『消えたひとり娘』 管理人視点。
どうやら僕は、やっちゃったらしい。
ひとことでいえば、僕の完全な思い込み。それも実に単純きわまりない思い込み。
でもガウチは優しい。きっとそれを、違う言い方で僕に伝えるはず。
たぶん第一声は、こうだ。
オーナー夫妻に関しては、何の不思議もありません。
それから、こうつづく。
ちぎれ雲さんが、会われたオーナー夫妻は、二代目です。ちぎれ雲さんが、管理人契約を結んだ店舗は、先ほど申し上げました十二年前に建てられた高層マンションの一階です。
そこで、すこし間合いをとる。
ここからは推測になりますが、契約終了後、古いアルバムかなにかを見せられたのだと思います。そこにあったのが、初代オーナー夫妻と、創業当時の社屋の写真。当時ちぎれ雲さんは、直前の記憶を失ったばかり。古い写真と現実の世界を、取り違えてしまったといったような……
最後は語尾を濁して、僕の反応を待つ。
しかし、そうはならなかった。
ガウチは僕の目を見据えると、あたりをはばかるような声でいった。
「娘さんが、ひとり、いらっしゃいました」
低い声。口ぶりからすると、あとにつづくのは明るい話ではなさそうだ。
駅裏といってもこの街では一等地。たぶん、そのひとり娘は甘やかされて育ったのだろう。そういう人間の多くは、世の中を疑うことをしらない。悪いやつらに騙されて、すべてを取り上げられてしまったわけだな。
しかしガウチの口から出た言葉は、僕の予想とはかけ離れたものだった。
「神隠しって、ご存知ですか?」
どこかで聞いたような気がしたが、自信はなかった。
「いえ」首を振った僕は、コーラで喉を湿らせた。
「ある日、突然姿を消したのです。その娘さん……」
ガウチはそこで反応を窺うように言葉を切った。
でも僕は、自分とは関係のない話だと思っていた。このあとガウチは、話の軌道修正を試みる。僕が考えていたのは、その程度のものだった。
僕は何も言わずにつづきを待った。
「当初、いろいろな憶測が飛び交いました。家出。誘拐。自殺」
生臭い話になってきた。気がつくとコーラの瓶を握りしめていた。僕は音をたてないようにテーブルに置いた。
「裏で警察が動いたようです。でも、地元の新聞に、行方不明者の記事が載ることはありませんでした」
その理由はわかるような気がした。娘の将来に傷がつくことを恐れた両親が、どうかそれだけはと、頼み込んだのだ。だが、僕の予想はまたしても外れた。
「両親は取材に駆け付けた新聞記者に懇願したようです。娘を探し出した人には懸賞金を差し上げます。そのことを朝刊の一面に載せてください……でも、それを長老が止めたらしいんです」
ガウチはそこで話を区切ったが、僕が何も言わないのをみると、声のトーンを少し落とした。
「娘がいなくなった日の夜、長老の耳に、ある情報が届いたそうです」
「どんな?」
僕の短い質問に、ガウチは嬉しそうに目を細めた。
そのあとの話を総合すると、こうなる。
その日は、よく晴れた穏やかな日だった。
神社が建っていたのは、雑木林に囲まれた小高い丘。境内には大きな桜が一本あった。 近くの住民は、それをご神木として崇めていた。娘の先祖が植えたとの言い伝えがあった。
その日、ひとり娘の姿を目撃した人は多かった。
当時このあたりの燃料といえば、たきぎ。神社周辺には、手ごろな枯れ枝が落ちていた。
毎日行われる境内の清掃作業。それを行った者には、落ち葉や枯れ枝を持ち帰ることが許されていた。
娘が神社に現れたのは、あたりが薄暗くなったころ。最初の発見者は、同級生の女の子。「どうしたの?」
同級生が驚いたのも無理もない。こんな時間にお供もつけずに。それに、娘の家にたきぎは必要ない。彼女の家の燃料は、木炭とコークス。一番気になったのは、ひとり娘が後ろ手に持っていたもの。小枝のようにしか見えなかった。
同級生に気づいた色白のひとり娘は、うれしそうに笑った。
「ね、ね、ね」ひとり娘は、同級生を手招いた。
「来てきて、あなただけに見せてあげる」
得意げに差し出したのは、教科書でしか見たことのない望遠鏡。
目見当でいえば、直径四センチ。長さ六十センチ。光り具合から真鍮製。たぶん今日届いたばかり。
でも、どうしてこんなものを?
