『まずはオーナーの件から』 バーシュウレイン視点
ちぎれ雲さんに関することは、すべてあなたに任せる。
とカモシンとガウチからいわれていたが、ベッキーには、いまだに決めかねていることがあった。
収集した情報を、どの程度開示するかだ。
だが、カモシンのいまの一言で気持ちは固まった。
我々とちぎれ雲さんの出会いは、偶然ではない。
ちっとやそっとのことで、壊れるはずがない。知っていることは、すべて話そう。
あとの展開は、ちぎれ雲さんに委ねよう。何をどう受け止めるか。その結果、四人の関係がどう変わっていくのか、見守ることにしよう。
「確かに、そうよね」
気持ちが吹っ切れたベッキーは、ちぎれ雲に視線を戻した。
「これからのことは、子ども向けのアニメ番組を見るような気持ちで聞いて下さいね」
そんな前置きをしたのは、ちぎれ雲のショックを最小限にとどめたかったからだ。
「了解です」
ちぎれ雲は、指でオーケーマークを作った。
集めた情報といっても、ほとんどが噂話以下。言い伝えは、尾ひれだけの作り話の可能性もある。ベッキーは裏付けの取れているものから伝えることにした。
「わたくしどもの調査によりますと、あのアパートのオーナー夫妻は、五十年ほど前に亡くなられています」
「え?」
ちぎれ雲の表情が固まった。でもベッキーはそれを無視してつづけた。
「アパートの落成以来、本日に至るまで、ずっと空き家のままです」
「ずっと……」
つぶやくようにいったちぎれ雲は、何か考えるように目を閉じた。しばらく待ったが、何もいわなかったので、郷土史家から聞いた話をした。
「言い伝えによりますと、昔あのアパートのあたりに、小さなほこらがあったようです」
ちぎれ雲が薄目を開けた。
「なんですか、その、ほこらって」
ベッキーは、言葉に詰まった。
どのようなものなのかは、理解していた。でもそれを教えるだけの知識と能力のなさに気づかされたのだ。
「資料が残っていないので、なんともいえませんが……」といって時間を稼ぎながら次の言葉を探していたベッキーの口元に笑みが浮かんだ。
「ねえ」やりとりを見つめているガウチに顔を向けた。
「ネットで探してちょうだい」
ほこらとは、
そのキーワードでヒットした中から、歴史を感じさせる写真にレーザーを当てながら、ベッキーは自分の意見を述べた。
「当時のものは簡素な作りだったと思います。角材を組み合わせたものに、屋根をつけただけ、あるいはこのように、石を積み重ねただけだったのではないでしょうか」
「なるほどね」
はっきりとした声でそういったちぎれ雲に、安堵感を覚えた。
映像の力はすごい。百聞は一見にしかず。
これで、ほこらがどのようなものか、わかってもらえた。
そのようなことを考えながらちぎれ雲に視線を戻したベッキーは、ドキッとした。
ちぎれ雲の目に、光のようなものが宿っていた。それは横顔からでもわかった。
しばらくスクリーンを見つめていたちぎれ雲が、こちらを向いた。目の色は、それまでとは明らかに違っていた。
「そのほこらは、木製だったと思います。石だとしたら、今でも残っているはずですから」
ベッキーが、うなずくだけにとどめたのは、それが常識的な見解だったからだ。しかし、そのあとのことばに、衝撃を受けた。
「そのほこらには、八人の御霊が祀られていたはずです」
「え?」
バーシュウレインの三人が互いに顔を見合わせたのは、自分たちの情報の中に、八人の御霊という文言はなかったからだ。
「お告げが降りてきたんですね。たった今、ちぎれ雲さんに」
ベッキーがおそるおそる訊ねると、言い訳するような声が返ってきた。
「いえ、そんなものじゃありません。単なる思いつきです。すみません、忘れてください」
しかし、ベッキーには謙遜にしか聞こえなかった。
「そう思われた理由を、教えていただけませんか」
「理由なんてありません。アパートの部屋数が、八つだからです」
それまで黙っていたカモシンとガウチが、急におしゃべりをはじめた。
「昔のほこらも、八つあったわけね」
「オーナーは、それを知っていた」
「でもどうして、アパートだったのかしら。新しいほこらを建てた方が、御霊のためにもいいんじゃないかしら」
「たぶん、世間の目を欺く必要があったのよ」
「五十年以上も空き家のままでほっといた理由は、なにかしら」
「まずは、ほこらとアパートの因果関係を知りたい」
「ところがですね……」
ちぎれ雲が、いいにくそうな声で割って入った。
「ほこらと関係ありそうなものは、なにもないんです。どの部屋も同じです。仏壇もなければ、神棚もありません。押し入れの中から、天井裏まで掃除しますが、御札のようなものを見たことさえありません」
