『ふくしき七回シネマ館? なにそれ』 管理人側視点
「つかぬ事をお伺いしますが……」ベッキーはそこで気を持たせるように一呼吸置いた。「ちぎれ雲さんの友人に、イニシャルがPの方はいらっしゃいませんでしょうか?」
P? イニシャルが、P?
何かと聞き間違えたと思った僕は、すみませんが、と言った。
「もう一度、言ってもらえませんか?」
ベッキーは、なんのためらいも見せずに、それを繰り返した。
「ちぎれ雲さんの友人に、イニシャルがPの方はいらっしゃいませんでしょうか?」
僕の聴覚に異常はなさそうだった。でも、念を押した。
「ENDのEではないですよね。PTAの、Pですよね」
「そうです。Pです」ベッキーは満足そうな笑みを浮かべた。「機密文書流失問題で脚光を浴びている国、パナマのP」
イニシャルPで思い出した人物は、ふたりしかいなかった。
ポール・マッカートニー。歌手で俳優のピーターこと、池畑慎之介。
でも、どちらも僕の友人じゃないし、会ったこともない。
それに現時点で友人と呼べるのは、カロンただひとり。でも、どこをどういじくったとしても、カロンとPは結びつかない。
ベッキーの意味不明な質問にぽかんとする僕に代わって、ガウチが言ってくれた。
「ちぎれ雲さんに、外国人の友達はいらっしゃらないみたいよ」
だがベッキーはそれを無視するように、僕に顔を向けたままでつづけた。
「じゃあ、トリエステという名前に心当たりはありませんか?」
トリエステ?
一瞬、肥満に悩む小鳥専門のエステサロンのことかと思った。
でもそんなペット用の施設、聞いたこともなければ見たこともない。
しかしベッキーの真剣な目を見ている限り、冗談で言っているようではなかった。
トリエステ、トリエステ、トリエステ……
とりあえず頭の中で何回か繰り返してみたが、何も浮かんでこなかった。
「トリエステは、僕の記憶から逃げ出したのかもしれませんね」
でもそれは、あと十数分で三時間を迎えることに気づいた僕のリップサービスでしかなかった。
しかしベッキーの表情に変化はなかった。僕の反応は想定内。そんな感じだった。
「じゃあ、これはどうですか。ふくしき七回シネマ館」
「はあ?」
首を傾げたのは、僕だけではなかった。
怪訝そうな顔で僕達の会話を聞いていたガウチが、高いトーンで言った。
「なにそれ?」
「あら?」ベッキーは、呆れた顔をガウチに向けた。「今朝、南まさきで検索したとき開いたでしょ、そのサイト」
「ざんねんでした。私が確認したのは画像だけでございました」
ガウチが冗談口調でそう言うと、ベッキーは視線を僕に戻した。
「もう一度、検索していただけますか。南まさきで」
無駄です。インターネット上に、僕に関する情報は何もありません。そう言いたかったが、面倒だったので、指示に従うことにした。
絞り込みで検索すると、72件がヒット。
「一番上をクリックしてください」
左クリックと同時に現れたのは、南まさき氏のマイページ。
「ほらね、ちゃんとあるでしょ。検索するんだったら、こんなところもチェックしなきゃだめ」
ベッキーの勝ち誇ったような声に、ガウチは僕の背後のスクリーンを、僕はパソコン画面を睨んだ。
僕と同姓同名の人物は、小説投稿を趣味にしているらしく、画面上に完結済みの作品名がいくつか並んでいた。
上から順にタイトルに目を通しているとき、ベッキーが言った。
「確認のために、腹式呼吸を七回していただけますか?」
「え?」僕は顔を上げた。「確認?」
「ええ」ベッキーは当然でしょうというような声で言った。「このサイトの持ち主が、ちぎれ雲さんなのかどうかを確認するんです」
無意味としか思えない会話がこうもつづくと、さすがにうんざりしてきた。
はやくアラームが鳴らないかな。
そんなことを頭のすみに思い浮かべながら、助けを求めるつもりでガウチを見ると、彼女の表情は、僕とベッキーの噛み合わないやりとりを楽しむものに変わっていた。
