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『カモシンを慰める過程で浮かんできたもの』  バーシュウレイン側視点

「まぁ、これでも飲んで、気持ちを切り替えたらどう?」

 ガウチが勧めた気付け薬代わりのコーヒー。濃さ、苦み、共に五割増。

 それをカモシンは二杯飲み干した。でもそう簡単に効き目が現れるはずがない。

「もうすぐわたしの脳は壊れる……あの世から、お迎えがやってくる……」

 まだまだ弱気のカモシンを、ガウチは笑い飛ばした。

「なにバカいってんの。わたしたちよりずっと長生きするわ。あなたの名前、まちがいなくギネスブックに載る」

「気休めの冗談なんて、聞きたくもない」

 怒ったような声に、ガウチはかすかにほほ笑む。でも、相変わらず、うつむいたまま。肩も落ちている

 空耳なんて誰にでもある。気にしなくていい。とくりかえすガウチに耳を貸そうともしないカモシンに、こんどはベッキーが、やさしい声をかけた。

「寿命のことは、よくわからないんだけど……」それから顔を斜めにして、カモシンを見上げた。

「さっきの、あれなんだけど」

 そこで言葉を切って、カモシンの視線を待つベッキー。

「なによ、さっきのあれって」

 わかっているはずなのに、そんないい方をするカモシン。それを、ベッキーはかわいいと思う。でも、表情には出さない。

「ほら、よく耳にするでしょ。白日夢と白昼夢」

 カモシンの表情に思案の色が浮かぶ。でも目にいつもの光はない。しばらくしてカモシンが、ぼそっといった。

「知っているけど、それがどうかしたの」

 こんどは本当にわからない様子。理解していない顔。ベッキーは、声の調子をさらにやわらかくする。

「あなただけに聞こえてきた声も、白日夢の仲間だと思うの」

「仲間?」

 問い返すカモシンの目に、なにかを期待するような色が浮かんだ。ベッキーは心の中でつぶやく。だいじょうぶよ。わたしたちが、あなたを守ってあげる。

「そう、ある種の白日夢だったのよ。だから、心配することはない。寿命とは無関係。もちろん、脳のほうもね」

 そういって、様子をうかがうベッキー。しばらくの沈黙のあと、カモシンは唾を飲み込んでから、上目遣いでいった。

「気休めだったら、怒るわよ」

 カモシンの目に力が戻ってきたようだ。ベッキーは、返事の代わりにほほ笑みを返した。

「白日夢とか白昼夢というのは、その人がなにかに没頭しているとき体験することが多いらしいの。我に返ったあと、現実と妄想の狭間をさまようことがあったとしても、心配ご無用。白日夢は、普通の夢と変わらない。夢の内容だけじゃなく、夢を見たことさえ忘れる。さっきの現象は、年齢とは関係ないの。ひとことで言えば、あなたの頭の使いすぎ。たまには頭を休めなさい。そんな身体からの警告だったのよ」

