第1話 新しい四月
現代学園ものを、短めにまとめていきたいと思います。戦闘シーンとかに頼らず、きちんとお話を進めて行けるか、よろしければ見守っていただければ幸いです!
私たちの世界は、あの日、唐突に終わりを告げた。
世界、なんて言い方をすると大げさに思われるかもしれないけれど、あの出来事以来、私たちを取り巻く状況は一変してしまったのだ。
私、水町奈々子と幼馴染で親友の宮下遼、山内駿太。
男子2人に女子1人の組み合わせではあったけれど、私たちは物心付いた頃からいつも一緒にいて、一緒に遊び、家族や兄弟と言ってもいいほどの時間を一緒に過ごして来た。
喧嘩をする事も多かったけど、お父さんやお母さんに加えて遼や駿太が身近にいるという状態こそが、私にとっては当たり前の日常で、私がそこに在るべき世界だったのだ。
そんな世界も、この先いつかは変わってしまうのかもしれないという予感はあった。
でも、少なくとも、中学生から高校生になる程度の過程では、何か変化が起こるなんて想像もしていなかった。
私たちは当分の間、ううん、もしかしたらこの先もずっと、何だかんだと言いながら、腐れ縁とも言えるダラダラとした関係を続けていくものだとも思っていた。
でも。
そんな私の甘い考えは、願望は、1年前、私たちが中3だった5月のゴールデンウィークのとある日、脆くも打ち砕かれてしまった。
私と駿太は、あの日、不意に遼を失った。
そう、あまりにも唐突に……。
まさかふとした思いつきでとったあの行動が、あんな重大な結果に繋がってしまうなんて、あの時の私たちは微塵も考えていなかったのだ。
4月の柔らかな陽射しが射し込む県立秋陽台高校の1年生の教室。
その前から4つ目、窓際から2列目の席で、頬杖を突きながら外へと視線を送っていた私はそっと溜息を吐いた。
のんびりした先生の声。カツカツと黒板を叩くチョークの音。遠く体育をしているどこかのクラスの声。窓辺から響く鳥のさえずり、ひそひそとささやき合うクラスメイトたちの囁き。
私の周囲には、ありふれた日常の光景が広がっていた。
先ほどまで思い出していた遼の事件が、まるで非現実的な事の様に思えてしまう様な、ありきたりで平和な風景が。
お昼休みを目の前にした教室は、決してうるさくはないけれど、隠し切れない密かなざわめきに包まれていた。
みんな既に、勉強よりもお昼ご飯と限られたお昼休みをどう過ごすかで頭が一杯になっているのだ。
それは教壇に立っている現国の先生も同じみたいで、どうも先程から声に張りが無い。
もう授業を終える気、満々なのだ。
私はそんな皆の様子をそっと眺めてから、再び窓の外に視線を向けてそっとため息を吐く。
はっとする程透き通った蒼の空から降り注ぐ光が、眩しい。
やがて、皆んなが待ち焦がれたチャイムが響き渡る。
その瞬間、教室はどっと溢れ出した解放感に占領された。
慌しく起立、礼の号令が掛かり、教室はあっという間にお昼休みモードへと移り変わる。
今まで抑え込まれていた騒めきが一気に解放されて、男子たちは我先にと教室を飛び出して行くし、女子たちは可愛らしいサイズのお弁当箱を取り出して集まり始める。
あちこちでガタガタと机や椅子が移動し始める音が響き渡る。
でも私はすぐに動く気にはなれなくて、席に座り直すそっと目を瞑り、顎を上げて何度目かの小さな溜息を付いた。
はらりとこぼれた髪が、肩にかかる。
「なーに黄昏てるのかな、ナナはー」
そんな私のすぐ側で、能天気な声が弾けた。
じろりとそちらに目を向けると、明るい茶色の髪の女子生徒が立っていた。その手には、ピンクの包みが握られている。
「でも、そうして物思いにふけっている奈々子ちゃんって、何だかかっこいいよね!」
その隣でキラキラと目を輝かせている背の高い女子が、私にふわりと微笑み掛けて来た。
茶髪のセミロングの髪の子が、私の中学からの友達である城山莉乃。長身のロングヘアの方が、この春、高校に入ってから仲良くなった山口明穂だ。
高校生になってから以前の様に積極的に友達付き合いしなくなった私にとって、この2人はこうして声を掛け続けてくれる数少ない友人だった。
私は少しだけ苦笑を浮かべて、明穂を一瞥する。そして不満を込めてむうっと莉乃を見上げた。
「別に黄昏てなんかいないし。莉乃みたいに元気が有り余ってないだけだし」
