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鼓膜を揺るがすノック音。網膜に焼き付く札束のかたまり。
いつもの僕なら、その片方だけでもパニックに陥っていた。
でも心は微動だにしなかった。まるで深い森の奥でしずかに眠る湖。さざ波ひとつ立たなかったし、頭の中が真っ白になることも、腰が抜けそうになることもなかった。
僕は深呼吸でさらに心を落ち着かせたあと。あらためてビスケット缶の中身を確認した。
なるほど。そうだったのか。
一目で、理解できた。
こいつが、先ほどの僕の記憶を奪った犯人。
先ほどの僕は、これを見た瞬間、本物の札束だと判断し、その衝撃で僕の何かが切り替わった。しかし、意識が戻ったあと、僕は気づいた。これが偽札だということに。そして、事の重大さに気づいて、バーシュウレインの代表者に電話をいれたのだろう。
と、そこまで分析したところで、僕はカロンを振り向いた。
「心配いらない。でも、僕が呼ぶまでどこかに隠れていてほしい」
何かを期待するような目で僕を見据えていたカロンは、返事の代わりにニッと笑うと、足音も立てずに冷蔵庫の裏に消えた。
僕はすかさず携帯を開いて、履歴を確認した。
ほっとした。
履歴に110番はなかった。ということは、僕が通報しない限り、彼女らは偽札偽造の罪に問われることはない。逮捕されることもない。
それにしても、何なんだ。ビスケット缶にびっしり詰まった一万円札。
紙幣をコピーした時点で、法律に触れることを知らなかったとは思えないが、それはとにかく、これはあの三人にとっては、単なる悪ふざけにすぎないのだろう。
だとすると、ドアを叩いたのは、三人のうちのだれか。彼女らの後ろに、人相の悪い男たちは控えていない。
揺るぎない確信を胸に、ドアスコープも見ずにドアを開けた。
思った通りだった。カモシン、ガウチ、ベッキーが、申し訳なさそうな顔で僕を待っていた。
「あのぉ」
何か言おうとするカモシンを、僕は手で制した。
「こんなところで、立ち話もできないでしょうから」
しかし、中に招き入れたところで、僕の部屋は話し合いには向いていないことに気づいた。
どこに、どう座って話せばいいのだろう。
テーブル用の椅子は二脚。パソコン用のアーロンチェアを使ったとしても、一脚足りない。
しかし、僕の頭の芯は冷静だった。
テレビの前のソファは、三人掛け。僕ひとりが椅子を使えばいい。目の高さが違うが、この際、そんなことは無視。孫のような僕が、年配者を見下ろす形になってもかまわない。
「すみません。このソファを、」
そこまでいっただけなのに、ガウチとベッキーは、僕の意図をくみ取ってくれた。そのおかげもあって、ほんの二、三分でローテーブルを挟むかたちの議論の場ができあがった。
僕が最初の言葉を探している間に、カモシンが、訪問服でなかったことを謝った。
「約束の時間には、なんとか間に合いました。でも、このような服装で申し訳ありません」
三人は、オーバーホールを着ていた。例によって色違い。
「レストランの改装作業に取りかかっていたものですから……」
洋服なんてどうでもよかった。僕が知りたかったのは、気品の高い僕がかけた電話の内容なのだ。
「その前に、確認したいことがあります」
僕が硬い声で話を遮ると、カモシンは叱られた子どものように視線を自分の膝に落として、小さな声で「申し訳ありませんでした」といった。
僕は少し間を置いてから、勿体をつけていった。
「なぜ、ここまでやって来なければならなかったのか、その理由は、お分かりですよね」
「はい」カモシンが、はっきりとした声で答えた。「大至急おいでください。詳しいことはそのときに。私が聞いたのは、それだけでした」
僕は胸の中でニヤリと笑った。これならあれこれ気を回す必要はない。
「では申し上げます」僕は生活指導教員になったつもりで付けくわえた。「世の中には、やってはいけない冗談があることはご存じですよね」
三人は何も答えなかった。というより、僕が何を言ったのかわからないような感じだった。
でも僕にはそれが、しらばっくれているとしか思えなかった。
となると、人生経験の少ない僕としては、ズバッと切り込むしかない。
「もし僕がこれを使っていたら、あなた方は即逮捕ですよ。通貨偽造で無期懲役」
