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『バクダン梅の効用と、その後』 バーシュウレイン視点

 吐き出された梅干が飛んでくる。

 反射的にそんな予感を抱いたガウチは、腰に力をいれて、それを避ける態勢をとった。

 しかし、まったくの杞憂に終わった。

「バクダン梅」開発者のベッキーがそう呼んでいる梅干を表情ひとつ変えることなく食べおえたちぎれ雲は、残り三つをまとめて口の中に放り込むと、あっという間に種だけにしてしまったのだ。

「これは、食べられないんですよね」

 ちぎれ雲は、何事もなかったような顔で、小皿の上に四種類の種を並べた。

 体を乗り出してその様子を眺めていたベッキーが、不思議なものでも見たような声でつぶやいた。

「どうしたのかしら。気が抜けてしまったのかしら」

 ベッキーが何度も首をひねりながらタッパーのひとつを開けると、それまで黙っていたカモシンが、つまようじを一本差し出した。

「味見してみる。わたしにもちょうだい」

 ガウチもそれに加わった。

「これなら、わたしでもいけそうだわ」

 しかし、バクダン梅は、その名の通りだった。三人の舌先に触れた瞬間、ドカーンと爆発した。

「どうしたんですか?」

 驚いた顔で腰を上げようとするちぎれ雲を、ガウチは片手で制した。

「なんでもありません」

 歪みそうになる表情を引き締めながらそういったガウチは、梅干をテッシュに包みながら、頭の中を整理した。

 ちぎれ雲さんが失ったのは、過去の記憶だけではないらしい。パソコンでいうところの、ソフトの一部が機能しなくなっているか、書き換えられているみたい。あの三千万円を突き返してきたのも、それと関係があるのかもしれない。

 それにしても、バクダン梅は強烈だった。

 発案者のベッキーは、こんなことをいっていた。

 これは災害時用の梅干。人間にとって一番大事なのは、水と塩分でしょう。これと水さえあれば二週間は生き延びられる。それに、ほんの数ミリあれば、おかずがなくても、どんぶり飯三杯平気でいけるの。梅干が苦手な人だったら、眺めているだけでいいかもしれない。

「おかずいらずの魔法梅」最初のころは商標登録をそれにするといっていたが、インパクトに欠けるということで「バクダン梅」に変えたようだ。でも登録には至っていない。商品化が決まっていないからだ。

 ベッキーが大慌てでもってきた水を、グラスで三杯。はちみつ大匙二杯。仕上げに金平糖を舌の上で転がした。

 それでもまだ舌先の痺れは残っている。でもなんとか話はできそう。

 ガウチは、まだ戸惑いの表情を浮かべたままのちぎれ雲に顔を向けた。そして口元に笑みを浮かべて、他の二人とアイコンタクトで確認し合った質問事項をぶつけた。

「お伺いします」ガウチは、そこで真顔になってちぎれ雲を見据えた。

「ちぎれ雲さんは、どこかに消えてしまった、自分の記憶に興味がありますか?」

 返答次第で、今後のかかわり方が違ってくる。バーシュウレインの三人は息を殺してそれを待った。

「あります」

 ちぎれ雲が、はっきりとした声でそう答えたとき、ガウチに一瞬、怪訝の表情が浮かんだ。出会いからの経緯をたどると、否定の言葉しか思いつかなかったからだ。それはカモシンもベッキーも同じ意見だった。

 ということは、心境の変化があったことになる。いつ、どこで? どんな理由から?

 でもガウチは言い方を変えることにした。

「つまり我々と会う前から、そんなふうに思っていた。と解釈しても……」

「違います」ちぎれ雲は話を遮った。「今です。たった今」

 そのことばで、ガウチの胸に希望の灯がともった。ここ数分以内に起きたできごとを検証するだけで、何かが見えてくる。何かにたどり着く。我々とちぎれ雲さんをつないでいるものが姿を現す。

 と、ガウチにひらめきのようなものが走った。

 キーワードはこれだ。これしかない。この刺激が彼の脳の中を引っ掻き回したのだ。

 ガウチは、はやる心を押えてテーブルの小皿に目をやった。そんなに時間はたっていないのに、梅干の種は乾いていた。

「これを食べる前ですか、それとも……」

「途中です」

 思ったとおりだ。バンザイを叫びたい気分だった。でも、ガウチはそれを押し隠して確認した。

「途中ですね。食べている途中だったんですね」

 といいながら、ガウチは、自分がおうむ返しを多用していることに気付いた。でもそれを変えようとは思わなかった。おうむ返しは会話にリズムを生む。結果的に、相手が話しやすくなる。相手の心の深層部分に触れるには、この方法が最適。そんな話をだれかに教わったことを思い出したからだ。

「ええ、途中で中学時代のころの自分を思い出したんです。当時の僕は、ちょくちょくトラブルを起こしていました」

 いきなりでてきた中学時代に、ガウチはドキッとした。ひょっとすると、彼の記憶は完全に戻っているのかもしれない。ガウチは声が震えそうになるのを押えていった。

「トラブルを起こすような方にはみえませんけど……」

 ちぎれ雲はそれには反応しなかった。

「もうすこしで、日記地獄に陥るところでした」

「なんですか? その……」

「日記地獄です。日記地獄。職員室に三回呼ばれた生徒は、罰則として、一週間日記をつけなければいけないんです。一日分は、大学ノート三枚。六ページ。中学校には、停学がありませんからね。停学の変わりなんです。一日でもさぼると、そこからまた、一週間」

