第11話 初夏空模様
休み時間になると、古い扇風機が稼動するカタカタという音もクラスメイトたちの賑やかな声にかき消されてしまう。
今週から空調が入り、秋陽台高校もいよいよ夏を迎える態勢が出来ていたのだけれど、30人近い人数が詰め込まれた教室にはあまり効果がなかった。
むしろ、人いきれで暑い。
苦肉の策として古い扇風機が引っ張り出されていたのだけれど、暖かい空気がかき回されているだけだった。窓を開けても、やはり生暖かい風が吹き込んで来るだけだし……。
結局は暑い。
だから私たち学生に出来る事は、暑さと勉強にひたすら文句を言い続けることくらいだった。
授業の終わりと共に莉乃に明穂、それにはるかと既にお馴染みになりつつメンバーで集まった私たちは、ぐだぐたと実りのない愚痴を言い合う。
私や駿太以外の人がいる時は、はるかもしっかり女の子として振舞っていて、そうだよねーと莉乃の文句に相槌を打っていた。
しかし莉乃たちがトイレにと教室を出て行き、私と2人きりになった途端、それまでお嬢様然とした態度だったはるかが、ふいっとだらしなく息を吐いた。
白のブラウスに緑のリボンといった秋陽台の夏服に身を包んだはるかは、今日は黒髪をまとめて捻ってバレッタで留め、アップにしていた。
長い髪が暑苦しいというから、私がまとめてあげたのだ。
……今朝教室でセットしてあげたのだけれど、何だか周囲の注目を集めてしまって大変だった。
「暑いけど、こういう時はスカートもいいもんだな。スースーして涼しい」
どかりと私の隣の空いている席に座ったはるかが、スカートをぱたぱたと揺らした。
紺のスカートから、白い太ももがちらちら覗く。
私はそんなはるかを、半眼で見る。
「……冬は毎日が戦いだからね。そのつもりでね」
低い声でそう警告してから、私はさっと周囲を見やる。
こちらを見ていた男子が、慌てた様に目を逸らした。
「あと、はしたない事はしないの。男子が見てたりするんだから」
私は声をひそめると、んっと首を傾げているはるかに再度警告した。
そうなのかと呑気な返事をしているはるかは、きょろきょろと周囲を見回すがもう遅い。
はるかは、いまいち異性の目というものがあまり意識出来ていないみたいだ。
……そこは、元遼だからしょうがないといったところなのかもしれないけれど。
女子グループの中にいる時はいい感じに馴染んでいると思うけど、やはりまだまだ女の子として無防備なところがある。そこは、私がきちんとフォローしてあげなくてはと思っているのだけれど……。
はるかは、笑顔を浮かべて楽しそうにこの前のお泊まり会の話をしていた。
先日。私と駿太に女子になってしまった事について本音を言ってくれた際、はるかが希望したあのお屋敷でのお泊まり会は、もう既に何度か実施済みだった。
あの西洋の宮殿みたいなはるかの部屋で、私と俊太と3人で、夜遅くまでおしゃべりしたり持ち込んだ漫画を読んだりぐだぐたと過ごすのだ。
女子2人に男子1人という構成に、駿太は最初は戸惑っていた様子だったけど、結局いつの間にか一年前の私たち3人みたいな空気に落ち着いていた。
それは、何だか懐かしい、でも心の底から安心できる場所だった。
テレビとかゲームとかはなかったけれど、3人で一緒にいるだけでも楽しかった。
駿太もはるかも私と同じ様に感じたみたいで、最初のお泊り会以降も、誰からという訳でもなく自然に、私たちははるかの部屋に集まる様になっていた。
アミリアさんとはるかの謎の解明については、今のところ殆ど進展はないのだけれど……。
にこにこ笑ってご機嫌な様子のはるかと次の授業について話していると、隣のクラスからぬっと駿太が現れた。
駿太は私たちを見てにやりと笑うと、こちらに駆け寄って来た。