私はそう言いながらふんっと息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。そして、んっと腕を上げて伸びをした。
莉乃の言うことも一理ある。いつまでもダラダラと留まっていては、貴重な昼休みが終わってしまう。
時間の流れは、私たち1人1人の感傷なんて気にしてはくれないのだから。
……それに、莉乃がわざと明るく私に接してくれているのもわかっていたし。
「知ってる、明穂? ナナってさ、ギター弾くんだよ。今度見せてもらうといいよっ!」
莉乃がニシシと笑って、横目で私を見る。
それを聞いた明穂が、ぱっと顔を輝かせた。
「何それ、かっこいい!」
何だか期待に満ちた眼差しを向けて来る明穂。
「いやいや、弾けないよ」
私はふっと苦笑いを浮かべると、ぱたぱたと手を振った。
小さい頃から遼や駿太とずっと一緒に遊んでいた私は、女の子らしい趣味とは無縁だった。ギターというのも、一時凝っていた遼につられて手を出してみただけなのだ。
そんな生活に引きずられたのか、私の容姿もどちらかと言えばボーイッシュな感じになっていた。今も、昔もだ。
前は、体を動かしている事が多かったのでいつも日に焼けていて、髪を短くしていた事もあってよく男の子に間違われる事が多かった。
よく遼や駿太の弟に思われる事もあったっけ。
莉乃にはホントの男子みたいだとか良くからかわれたし、年下の女の子が私に告白するんじゃないかという様な噂を聞いた事もあった。
……実際、ラブレターじみた手紙をもらった事もあったし。
女の子から……。
あの時は、いつまでもいつまでもしつこく遼にからかわれた。
でもやっぱり私も思春期の乙女で、遼や駿太からあまりに女の子扱いされないのが少し悔しくなって、中学からは髪を伸ばしていた。
所作も意識して改めて、それで一応は女の子らしくなった筈だったのだけれど……。
遼の事があって、今年から、つまり高校から、私はまた、肩にかからない程度に髪を短く切ってしまった。
今は鏡を見る度に、昔と同じように、少し目つきの鋭い勝気そうな女の子がこちらを見ている。
……女の子は、髪型を変える事で気持ちを切り替えるものなのだ。
成功しているかどうかは、また別の話ではあるけれど……。
私は僅かに首を傾げ、そっと目を瞑る。そして気持ちを切り替える様に息を吐くと、改めて莉乃と明穂を見で悪戯っぽく微笑んだ。
「今日も中庭で食べる? 早くいかないと、時間なくなるよ?」
私はそう言うと机の脇に掛けた鞄からお弁当の包みを取り出す。そして、さっと制服のスカートを振って、さっさと歩き出した。
1日の最後の時限。
私たちの教室には、どこか弛緩した空気が漂っていた。
最後が地理というのもいけなくて、見える範囲だけでも数人が机に突っ伏して眠りに落ちていた。
顔を上げたまま船を漕いでいる者も加えれば、授業に集中していない者の数はもっと多いと思う。
ノートを取らず、そんなクラスメイトたちをぼうっと観察している私も、その1人ではあるのだけれど。
既に私たちのクラスは、入学時のバタバタとした空気も落ち着いて、皆一緒にいる友達集団や自分がクラスの中でどんな位置を占めるのだろうかという事も朧に把握して、一応の安定状態へと入っていた。
高校入学という一大イベントが通過して、新しい環境、友達、先生や新しい生活といった新鮮味あるものも一通り呑み込んで、またそれまでの中学生活とさして変わらない平凡な日常が始まっていた。
高校受験というプレッシャーが過ぎ去り、たぶんクラスの誰もが中学3年の頃より気が緩んでいるのだと思う。
目下、私たち新高校生の期待と興味は、主に勉強以外の事に向いている。
それはまぁ、しょうがない事だと思う。
だから、クラスの皆にとって最後の時限の地理というのは、放課後の前の耐え忍ぶ時間でしかなかったのだ。
私は手の中のピンクのシャーペンをもてあそびながら、頬杖を突いて窓の外へと視線を向けた。
入学式なんかの挨拶で聞いたことのある、新緑の香るとか風薫るといった表現は正しいんだなと思う。
換気の為に半分開けた窓からは、鮮やかに生い茂った中庭の緑の匂いと微かな土の匂いが混じった爽やかな風が吹き込んでいた。
その中庭の木立と校舎の向こうには、やや傾いて柔らかくなった午後の日差しが降り注ぐ秋野市の町が広がっていた。
私たちが暮らす秋野市は、県庁所在地の県下で一番栄えている中心部から各駅停車の電車で30分程離れた、どこにでもある様なありふれた地方都市だった。