「ひとごとだと思って、そんな無責任なことを……」

 そこでガウチが、割り込んだ。

「いま思い出したんだけど、白日夢でみたものが発明につながったという話を聞いたことがあるの」

 それからカモシンの目をのぞき込むと、誘導するようにつづけた。

「ねっ、思い当たることがあるでしょ。それが、さっきの声とつながっているのよ、なにに没頭しているの?」

「そんなのない」即座に否定したカモシンだったが、すぐにそれを翻した。

「ある。ちぎれ雲さん」

 いきなり自分に振られたちぎれ雲が、びっくりしたように、のけぞった。

「僕……ですか?」

「そう、あなたの記憶を取り戻してあげたい。いつもそう思っているの」

 すると、あとのふたりも同調した。

「それだったら、わたしもそう」

 バーシュウレインの三人は、しばらくうなずき合っていたが、そのあと、エネルギーが切れたように、急に黙り込んだ。

「ねぇ」

 十数秒して、カモシンが思い出したようにいった。

「何の話から、こんなふうになったんだっけ?」

 ベッキーがにこっと笑った。

「これよ、これ」

 大きな声でいって、アイパッドの履歴を開いて見せた。

「むかしこのあたりで行方不明になった若い娘さんの話からはじまったのよ」

「そういえば、そんな話をしていたわね」

 つぶやくようにいうカモシンに視線を向けていたガウチの目が、きらりと光った。

 それに気づいたベッキーが、すかさず、

「どうしたの? なにかひらめいたの?」

と訊くと、ガウチは意味ありげな笑みをもらした。

「ひらめきとか、そんなものじゃないんだけどね」

 ガウチは、そのままの顔をカモシンに向けた。

「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、さっきの声、行方不明になった娘さんだったんじゃないの?」

 明らかに冗談だとわかる声。にもかかわらずカモシンは、両手で頭を抱え込んでしまった。

「やめてやめてやめて、こうみえても、わたし怖がりなんだから」

 傍から見ると、いじめ、いじめられの構図。でもガウチは、おかまいなし。さらに畳みかけた。

「じゃあ、さっきの娘さんの顔だけでもいいから教えてよ」

「何を聞いていたの?」カモシンはうつむいたまま、むくれる。

「わたし、顔が見えたなんて、一言もいっていないわよ。声だけだったの。声だけ女」

「声だけだったとしても、だいたいの雰囲気はわかるでしょ。気が強そう、正直そう、その程度のことは」

「それ以上言わないで」カモシンは押し殺した声で付け加えた。「思い出したくもない、声だけ女」

 しかし、ガウチは「じゃあ、これが最後」とつづけた。

「ずいぶん怒っていたようだけど、その原因は、どっちにあったの?」

「どっち?」顔をあげたカモシンは、じろりとした目をガウチに向けた。

「どうしてそんなムダな質問をするの? むこうに決まっているでしょ」

 それからベッキーに顔を近づけた。

「それとね。誤解しないで欲しいの。わたし腹を立てたんじゃない。話しを打ち切っただけ。相手が心を入れ替えたら、いつでも応じてあげる」

「ほんと?」

 嬉しそうにいうガウチに、カモシンは少し声を低めて答えた。

「でも条件がある。ちぎれ雲さんに繋がること以外は、一切受け付けない」

 そのとき、ガウチのスマホからかすかな着信音が聞こえてきた。

「ちょっと小休止。第二弾が届いたみたい」

 目を輝かせてメールを開いたガウチだったが、しばらくすると深いため息をついた。

「よくないニュース?」

 様子をうかがっていたベッキーの問いかけに、ガウチは「そうじゃないけど、がっかり」といってメールの内容を説明した。

「行方不明になった娘さんに関する情報は、最初のメールがすべてなんだって。このメール、娘さんの机の引き出しに残されていた新聞記事の切り抜きのことだけ」

「神隠しの手がかりになるんじゃないの? その切り抜き」

「残念なのは、そこなの。冥王星に関するものだったらしいんだけど、内容はわからないんだって……」

 部屋の中に広がりはじめた落胆の波。重苦しい空気の中、ベッキーが口を開いた。

「常識的に考えたら、娘さんの望遠鏡は、冥王星を見るためよね。でも、おもちゃみたいな望遠鏡で見えるのかしら」

 カモシン、ちぎれ雲は、さあ、どうでしょうというように、首を横に振るだけ。

「わたし、望遠鏡を覗いたことが一度もないから……」

 口をひらいたガウチでさえ語尾が弱くなる。

 それを見ていたベッキーは、即座にアイパッドに吹き込んだ。

「冥王星が見える望遠鏡は?」

 しかし、それでヒットしなかったのか、言い直した。

「冥王星を見るには?」

 こんどはうまくいったらしい。ベッキーは、しばらく画面をスクロールさせてから顔をあげた。

「むりむりむり。直径30センチ以上、しかも、土台がしっかりしていないとダメ。その方向に望遠鏡を正しく向けるためには、コンピューターソフトの力を借りなきゃいけないんだって」

