いつやるのいまでしょ
このところキニナル言い回し、というものがある。
キニナルというのはつまり、気に障るということで、小姑の粗探しみたいで褒められた感情ではない。
「なろう」での小説の話ではない。
むしろ、活字の世界ではあまり見かけないようにすら思う。
現実世界の、主に、テレビ番組での話だ。
明日の決勝に向けて意気込みを語るアスリート。
「メダルを狙いに行きたいと思います」。
その家族の応援コメント。
「がんばれって言いたいです」。
スタジオのタレント。
「獲ってくれると思いたいですね」
「応援したいです」
「必ず勝ってくれると僕は言いたいですよ」。。。。
いや。
やれよ!!
え?なんで?「メダルを取りたい」ではなく「狙いたい」なの?
取る、のは、難しいでしょうね、うん。
でも狙うのは己のハートに一存された話で、狙えばいいじゃん。
「狙います!狙ってます!取りたいです!」でいいじゃん。
「狙いたい」だと、そこまで己のモチベーションをあげることだけを目的にした言葉になってるよ!?
いやまぁアスリートのほうはいいよ。本当にそういうモチベーションアップに苦労してるのかもしれないし。まぁいいよ。
しかし「応援したい」ってなんだよ。しろよ!「がんばれって言いたい」?言えよ!「願いたいと思います。」考えすぎだよ!そのまま願っちまえよ!
汚職政治家「お詫び申し上げたいと思います。」
詫びろ!
弔問客「ご冥福をお祈りしたいです」
祈れ!
「被災地の全面復興に努めたい」
努めろよ!できることだけでいい、実現できなくたっていい、途中で逃げたっていいんだ、だけど、努めるのは己だろ?
や れ よ!!
と、このように、「行動、実現」や「結果」ではなく、己の感情そのものすら明確化できない輩が増えているようで、いちいち、なんでやねんと舌打ちしているわたしである。
いやごめん嘘、さすがにそんないちいちは気にしてないけど(笑)
しかしなー、
「頑張りたいと思います。」
て、ほんと、よく聞きますよね。
なんなのさ。
いや、言葉のアヤみたいなんだとはわかってるよ?
イコール、「頑張ります!」なのは、知ってるよ。
日本語が間違ってるわけでもなく、ニュースキャスターもよく言ってるし、世間様を見てみるにコレを気にしてるのは世界でわたしだけのようだしさ。
言葉ってのは生き物だから、基本的に、「万人に通じればそれが正解」なんだと思ってるよ。
でもなぁ〜……
……己が口にした言葉に、己が操られることって、あると思うんだよね。
やっぱり、わたしはこう言う。
「頑張ります!」