと、月並みの事を考えてしまう。

 きっと直ぐに、もう夏休みも終わりなんだと思う日が来るんだろうなと想像すると、何だか胸の奥がきゅっとしてしまう。

 普通のTシャツにジーンズというラフな格好の私は、開け放ったガラス戸から庭に向かってぶらぶらと足を出し、部屋から持って来た芝犬枕を膝の上に乗せて時間を潰していた。

 今日はこれから、先日莉乃からメールがあった通りみんなで夏祭りに行く事になっていた。その後は、花火大会もある。

 ……本来なら、こんな遊んでいる時間なんてないということはわかっているつもりだった。

 夏休みの間に、少しでもはるかがアミリアさんの弟子になれる方法を探さなければならない。

 でも、海の時と同じで、これが少しでもはるかの思い出になるなら……。

 ……ううん、違う。

 はるかを言い訳にしてはダメだ。

 私も駿太も、また遼と、はるかと一緒に過ごせる夏休みを満喫したいと思っているのだ。その、色々と難しい話を抜きにして。

 私たちは、小さい頃から一緒にいるのが当たり前だった。

 だから、遼がいなかった去年の夏は、とても辛かった。

 私も駿太もはるかも、その去年の分を取り戻すくらい今年の夏休みは楽しみたいと、一緒に過ごしたいと思っている。

 今までの、私たちの関係をもう一度確かめるみたいに……。

 でも。

 私は、芝犬枕をぎゅっと抱き締める。

 ……今までのままでは、いけない。

 はるかが私に告白してくれたように、私や駿太も、私たちの新しい関係を探していかなければならないと思う……。

「奈々子、はるかちゃんの準備が出来たわよ」

 考え込んでいた私の背後から、お母さんの声がする。

 振り返ると、にこにこと微笑むお母さんの姿があった。そしてその後ろから、少し恥ずかしそうにもじもじとしたはるかが顔を覗かせた。

「これ、何だか不思議な着心地だ……ね、ナナ」

 おずおずと私の前までやって来たはるかが、左右に体を振って自分の格好を確かめる。

「凄い、似合ってるじゃない、はるか!」

 私はうんしょと立ち上がると、にこっと微笑んで大きく頷いた。

 はるかは、紺の生地に白とピンクの花柄が入った浴衣を身に付けていた。艶やかな黒髪も綺麗に結い上げて、和風な髪留めでまとめていた。

 黙っていれば、じっとしていれば、落ち着いた美人であるはるかに、浴衣は良く似合っていた。

 うん、似合っていると言うか、むしろ色っぽく思えるくらいだ。

 これなら、はるかに浴衣を勧めた甲斐があったというものだ。

「いいね、はるか。これなら莉乃も駿太も大絶賛だね!」

 私は、はるかの肩をぽんぽんと叩いた。

「まぁ、駿太はどうでもいいけど、ナナにそう言ってもらえると一安心だね」

 はるかが、ほっとした様に微笑んだ。

 莉乃からのメッセージには、お祭りに参加するにあたって、女子組はなるべく浴衣を着用するようにとの指示もあった。

 幸いうちのお母さんは着付けが出来たし、私が昔来ていた浴衣もあったので、私ははるかを誘ってみたのだ。

 私の浴衣を着るという事に最初は抵抗していたはるかだったけれど、最終的に私と一緒にお祭りに行く為ならと了承してくれた。

「さぁ、じゃあ出掛けようか。駿太も待っているだろうし」

 私はソファーの上に置きっ放しの携帯を取り上げ、玄関へと向かう。

「あれ、ナナの浴衣はどうするんだ?」

 お母さんがいなくなったので元の口調に戻ったはるかが、とととっと私の後を付いて来た。まだ浴衣になれない様で、その動きはなんだかぎこちない。

「私は着ないよ。私のは、はるかが着てるし」

 私は振り返ってはるかを一瞥する。

「えっ」

 はるかは、きょとんととした顔をする。

「一緒だって言うから、わざわざ着たのに……」

「だから、これから一緒に行くでしょ」

 私は玄関で靴を履きながらにやりと微笑んだ。

 はるかが私も浴衣姿になるんだと勘違いしているのには薄々気が付いていたけれど、私はあえて黙っていたのだ。

 はるかには今までびっくりさせられてばかりだったから、これくらいの反撃は構わないだろう。

 はるかは、やっと事態を理解出来たのかむうっと顔を赤くした。

「ナナ、騙したな!」

 袖をパタパタと振るはるか。

「うん、可愛いよ、はるか」

 私は、はるかに向かって大きく頷きかけると、さっさと家を出た。

 そのまま私は、駿太を呼びに行く。

 呼び鈴を鳴らさずにドアを開いて呼び掛けると、直ぐに駿太が出て来た。

 駿太は、浴衣ではないけれど、作務衣みたいな和風な格好をしていた。がっしりとした駿太に、その和装は良く似合っていた。どこかの職人さんの弟子みたいだ。

「駿太、気合い入ってるね」

 少し驚いた私が思わずそう言うと、駿太は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「だって、浴衣だって言うからさ。うち男物の浴衣はないから、これで……」

 ここにも勘違い君がいたか。

「浴衣は女子への指定だったけど」

 私は苦笑を浮かべながら、表の道路で待っているはるかを指差した。

「でも、はるかと一緒に並んで歩くにはお似合いかもね」

 駿太が、うっと息を呑んで固まってしまった。

 私は、ふっと微笑む。

 まったく、うちの男子たちは……今は片方女子だけど、しっかりしていると思えばどこか抜けているいるところがあるのだ。だから、どうしても弟や妹に思えてしまう。

 所在なさげに視線をさ迷わせていた駿太が、はるかの方を見て動きを止める。

 その顔から、照れや苦笑いがすっと消えるのがわかった。

「……はるか、綺麗だな」

 そして駿太は、ぼそりとそう呟いた。

 駿太の顔を見ていると、それが出まかせや冗談でないのは直ぐにわかった。

 文字通り、駿太は今、はるかに目を奪われているのだ。

 色恋の事は得意ではなかったけれど、それは私にもわかってしまった。女の勘、というヤツだろうか。

 ……これは、私にも少し意外な反応だったけれど。

 私も振り返ってはるかへと目を向けた。

 1人だけ浴衣にしてしまった事をまだ怒っているのかと思ったら、はるかは無表情のまま通りの向こうをじっと見つめていた。

 夕日が、その白い横顔を照らし出している。

 思わず私は、その表情に見入ってしまう。

 確かにはるかの横顔は、綺麗だった。でも、不安そうな眼差しやきつく引き結んだ唇が、何だか不穏な雰囲気を漂わせている様にも思えてしまう。

 はるかは、何を見ているのだろう……?

 嫌な予感に、胸がざわつく。

 はるかの視線が注がれているのは、私たちがこれから向かうお祭りの会場がある方角だった。

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