冗談のような会話のあとで 管理人側視点
ロト7や年末ジャンボで、四億、七億といった高額賞金を手にいれた人々からは、たった三千万円で? と笑われるかもしれない。
でも僕は気を失ってしまった。たぶん瞬殺的に。
気がついたとき、僕はベッドの中で、ガタガタガタガタ震えていた。寒くもないのに、体が震える理由。明かりが点いているわけ。普段着のまま寝ている理由。なにもかもがわからなかった。
しかし、天井の蛍光灯をぼんやり眺めているうちに、記憶が戻ってきた。
あっ、
反射的に飛び起きた僕は、テーブルに駆け寄った。ビスケット缶はあった。中身もそっくりそのままの状態で。
僕の心臓がドキンと鳴った。体の震えは残っていたが、気を失うことはなかった。元どおりに蓋をした僕は、辺りを見回しながら、小さな声で呼びかけてみた。
「誰かいる?」
十秒ほどの間を置いて、再び同じセリフを口にしたが、何の反応もなかった。
僕は三千万円入りのビスケット缶をしっかり胸で抱きかかえると、何度も何度も左右を確かめながら、ベッドの下にそっと隠した。
それから背筋を伸ばして、深呼吸を三回したあと、改めて部屋の隅々に視線を走らせた。変わっていたのは、三人掛けのソファと、アーロンチェアの位置。でもそれを動かしたときのことははっきり覚えている。
時刻は、三時二十三分。聞こえるのは、僕の呼吸音だけ。
何の異常も感じなかったが、僕は足音を忍ばせて、玄関まで行った。他人の履き物は見当たらなかった。ドアの鍵は閉まっていた。
人の気配もなし。でも、念には念を。ドアスコープを覗いてみたが、そこにあったのはいつもの夜の風景。真っ暗闇。
本当に僕が自分でロックしたのだろうか、この鍵も、ドアチェーンも……
僕はここで、あの三人を見送ったのだろうか。どういった言葉で別れたのだろう。
ドアの周辺を眺めていたとき、背中で苛ついた声がした。
「そんなこと、どうでもいいんじゃないの?」
いつからそこに座っていたの?
あの三人に会ったの?
そのとき、どんな会話をしたの?
三千万円のことで、何か言っていなかった?
矢継ぎ早に浴びせる僕の質問を無視したまま、テーブルの一点を睨んでいたカロンが口を開いたのは、それからだいぶたってからだった。
「あなたの記憶を消した犯人は、わたしなの」
待ちくたびれて、半分眠った状態の僕にとって、それは意味のない冗談でしかなかった。
「なんだよ、おい。眠いのをがまんして付き合っているのに、そんなくだらない冗談を考えていたわけ?」
本気で怒ったのは久しぶりだった。でもカロンも負けていなかった。
「くだらない?」顔を上げたカロンの目に冗談の色はなかった。「悩みに悩んだ末に、告白したのに、くだらない?」
気迫に押されそうになったが、僕は反撃に出た。
「いま自分が、何ていったのか、わかっているんだろうね」
カロンは、僕を見据えたまま答えた。
「あなた様の記憶を消したのは、この、わたくしでございます。それに間違いは、ございません」
開き直ったカロンは怖い。このまま引き下がることはない。ここで反論するのは、火に油を注ぐ行為。へたをすれば、宙を舞った茶碗や皿が、窓硝子を粉々に打ち砕く。
「じゃあ、聞いてあげるよ」
悔しさを紛らすために、そんな言い方をした僕をカロンは見逃さなかった。
「お願いします。どうかお聞かせ下さいませ、なんじゃないの?」
もちろん僕は、やり直しの命令に従った。
最初見たとき、ゴミ屋敷状態だったの、あなたの頭の中。
そんなセリフで始まったカロンの話は、結構よくできたものだった。
「消そうと思ったのは、わたしたちが出会った場面だけ。でもそれが、どの部分に収納されているのか、全然わからなかった。見つけ出すのに、丸々三日もかかったわ。見つからないはずよ。一番古い記憶の奥に、グジャグジャの団子状態で、隠れていたんだから。それをなんとか引っ張り出して、消去しようとしたとき、積み重ねておいた他の記憶が、雪崩を打って崩れ落ちてきたの」
そこでカロンは、一息つくように僕を見た。
「ここまでいえば、わかるでしょ?」
「まあね」と僕はいった。「屋敷中のゴミが一瞬に消え、僕は真新しい家の家主になった。めでたしめでたし」
冗談には冗談で。そんな思いで、そう返すと、カロンは満足そうに、にこっと笑ったあと、表情を引き締めた。
「でも、久しぶりに覗いてみて驚いた。だだっ広い部屋の床から、木の芽のようなものがにょきにょき。キラキラ光る雲母のようなものが、宙を漂っていた」
僕は自分の頭の中の、景色を想像してみたが、どのようなイメージも浮かんでこなかった。僕は考えるのをやめて質問した。
「つまり僕の頭の中に、新しいシステムができ上がっていたってこと?」
カロンは首をひねった。
「それがよくわからないの。だってこんなこと初めてなんだもの」
そこで話がとまったので、先を促すつもりで訊いた。
「きみの趣味は、ひとの頭の中を覗くことだったっけ?」
しかし、カロンはそれには答えなかった。腕組みしたまま、独り言のようにいった。
「ちょっとしたショックで記憶が途切れるのは、生まれ持ったものなのかしら」
それを聞いたとき、ふと思った。
この話は、単なる思いつきではないのかもしれない。
ここ数日間だけでも、僕の記憶は何度も飛んだ。おぼえていないものも含めると、もっと多くの記憶が消えた可能性もある。
パシッ、
カロンが、なにかを決意したようにテーブルを叩いた。
「やっぱり、確かめてくる」
「何を?」
反射的に訊くと、カロンは自分に言い聞かせるような声でいった。
「いま思い出した。あれは人影だった」
冗談にしては表情が真剣過ぎた。
「それって、僕の頭の中の話?」
怒られるのを覚悟で訊いてみると、カロンは目を吊り上げて僕を睨んだ。
「誰のためにやっていると思うの」
そして、そのままどこかに消えた。




