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マリアの言うとおり、会議室に入ると稀有の目に曝された。しかし、それに触れるものは誰もいない。ただ一人、ガントだけがあからさまに驚きの表情でランドを見つめ止まっていた。ランドはそんなガントに会釈をして席に着いた。手元にはレジュメが用意されていて、進行が書かれている。今日の主を握るのはガントだ。
ガントらしく遠慮しつつもたもたとしながら、始まったのか始まってないのか分からない状態で会議は始まっていた。始まったと気付いた者たちがまだざわめいている者に対し咳払いをした。今までの研究の報告。成果反省。そしてこれからの課題。質疑応答。ガントは出席者の顔色を窺いながら、全くその顔を見ていなかった。彼は不思議な人物だ。
「でも、いつか魔獣を動物に戻すことを可能にしたいと思っています」
ガントはずっとぶれずにそのことを言い続けている。実際には、処置された動物が魔獣を生む。今のところその逆はない。そして、その魔獣たちは親を食い破ってこの世に誕生する。それは百科事典の注釈に使われる挿絵、魔女誕生と同じだった。人の腸から手を伸ばし生まれ出て来る魔女。
その魔獣は動物と全く同じもので成り立っている。ただ、魔獣として存在しているだけ。まるで、あまりにも窮屈な場所から、掻き出てきただけのように、同じものが生まれてくる。だから、本当は親と言うのには語弊があるのだろう。もしかしたら、脱皮と言う方が正しいのかもしれない。しかし、人間に応用されれば、魔女が生まれる。おそらくガントには出来る。これがこの会議の主題である。
魔獣は大量に血を流し、肉を引きちぎられても動き続ける。死に至るにはそれぞれで、中には頭と胴体が千切れた後も動いていたという物もあるらしい。ただガントの作る彼らにはふと時間が切れたようにして急に倒れることがあった。それが未完成と言われる理由でもある。
そもそもワカバは人間と変わらずに死んでしまうのではないかとランドは思っている。ランドが食事を与え始めた頃から、ワカバはそれなりに成長してきていた。今の姿は幼い女の子ではない。平均よりは下回るが、十四歳になる少女の背丈になっている。それに、大量出血を起こしたワカバは貧血で動けなくなった。致死量を越えれば簡単に死んでしまうような気がした。
ただ、ランネルは、ワカバの中で爆発した力が、トーラにつながると思っている。トーラという力を得たいのだ。ワカバが魔女であれ、なかれ、ワカバが必要なのだ。おそらくランネルはその力を我が物に出来るのなら、その魔女にその身が落ちようとも構わないと考えているように思える。
トーラを持てば、今を都合よく書き換えられる。死んだ者を生き返らせる。現在不都合な者を過去で消し去る。時を元に戻す。世界の過去を書き換える。永遠を持つことが出来る。アーシュレイがアナケラスに求めて欲しくない力である。
そして、それを阻止するため人間に与えられたとされる物が、銀の剣だ。魔女はこの剣なしでは倒せない。魔女の時を止める唯一の武器。
しかし、神が授ける銀の剣は一所に留まらない。まるで意志があるかのように、それは役目を終えると新たな持ち主を探し求める。だから、アーシュレイが使った銀の剣は魔女討伐の歓喜に乗じて失われている。
出席している偉い学者たちは、立派に伸びた髭を突き合わせたり、拡大鏡で資料の一部を丹念に調べたりして、よからぬ話し合いをしているようだ。
ガントが顔をしかめながら魔女に施そうとしている注射の成分をつらつらと言い流した。動物を魔獣に、人間を魔女に…。救いは、あの魔女以外の人間にその薬を注入せずにいられること、だとその顔に書かれていた。
ランドは会議中にもかかわらず、ワカバは大丈夫だろうか、と考えていた。そして、昔書いた論文の仮説を思い出していた。ある時点を基点として魔女は『今』からその基点までの間に起きた出来事を整理することにより、『今』を変える。だから、不必要になった魔女は影だけを残し消えたように見える。魔女はトーラという魔力から解放され、人間に戻る。ラルーに否定された部分だった。人間には戻らない。
「もし、それが人間に応用出来るとすれば、人間が魔女になることはあるのだろうか?」
「それは、」
ガントが詰まったのをいいことに、ランドはすかさず自分の方に主導権を持ってきた。二度とこんな場所に来ることも招かれることもないだろうと思えば、発言しておかなければ損、というものだ。
「それはありえません」
「君はなんだ? ふざけた格好をして」
その言葉は最近よくランドに向けられる。
「私は魔女研究室の主任をさせていただいているランド・マーク・フィールドです。こちらへは初めて参加させていただきます。今日はランネル長官、ラルー副長官を代理してここへ出席しておりますので、どうぞよろしくお願いします」
ランドは長い自己紹介をすらすらと流れるように続けた。もちろん、完全に出任せというわけでもない。事実ラルーもランネルも魔女研究に関わる人間はランド以外いない。ただ、長会議に分不相応な立場ではある。同期のガントの肩書もランドの一つ上の室長なのだ。
「人間と魔女となるとこちらの分野になりますので、答弁中でしたが答えさせていただこうと思います」
何となくガントの表情が硬くなった気がした。
「まず、魔女と人間に生物学的な違いという物は見当たりません。そして、リディアスに残るたくさんの資料から推測しましても、彼女たちに共通するものもありません。現在魔女とされている彼女には時間があり、この五年だけでも十分な成長をしております。これは明らかに魔獣と動物との関係とは違う点でしょう。だから、たとえ人間に応用されようともその者が永遠の命を得たかのようになるだけで、魔女にはなり得ません」
もし、魔獣と同じと考えるのならば、ワカバは成長せず、生まれてきたその存在自身で完成でなければならないのだ。しかし、ワカバは成長し、そして、魔女の力を持っている。
「しかし、あの魔女は現に食べずにいても生きていた」
「いえ、魔獣は食べ物を口にしたとしても、成長しません」
魔女と魔獣が同じでありきの出席者たちがざわめいた。
「あの魔女は人間と同等の感情や意志、知力を持っています」
ざわめきが会議室を埋め尽くした。そして、初老の学者がそのざわめきに終止符を打った。
「どういう意味かね?」
静謐さをもつ彼の声に、ランドも声を改めその回答を述べた。
「言葉どおりの意味です。人間と全く同じ物で出来ている生物で、進化の過程で違う道を辿っているというものでもありません。ましてや、悪魔などという現実味を帯びていない生物でもありません。もしその存在を悪魔だと意識づけるのならば、私たちはもっと神を崇めなければならなくなりません」
そう、ワカバが魔女であるという原始的な考えで彼女を認識するのであれば、魔女を作り出すという神への冒涜を赦してはならないはずだ。
「君は熱心な宗教家かね?」
「いいえ、全く。ただ、魔女への実験に対しては大いに反対しております」
空気を読まずに勝手に喋り出した小童に対しての学者たちの怒りの表情がランドに注がれる。
「全く話にならん。座りたまえ」
ランドは一礼をして静かに着席をした。少なくともランネルの代理の弁であるという仮面は剥がれたのだろう。ただ、二度と来る気がないと語気も強く言える。嘘は言っていないが、本当でもない。何も変わりがないということは、何か、をきっかけに魔女の力を得る可能性があるとも言えた。ランドが出したい答えは単なる個体差であるということ。例えば、器用不器用、痩せている太っている、肌の色、髪の色というような。
ガントに主導権が戻るとさっきまでの緊迫は全くなくなり、穏やかに進行していった。ランドはさっきの初老の学者を見ながら、どこかで見覚えがあると感じていた。