 一気にしゃべったちぎれ雲は、しばらく中空の一点を見つめたあと、ゆっくりとテーブルに顔を向けた。その視線の先にあったのは、ポストイット。

「みんなの前で、これにまつわる話をしたら、お咎めなしでした」

 バーシュウレインの三人の目が、ポストイットに張り付いた。

 トラブル、ポストイット、お咎めなし。

 ガウチはその三つを頭の中に並べてみた。しかし、順番を入れ替えても、ちぎれ雲の脳裏に浮かんでいるはずの、状況を想像することはできなかった。

 このあと、どのように話をもっていけばいいのだろう。そんなことを考えているガウチを見かねたように、ベッキーが独り言のような口調でつぶやいた。

「どんなふうに解決したのかしら」

「それはですね」

ちぎれ雲は、ベッキーに顔を向けた。

 だが、そのあと彼の口から何も出てこなくなった。しかし、何かを隠そうとしている顔ではなかった。必至で何かを思い出そうとしているように見えた。

 一分経過したころ、ちぎれ雲は、ばつが悪そうな顔で、頭の後ろをごしごし掻きながら低い声でいった。

「おかしいなぁ……今の今まで、そのときの状況が見えていたのに、何もかもが消えてしまった。……どうしてなんだろう」

「これを飲んでみませんか」

 すかさずベッキーが、差し出したのは、よく冷えたコーラ。水や、はちみつと一緒に持ってきたらしい。いつもながらの気の配りに、ガウチは感心する。

 ちぎれ雲の表情が明るくなった。

「これだこれ。困ったときのコカ・コーラ」

 ちぎれ雲は嬉しそうにそういうと、一気に飲み干した。

しかし、中学時代の記憶は、炭酸の手の届かないところにいってしまったらしい。

「そういうこと、わたしたちにはよくあります。そんなとき、深追いは禁物です。別のことをするんです。そうすれば、向こうからやってきます」

 カモシンのその言葉をきっかけに、ちぎれ雲の味覚テストが行われることになった。

 テスト会場は、ベッキーの部屋。

 彼女のキッチンには、何十種類もの香辛料、調味料、食材などがそろっているからだ。

 料理となると、まったくの専門外。ここはベッキーに任せて、様子をうかがうことにしよう。ガウチは、一人暮らしにしては広すぎるキッチンテーブルに頬杖をついた。

 質問は、当然、先ほどの梅干から。

世の中にはいろいろな特技を持つ人がいる。でも、酸味に対する強さは、彼が世界一。絶対、ギネスブックに載る。

 部屋を移動する間に、バーシュウレインの三人は、そんなことをささやきあった。

「どのような味でしたか?」

 ベッキーは、さらりと訊いた。

「味……ですか?」

 どうしてそんなことを訊くの、といったような表情で天井を見上げたちぎれ雲は「そうですねえ」とつづけて、ベッキーに視線を戻した。

「強いて言えば……豆腐かな……」

 えっ?

 目を丸くしたのは、ベッキーだけではない。

「そのトウフというのは、みそ汁の具にする、あの、トウフのこと……ですか?」

 おそるおそるといった口調でベッキーは訊いた。

「ええ」それからちぎれ雲は、何か思い出したように、にこっと笑った。

「でも僕は、たいてい生です。けずりぶしとおろしショウガ、それに刻みネギをのっけたやつに、醤油をたらす。これが一番好きです。寒い時でもこの方法です」

「なるほど……」生返事をしながら、ベッキーは、次の質問をした。

「四つの梅干しに、味の違いはありましたか」

「はい」ちぎれ雲は、二度三度うなずいた。「濃さです。濃い順番に並べると、こうなります」そういうとテーブルの上に並べてあるタッパーを、素早い手つきで並べ変えた。

 右から、塩漬け。しそ漬け。かつお梅。はちみつ漬け。

「こいつが一番コクがありました。見た目と味は違うんですね」

 ちぎれ雲が指さしたのは、右端。薄桃色のバクダン梅。

 ガウチは腕組みしながら考えた。

 どうなっているのだろう。ちぎれ雲さんの味覚。

 コーラが大好きだといっている。でも、本当に炭酸味がしているのだろうか。醤油か、ソースの味がしているんじゃないだろうか。本人が気づいていないだけかもしれない。

 しかし、テスト結果に驚いた。

梅干以外の味覚は、バーシュウレインの三人よりも優れていた。

「へーっ、香辛料って唐辛子と胡椒だけじゃないんですね。知らなかったなぁ。こんなに多くの種類を使い分けるってすごいですね。ベッキーさんって」

 などとしきりに感心していたが、一回舐めた後の目隠しテストは完ぺきだった。

 カルダモン、サフラン、オレガノ、タイム、セージ、ナツメグ、パプリカといった香辛料だけでなく、数種類のチーズに、ジャム。それにガウチが用意した十数種類のハーブティすべてを、ぴたりと当てたのだ。

 もちろん豆腐のテストも行った。ひょっとするとこれと梅干しが入れ替わっているのではと期待したが、そんなことはなかった。

 バクダン梅に近いのが、木綿豆腐。シソ梅に似ているのは、絹ごし豆腐。かつお梅は、水で戻した高野豆腐。はちみつ梅は、豆乳の味とよく似ているといった。

 でも、ひとつだけ奇妙な反応を示した。

 マーマレードだ。

 なぜかちぎれ雲は、マーマレードを受け付けなかった。瓶に貼ってあるラベルを見ただけで、縮み上がった。ベッキーが蓋を開けようとすると、後ずさりしながら絞り出すような声で「やめてください。それだけは」と懇願したのだ。


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