こうなれば、自分で言うしかない。
「何のために、やらなければならないんですか? こんな無意味なことを」
わざと、無意味の部分を強調して言ったのに、ベッキーは余裕の笑顔で答えた。
「何ごともやってみなくてはわからないからです」
それで僕が納得すると思ったらしい。でも僕はそんなふうに言われると意地になるタイプ。
「骨折り損のくたびれもうけ、ということわざがありますよ」
「おっしゃるとおりです」そこで彼女は意味ありげな笑みを浮かべた。「でも腹式呼吸には、くたびれた体をリラックスさせる効果があるらしいんです」
完全に僕の負けだった。こうなれば、相手の言うとおりにするしかない。しかし疑問を残したままで従いたくはなかった。
「どうして七回なんですか?」
するとベッキーは待っていましたと言うように、テーブル越しにパソコン画面を覗きこみながら指図した。
「まず一番下の、それは誰も知らない映画館を開いてください。ええ、そうです。そうです。そして第一話の、長い長い物語の始まりの十七行目から読んでみて下さい」
★
自分の体内に隠れていた映画館へのアクセス方法を発見したのは、ちょっとした偶然からだった。
僕は友人のPに、その方法を伝えた。
「目を閉じた状態で、腹式呼吸を七回繰り返してみろよ。びっくりするようなことが起きるぞ」
だが、Pの場合、何回試しても、僕と同じような現象は起きなかったらしい。
「残念ながら、俺の身体の中に映画館は存在していないようだな」
諦めたような口調でいう彼に、僕はこうアドバイスした。
「指紋の模様が人によって違うように、アクセス方法もそれぞれ違うと思うんだ。お前の場合、くしゃみ三回かもしれないし、あくび二十六回かもしれない。チョコレートにわさびをたっぷり塗って食べた直後に現れるかもしれないぞ」
でもPは笑って相手にしなかった。
★
腹式呼吸を七回繰り返すことによって、体の調子が格段に良くなる。
そんな医学的発見に至るまでを記した読み物かもしれない。
そんな思いを胸に目を通していた僕は、あまりのばかばかしさに、笑ってしまった。
真面目な顔で、荒唐無稽な小説の一部分を試させるベッキーの思考回路はどうなっているのだろうと思った時、こんな考えが浮かんできた。
昨日から今日にかけてのことは、すべてこの三人が仕組んだことではないだろうか。
でも僕に対する大がかりないたずらだったとしても、悪意は全然感じなかった。
それに、飲み物、菓子類付きで、三万円の収入は悪くない。
だとしたら、最後は彼女らが満足するかたちでおわらせるのが、僕の勤め。
僕は座ったままで目を閉じた。そしてゆっくりとした声で言った。
「じゃあ、始めます。回数は皆さんが数えて下さい」
イチ、
三人の声を合図に、僕は鼻から息を吸った。そして腹がパンパンになったところで、先ほどの文章を思い起こした。
腹式呼吸のやり方は書いてあったっけ?
ざっと目を通しただけだったので、ほとんど中身を覚えていなかった。結局僕は、鼻から吸って鼻から吐くことにした。
ニィ、サン、シィ、ゴー、ロク、
カウントが増えるに従って三人の声は小さくなっていった。
たぶん、何かが起きるのを期待しているのだろう。でも、僕自身に何の変化もなかった。
ナナ、
どのタイミングで目を開けようか。
そんなことを考えながら七回目の呼吸を終えようとしていた僕は、新たないたずらに引っかかったことに気づいた。
突然目の前に、巨大なスクリーンが現れたのだ。
映っていたのは、青い空をバックに、色とりどりの花が咲き乱れる小高い丘。遠くに霞んで見えるのは海、もしくはおおきな湖なのだろう。
音がないところをみると、俗に言う環境映像らしい。
毒を食らわば皿まで。
そんなことわざがある。だとしたら、アラームが鳴り響くまで、このままの格好でいてやろう。
僕は、自分が目を閉じたままだということに気づかないまま、周囲三百六十度に広がる雄大な景色を、じっくり眺めることに決めた。