と思ったとき、同級生はあることを思い出した。あれは梅雨の合間の昼休み。
「ひみつなんだけど。わたしの趣味は、空を眺めることなの」
雨上がりの空を見上げながら、ひとり娘がそういったとき、同級生は不思議に思った。
空にかかる虹。ゆるやかに流れる雲。空高く飛ぶ鳥の群れ。そんなものを見ることがどうして、ひみつなのだろう。
いま分かった。空は夜にも存在するのだ。
同級生は群青色に染まり始めた空を見上げた。南に面した境内からは、遠くまで見通せた。
同級生は、背筋に、ぞくりとしたものを感じた。
違う。違う。昼間とはまったく違う。夜のとばりが降りはじめた今の景色は、秘密めいている。謎めいている。
そのとき、同級生の母親を先頭に、何人かの大人がやってきた。
「いつもお世話になっております。お嬢様」
それから同級生の母親は、怪訝そうな目であたりを見回した。
「まさか、おひとりじゃありませんよね」
「お供のひとは、神社の裏にいます」
一人娘が望遠鏡をさすりながら答えると、大人のだれもが、それを信じた。
同級生の母親は、思い出したように天を仰いだ。
今日は新月。いつもに増して、美しい星空が見えることだろう。でも夜が更けると、寒さがやってくる。お嬢様の周りを囲んで、夜気を防いであげようか。
でも同級生の母親は知っていた。時として、親切が仇になることを。
「じゃあ、わたしたち、これで失礼します。ご両親に、よろしくお伝えください」
日ごろの礼をいう同級生の母親に、ひとり娘は優しい声でいった。
「お世話になっているのは、わたしたちのほうです。父も母も、いつもそう申しております」
それが、ひとり娘の最後の言葉。最後の姿だったらしい。
「いかがでしたか?」
話し終えたガウチの問いかけに、僕は反射的に答えた。
「ひとつの可能性が消えたわけですね。オーナー夫妻の件は除外する。そういうことですね」
同意を求めたが、ガウチは何も言わなかった。でも、何か言いたそうな顔だった。何かを待っている目だった。
もしかすると、大事な部分を聞き逃したのかもしれない。反省しながら、他の二人に顔を向けると、同じ表情をしていた。
どうやら行方不明になった娘の話を、僕がどの程度理解したかを見極めようとしているらしい。
でも、この場にふさわしいセリフを思いつく自信なんてなかった。
だって、話の中身をまったく把握していなかったからだ。僕に言えるのは、最初に感じた感想だけ。そんなわけで、僕はさっきいったセリフを、別の言い方で伝えることにした。
「行方不明者と、僕のあいだには、何のつながりもない。そのことをいいたかったわけですね」
僕の言い方がまずかったのか、ガウチは途方に暮れたような顔になった。でも数秒後に笑みを浮かべた。しかし、いままで見たことのない種類のものだった。苦笑いと、引きつり笑いの中間。
その理由はすぐにわかった。同じ話なのに、ガウチの受け取り方は、僕とは真逆だったのだ。
「この場合、つながっていると考えたほうが……」
遠慮がちな声だった。考え方はひとそれぞれ。それぐらいは知っている。でも、あ、そうですか、ですませてはいけないと思った。ガウチは、僕一人に向けてその話をしていたわけだから。
「どこの、どの部分をみて、そう思ったんですか」
ガウチは僕をまっすぐ見た。
「理由はありません。強いていえば、願望でしょうか」
答えになっていない。何かを試されたような気がしてきた。急に腹がたってきた。
「だったら最初にいうべきです」僕は三人を交互に睨んだ。「あとで感想を聞きます。その一言で済んだはずです……」
「申し訳ありませんでした」
素直に非を認めたガウチは、深々と頭を下げたあとで、言い訳のようなことを口にした。
「わたしたちに、焦りがあったようです」
ガウチにしては、話がふらついているような感じがした。
「焦り?」
「ええ」ガウチは視線を落としたままでいった。
「実をいいますと、行方不明になった娘さんの存在を知ったのは、つい先ほどだったんです」
ガウチは、スマホを取り出した。
「第二弾が届く前に、ちぎれ雲さんの見解をお聞きしたいと思ったものですから……」
「何についてですか」
ガウチは深いため息をついた。
「それさえわかりません。でも、行方不明になった娘さんの話の中に、ちぎれ雲さんにつながる何かが隠れているような……すみません、これも願望です……」
消え入るような声に、僕は一時的にしろ感情的になったのを恥じた。どうやら僕の承認を得るまで、僕に関する調査は行わなかったらしい。
律儀。筋を通す。僕はかねがね、そんな人間になりたいと思っていた。
僕は気持ちを切り替えた。自信なんてない。でも、やってみよう。次のメールが届くまでの時間つぶしにもなる。
「わかりました。僕なりに考えてみます」
そう答えた僕の手は、ごく自然にポストイットに伸びた。




