風呂敷包みの中身
僕はしばらく考えたあと、営業用の名刺が刷り上がってから、現在に至るまでを詳しく話した。
時間にして一時間強。
そのあいだカロンは一言も口を差しはさまなかった。
と言っても、最初から最後まで僕の話に全神経を集中していたわけではない。
どのあたりだったか覚えていないが、 話の途中でカロンは急に僕から視線を外したのだ。そしてそのあとは僕に顔を向けることもなく、ときおり首を傾げながら、テーブルの一点だけを見つめていた。
でも僕はそのような仕種や態度に、不満とか怒りのようなものは感じなかった。もし逆の立場だったとしたら、彼女と同じような状態に陥っていたはずだからだ。
僕の話のほとんどが、カロンの思考能力の限界を超えているだけ。いまのカロンは、思考停止状態。彼女の脳は、僕の話を単なるノイズとして処理している。だから僕の声は、彼女の耳を、右から左、左から右へと、スースー通り抜けているだけ。
僕は、そんなふうに解釈しながら話をすすめた。
「喋りのまずさのせいでわかりにくかったと思うけど、一言で言えば、僕とバーシュウレインの三人は、複雑に絡まった見えない糸で結ばれていたってわけさ」
と話を締めくくった僕は、うつむいたままのカロンに声をかけた。
「なにか質問、ある?」
カロンはゆっくり顔を上げると、僕を見ずに、すこしかすれた声で答えた。
「ないことはない」それからふたたび視線を落とした。
思ったことをその場で言葉にするカロンにしては、とても珍しいことだった。どのような質問にも答えるつもりでいた僕は、身をのり出して訊いてみた。
「遠慮することはないよ。どんなことなの? 君の質問って」
しかし返ってきたのは、気のない声。
「今はいい」
その言い方に引っ掛かりを覚えたが、そのときの僕には、初仕事の収入が入った風呂敷包をほどくほうが、はるかに重要なことだった。
「了解了解。じゃあ、その質問は、あとでね」
と、感情を排除したセリフでやり過ごして、風呂敷包に手を伸ばそうとしたとき、僕の頭の中に浮かんできたものがあった。
共同経営者。
あぶないあぶない。一度しかないチャンスの芽を、自分で踏み潰すところだった。
僕はほっと胸をなでおろした。
この三万円をゲットできたのは、カロンのおかげ。ほんの思いつきでしかなかった聞き屋ビジネスのアイデアを実行までこぎつけられたのは、彼女の励ましと、適切なアドバイスがあったから。自分ひとりでは何もできなかった。これから先も、カロンの手助けが必要になるのは間違いない。
となると、この風呂敷包みを開ける作業は、カロンと一緒でなければならない。ふたり同時に中身を確認することによって、いまはやる気の欠片さえ感じられないカロンに、共同経営者としての意識が芽生えてくるかもしれない。
聞き屋ビジネスの将来が明るいのは目に見えている。なにしろ一枚目の名刺に飛びついてきたのだ。それも、人生経験豊かなセレブ風の三人が。
もちろん、今回のような幸運が、つづくとは思っていない。でも世の中は、気持ちひとつでどうにでもなるという。だとしたら、成功するという前提で、ものごとを考えればいい。
現時点の責任者は僕。責任者にはリーダーシップが不可欠。となれば、聞き屋ビジネスは絶対に成功するというイメージを、カロンに植え付けるのも僕の役目。
自問自答を繰り返すうちに気力が充実してきた。善は急げ。僕はうつむいたままのカロンを見据えて、風呂敷包みの結び目を指先でトントンと叩いた。
「僕はこっちを引っぱる。君はそっち」
唐突な上に、やや命令口調。そんな僕の提案にカロンが反応するまで数秒かかった。
「風呂敷包みをほどくくらいは、ひとりで十分なんじゃないの」
下を向いたままの突き放すような声に、ふと思った。
聞き屋ビジネスには大反対。それが、カロンの最初からの本心だったとしたら、とりあえず、風呂敷包みから話題を変えたほうがよさそうだ。
そんな結論に達した頭の中に、振り払ったはずの浦島太郎が再登場してきた。
どうしてこのタイミングで、浦島太郎なんだ?
