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Ephemeral note ~リディアス国立研究所  作者: 瑞月風花


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「君も、探してくれているんですか?」


ガントは頷かず、にこりとした。


「僕、今日でここを去ろうと思うんだ。君、どう思う?」


胸の中央を氷で突かれたような気がした。その氷を溶かせば血が吹き出てしまう。溶かさなければ、助かる見込みはない。


「どうしてですか? だって、君、最近子どもが生まれたって。今辞める時期じゃないでしょう?」


「君が反対する理由にしては当たり前すぎる理由だね」


ガントはものすごく落ち着いていた。ランドはその落ち着きに合わせなければならないような使命感すら感じられた。


「分かりました。でも、ちょっと待ってください」


「いくらでも待つよ」


ランドは大きく深く息を吸った。ガントの話は彼の上司として聞かなければならないし、彼もそれを望んでいる。ランドが気持ちを切り替えるのを見届けるとガントはぽつぽつと言葉を零し始めた。


「あの魔女ね、君のあげた金魚を大切にしてたんだ。あの金魚、ぼくが君にあげた奴だよね」


そうだ、夜店の帰りだといって、金魚を分けてくれた。まだ、学生の頃だ。数匹いた金魚も時を重ねるごとに数が減り、とうとう一匹になってしまったのだ。金魚鉢の中で、金魚はいつも寂しそうに口をパクパクさせていた。


「あの金魚ね、浮き袋がおかしくなってて、とても心配してたんだ。金魚自身も年だったからね…そりゃ、どこかおかしくなるだろうけど、それをとても心配してて、自分のせいじゃないかって、毎日金魚に声を掛けていたんだ。あの衛兵たちが時々酒を飲んでいることは知っていたんだけど、それも咎めることをしなかった。僕が行った時、いや、正確には、一度退室して戻って来た時、もう衛兵は吹き飛ばされていて、でも、ちゃんと息はしていた。あの金魚だけが踏みつぶされていた。以前の会議の報告覚えてるかい? ちょっと席を外しただけだったんだけど、ずっと一緒についていてあげればよかったんだ。上機嫌で酒を飲んでいる彼らがその独り言に逆上してやったんだと思った。割れた金魚鉢の側にはぐちゃぐちゃになった金魚がいて、その傍に膝を折った状態で凍ったように見下ろしているあの魔女がいたんだ。この子には、死を悲しむ気持ちがあるのが分かった。冷静にその死を看取っていた訳じゃないんだ。ただ、恐ろしいことが起こった、もう動かない、もう…だから、僕はその金魚を紙に包んでやって、そのまま逃がした」


「逃がしてどうなると思いましたか? リディアスであの魔女がどうして生きていけると思うんですか?」


ガントは何も答えなかった。だから、ランドはそのまま続けた。


「明日までに辞めることを書面にして出してください。私は宿直室にいますので」


「分かりました」


神妙な空気が流れた。自分がそうし向けたのだろうが、ランドはその空気が嫌いだった。あの時と同じ空気だ。妹はどこかと問い詰められた両親は、その話題に触れられたくないために「忘れろ」と静かにランドとは目を合わせずに呟いた。ガントから目を背けたくなかった。


「これからどうするつもりなんですか?」


ランドはガントに尋ねていた。ほぼ無意識にその空気から逃れようとしているのに気がついた。ガントが肩の力を抜いたように見えた。しかし、そのシルエットはだいぶくたびれてきていて、まるで長い時間誰にも拾われずに風に流され続けた新聞紙のようだ。ガントは色々なことに疲れ果てて、ワカバを逃がすということと自分が自由になるということを重ね合わせたのかもしれない。そして、その衝動はまるで堰を切ったように流れ出て、ガントの理性を全て流してしまったのだ。流れてしまったものを取り戻すには時間がかかる。


「女の子でしたっけ?」


「まだ三ヶ月で、やっと人間らしい顔つきになってきたかな」


ガントはゆったりと答えた。いつものガントのようで煙のようなガントが白衣を脱いで、そのポケットから煙草を取り出した。


「いいかな?」


「えぇ。私にももらえますか?」


ランドはガントに聞いた。もちろん彼は拒まずに煙草をくれる。火もガントにもらった。二人の煙が夜空へと消えていく。


「小さな塾でも開こうと思ってるんだ」


「そうですか、きっとうまくいきますよ。君は熱心だから」


「そうかな」


「えぇ。私が保障しますよ」


ランドは我知らず笑っていた。その横でガントのため息混じりに笑う声が聞こえた。


「僕は弱くて小賢しい、質の悪い人間だ」


「いいえ、君は十分に優しい人間です」


「違うよ。僕がワカバって呼べない理由は、そんなんじゃない。ラルー長官が言ってたんだ。あの子がトーラにならない理由は『ワカバ』がいるからだって。『ワカバ』がいる限りあの実験を続けなければならなかったんだ。それが嫌だっただけなんだ」


ガントの口調は静かに絶望に満ちていた。


 それから二時間も経たないうちに魔女確保の知らせが届いた。


 ガントの辞意を受け取ったのは結局明朝のことだった。ランドが副長官室に入る前にその机に置かれていた。ランドはそれを胸のポケットにしまい、ラルーの帰りを待つことにした。


 ラルーは翌日の昼にはリディアスに戻り、すぐにあの魔女に会おうと努力した。しかし、その許可が下りるには時間がかかり、結局夜になった。ランドはガントを差し出した。衛兵側にも非があった訳だから、おそらくランドがいればガントばかりが不利な立場に追い込まれることもないだろう、とは思っていたが、さすがに緊張ままならない状況が一時続いた。それなのにガントはいつもに輪をかけるほど緊張緩和状態で、余計な心配を起こさせる。起立をしているランドとガントの前には、どんな動揺も見られないラルーがいる。


「彼がしたことは許されないことでしょう。しかし、彼があの部屋に簡単に入れるようになっていたという状況自身に、私は問題があると思っております。この通り彼も反省しておりますので、どうか寛大な処置が下されますようお願い申し上げます」


ランドは必死になって上司の表情を読み取ろうとした。しかし、ラルーの表情からは何も読めない。その代わりというのだろうか、恐怖は感じなかった。ラルーはとても静かだった。


「ことの顛末は分かったつもりです。追って知らせますので、それまでは今まで通りの業務を続けておいてください」


その声は、ランドの懇願を否定するでも肯定するでもない、まるで、機械から発せられたもののようだった。

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