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『急展開』 管理人視点。

 三千万円支払ってでも、聞いてもらいたい話。そんな貴重な体験談となれば、ひとりあたりけっこうな時間がかかるはず。

 三人連続だから、今夜いっぱい。ひょっとすると、明日の朝まで。ヘタをすれば、何日か、チカチカマンションに通い詰め。

そんな覚悟で臨んだわけだが、大した時間はかからなかった。

 でも僕の聞き方が上手だったわけではない。トップバッターのガウチが、三人分を要領よくまとめてくれたおかげだ。

「わたしたち、あの日のことを披露しあったことがあるんです。といっても、ごく簡単にですが」

 予想外の出だしに、僕はあわてて確認をとった。

「あの日のことって……」

 僕が名刺を投入した日のことをいっているんじゃないですよね、とつづける前にガウチは嬉しそうにうなずいた。

「ええ、そうです。ちぎれ雲さんとわたしたちがシンクロしていた、あの時間に体験したことについてです」

 体験話の対象人物が、この僕? そんな話に、三千万円?

 まさかそんなと、戸惑う僕をよそに、ガウチは、他の二人に視線を移した。

「あなたたちのことも、話していい?」

 返事の代わりなのだろう。カモシンとベッキーは、軽やかな笑みを浮かべた。

 ガウチは、僕に視線を戻すと、ゆっくりとした声でつづけた。

「二時間ほどの間、わたしたちは同じような体験をしました。同じような体験ということは、共通部分と、そうでない部分があったからです」

 ガウチは、記憶を辿るような目を天井に向けた。

「得体の知れない生温かいものが、足の裏に取り憑いた時刻。移動経路。体内に留まっていた時間。そこは完全一致でした。でも、正体不明のものが、体内から抜けでる間際に起きた現象は、それぞれ異なっていました」

 正体不明の生暖かいもの? なにそれ。それが抜け出た? どこにどうやって?

「私とベッキーは、映像。カモシンは、ある感覚を経験しました」

それから体を乗り出すようにして、僕を見た。

「ちぎれ雲さんの場合、影像はどのように見えるのですか?」

 頭の整理が追い付かないところに、いきなりの質問。一瞬ことばに詰まったが、映像といわれれば、あのことしかない。

 質問の意図するものは理解できなかったが、一番重要と思われることを口にした。

「自分を中心に、上下左右どの方向にも本物そっくりの影像が現れます。でも、音声とか、匂いといったようなものはありません」

「なるほど」ガウチはちいさくうなずいたあと、次の質問をした。

「時間の流れは、どうなっているんですか?」

「ながれ?」

 僕の声のトーンが、高くなったことに気づいたのか、ガウチはちいさく笑った。

「いい方が、まずかったようですね」それから真面目な顔でいい直した。

「頭の中に流れる映像の時間と、現実の世界の時間は、一致しているんですか?」

 分かりづらい表現だったが、言わんとしていることは、なんとなくわかった。

 でも、そんな観点から脳裏に撮し出される影像を眺めたことはない。なにしろ僕が自分の体質に気づいたのは、最近のことなのだ。

 ここでいい加減なことをいうより、確認した方がいい。いったんはそう決めた。でも、腹式呼吸に取りかかろうとしたところで、やめた。

「ガウチさんの場合、どうだったんですか?」それから付け加えた。「時間の流れは」

「それがですね」ガウチは待っていましたというような声でこたえた。

「たった数秒で、自分の人生のすべてが再生されたんです。まるで映画を見ているようでした」

 いい終えたガウチは、少し心配したような顔で僕を見つめていたが、彼女の話はすんなりと受け入れることができた。

 人は、それぞれ秘めたものを持っている。なんの特徴もない僕だって、腹式呼吸を七回繰り返せば、脳裏に映像が映し出される。不思議なことはなにもない。でも、気になることがあった。

 再生スピードだ。何倍速だったのだろう。もしかすると、光速を超えているんじゃないだろうか。

 それを知るには、ガウチがこれまで生きてきた歳月を、秒に換算すればいい。

僕はテーブルに視線を移して、チャレンジを試みた。

 1分は60秒。1時間は3600秒。1日は、その24倍で……

「わたしの場合、一カ所だけ音声がついていた場面があったんです。ちぎれ雲さんが、聞き屋を立ち上げたのは、その部分を文書化するためだったんです。よろしくお願いします」

 冗談じゃない。どさくさ紛れに何をいう。

不毛な計算を打ち切った僕は、顔をあげて、叫ぶようにいった。

「むり、むり、むり、僕にはむり」

 だが、ガウチは僕を見ていなかった。ベッキーに向かって、深々としたお辞儀をしているところだった。

「ありがとうベッキー。このことに気付いたのは、あなたのおかげなのよ」


 それから十数分、僕は「できません」「無理です」「嫌です」「お断りします」を交互に繰り返した。

 しかし、ガウチの疑問に答えている最中に、話は思わぬ方向に曲がり始めた。

「何度いったら分かってもらえるんですか。屋号のちぎれ雲は、ジュウリラさんが口ずさんでいた曲名とは、まったく関係ありません。祖母の最後の言葉が、頭の隅に残っていたからです」

 僕がそういった瞬間、場の空気が変わった。音が消えたように、しんとなり、奇妙な静寂と緊張感に包まれたのだ。

 後で分かったことだが、その原因は、僕の口からでた、祖母という言葉にあった。

 でも僕はその状況を、違う意味に捉えていた。

 これは三人の落胆がつくりだした静寂。ああ、これで文章化の話は終わった。そう思ったのだ。

しかし、ガウチの口は動き続けた。

「どういう意味があったのかしら、そのちぎれ雲には」

 感情を押し殺したような、僕の機嫌をうかがうような、複雑な響きをもっていた。

 あきらめの悪い人だな。

 心の中で舌打ちしながら、僕はそれに応じた。

「わたし、ちぎれ雲になるの。青い空にひとつ浮かんだ白い雲。それが、わたし。それを最後に息を引き取りました。意味はなにもないと思います。ただの願望です」

 沈黙の度合いがさらに増した。誰かが生唾を飲み込んだ。

 これでとどめを刺した。ここらで引き揚げようか。腰を上げようとしたとき、ガウチが、つぶやくようにいった。

「いつ頃だったのかしら……おばあさんが、亡くなられたのは……」

 どこまでも粘る精神に驚いた。でも、反発は起きなかった。その逆だ。この粘りが、彼女をセレブに導いたのかもしれない。尊敬の念に似たものを覚えたのだ。

 苦笑いを浮かべた僕は、しばらく考えてから、答えた。

「ポストイットの件で教師とトラブったのが、中学三年……ということは、僕が高校二年の夏です。そうそう、あの日は、朝から……」

 自分の頭の中に、むかしの記憶の一部が残っていることに気づいたのは、そこまで話した時だった。


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