表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/25

1

『Ephemeral note ~少女が世界を手にするまで』よりも少しだけ前のお話です


 まず始めに、ここはリディアスという国。リディア家が代々治めていて、先代が今の領土を確立した。そして、その不安定な領土を確固たるものにしたのが、かの有名な魔女討伐を行ったアーシュレイ王子だった。魔女は悪魔。そして、討伐のために天から与えられた物が銀の剣。ただの魔女狩りではない、銀の剣が使われた魔女狩りだった。


 銀の剣で討たれた魔女は今も最期の土地となったオリーブの地を黒く染めている。魔女は影だけを残し消える。それは伝承どおりの死に方だった。魔女という絶対的悪の前で全ての信頼が平和的にリディア家に集まった。もちろん、選ばれし勇者であるアーシュレイは次期国王になった。

その後、リディアスは幾度も魔女狩りを繰り返し、その度に国力を高め、世界屈指の大国と名を轟かせている。


 今はその息子のアナケラスがリディアスを治めているが、今もオリーブには栄光を語る英雄像とその影が大切に残されている。しかし、銀の剣は伝承通り消息不明になった。


 そして、ここはリディアスの国立科学研究所。リディア家が国を治め始めた頃からある歴史ある研究所であり、その全員が医学、理学、薬学、科学に精通し、それぞれの得意分野を研磨していく場所である。優れた学者は研究に没頭し、一部の学者は病院へ派遣され、また一部は上級学校で分野別の授業をする。ランドはそんな場所で魔女の研究の傍ら上級学校での講義を週に数回、という生活を送っている。


 朝顔の観察日記を書くように、もしくは、マウスの検体記録でもつけるように、ランドは魔女の一日を記録していた。最初の頁にはその特徴、茶色い髪、緑の目、白い肌と記入されてあり、次項から魔女の体重と身長、血圧、脈拍、血中成分の結果。喉の奥、目の異常などを検査して、数字を並べる。そこには四年前に魔女が生け捕りにされてから全く変わらない数字が並べられているだけで、おそらく来月も同じ数字が並ぶだけなのだろう。


 この魔女狩りを指揮していた研究所副長官であるラルーの指示のもと、ランドはこの仕事をするようになったが、学生よりも、水色の白衣を着ている研究生よりも退屈な仕事だ。学生時の研究論文のための実験の方がまだ面白かった。あれには変化がある。変化のない時は失敗だ。


 だいたい、職員なら「健康でーす」の一言でパス出来るような検査に何の意味があるのだろうか。魔女の心臓は動いていて、呼吸だってしている。脈も正常。血圧は少し低いかもしれないが、気にする程度のものでもない。血中成分も正常範囲内。人間なら生活ひとつですぐ数値に変化が現れるところの検査。

しかし、魔女は食事をしない上に、この数値すら毎回同じ数値を叩き出す。研究所の職員たちはそのことに大きな興味を抱いているのだが、ランドは次第にこれに変化をもたらせたいと思うようになった。何も口にせず、点滴すらしないのに衰えない数字。いや、人間ならばとっくに死んでいる期間。薬品はランドが好きに調達出来るものでもないので、まず手始めに、食事をさせようと思った。


 午後十時に眠りに就く魔女は午前九時に目が覚めて、ぼんやりと過ごす。トレーに硬いパンと水を載せて魔女の前に出すと、魔女はそれを不思議そうに見つめたまま首を傾げる。そして太陽の光がチーズを溶かし始め、嫌な臭いを発するようになっても、魔女は不思議そうに再度首を傾げるだけで動かない。監視役の衛兵パルシラがそれを疎ましそうに持って帰って来て、面倒くさそうに「手つかずだ」と告げる。まるで「食わないんならやる必要なんてない」とでも言いたげだった。ランドは「そうですか」とだけ言って、生ごみ入れにそれを一気に流しこんだ。惨めな食べ物がゴミ箱の奥で恨めしそうにランドを見つめている。


 結局何をしたとしても魔女の行動に変化はない。


 肉食獣に野菜をあげているわけでも草食獣に肉を与えているというわけでもない。生物学的に見ても人間と全く変わらない魔女に、人間の食べるものを与えているのだ。卵や、小麦、乳製品。根菜類や菜っ葉もの。手の凝ったものは出せていないが、結構頑張って様々な国の食文化を研究してきたつもりだ。そして、とどのつまり一日二日放っておいても異臭を放つことのないだろう水とパンに落ちついた。食べないのなら、作る必要のないもの。何も食べさせる必要なんてないと思っているパルシラよりになりつつあるのは明白だった。ランドは研究机に顔を伏せ、気持ちを変えようと腕時計を見た。午後十一時を過ぎたところだった。おそらく魔女はもう眠っているのだろう。起こさなければ一度も起きることなく、寝返りすら打たず、死んだように眠り続ける。一度本当に死んでしまったのではないかと思ったくらい、彼女は動かず白く冷たい。


 ランドは同じ数字を書き込んだノートを閉じて、百科事典とノートを抱いてそのまま微睡み始めた。この硬い枕にもすっかり慣れてきた。夢の中であの魔女が何か喋っていた。そう言えば、あの魔女の声も聞いたことがない。なんて言ってるんですか? 魔女は大きな口を開けてランドに何かを伝えている。えっ?


 大きな音と痛みで、静かな微睡と夢か現かの気持ちの良い眠りは途切れてしまった。ランドは体を動かすことが億劫で、ゆっくりと腕を目の前へ持ってきた。腕にある時計は短い針が九、長い針が三を指している。


「やっと起きてくださいましたね」


長官秘書のマリアがランドの枕だった百科事典を持って立っていた。ほんの一瞬だけ何が起きたのか把握出来なかったが、すぐに血の気が引いた。


「はい。すぐ用意して、すぐに行きます」


「準備はもうさせて頂きました。確認だけお願いします」


お怒りの理由はよく分かる。ランドの遅刻と無断宿泊だ。それよりも淡々と人格を否定してくるような響きがランドの頭に残るということの方が腑に落ちない。これはランドがおかしいのだろうか。それともマリアがそのように聞こえるよう仕向けているのだろうか。とにかく、ランドの目にはマリアが鬼よりも恐ろしく映っていた。


「このくらい自分でなさる時間を作ってください。長官ではなくても他の職員の方々でさえそのくらいのことなさいます」


見下したような瞳を見る限り、おそらく後者だ。本来マリアは長官秘書だ。こんな一介の出来の悪い研究者見習いに付き合う筋はない。ラルーの口添えがあったのだとしても、よく長官のランネルが許したものだ。


「そうですよねぇ。以後気をつけます。すみません」


いや、それよりも、反りが合わないのだと思った。おそらく攪拌機にかけたとしても、ランドはマリアと交じり合わないのだろう。頭をかいたランドは検査キットを持って素直にマリアの前を歩き始めた。聴診器に注射器のセット、アルコール綿花、ハサミ、ガーゼ、包帯、ピンセット、針。謎のメスの類、カルテと検査に入る前に各研究者とつき合わせるための資料。確かにこのくらいランドにでも用意出来る。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