脅しの言葉に、三人は一瞬、固まったような表情をみせた。
やっと、事の重大さに気づいてもらえた。僕はひとます胸を撫で下ろしたわけだが、相手はしたたかだった。
しばらくすると、顔をひきつらせたカモシンが、落ち着きのない声で「ち、ちょっと調べてみます」というと、帯付きの札束のひとつを手に取り、その中から抜き取った一枚を、天井に向けた。
呆れるよりも、感心した。
この一万円札はコピー機を使った複製。正確にいえば、偽札。それに僕が気づいていることを知っているのにもかかわらず、悪あがきをつづける三人。このパワーの源は、何なんだろう。
十数秒一万円札を睨んでいたカモシンの表情が急に和らいだ。
「何か手違いがあったのかと思いましたが……」
カモシンは柔らかな笑み浮かべて、僕を見た。
「ここにあるのは、全部本物です」
息をころして様子をうかがっていたガウチとベッキーが、互いの顔を見合わせて、安堵のため息を洩らした。
しかし僕は、さらに下っ腹に力を入れた。
騙されるもんか。
僕の胸の内は、そのまま僕の目つきにも反映されたらしく、カモシンは再び真顔になった。
そのあとカモシンは困惑の表情で僕を見つめていたが、やがて視線をテーブルの札束に移した。そしてつぶやくようなこえで「やはり、ご自分の目で確かめていただく方が……」といった。
たしかにそれは、理にかなった考えだと思う。でも僕の場合、それは問題解決には繋がらない。
何しろ僕は、現在発行されている紙幣の裏表がどうなっているのかしらない。調べたこともなければ、気にしたこともない。そんな人間に、めったに手に入らない一万円札の真偽を見極められるはずがない。
手触り。すかし。斜めから見ると、デザインが変わるホログラフ。日本が世界に誇る紙幣技術。残念ながら、僕には何の役にも立たない。
しかし僕は胸に怒りを抱いて、対峙していたわけではない。
この大がかりな悪ふざけを誰が思いついたのか。どういう経緯を経て、実行に至ったのか。
そのあたりのことを本人たちの口から聞きたかっただけ。それが終われば、今回のことは、なかったこと、見なかったこととして、水に流すつもりだったのだ。
だがいまの「全部本物です」で気が変わった。
ここで、ぴしっといっておかなければ、彼女らは再び同じ過ちを犯す。僕以外の人間は、これを悪ふざけと思わない。自分も共犯者だと疑われるのを恐れる。すぐに警察に通報する。バーシュウレインの三人の最後は、高い塀の中。
いま僕に課された使命、それは、この悪ふざけにとどめを刺すこと。その一点だけ。
「僕を驚かすのが目的だったのでしょうけど……」
僕は三人を交互に見ながらいった。
「でも、どうしてこんなにたくさん作る必要があったんですか? 一束百枚として、三千枚ですよ。三千枚」
と、三人は、だれかに号令をかけられたように、同じセリフを口にした。
「やっぱりね」
それから、ひいきチームが初優勝したかのように、よかったよかったを連発しながら、ハイタッチを繰り返した。
唐突な流れについて行けず、ぽかんとする僕にカモシンがいった。
「すれ違いの原因がわかりました」
なおも口を開きっぱなしの僕に、彼女は「名刺はございませんか」といった。
「名刺?」
「先日頂いた、ちぎれ雲の名刺です」
なぜそのようなものが必要なのかわからなかったが、僕はパソコンデスクの引き出しにしまっておいた名刺を取りに行った。
「十枚刷ったうちの、残りがこれです」
「ありがとうございます」カモシンはポケットから取りだした眼鏡をかけると、名刺に顔を近づけた。
「確かに、頂いた名刺と同じものです」嬉しそうな声でいったカモシンは、名刺の一部を指で押さえながら、僕に向けた。
「ここです。この部分。赤い文字の料金をご覧下さい」
カモシンの指摘した料金には、信じられないような凡ミスがあった。
僕が最初に決めた料金は、一時間当たり3000円。それをカロンの意見を取り入れて訂正。
一時間三万円、と打ち直したつもりだったが、そこにあったのは、3000万円。
いつの間にか僕の体は震えていた。
まさかと思いながらも聞いてみた。
「ここにある三千枚は、コピーしたやつですよね」
「いえ」
バーシュウレインの三人が、揃って首を横に振った。
反射的に、僕の意識が消えかかったが、僕は必死でそれに逆らった。




