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 ここはランネルが長官になってから出来た新しい部署で、ランドの配属先でもあるが、ほとんどの研究員はランネルが各研究室から選りすぐった者で成り立っていて、午前中をここで過ごし、午後からは自分たちの研究分野へと戻る、というスタイルをとっている。ランネルはここの最終管理者で、医療器具や理科実験室にあるようなフラスコ、ビーカー、アルコールランプ、昆虫の標本、小動物ホルマリン漬けなどが詰め込まれたこの雑多部屋の奥に仮の長官机を置いていた。その机の引き出しにあるファイルの数々の内容は今までに捕まえられた魔女が最後に至るまでの経緯が記されていて、引き出しの鍵は長官が持っている。例えば、その魔女たちの中に黒い影だけを残して死んだ者はいるのだろうか。


 ランドはランネルの息しか掛かっていない職員の机に、ラルーから返された書類を載せながら、その引き出しの中を想像した。そして、マリアの机にラルーの言伝のメモを置いて、外へ出た。午後からはつまらない研究者たちの研究発表お膳立てをしなければならないし、講義の予習をしておかなければならない。明日はランネルが戻ってきて、リディアス城で大臣と国王に向けての魔女確保とその経過報告、そして、その使い道についての報告会議がある。その資料を閉じて、人数分用意する。内容は、吐き気がするものだった。大きな結論としてはランドの意見と変わらない。


 魔女の力は科学の力で全てが解明される。


 マリアも文句なしだろうと思うくらい完璧な準備が終わると、もうとっくに勤務時間は過ぎていて、最後の光を惜しむような夕日の赤い光が窓に射し込んでいた。ランドは宿直の用意をするために少しだけ自宅へ帰る。その前にガントの所属する研究室へ寄った。部屋の中は節約のためか電気が全て消されていて、その中に一人ポツンとガントがいた。ガントは相変わらず最後まで残ってホッチキスの作業をしていた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様」


ガントは嬉しそうににっこりと笑い、挨拶を返した。


「おやつを頂いたので、もらってください。今日のお礼です」


「ありがとう。今日も宿直? 大変だね」


「えぇ。君は待っている人がいるから早く帰った方がいいですよ」


ガントは頭を掻きながら、恥ずかしそうに「でも、母さんと父さんだからね」と呟いた。


「いいじゃないですか。お二人ともご健在なのは」


「そうかなぁ。早く所帯を持てってうるさいよ」


頬を掻きながらもまだまだ話し出しそうなガントを放って、ランドは笑って手を振った。ガントも手を振り作業に戻った。ガントのいいところは、人に起こり得る現象に対して深読みをしないというところだ。


 ランドの住む職員用寄宿舎はピジョン通りにあり、図書館や役所など、夜には静かになるものばかりで構成されていて、町の全てが眠ったようになってしまう。大通り沿いを一本内に入った所にある灰を被った薄暗いアパートの一室がランドの自宅で、洗濯物と領収書の入った紙袋がノブにかけてあった。受取日をとっくに過ぎてしまっていて、洗濯屋がしびれを切らしたものだ。ゴルザムでは学者に限らず、そんな輩が多いのだろう。大概が先払い制で成り立っている。時間に疎いランドにとっては嬉しい制度だ。ランドはそれを手に取り、扉の鍵を開いた。灯りをつけても薄暗く、力のない笑い声が出てしまった。ここは自宅とは到底呼べない。一週間に一度着替えを取りに帰ってきて、ずっと昔に一人だと寂しいだろとガントがくれた金魚に餌と水を与え、再び出て行くだけの場所。よく金魚も生きているものだ。


 パイプベッドの上にある布団も今日干した宿直室の薄い布団の方が快適に見え、宿直室の方が落ち着く場所になりつつある。ただ、長い夜はどこにいてもあまり変わらない。ただひたすら闇に向かい続ける時間は、あまりにも長く感じられる。ランドは昨日読み終えた百科事典を書棚に返し、黄色い背表紙の別の本を取り出した。それは名前のないロバの話が出てくる童話で、ランドが幼い頃によく読んでいたものだ。ランドはまだ読み書きの拙い妹にそれを読むようにせがまれ、毎日同じ物語ばかり読んでいた。ちょうどあの魔女と同じ年頃だった。


 妹は金魚を欲しがっていた。


 ラルーのお許しをもらったのもあり、ランドは魔女と一緒に食事を摂るようになった。しかも、ラルーがそれをパルシラにも伝えておいてくれたようで、ランドが二人分の食事を運んで来て、中へ入っていくことに対して拒まれることもなかった。やはり魔女は何も食べなかったが、ランドが食べる様子を注意深く見つめていた。もしかしたら、これもラルーの差し金なのかもしれないが、ランドとワカバの立場が逆転したような形だった。ただ、それは人間が魔女の仕草を一つ一つ取り出して興味深く観察しているのと同じようで少し違い、まるで不思議なものを口にしている者が目の前にいて、それを不思議そうに見つめているという風だった。その間ワカバは何も話さないし、答えない。ランドは一人で食事を進め、終える。そっけない食事ではあるが、ランドに注意を向ける対象が目の前にいることは、不思議な感覚だった。


「ごちそうさまでした」


ランドはワカバを意識して、行儀よく手を合わせて食べ終わりの挨拶を終えた。


「あの魚は金魚っていうんですよ」


ランドが勝手に持ってきた金魚をちらりと見たワカバは、再びランドに瞳を戻した。そして、またランドの持ってきた食べ物に視線を移す。とりあえず、観察日記は継続中だった。しかし、それは以前のものとは違い、ランドが付ける自主的なもので、習性記録というべきなのだろうか。いや、これが人間に対して行われているのなら、彼女に思いを勝手に募らせる片思い中のストーカー男、というところかもしれない。


「ここつまらないでしょう? 挿絵もたくさんあるので見ているだけで楽しいと思いますよ」


ワカバは置かれたままの食事から少しだけ目を離し、ランドの本を見つめ、受け取った。ランドに与えられた時間はここまでだった。また来ます、とはいうもののそれがいつになるか分からない。扉から出てきたランドにパルシラが「余計なことをすると」と忠告した。


「大丈夫ですよ。あなたに問題が及ぶ事じゃありませんし。あっ、それと残飯処理いつもありがとうございます」


そして、尋ねた。


「あの時、どうして魔女を連れて行ったんですか」


パルシラはランドから目を離し、わざと言葉をぞんざいに扱った。


「約束を守っただけだ」


パルシラの考えは今ひとつ分からなかった。あの時、危険を冒してまでランドとの約束を守る必要はやはり敵討ちだったのだろうか。それとも他に何か理由があったのだろうか。しかし、彼女の口はそれ以上何も語らなかった。おそらく彼女の口からランドに語られることはないのだろう。研究室へ戻ってくると職員の一人が久し振りに声をかけてきた。


「昨日の会議の準備はよく出来ていた。会議もそつなく終わったよ」


「そうですか」


あまり興味のなさそうな返事をしたランドにその職員は「嬉しいだろ?」と念を押してきた。ランドは「もちろんですよ」と明るく笑顔を見せた。


「だよな。だって、こっちでの評判が良くなれば、上級学校への遠征も無くなって研究に没頭出来る」

ランドが準備をしたランネルの会議も大したトラブルもなく過ぎ、国王も大臣もランネルの言うことに対して全てが二つ返事でスムーズに終わったらしい。「そうですね。じゃあ、行ってきます」とランドはその遠征へと出かけた。彼はランドを応援するかのように肩をたたいて送り出した。そういえば、ここ最近その遠征が増えてきているように感じるが、気のせいだろうか。




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