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七時ジャストのノック音  管理人側視点

 自分では気づかなかったが、僕の喉はずいぶん渇いていたらしい。

 五百ミリリットルのコーラは、吸い込まれるように喉の奥へと消えていった。

 僕とコーラの相性は良い。炭酸のおかげで頭の中もすっきり。

 空になったペットボトルを台所の分別用のゴミ箱に投げ入れたあと、テーブルに戻ろうとしたところで、頭の隅に引っかかっていた、あの、ことを思い出した。

 このアパートは、軽自動車も通れない路地の奥。ほとんど人通りはなく、いまのこの時間、物音ひとつ聞こえない。つぶやき程度の声でも、カロンに届く。

「こんども、二礼二拍手から始めようかな?」

 僕の思惑通りになった。何かを期待するような目でビスケットの缶をじっと見つめていたカロンが、こっちを振り向いた。

「何かいった?」

「いやね」笑いたくなるのをこらえた僕は、いつもより歩幅を広くとって、カロンの前の椅子にこしかけた。

「さっきいっていたよね。僕の中の何かが切り替わったって」

 カロンは小さくうなずいた。

「ああ、あれね」

「スイッチが切り替わったのは、僕が無意識にやった二礼二拍手一礼のおかげだと思うんだ。君としても、気品のある僕のほうが、いまの僕より……」

 最後まで言わないうちにカロンが、しらけた顔でいった。

「今何時?」 

 あ、

 僕はあわてて口を押さえたが、おそかったようだ。いまの二礼二拍手が、怒りの導火線に火をつけたらしい。

 カロンが時刻を訊くとき、それは怒りのサイン。爆発寸前の怒りを胸に、彼女は、もう帰る、の一言で部屋を飛び出す。

 でも二週間もすれば、何ごともなかったような顔で、やってくる。しかしその間、完璧な音信不通がつづく。

 たぶんいまの僕は、人生の分岐点に差しかかっている。

 こんな大事なときに、カロンの存在は欠かせない。ここでカロンを帰すわけにいかない。カロンの怒りを、いますぐ静めなければならない。

 余計な一言が招いた状況を悔やみながら、僕はカロンの後に見える壁時計に目をやった。

「もうすぐ七時。正確に言えば、六時五十六分」

 おそるおそる告げた僕に、カロンは意外なことを言った。

「楽しみだわ。もうすぐ、あの三人と会えるのね」

 僕の頭の中に霧が立ちこめた。

「え?」

 ますます濃くなりそうな霧を、僕は頭を左右に振って追っ払ってから確かめた。

「いま、なんて言った?」

 カロンは余裕たっぷりに答えた。

「楽しみって、いったわよ。それがなにか」

「ちがう、そっちじゃない。そのあと。三人って、誰のこと?」

 カロンは嬉しそうに目を細めた。

「それはあなたが知っているはずでしょ」

 現時点で当てはまるのは、あの三人しかいない。

「まさか、バーシュウレインの三人じゃないよね」

「それはどうだかわからないけど」

 カロンはそこで言葉を切ると、視線を部屋の隅に移した。彼女の視線の先にあったのは、ベッド脇の小さなテーブル。そこにはウエストポーチが載っていた。

「でも、その三人が誰だか調べる方法なら知っているわよ」

 そのヒントで、ピンときた。ウエストポーチの中には携帯電話。開封儀式の場面は覚えていないが、チカチカマンションからこの近くまで送ってもらった車の中で、三人の携帯番号を打ち込んだのは覚えている。そのときカモシンは、こちらから電話しても構いませんかといい、僕はいつでもどうぞと答えた。

「あ、そうか。向こうから電話がかかってきたんだね。僕の何かが切り替わっていた最中に」

 カロンはニッと笑うと、ブザーの口真似をした。

「ブ、ブー」

「ねえ」僕は怒りを込めた声で言った。「こっちは真剣なんだ。冗談はなし」

 しかしカロンは、ククククと含み笑いをした。

「惜しい惜しい、半分当たり、半分外れ」

 笑顔でいわれたからだろう。つい訊いてしまった。

「どこが当たりで、どこが外れなの?」

「電話は、あなたがかけた」

「僕が?」

「信じられないんだったら、履歴を調べてみたら」

 そこまでいうと、カロンは身体をねじって、後ろの壁時計に目をやった。

「時間に正確な偽札集団だとしたら、アパートの前で、七時の時報を待っているんじゃないかしら、」

 僕の心臓が跳ね上がった。

 何かと聞き間違えたと思った僕は「ちょっとまってくれ」といった。

「いまなんていったの?」

 カロンは笑顔のまま、僕にわかるように言葉を切って教えてくれた。

「偽札、集団」

 自分の思考が固まったのがわかった。でも僕は強引に再起動させてから、カロンを睨みつけた。

「まさか、その偽札は、この中に入っていたんじゃないよね?」

 カロンは何も言わなかった。表情も変わらなかった。何かを楽しむ顔のままだった。

 ドアをノックする音が鳴り響いたのは、僕がビスケットの缶の蓋を開けたそのときだった。



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