重大発表のちょっと前 バーシュウレイン視点
姿見の前でサングラスを外したカモシンは、久しぶりに自分の顔をじっくりと眺めてみた。
「よっ、いい女」
自慢話を嫌う自分の口から、そんなおどけたような声が漏れたのはわかったが、おどろきはなかった。自分を嫌な女だと思うこともなかった。
身長、体重、体型、あのころとほとんど変わらない。なのに、どうしてこうも見とれてしまうのだろう。
しかしカモシンは、その理由を知っていた。わかりすぎるほどわかっていた。だからこその、このサングラス。だからこそ、自分の顔を見ることを二年もの間、避け続けてきたのだ。
ごく自然に、片手で髪をかきあげたカモシンは、ひとつの流れのように、細くくびれた腰をくねらせてみた。
わるくない。このわたし。
心でつぶやいて、足もとから、徐々に視線をあげる彼女の顔に、柔らかな笑みが広がっていく。
カモシンは、四十年前の選択が間違っていなかった喜びを、改めてかみしめた。
あのとき、思いとどまってよかった。捨てなくてよかった、このドレス。
視線の先が目元にきたところで、あの屈辱の言葉がよみがえってきた。
「お前には、軍服の方がよく似合う」
張り倒してやろうか。本気でそう思った。でも、店が大繁盛したのは、あの言葉のおかげ。
本人は何も気づいていない。でも、わたしにとって、あいつは大恩人。あのジジイ、あのときすでに七十を超えていた。ジジイの名前が、長寿番付にないところをみると、すでにあの世に旅立ったらしい。
もし、今のわたしをみたら、どう思うだろう。何と言うだろう。あのジジイ。
ピピピピピ、
三分十三秒後にせまった開始時刻を知らせるアラーム音に、カモシンは回想を打ち切った。
801号室まで徒歩で、十三秒。それを差し引くと、待機時間はあと三分。
日常生活において、三分あれば、たいていのことができる。パンチに自信のあるボクサーなら、一生遊んで暮らせるだけのファイトマネーを手にすることも可能。
しかし、何もせずに時間がくるのを待つだけとなると、話は別。時と場合によって、せっかちになる性格がでてきたらしく、たった十秒でさえも、途方もなく長い時間に感じられるようになった。
暇つぶしに、なにか……
部屋を見回したカモシンは、いいものをみつけた。
送付済みのメール。スマホを手にしたカモシンは、先ほどふたりに送った文面を、クスクス笑いながら読んでみた。
『緊急告知』
本日、午後八時三分十三秒より、バーシュウレイン本部事務所。(以前、関係者の間で、お石様の間と呼ばれていた801号室)にて、重大発表がございます。
『演題』
「濃度85度。超広幅テンプルサングラス着用に至った経緯。及び、それにまつわる、エトセトラ」
飲み物類の用意なし。ただし、持ち込みは可能でござる。
時間に余裕のある方は、ぜひご近所さん、お誘い合わせの上、お越し下さいませ。
(注。参加資格者は、当マンション八階の住民のみとなっております。お間違えございませんように)
追伸、この件に関する事前質問は、一切受け付けません。電話、メール、ドアノック。そのような迷惑行為は、お慎みくださいませ。
以上。本日の講師、カモシンからでした。オホホノホ
たったこれだけのメール作成に、一時間かけた。
国語力のないわたしにしては、上出来だと思う。
それに、あのふたりの勘は鋭い。開始時刻。ござる言葉。オホホノホ。この三点だけでも理解してくれる。
「安心して頂戴。白内障。緑内障。まったく関係なし。もちろん、ベーチェット、糖尿、そんな言葉も無関係」
ふたりは、メールに托したコメントを瞬時に読み解き、今や遅しと、ドアが開くのを待っている。
しかし、歓迎の花束はない。拍手も、クラッカーも。そんな形式的なものより、もっと大事なもの。涙を浮かべた顔が、わたしを出迎える。
「わかってるのっ! わたしたちが、どんなに心配していたのか」
そんなセリフの用意もない。
たぶん、ドアにへばりつくように待っている。ふたり同時にしゃくり上げ、ふたり同時に抱きついてくる。セリフがあるとすれば、こんなもの。
よかったよかった、病気じゃなくって。
そんなふたりに、わたしはこう返す。
いらっしゃい、いらっしゃい。思いっきり抱きつきなさい。悔し涙しか知らないこのドレスを、ぐしょぐしょに濡らして頂戴。うれし涙の味を教えてやってね、このドレスに。
と、そこまで想像したとき、カモシンの思考が止まった。
……うん?
本当に、わたしの本意が伝わったのだろうか?
嫌な予感がした。
辛いときこそ、陽気に振る舞うこと。
バーシュウレイン結成前の、わたしの口癖。あれをベースに、この文面を読んだとしたら、どうなる?
わたしの体を気づかい、心を痛めているふたりに、より大きな心配のタネを植え付けたことになる。
胸がドキンと鳴った。
可能性は、ゼロではない。
一秒でもはやく、ふたりを安心させてやろう。
一旦は、部屋を出ようとしたカモシンだったが、心を切り換えた。
これからわたしがやろうとしていることは、結果的には、二年がかりで仕込んだ、たった一度っきりの大芝居。
だとしたら、あのふたりの記憶に残るような芝居を見せて上げましょう。