それほど極端に田舎という訳でもなく、かといって大きな繁華街があるような町でもない。
なだらかな山があって幅広い川があって、駅前には少し寂れた感のあるデパートや商店街があり、国道沿いには最近出来たばかりの巨大なショッピングモール、フローレスタがある。それら町の中心は建物も沢山あってビルも建ち並んでいるのだけれど、少し離れると田んぼや畑が広がっている。そんな町だった。
歴史だけはあって、昔は大きな街道沿いの宿場町だったのだと小学校の郷土史の授業で習ったけど、そんな古い町並みと同時に県庁所在地で働く人の為の新興住宅地なんかもなんかも整備されていて、人口は決して少ない訳ではない。
秋野市内には、私が通う秋陽台だけでなく他にも2つの高校があった。
その中で私が秋陽台を選んだのは、単純に家から近いという理由だけだった。
幼馴染の駿太もこの学校に通っている。クラスは違うけれど。
遼がいれば、多分アイツもこの学校に通っていただろう。
私は、すっと僅かに目を伏せる。
いつも明るくて無邪気で元気一杯だったアイツは、良く中学のクラスメイトや友達から運動部系の体力馬鹿みたいに見なされていた。
実際、運動神経は良かったし。
でも遼は、勉強も出来た。
中学では、学年トップクラスだったと思う。
もしあの事がなかったら、遼はしれっと市外の進学校とか受験して、私や駿太とは違う学校に行ってしまっていたかもしれない。
遼には、親友で幼馴染で姉弟みたいな私たちに対してもなんの説明相談もなく、何か突拍子もない事を突然決断してしまう様なところがあった。
私はふと表情を消して、書きかけのノートに視線を落とす。
……そう。
あの時だって、あいつは……。
……ううん、違う。
今私たちの側に遼がいないのは、あんな事が起こってしまったのは、決してアイツばかりの責任ではない。ううん、アイツのせいなんかじゃない。
あれは、間違いなく私と駿太のせいなのだ。
この一年間考え続けて来た同じ事が、ぐるぐると私の頭の中を駆け巡る。
ノートにシャーペンを走らせて、猫だか犬だかわからない落書きをする。そして目線だけを窓の外に移すと、私はゆっくりと息を吐いた。
……別に私は、悲劇のヒロインを気取る気なんてない。
ただ今までは、高校受験という大きな目標があったから、他の事は考えない様にしてただじっとそれに集中してこれた。
でも、いざ高校に入学して新生活が始まってしまうと、どうしても胸の内側を占める空虚感を無視する事が出来なかったのだ。
……どうしても、遼のあの事件の事を考えてしまう。
その事ばかり考えて、今の高校生活に気持ちを向ける事が出来なかった。
そっと髪をかき上げて耳に掛け、また溜息を吐く。
もう今日だけで何度目かわからない溜息だった。
最終時限が終わる。
お昼休みの時と同様に、教室が一気に賑やかになる。
帰りのホームルームが終わると、部活組は早々に教室を飛び出して行った。掃除当番たちがぶーぶー言いながら緩慢な動きで掃除を始め、帰宅部の皆は仲の良い者と集まってこの後どこによろうかと楽しそうに笑い合う。
学生である私たちの日常風景。
今日も1日が終わった。
私も帰ろう。
帰って宿題をして少しネットかテレビを見て、さっさと寝よう。
それで、またやって来る明日に、何があるという訳でもないのだけれど……。
「ナナー、帰るぞっ!」
背後から、莉乃の賑やかな声が飛んで来る。
ふわりと髪を揺らして振り返ると、ニッと笑った莉乃と既に鞄を手にした明穂がこちらを見て手を振っていた。
……これで、真っ直ぐ帰るという選択肢は無くなった訳だ。
でも、別にそれが嫌な訳ではない。
むしろ自分では何をする気も起こらないので、この莉乃の強引さが心地よかった。
「はいはい、今いくよ」
私はそう答えながら、手早く帰りの準備を進める。
宿題に必要な最低限のノートと教科書だけを鞄に詰めると、莉乃たちのところへ向かった。
「動きが鈍いぞ、ナナ! そんなんじゃ貴重な放課後の時間がなくなっちゃうぞっ!」
むうっと私を睨み付ける莉乃。
もともと目つきの鋭い私と違って、くりくりと目の大きい莉乃がこういう表情をすると何だか可愛らしい。
「ごめん、ごめん。行こう」
私は苦笑いしながら、莉乃の背中をぐいっと押す。
「奈々子ちゃんって落ち着いてるよね。何だか大人って感じ」
莉乃と対比してそう思ったのか、明穂が微笑みながらそんな私たちについて来た。