 それを受けて、ガウチがため息交じりにつづけた。

「その娘さん、自分の夢を叶えることはできなかったのね。その夜神隠しにあったとすれば、星ひとつ見ないまま、この世を去った可能性もあるのね」

「でも、それじゃ、あまりにも哀しすぎる」ベッキーは本当に哀しそうな表情を浮かべた。

「彼女はみえないことを知っていたと思う。知っていながら、冥王星を探したのよ。目的の星は見えなくても、名もない無数の星が、目に飛び込んできたはずよ。宵の明星、ガリレオで有名な木星の衛星、天空に輝く、明るい星のいくつかを見たのよ。やっと手にいれた望遠鏡のレンズを通して」

「ねねねね」ガウチがびっくりしたような顔で、ベッキーに訊いた。

「ちっちゃな望遠鏡でも、木星の衛星、見えるの?」

「レンズの口径が三センチあれば、だいじょうぶだって、中学のとき習ったわ」

「衛星といえば、地球でいう、お月様よね。ということは、木星の空には、お月様が四つも浮かんでいるの?」

 訊かれたベッキーは困ったような顔になった。

「四つは多いわね。わたしの記憶違いかもしれない。すぐ調べてみる」

 例によってベッキーは、アイパッドに向かっていった。

「冥王星の衛星は何個?」

 画面がきりかわったアイパッドに顔を近づけたベッキーに、驚きの色が浮かんだ。

「何個だと思う?」

 その表情は、とても嬉しそうだった。

 ガウチはその理由を考えてみた。四個ではなかったらしい。となると、その前後。5と3だったら迷わず3。

「三個」

 しかし聞こえてきたのは、耳障りなブザー音。

「ブッ、ブー」

 ガウチは、むかしから負けず嫌い。こんどは当ててやる。でも一回拒否した、5は敬遠したい。

「二個……かな」といって様子をみたが、ベッキーの表情は変わらない。となると、正解はこれしかない。

「地球と同じ、衛星の数は、一個」

「ブッ、ブッ、ブー」さらに大きな声でそういったベッキーは、アイパッドの画面を指さした。

「見て見てほら、ここ。木星の衛星は、現時点で、六十三個なんだって」

「ウソでしょ?」

 目を丸くするカモシンにベッキーは、自分の意見を付けくわえた。

「たぶん、望遠鏡で見える数はもっともっと少ないと思う。衛星探査機なんかのデーターでしか確認できない衛星のほうが多いはず」

 その話を熱心に聞いていたカモシンが、しっかりした声で質問してきた。

「ねぇ、ベッキー。冥王星にも、衛星はあると思う?」

 いつものカモシンに戻りつつある。そんな感じを受けたベッキーは、嬉しそうな顔をアイパッドに向けた。

「冥王星の衛星の数は何個?」

 十数秒後に、ベッキーはその数を発表した。

「冥王星の衛星は、五個なんですって」

「そっか」カモシンは、遠くを見るような目をして独り言のようにつづけた。

「仮に、冥王星に人間みたいな生物が住んでいるとしたら、空に浮かぶ五つの衛星を、どんなふうに呼んでいるのかしら」

 しばらくしてガウチがいった。

「第一、第二、第三衛星だと、冥王星人のセンスが疑われるわね」

 それにベッキーが反応した。

「地球の天文学者のセンスを調べてみようかしら」

「もし、番号順だったら大笑い」

 おどけたようなガウチの声をバックに、ベッキーは、アイパッドに吹き込んだ。

「冥王星の衛星の名前は?」

 しばらく画面を見つめていたベッキーの全身が固まるのが見えた。

「どうしたの?」

 ただならぬ気配に、身を乗り出すガウチ。

 ベッキーは視線を画面に張り付かせたまま、震える声でこう答えた。

「……ちぎれ雲さんの彼女……冥王星の周りをグルグル回っている……」



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