と思った時、僕の口がひとりでに動いた。
「偕老同穴って言葉を知ってる?」
「はあ?」
カロンはわけがわからないというように眉間にシワをよせた。僕にも偕老同穴の意味はわからなかった。でも僕の口は、僕の意思とは関係のないことをつづけた。
「おまえ百まで、わしゃ九十九まで。それと似たような意味なんだけどね」
カロンの表情が強ばった。
「何が言いたいの? 国語力を試すつもり?」
本気で怒っているようだった。切れたカロンは恐ろしい。手が付けられない。
ちがうちがう。僕がいったんじゃない。今のせりふ。
心の中で叫びながら、あわてて笑顔を作ったとき、偕老同穴と浦島太郎がひとつにつながった。
なるほど、そういうことだったのかと、納得したとたん、自分の考えと言葉がきっちりとシンクロした。
「ひょっとすると、風呂敷の中には玉手箱が入っているかもしれないんだ」
たぶんそのときの僕の表情には、揺るぎないものがあったのだろう。
「どういう意味があるの? 玉手箱と偕老同穴」
カロンは冷静な声でそういいながら、僕の視線の先を追った。そして、しばらく風呂敷包みを睨んでいたが、やがて合点がいったような顔で僕に向きなおった。
「要するに、わたしを道連れにしたいわけね。でもわたし、お婆さんにはなりたくないの。特にあなたと一緒に年をとるのはお断り」
切り返しのセリフは、予想していたものだった。
「それはわかっている。でも、僕としては、君のそばにいたいんだ。ずっとずっと永遠に」
「それは片思い。行きつく先はストーカー。覚えておいてね」
間髪入れず返ってきた憎まれ口。でもカロンの目の奥には、喜びの色が垣間見えた。
どうやら思いつきで口にしたセリフが、カロンの弱点を突いてくれたらしい。
彼女は褒められることに弱い。ちょっとした褒め言葉にも、大きく反応することがある。それに、喜怒哀楽の切り替えも早い。
そのことを把握している僕は、今のような状況下で、彼女の気持ちを「喜」一色に染め上げる方法も心得ている。僕にとって、カロンの存在がいかに大切なのかを示せばいいのだ。ただし、彼女はそれを真正面から言われることを嫌う。
「了解いたしましたでございます、カロン様」
冗談だということが、はっきりわかるように、ちょっとだけ声を裏返して腰を上げた僕は、風呂敷包みを両手で引き寄せてから、カロンを見た。
「あなた様の席は、危険区域のど真ん中にございます。お婆さんになりたくないのでしたら、もう少し離れた方がよろしいかと」それから玄関のほうに、顎をしゃくって見せた。「煙が出たら、すぐにお逃げください。その際足元にご用心。階段から落っこちる可能性もございます」
自分ではスベったと思ったが、ありがたいことにカロンは、にやりと笑ってくれた。そしてそのあと、僕が予想した通りのセリフを口にした。
「玉手箱って、どこで売っているのかしら」
いつものカロンに戻ったらしい。僕はカロンがゆっくりとした動作でテーブルに頬杖をつくのを待ってから、用意しておいたセリフを返した。
「たぶんこれが、人類最後の玉手箱だと思うよ。だってこんなものが世の中に出回ったら、地球上は超高齢者であふれかえってしまうからね。人類にとって玉手箱は、エボラ出血熱や狂犬病よりはるかに危険な代物だと思うんだ。子供のいない世界。若者のいない世界。ヨボヨボの老人だけがひしめく世界。考えただけで背筋が凍る。どうか煙が出ませんように」
そんなことを言いながら風呂敷包みをほどいた僕は、あやうくたたらを踏むところだった。
百パーセントの確率で手提げ金庫を予想していたのだが、出てきたのは、外国産らしき大型の缶入りビスケット。でも、ずしりとした重さから判断すれば、中身がビスケットであるはずはない。
「どうかしたの?」
僕の表情をうかがっていたのか、カロンが心配そうな声で訊いた。
別になんでもない。
とりあえずそう答えて時間を稼ごうと思っていたのだが、急遽変更。今すべきことは、カロンに売上金を見せること。無駄な時間は使わない方がいい。
「この缶の中に、どういった形で、三万円が入っていると思う?」
「ビスケットじゃないの? 中身は」
カロンは怪訝そうな表情でそういっただけだった。十秒ほど待ってから、僕はつづけた。
「バーシュウレインの三人は、ギャグがわかるみたいなんだ。きっとこの中には、僕が驚くような仕掛けがしてあるはず。ほら、みてごらん。封印用に使ってあるのは、布製のガムテープだよ」
といってブリキ製のビスケット缶を爪先で弾いた僕に、カロンが明るい声で言った。
「あ、それなら、当てっこしましょう。その前に、あたしにも触らせてね」
カロンは椅子から腰を上げると、両手を伸ばしてビスケット缶を持ち上げようとしたが、すぐに諦めた。
「重すぎ。びくともしない。お箸を持つのがやっとのわたしには、むりむりむり。とても動かせない」
笑いながら首を横に振ったカロンだったが、しばらくすると、笑顔のままで付けくわえた。
「でも中身はわかる。ブロックの下に、一万円札が三枚貼り付けてある」
ギャグとしては面白い。でも、違う。
何かの番組で、十センチブロック一個の重さは、十キロ弱だといっていた。どう考えても、このビスケット缶の重量は、その半分以下。それに、形状的に見て十センチブロックは入らない。
でも僕はそのことは言わなかった。はやく中身を見たかったからだ。
「だね、その可能性は高い」
といいながら、幾重にも巻き付けてあるガムテープを剥がす作業に取りかかった。