「そうかな」
私は、明穂にも苦笑を浮かべて見せる。
明穂には、何だか過剰な評価を受けている様な気がする。無気力で色んなことにやる気が出せないでいる私の事を、どうやら大人びた落ち着いた態度と見なしているみたいなのだ。
私たちはそのままクラスメイトたちに挨拶しながら、後ろの戸から教室を出る。
廊下も、掃除当番や帰り支度のままおしゃべりに興じている生徒たちで大いに賑わっていた。
「今日はどこ寄っていく?」
明穂が私を見る。
「駅前かな」
私はふんっと考え込みながら、僅かに首を傾げる。
「えー。フローレスタ寄って行こうぜっ!」
莉乃がニッと笑って体をぶつけて来る。
「遠いよ。バス代がもったいない」
私は眉をひそめる。
「あの、本屋さん寄ってもいいかな」
明穂がおずおずと声を上げた。
私たちはそんな話をしながら、昇降口へと向かう。
そのままぷらぷらとスローペースで歩きながら、隣のクラスの前を通過しようとしたその時。
「わっ!」
突然莉乃が、勢い良く飛び退く。
その身体が、私にぶつかってくる。
莉乃を受け止めながら隣のクラスの入り口を見ると、数人の男子がちょうど出てくるところだった。
「あー、驚かせたな。ごめん」
低い声が響く。
真っ先に謝って来たのは、隣のクラスから出て来た集団の後ろの方に立っている、背の高いがっしりとした男子だった。
困った様に笑う短髪の男子のその表情は、物心ついた頃から良く見知った山内駿太のお決まりの顔だった。
「もう、気を付けてよね!」
莉乃がぶーぶーと文句を言う。
他の男子たちはそれに冗談で返したり少し面倒くさそうな表情をしてさっさと歩いて行ってしまうが、駿太だけは後頭部をかきながら謝っていた。
別にぶつかったという訳でもなく、横手から出て来た集団に莉乃が過剰反応しただけなのだ。駿太がそれほど謝る事でもないのだけれど……。
つまり、山内駿太とはこういう奴なのだ。
莉乃も同じ中学なので、駿太の事は良く知っている。本気で怒っている訳ではなく、からかっているだけだ。
相変わらずデカイなぁと今更な事を言いながら、莉乃がドスドスと駿太のお腹を殴りつける。
筋肉質で体格の良い駿太にとっては、莉乃のパンチなんて蚊に刺された程度の衝撃だろう。
莉乃に殴られたまま、駿太が私を見る。
柔らかな表情の中に強い光を宿した目が、私を見据える。
「奈々子」
「何?」
私は腰に手を当てながら、駿太を見上げた。
「久しぶりに一緒に帰らないか?」
駿太は微笑みながら、私を真っ直ぐに見る。
しばしの沈黙。
隣で明穂が、わあっと何故か驚いた様な感激した様な良くわからない声を上げている。
私は、不意につっと駿太から目を離した。
私と駿太の家はごく近所だ。一緒に帰るというか、真っ直ぐ帰るなら必然的に方向が同じなのだ。
現に、以前は毎日の様に一緒に帰っていた。
遼と、3人で、だけど……。
「……ごめん。莉乃たちとちょっと寄って行くから」
私は駿太から目を逸らしたまま、少しぶっきらぼうにそう答える。
「そうか。じゃあ俺は先に帰るよ」
駿太は特に気にした風もなく頷くと、莉乃の頭に軽くチョップを落としてからクラスメイトを追い掛けて行った。
……遼の事件があってから、私は駿太と2人きりになるのを避けていた。
一応、その自覚はあった。
私たちの事情を知らない明穂が、おろおろと私と駿太を交互に見ていた。
「じゃあ行こうか、ナナ」
事情を知っている莉乃は、特に何も言ってこない。駿太のチョップを食らった頭を撫でながら、さっさと歩き始める。
私たちはそのまま学校を出て、他の生徒たちと一緒に制服の軍団を形作りながら、駅へと向かう坂を下って行く。
爽やかな四月の風が吹き抜けて行く。
ふわりと髪が流れ、真新しい制服のスカートを揺れる。
道端では、鮮やかな緑とタンポポの黄色がさわさわと風に乗って踊っていた。
少しだけ傾き始めた太陽と青い空。
その下に広がるいつもと変わらない私たちの町。
私にとっても皆にとっても、これが秋野市の当たり前の日常の光景。
……でも。
私にとっての世界は、大きく変わってしまった。
ここに、遼はいない。
戻りたい。
出来る事なら、遼と駿太と3人で一緒にいたあの頃に。
……でも、もう戻れない。
遼が戻って来る事は、多分もうないのだから……。
胸がキュっと締め付けらる。
私はぎゅっと唇を引き結ぶ。そして、遠く町の向こうに広がる山々のさらに向こうへと、そっと視線を向けた。