部屋を漂っていた熱気のようなものが急激にしぼんでいくのがわかったが、どうしようもなかった。しばらくの沈黙のあと、ベッキーは、とても重要な質問があったことを思い出した。
「管理を引き受ける際、契約書のようなものを取り交わされたと思いますが、オーナーはどなたになっていましたか」
話が急に飛んだからなのか、ちぎれ雲は、眉間に皺を寄せた。
「書類のようなものは、なかったと思います……」
隠し事をしている顔ではなかった。ベッキーは、少し間を置いてから次の質問に移った。
「立ち入ったことを訊くようで、心苦しいのですが、給料の方はどうなっているんですか?」
「ああ、それなら」ちぎれ雲は笑顔を浮かべた。「現金でもらっています」
あまりにもあっさり返ってきたので、肩すかしを食らった気分になったが、気を取り直して、質問をつづけた。
「給料は、どのようにして受け取っていらっしゃるんですか」
「僕の部屋の郵便受けです」
それを聞いて、ベッキーはほっとすると同時に、自分を恥じた。
化け狐に騙されたちぎれ雲の姿を、幾度となく想像したことがあったからだ。
よかったよかった。ちぎれ雲さんが会った人物は、五十数年前にこの世を去ったオーナーではない。その親戚筋。もしくは、アパートを引き継いだ他人。
「つまり、郵便配達員が持ってきてくれるわけですね。現金書留か、なにかで」
しかし返ってきたのは、頭を混乱させるものだった。
「違います。袋です。小さな袋に入った状態で届けられるんです」
「その袋の中のお金は、今の世の中でも通用するんですよね」
いいながら、なんでこんな間抜けな質問をしたんだろう、と情けなくなったが、とめるわけにはいかなかった。
「もちろんです。どこでも使えます。ファミレスでも、八百屋でも。おつりだってもらえます」
ちぎれ雲さんが普通に受けてくれたから、なんとか救われたけど、これ以上は無理。
「あなたたちにも訊きたいことが、あるでしょう」
他のふたりに助けを求めたが、カモシンもガウチも、ニッと笑っただけだった。
ったくもう。わたしもそっち側に回りたいわ。
目だけでそんなふうに毒づいたベッキーは、小さなため息のあと、ふたたびちぎれ雲に向き直った。
「ということは、毎月の給料を届けて下さる方が、いらっしゃるということですよね」
「そうなりますよね」と答えたちぎれ雲の表情が、すこしだけ曇った。
「でもその人を見たことがないんです。朝起きると、郵便受けに袋がはいっているんです」
「袋?」
「そうです。丸い袋です」
ちぎれ雲は両手で、十センチほどの輪を作った。
「大きさは、これぐらいです。賞味期限が過ぎた草餅のように、くすんだ色です。中身は七万円。五千円札四枚。残りの五万円分は千円札。どれも三つ折りになっています」
給料袋の形状。支給額。袋の中身の状態。それらを聞いたところで、ふと思った。オーナーの謎をとく鍵は、草餅色の袋かもしれない。
「その袋はあるんですよね。ちぎれ雲さんの部屋に」
「いえ」ちぎれ雲は首を横に振った。「残っていません」
最近の若者に、そのようなものを取っておけと言う方が無理。でも来月分なら、見せてもらえそう。
「これまでは、ゴミとして廃棄されていたわけですね」
「いえ」またしてもちぎれ雲は首を振った。
「いつの間にか、消えるんです」
「消える? 給料袋がですか?」
「ええ、そうです」ちぎれ雲は、にこっと笑った。
「消えるとしかいいようがありません。テーブルの上に置いても、机の引き出しに仕舞っても、同じ現象が起きるんです」
ガウチがクスッと笑うと、カモシンもそれにつづいた。
その現象なら我々にも起きる。頻繁に起きる。
ここに置いていたの。でも、いつの間にか消えているの。不思議だわ。
三人の誰もが、そんな言い方をする。でもいつの場合も、それは本人の勘違い。ぼけの初期症状。
笑いの意味には気づいていたが、ベッキーはしらない振りをして、ちぎれ雲に頼んだ。
「そのあたりのことを詳しく教えていただけますか」
「いいですよ」
快い返事に、カモシンとガウチが体を乗り出してきた。
「難しいものではありません。気がつくと、袋が消えて、中身だけになっている。ただそれだけです」
ちぎれ雲はテーブルの菓子箱から、袋入りの一口サイズのチーズケーキを一個掴んだ。
「これが、郵便受けから取りだした袋だとします」
ちぎれ雲は、それをテーブルの上に置いた。
「ほんの一瞬なんです」
それから左右に首を振って見せた。
「ちょっと目を離した瞬間、袋だけが消えるんです」
真顔でそういったちぎれ雲は、袋を破って一口ケーキを取りだすと、空袋をズボンのポケットにねじ込んだ。
「でも僕にとって必要なのは、中身だけです。袋が消える理由なんて考えたこともありません」
唖然とする三人をよそに、ちぎれ雲は口の中にチーズケーキを放り込んだ。