「久条さーん!」
その駿太の後ろから、クラスメイトの女の子が声を上げる。
駿太に続いて教室の入り口に現れたのは、はるかを呼んだ女子ともう1人、すらりと背の高い男子だった。
短く刈った髪と日に焼けた肌が印象的な男子だ。何度か顔を見た事がある。確か隣のクラスの人だった気がするのだけど、名前までは憶えていない。昔、クラスの女子が気になるとか言っていたっけ。
最近、こちらのクラスでもよく見かける顔だった。それに、はるかと話しているのを見かけた事もあった。
ちょっと言って来ると私に断ったはるかは、ふわふわとスカートを揺らして廊下へと向かう。そして、駿太とすれ違いざまにぱんっとその肩を叩いた。
駿太は怪訝な表情ではるかを見送ってから、とぼとぼとした足取りでこちらにやって来た。
はるかと隣のクラスの男子は、何やら話し込みながら廊下へと消えて行く。
「あれ、誰っけ?」
私は、隣に立った駿太を横目で見上げた。
「ああ、森だよ。陸上部の」
「ふーん」
私は机の上で頬杖を突きながら返事をする。
「はるか、俺のクラスでも有名だからな。転入生だし、その……」
駿太はそこでもごもごと言い淀んだ。
多分、美人だしと言いたかったのだろう。
「……大丈夫かな。皆んなの前で俺とか言いださないでしょうね」
私ははるかの消えた廊下を見やり、ふっと息を吐いた。
普段はきちんと女子として振舞っているはるかだけれど、先ほどみたいに男子の視線に無頓着なところもあるし、どこかで騒ぎにならないかと心配してしまう。
「まぁ、それは大丈夫だろ。はるかは、しっかりしているし。普通にしてればきちんと女子だし」
駿太は、配ないだろという風にうんうんと頷く。
私もそうは思っているけれど、駿太のその達観した感じが何だか腹立つ……。
「ふーん、よく見てるんだ。はるかの事」
私はわざと冷ややかな調子でそう言うと、駿太を半眼で睨み上げた。
「いや……」
駿太は、少し慌ててた様子で私から視線を逸らした。
「な、なんて言うか、はるかは俺たちといる時は地が出てるって言うか、うーん、だから、他では大丈夫だろうって意味でさ」
自信なさげに私の方を見下ろし、はははと軽く笑う駿太。
「俺の印象だと、はるか、奈々子の前だとあえて男みたいに振舞ってる気がするんだよなぁ」
そして、ぼそりとそう付け加える。
私は、僅かに目を大きくして駿太を見上げる。
……地が出てしまうというのはわかるけれど、私の前であえて男らしく振る舞うというのは……?
はるかが遼であるという事は、私と駿太と遼の家族だけの秘密になっていた。
はるかが本当に遼なら、別に秘密にする必要なんてないと思う。でも、男子が女子になってしまったなんて事簡単に信じてもらえる訳がないし、受け入れられたとしても大騒ぎになってしまうだろう。
だから遼のおじさんもおばさんも私たちも、無用なトラブルを起こさないために、表向きははるかをきちんと久条はるかとして扱う事にしていたのだ。
私の両親や駿太のおじさんやおばさんも、この事は知らない。
はるか自身も、人前では女子として振る舞うと納得していたのだけれど……。
やはり男子のままでいたいという遼の葛藤の現れ、という事なのだろうか。
もちろん私も、遼が遼らしくいてくれるのは嬉しい。でもやはり、時と場合というのを良く見極めなければいけないと思うのだ。
私が眉をひそめて思い悩んでいると、隣で駿太がわざとらしい溜息を吐いた。
「……はるか、いや、遼のささやかな努力も、やっぱり奈々子には通じないか」
私は、さらに眉間にシワを寄せる。
何だろう、その私が鈍感みたいな言い草は。やっぱり何だか腹立つ。
「あー」
駿太に文句でも言ってやろうかと思ったところに、莉乃の高い声が響き渡った。
