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妖精に愛された僕  作者: 豆田あんじ
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願いの涯(はて)に

     




必死でルルを探していた智明に森がこちらに手を伸ばしかけてたのを、尻で後退りしていた智明は止まらずにその距離を空けようとする。


嫌われた。


森に嫌われてしまった。


あの舌打ちの音は未来永劫智明が生きている限り、したくなくとも何度でも忠実に脳内で再現できるだろう。


あんな激しい怒りを見せながら何故、智明に手を伸ばすのだろうか。


その手に捕まってしまったら最後、恐らく智明には抵抗など出来ないであろう。


櫂もよく智明を抱きしめたりするが、その腕の中はまるで親鳥に庇護されている巣のような、安心できる場所で。


だけど、森のそれは櫂とは違う。


知れば知るほど智明に更なる欲をもたらし、甘美な誘惑を仕掛けそれにふらふらと自ら手を伸ばしてしまいそうになる。


あの腕は、智明のものになど最初から、成り得なかったものなのに。


逃げなくちゃと思って脳が体に命令をするのに、何故か自分のものなのに上手く動いてくれない。


それでも動かない体を叱咤しながら、後ろ手に進めた指先が既にもう崖っぷちだったことをその感覚で知り、ベッドのマットレスのへりを智明は無意識に指で掴もうとした。


その動きが僅かにバランスを崩し、ずるっと掌が滑る感じと同時に智明の体が後方にがくんと傾いた。



「っ…!」


「うわっ、待てって!」



落ちる、と思った瞬間には自分の方に伸びていた森の腕が、寸での所で智明のパジャマの胸元をがっしりと掴んでいた。


リーチの長い腕の向こうには焦った森の顔があり、さっきの剣呑な色の瞳はすっかり鳴りを潜めていた。


パジャマの布だけに支えられ不安定でやや息苦しさも感じるが、程なく自然な流れで智明の腰に腕が回される抱きかかえられる。



「はあ…お前は全く…」



大切なものを抱えるように体勢を変えられ、森の膝の上にまたがり所謂縦抱っこという形で納まっている。


智明の肩に顎を乗せたまま、呆れを隠そうともしない森の安堵の溜め息が耳の後ろを擽る感触と共に、智明は消えてなくなってしまいたいと思った。



「ご、ごめん…」


「いくらベッドが低いって言っても、背中から受身も取らないで勢いよく落ちたら怪我するよ?」



背中に回された大きな掌が智明の猫毛をくしゃ、と撫でる。


あくまでも森の声も所作は優しく、智明がさっき見たものは幻だったのかとも思わせる。



「も、もう平気だから、離して」



だが、そんな都合のいい話などあるはずもない。


何が原因にせよ、自分が森の地雷を踏んだのは間違いない。


あんな目を、あんな声を、自分をそれだけで心底怯えさせたあんな森を、智明は知らない。


今智明を助けたのも長年の習慣で、思わず身体が条件反射のように動いただけだろう。


これ以上森の腕の中にいたら、自分からこのぬくもりを手放すことは困難になるとわかっている。


早くここから出なくては。


智明は渾身の力を込めてその腕を振り解こうとした。


だが、智明の予想したものとは真逆の答えが、降って来たのである。



「だめ」


「えっ…?な、なんで?」



一瞬上手くその言葉を飲み込めなくて、智明はきょとんと目を丸くして動きを止めてしまった。


力が抜けたのを確認したのか、もがいたせいでさっきよりも2人の体の隙間が空いてしまったのを、森がよいしょと呟きながら力強く抱き寄せる。



「し、森…離して…お願い…」


「だめ」


「どうして!?」



離れなくちゃいけないのに、何で森は智明の「お願い」を聞いてくれないんだろう。


小さい頃から森も櫂も智明の「お願い」には何でも言うとおりにしてくれたのに、それが出来ないほど嫌われてしまったのだろうか。


もう、戻れないってことなんだ。


じわりと滲んだ視界には森の背中しかない。


腕を回してしがみ付きたいのに、これは僕のじゃない。


ぽつん、と一滴ひとしずく


頬にあっけなく伝い落ちた涙が智明の唯一の希望だったかのように、心に大きく穿たれた穴から絶望が這い上がる。



「ごめんな、智明。俺…本気で嫉妬した」


「………え?」



どす黒い感情に身を任せそうになった智明に、後頭部を掌で抱えられ固定された耳に唇を付けられて、森の声が脳に甘く響く。


こちらに引き戻されたはいいが、その意味までは理解できていない智明に、森が吐息で微笑んだような気がした。



「…さっきの、さ。櫂が俺より随分前からルルのこと知ってたって聞いて…。自分が止めらんなかったよ」


「……」


「俺には言えなくて、でも櫂には言えたのかって思ってさ。そんなに俺は智明に信用されてなかったんだなって思ったら、あんなんなっちまってた」



ちがう。


そんなんじゃないのに。


どうして僕は自分の体を思うように操れないんだろう。


否定しなくちゃと思うのに、上手く息が吸えないし、息に音を乗せることができない。



「マジごめんな、俺昔から智明のことになると、見境がないっつーか…」



いつもそれで櫂ともケンカしてたしな、と吐息交じりの呟きすら智明の脳を更に揺さぶる。


そうだ。


森と櫂だけは、真っ直ぐに智明を見てくれたのが、今までの智明を支えていてくれたことを忘れてはいない。


2人のケンカを止める役目も自分だけができることが、子供ながらにそれが誇らしかったことも思い出す。



「さっきの…智明の顔見て、正気に戻ったよ。あんな顔させるつもりなんかなかったってのに…。それにベッドからも落としそうになったし」


 

ベッドから落ちそうになったのは森のせいではないと思うのに、でもあんな怖い顔をするから智明は逃げようとしたけれど。



「こ…」


「…うん?」



「怖かった…」



やっとの思いで絞り出した声は弱く震え、鼻に抜けない空気がそれをやけに甘く響かせる。


泣かせてしまったのだと顔を見ずともわかる。



「ごめん、智明」


「ふえっ…」



肩に染み込む温かいものを感じながら、森は静かに咽び泣くこの愛しい背中を抱きしめた。












子供の頃に比べて森は少しだけ素直になったような気がします。

本当に森の世界は智明で回っているんです。

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