『なんだろね。黄、赤、黒の商品って』 管理人視点
カタカナは、全部で五つ。
でも僕には、何の意味ももたない文字の羅列にしか見えなかった。
どうしてこんな余計なものが……と、それを頭から振り払おうとしたとき、ふと思った。
消えた娘さんに、つながるかもしれない。
ボーエンキョーが、そうだったように、僕だけが知らないのかもしれない。だとしたら、忘れないうちに。
僕はそれをポストイットに書き写したあと、自分の前に裏返しにして置いた。
いつの間にか、カモシンの手のうごきは止まっていた。でも、三人は相変わらず同じような表情。
額に浮かんだ小じわ。時々もれる小さなつぶやき。首を傾げて、うーん、うーんと唸っている。必死で何かを思い出そうとしている顔。うまくいっていない顔。
その状態から最初に抜け出したのは、ガウチだった。
「わかった、わかった。思い出した」
さも嬉しそうな顔を僕に向けた。
「何を思いだしたんですか?」
「色です」ガウチは、先ほどのカモシンの手のうごきを真似ながらいった。
「商品の色です」
そこで僕は、あることを思いついた。
「しーっ」
小さくいった僕は、自分の唇に人差し指を当てたまま、笑顔を作ってポストイットを差し出した。
「これに書いてください。いま思い出したやつを」
それだけで意図をくみ取ったらしく、ガウチはにこっと笑うと、僕に見えないように、ポストイットを片手で隠しながらボールペンを動かした。
僕がやろうとしたのは、こういった状況下で、だれもが思いつくゲームとも呼べない遊び。
各自思い出した時点で、それをポストイットに書き込む。全員の書き込みが終わったら、セーノ、のかけ声で、答え合わせ。
でもその思いつきは、中途半端なかたちになってしまった。
カモシンとベッキーが、ギブアップしてしまったのだ。
カモシンは商品名を。ベッキーは、それを宝物のようにしていた少年の名前を、どうしても思い出せないと、ため息交じりにいった。
「わたしだけだと、面白くもなんともないわね」
ガウチがそういいながら、裏返しになっていた紙片を、僕たちに向けた瞬間、カモシンとベッキーの表情がすこしだけ和らいだ。ガウチが思い出してくれたおかげで、自分たちも救われた。そんな思いがあったのかもしれない。
書かれていたのは『黄、赤、黒』
この三色は,行方不明者とつながるのだろうか。真鍮製の望遠鏡と、どう関わっているのだろう。
その質問をする前に、カモシンが明るい声でいった。
「そういえば、形は、歯磨きのチューブに似ていたわよね」
途端に頭の中が、こんがらがった。
チューブ入り歯磨きなら僕も知っている。使っている。でも僕の知識では、歯磨きと天体望遠鏡を結び付けるのは無理。ということは、やっぱりそうだ。さっきのカタカナ五文字に、なんの意味もない。ヒントにもならない。もしかすると、昔流行ったつまらないギャグ。ヘタをすれば、放送禁止用語。あぶないあぶない。笑われるところだった。ガウチに見せなくてよかった。
早々とそんな結論に達した僕は、質問の内容と相手を変えることにした。
「なんですか、その、黄色と赤と黒の歯磨きって、やつは」
急な質問にカモシンは、ちょっと慌てたような顔になった。
「い、いえ、歯磨きは関係ありません」そこまでいったところで、表情が曇った。しばらく視線を泳がせた後、カモシンはじれったそうな声でつづけた。
「商品そのものは、頭の中で見えているんです。本体は黄色、商品名が赤で……」
珍しくしどろもどろになるカモシンに、僕のほうが戸惑った。いつもならこのあたりで、誰かがフォローに回る。しかし、ガウチ、ベッキーともに、僕と目を合わそうともしない。どうやらふたりの頭の中に、商品名はないらしい。
「でも、ここまで来ているんです……その、商品名……」
悔しそうな声で自分の喉のあたりをさするカモシンを視界の隅に置きながら、自分を責めた。
なんてつまらない質問をしたんだ。物忘れがひどくなったことを自覚させただけじゃないか。
そんな僕に、横からガウチが「あのう」といった。
「ちぎれ雲さんも、何か書いていらっしゃいましたよね」
ガウチがあごをしゃくったのは、僕のポストイット
すっかりそのことを忘れていた僕は焦った。
いえ、これは、みなさんとは関係ありません、
といおうとしたところで、待てよと思った。
こいつを使えば、この場の雰囲気を変えることができる。爆笑は無理だろうけど、苦笑い程度はまちがいない。五文字の意味はわからないのに、妙な自信があった。
ありがとうガウチさん。おかげで助かりました。心の中で礼をいった僕は、緊張を解くために、ちょっとだけ肩をぐるぐる回した。
笑いは、落差のあるところに生じる。高低差は大きいほうが良い結果を生む。
より効果を高めようと思った僕は、声のトーンと音量をいつもより上げることにした。「実をいうと、ですね、みなさん」
思わせぶりにいった僕は、裏返しにしたポストイットを、テーブルの中央に置いた。
「ここに書かれているのは、証拠の言葉です」
「証拠?」
「はい」僕は強くうなずいた。「僕たち四人が切っても切れない間柄だということを示すことばが書いてあるんです」
だがそこで、自分の浅はかさを呪った。
僕の思惑とは、完全に逆の方向に向かっている。
はっと息を飲む気配を感じ取った次の瞬間、三人の目に、妖しい光が灯ったのだ。
息をするのも忘れて、僕を見つめる三人に、自分のからだが強張るのがわかった。
でもそんな状況の中でも、なぜか、冷静にものを考えることができた。
このままだと、彼女らを失望の谷底に投げ入れるような結果しか生まない。
でも、状況を打開する方法はある。
僕はまず、無理に笑顔をつくった。
「なんてことは、ありません」
しかし三人の表情は、まったく変わらなかった。
こうなれば、相手が理解してくれるまで言葉を途切れさせるわけにはいかない。誤解を解いて貰うために、言葉を選びながら、こと細かく経緯を説明しよう。
「僕の余計な質問が……皆さんに迷惑をかけてしまったと、思ったものですから……」
だが、そんな気を使う必要はなかった。バーシュウレインの三人は、たったそれだけの言葉で事情を察してくれた。
「あらら、そうでしたの」
ちょっとだけ残念そうな表情を残したカモシンが、僕を正面から見据えた。
「ちぎれ雲さんと、わたしたちの間に、証拠の品など必要ありません」
きっぱりといった後、ガウチとベッキーを交互に見てから、視線を僕に戻した。
「わたしたち、いつもそういっているんです」
それは僕も感じていたことだったが、口に出さなかった。思いは通じる。
「ありがとうございます」
といったところで、ポストイットが裏返ったままだったことに気づいた。
「見ます?」
なにも考えず、それを表向きにした瞬間、三人は、文字通り固まった。