莉乃、トイレから帰って来たみたいだ。明穂も一緒だった。
「ハーレム山内が、またナナにちょっかい出してるー」
今にもいーけないんだ、いけないんだと言い出しそうな莉乃が、むんっと胸を張って駿太の前に立ちはだかった。
「ハーレムって……」
駿太が困った様に唸る。
駿太と莉乃の体格差だと、まるで大人と小学生みたいに見えてしまう。
押しているのは、莉乃の方だったけれど。
そのまま莉乃は駿太をいじり始める。しかし既に、休み時間のタイムリミットが近付いていた。
もうすっかり聞き慣れてしまった予鈴の音が盛大に響き渡ると、クラスの皆んなが素早く自席へと戻って行く。
その流れに逆らう様に、そして逃げる様に、駿太も自分のクラスへと駆け戻って行った。
駿太とすれ違う様に、はるかが戻って来る。
何だか少し疲れた様子のはるかだったけど、私が見ているのに気がつくと、にこっと微笑んで軽く手を上げた。
既に着席していたクラスメイトたちの視線を一身に集めながら。
男子たちがひそひそとはるかの話をしているのが聞こえて来る。
確かにはるかの笑顔は、嬉しそうで華やかで、はっとしてしまうような素敵な表情だった。男子たちがざわつくのもわかる。
……だから、はるかは人目を引くんだから。
その辺は、きちんと自覚しなければいけないと思うのだ。
私は、はぁと小さくため息を吐く。そしてはるかに向かって、ぞんざいに小さく手を上げた。
放課後。
駿太とはるかと一緒にあの秘密の庭へと行こうとしたタイミングで、また隣のクラスの森くんとうちのクラスの女子がやって来て、はるかに用事があると告げて来た。
私は何度も何なんだろうと思ったけれど、はるかは特に気にした様子もなく応じていた。
はるかが構わないなら、私は別にいいのだけれど。
駿太も教室で何か用事があると言うので、私は食堂のいつもの場所で2人を待つ事にした。
席についてすっと足を組む。そして携帯を取り出しながら、何となく窓の外に目を向けた。
今日も秋野市は、煙る様な雨に包まれてしまっている。窓には水滴が浮かび、外の世界は灰色に塗り込められていた。ジメジメと蒸し暑く、何もしていなくてもじとっと汗が滲んで来てしまう。
暑くなってからはずっとこの食堂を利用しているけど、最近はお昼ご飯の時も外に出ていないなと思う。前は、良く莉乃や明穂たちと一緒に中庭に出ていたけれど。
そう言えば、はるかが来た最初の頃、その中庭を行くはるかと駿太を見て、私は2人が付き合っているって思ったんだっけ。
今考えてみると、それは駿太と遼の組み合わせという事になってしまうから……。
そう考えると、何だか背すじがぞわりとしてしまう。
……うぐ。
私は小さく首を振って、携帯の方へと意識を戻した。
『そう言えばさー』
莉乃からメッセージが来る。
『最近、ナナと久条さん、また結構話題になってるみたいだよ』
だんだんと近付いて来た高校生活最初の夏休みの話題から、突然莉乃が話を変えて来た。
『そうだね!』
文字だけでもいつもの様子がわかる勢いで、明穂のメッセージが来る。
私は、1人ふっと息を吐いた。
どうせまた、私とはるかが駿太を巡って争っているという話なのだろう。
『……それはもう聞き飽きたし』
私は少し間を置いて返信する。
『今回は新しいネタだぜ!』
『奈々子ちゃんたちに新展開って話題になってるんだよ!』
私の返信を待ち受けていたかの様に、間髪置かず2人からメッセージがやって来た。
……む。
こうなっては、何の話かと聞かざるを得ない……。
『……どんな噂なの?』
やはり十分間をとってから、そう送信してみる。
『それは、ね』
もったいぶる莉乃。
『ナナと久条さんが付き合ってるんじゃないかって噂だよ!』
……は?
『百合だねー。奈々子ちゃんと久条さん、最近めちゃくちゃ仲が良いもんね!』
『最初はギスギスしてるのかと思ってたけど、今じゃクラスの誰より打ち解けてるよねー、ナナたちって』
『そうそう。まるで、ずっと昔からの知り合いみたいに親しげだって噂になってるんだよー!』
次々と着信して来る莉乃たちのメッセージを読み流しながら、私はこめかみをぎゅっと抑えた。
私の知らないところで、どうしてこんな事に……。
『凛々しい奈々子ちゃんと美人の久条さんってお似合いだよねー』
『でも普段の様子だと、案外リードしてるのは久条さんの方かな。ナナは押されっぱなしって言うか……』
『あ、莉乃ちゃんもそう思う?』
私不在のまま、有る事無い事妄想を膨らませて話が進んで行ってしまう。
私は反論するのを諦めて、そっと携帯をスカートのポケットにしまった。
はあっと今までで1番深くため息を吐く。
……同性でお付き合いとか、明穂や皆んなはそんな話が好きだなと思う。
私とはるか。
皆んな知らないけど、本当はそれは私と遼という組み合わせなのだ。
駿太とはるかは、中身が男同士の組み合わせになってしまうけど、私とはるかなら外見上は女子同士で中身が女子と男子なので、本当のところは問題無くなるのだけれど……。
……あれ。
私は思わずぎゅっと顔をしかめてしまった。
性別がどうというよりも、私と遼という組み合わせは……。
胸がきゅっと締め付けられる。
顔が、かっと熱くなってしまう。
うぬっ!
……ない!
それは、ない、ない!
もちろん私は、遼が大好きだ。けれどもそれは、小さい頃からずっと一緒にいる幼馴染として、姉弟としての好きの筈なのだ。そうだ。だから、駿太だって大好きだし、お父さんやお母さんだって大好きだし!
つまり、遼に対する好きは、そういう好きであって……。
……お付き合いするとかそういうのとは違う、違うと思う。
私は、小さく何度も首を振った。
「奈々子」
そこへ不意に、低い声が響く。
びくっと体を震わせてから慌てて顔を上げると、そこにはカバンを手にした駿太とはるかが立っていた。
体の前で両手でカバンを持ってこちらを見ているはるか。
その大きな目と視線がぶつかると、私は思わずドキリとしてしまう。
胸の内に残る妄想と気恥ずかしさを打ち払う様に小さく首を振ると、私はすくっと勢い良く立ち上がった。
「遅いよ、2人とも」
私も、隣の席に置いてあったカバンを手に取る。
「悪い、日直の片付け手伝ってくれって言われてさ」
駿太が苦笑いを浮かべた。
「あー、俺はまたあの駿太のクラスの陸上部くんに捕まっただけだ」
はるかが面倒そうに目を瞑り、むーと首を傾げた。
あの森くんって人、陸上部なのか。あ、そういえば駿太がそう言っていたっけ。
そういえば、森くんと一緒にはるかを呼んでいたうちのクラスの女子も、陸上部だった様な気がする。
「それで、要件はなんだったの?」
私は気持ちを切り替える様にわざと明るく声を上げながら、昇降口に向かって歩き始める。駿太とはるかも、私に並んで歩き出した。
「ああ、勧誘だよ。俺に陸上部に入らないかって。体育の短距離走の話が大きくなって、俺、足が凄い速い事になってるらしい」
ふわふわと艶やかな黒髪を揺らして歩くはるかがむーんと唸る。
以前の体育の時の話か。
確かに全力疾走していたはるかは、目立っていたけれど。
「ふーん。部活、しないの?」
私は横目で隣を歩くはるかを見た。
うーんと僅かに視線を上げて、考え込む仕草をするはるか。
でも直ぐに、はるかは私と駿太の方を見てにこりと微笑んだ。
「部活も悪くないけど、やっぱり俺はナナや駿太と一緒にいたいからな!」
ふと気が付くと、季節はあっという間に巡ってしまう。
遼のいなかった去年は、毎日が過ぎるのがコマ送りの様に鈍重で苦痛でしかなかったけれど、今年は気を抜いているといつの間にか日々が過ぎ去っていた。
駿太とはるかと一緒に過ごす様になったのなんてついこの間みたいな気がしていたけれど、中間テストが終わり、夏服への衣替えがあって、いつの間にかの梅雨の空模様がだんだんと減って来たなと思っていると、もう夏の日差しが降り注ぐ様になっていた。
カラッとした夏晴れが続いている。
いよいよ期末テストが見えて来る。そして、その先にある夏休みも。
カレンダーは、既に7月へと突入しようとしていた。
はるかは森くんの誘いを断り、部活には入っていなかった。以前と同じように、毎日私と駿太と一緒に過ごしていた。夏休みに入れば、駿太の家に入り浸って最近発売された大作RPGゲームをやるのだと張り切っているみたいだ。
順調に夏休みが近付いて来るのは私も嬉しいのだけれど、不安要素もあった。
それは、アミリアさんや遼の事、あの秘密の庭に関する調査が全く進んでいないという事だった。
あのお屋敷に出向くようになってもう1か月が経とうとしているのに、結局のところ毎回3人で遊んで終わってしまうのだ。
……このままではいけないと思う。
6月の最後の日。木曜日。その放課後。
今日もみんなでお屋敷に行く事になっていたけれど、さてどうしたものかと私は思い悩んでいた。
莉乃たちの会話を聞き流して帰りの支度をしていると、陸上部員であるクラスの女子が、森くんが呼んでいるとはるかに伝えているのが聞こえて来た。
私は顔を上げてはるかの方を見る。
森くんの勧誘は、今もまだ続いているみたいだった。
はるかは毎回丁寧に断わっているみたいだったけど、まったく、諦めの悪いものだと思ってしまう。
私なら辟易しているのをモロに顔に出してしまうか、きっぱりと明確に、強くお断りしてしまいそうなものだけど、はるかは毎回話だけはちゃんと聞いてあげてるみたいだ。
そういう点も、遼と同じだと思う。
気配りといえば駿太だけど、遼には妙な律儀さというか優しさがあった。
森くんにも、せっかく声を掛けてくれているのだから、面と向かってきちんとお断りしなければとか思っているのだろう。
今日も陸上部の女子に対して、はるかは少し困った様に頷いていた。
陸上部の子と手を振って別れた後、はるかはこちらに視線を送って来る。
また今日も、合流が少し遅れてしまうと言いたいのだろう。
そこで、私はふと閃いた。
はるかがいない内に先に秘密の庭に行って、アミリアさんから話を聞くというのはどうかなと思う。いつもはるかと一緒だとついつい遊ぶ方向になってしまうけど、私と駿太だけなら……。
アミリアさんからの贈り物であるペンダントがあるから、はるかの案内がなくても行ける筈だし。
話を聞いてみると、案の定はるかには、森くんからの呼び出しが掛かっていた。
いつもみたいに食堂や教室で待つのではなく、私と駿太は先に秘密の庭に行っていると伝えると、はるかは少し怪訝な顔をしたけれど一応納得してくれた。
未だ日中の暑さが残る夕方。
私と駿太は2人で、アミリアさんの秘密の庭に向かった。
夕方といっても夏の一日は長い。
晴れ渡った空が広がり太陽の光がさんさんと降り注いでいると、何だか午後の授業を早退して来てしまったような気分になってしまう。
鮮やかな緑と蝉の声。強い日差しに輝く家々。
見慣れた街の風景なのに、夏だとそれが何だか賑やかに見えてしまう。
アミリアさんのペンダントは、ぎゅっと握りしめていると秘密の庭の入り口を示してくれた。
ただペンダントを握り締めていると、何となくそこにあの木戸があると思えて来る。何故わかってしまうのかは、わからなかったけれど……。
思わず、魔法という言葉を思い浮かべてしまう。
その慣れない不思議な感覚に駿太と2人眉をひそめながらも、私たちは無事にアミリアさんの庭園に入る事が出来た。
秘密の庭は、外と同様に暴力的な程濃い緑に覆われていた。
でもそれ程暑くなくて過ごしやすく、草木も伸び放題ではなくきちんと剪定されていた。
いつも思うのだけれど、この庭はいったい誰が整えているのだろう。
私と駿太は、もう何度も通っている庭園の小径を進んで行く。
お屋敷が見えて来る。
今日はその正面玄関に向かう途中の芝生に、大きなパラソルが立っているのが目に付いた。
パラソルの下には、優美な曲線を描く足の長い丸テーブルと、テーブルとおそろいの椅子に腰掛けた黒いドレスの女性の姿があった。
アミリアさんだ。
いつもと同じ様にすっと背筋を伸ばし、身じろぎ一つせずに本に目を落としている。
白い肌と服の黒、それに周囲の緑のコントラストが鮮やかだった。その姿は、まるで一枚の絵画のように完成されている様に思えた。
足を止めて見惚れていた私たちに、アミリアさんがすっと目を向けて来た。
……アミリアさんには、何度対しても慣れない。
あの目に見据えられると、胸がドキドキと震えてしまう。
私と駿太は、慌てて会釈する。
まさかアミリアさんが庭にいるとは思っていなかったので、私たちはその場で固まってしまう。まさに、不意打ちだ。
……でも、臆する訳にはいかない。
しばらく間を置いた後、私は大きく深呼吸する。そして、真っ直ぐパラソルの方へと歩き出した。
「……少し、お話よろしいでしょうか」
思い切って声を掛けてみる。
少し長く感じる間の後。
顔を上げたアミリアさんは私を一瞥した後、直ぐに背後へと視線を移してしまった。
「ふむ。今日はハルカはまだ帰って来ていないのか」
私に話し掛けているのか独り言なのかわからない口調でアミリアさんが呟く。
「は、はい。今日は私たちが先にお邪魔しています」
「……いや、今帰ってきた様だな」
淡々と短くそう断言するアミリアさん。
え、もう追い付いて来たのか、はるか。
私も、思わずさっと髪を振って振り返った。
緑の小径の向こうに注目していると、間も無く秋陽台高校の夏服の白いブラウスと紺のスカートが見えて来た。
今日は特にまとめていない黒髪が、ふわりと揺れる。
はるかだ。
こちらに気が付き、進路を変えてちょこちょこと近づいて来るはるか。
しかしその顔が良く見える距離まで来たところで、私ははるかの様子が少しおかしい事に気が付いた。
顔が強張っている。
いつもなら私や駿太を見つけた瞬間ぱっと笑顔を浮かべる事が多いはるかだったけど、今は少し恥ずかしそうに頬を赤らめて何かに耐えるようにぐっと唇を噛み締めていた。
「どうしたんだ、はるか」
私の隣で、今まで大人しくしていた駿太が声を掛ける。
「早かったね。……何かあったの?」
私も、はるかの方に向き直った。
はるかは、何か言いたそうに口を開こうとするが、しかし直ぐにさっと視線を逸らしてしまう。
やはり、何だか様子が変だけど……。
私と駿太は顔を見合わせ、はるかが答えてくれるのを待つ。
しばらく、ザザっと周囲の木立が微風に揺れる音だけが微かに響いていた。
上へ下へと目線を泳がせた後、はるかは深く息を吐いた。そして脱力した様に肩を落として僅かに俯くと、上目遣いに私と駿太を見た。
癖のない黒髪が、はらりとこぼれる。
「あー、えー、うう……」
はるかが唸り、決心がつかない様に視線を外す。
しかし僅かな間を置いて、はるかは再び意を決した様に私たちを見た。
「えっと、その、俺、隣のクラスの森くんに……こ、告白された。ど、どうしよう、ナナ……」