表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/129

『それはガウチの素朴な疑問から』   管理人側視点

 イントロが流れると同時に、三人は申し合わせたように目を閉じた。

「ちぎれたあの雲、見るたびにおもうよ。きみとぼくと摘んだ、小さなスミレの花」

 歌が始まると、それぞれ違う反応をみせた。

 曲に合わせるように、ゆるやかに体を揺らしはじめたのはカモシン。ベッキーは歌詞をなぞるように唇を小さく動かし、ガウチは金縛りにあったように身を固くして、ユーチューブから流れる歌声に聴きいっていた。

 最初は、このまま三人の様子をうかがうつもりでいた僕だったが、彼女らにならって、目を閉じることにした。

 理由は、ふたつ。

 誰かが目を開けた場合、視線が合う。そうなると僕だけでなく、相手にも気恥ずかしい思いが生じる。

 この曲をじっくり聴くことによって、記憶の壁の向こうにあるはずの祖母の顔を思い出すかもしれない。そんな思いが湧いてきたからだ。

 でも、僕の記憶から消え去った祖母の顔が浮かんでくることはなかった。しかし、収獲がなかったわけではない。

 祖母が口ずさんでいたのは「雲に向かい叫ぶ、きみだけが好きだよと」という曲の最後の部分だけだった、という小さな発見はあった。

 曲がフェイドアウトしはじめたとき目を開けた僕は、ユーチューブの再生モードをループに切り換えて、彼女らの反応を待った。でも、誰も目を開けなかった。カモシンは相変わらず体を揺らし、ベッキーは唇を動かし、ガウチは固まったままだった。

 二回目のイントロがはじまったとき、僕の視界に飛び込んできたものがあった。

(1963)

 曲名の横に添えられていた数字だ。

 常識的に考えると、これは、ちぎれ雲の発売年度。

 計算問題が苦手な僕にも簡単な暗算ぐらいはできる。

 ちぎれ雲は、今から五十数年前に生まれた曲。

 だとすると……。

 僕の視線は当然のように目の前の三人に注がれた。

 そのころ、何歳だったのだろう。どこで何をしていたのだろう。いま三人の脳裏に映しだされている情景は、どのようなものなのだろう。

 カモシンが目を開けたのは、二回目の再生がおわろうとしたときだった。

 目が合うのを避けた僕は、パソコン画面に視線を戻すと、停止ボタンをクリックした。

 だがすぐに声が追いかけてきた。

「はい、これ」

 意味不明の言葉だったが、僕に向けられたものに違いない。

「はい、なんでしょう」

 と顔を上げてみると、カモシンの視線の先にあったのはガウチ。ガウチは、カモシンが差し出したティッシュを受け取ると、そのまま顔に当てた。


「初めてじゃないかしら、あなたの涙」

 緑茶をすすりながらそう言うカモシンに、ガウチは冗談ぽい声で応じた。

「鬼の目にも涙って言いたいわけね」

 テッシュで鼻を押さえているガウチの目には、まだ涙が光っていた。

「結局、あれね」ベッキーが横から口を挟んだ。「ジュウリラさんが伝えたかったのは、最後の部分だったってことよね」

「さあね、どうだったのかしら。いずれにしろ、気づいたのは五十年以上経ってから。それに肝心の相手は、もうこの世にいない」

 遠くを見る目で返したガウチのあとに、カモシンがつづけた。

「私たちの時代に、その手の告白を考えついた人がいたなんて、信じられないわね」

 その日三本目のコーラを飲みながら、断片的な会話を聞いていた僕に想像できたのは、ほんの少しだけだった。

 雲に向かい叫ぶ、君だけが好きだよと、でおわるちぎれ雲という曲は、ガウチにとって、甘酸っぱい思い出がぎっしり詰まった宝物。

 その程度のことしかわからない僕に代わって、というわけではないだろうが、ベッキーが単刀直入に訊いた。

「どんな状況だったの? そのとき」

 しばらくの沈黙のあと、ガウチはクスッと笑った。

「高校三年の二学期。放課後の裏庭で花壇の手入れをしていたとき、いきなり声をかけられたの。びっくりして振り向くと、春の県大会で準優勝した柔道部の主将が、顔を真っ赤にしてうつむいていたわ。でも、そのときの私、彼のあだ名さえ知らなかったの」

 そこまで笑顔を浮かべていたガウチから、とつぜん表情が消えた。

 そのあと、しばらく宙の一点を見つめていたガウチは、視線はそのままで、こんなことを口にした。

「死んだ人の記憶は、どうなるのかしら?」

 え?

 カモシンとベッキーは、戸惑ったように互いに顔を見合わせた。

「それって、ジュウリラさんの頭の中にあった記憶ってことなの?」

 カモシンが確かめるように訊ねると、ガウチはそれには答えず、独り言のようにつぶやいた。

「この世を去る瞬間、人はどのようなことを思うのかしら……」

 その件について会話に加わっていない僕は、胃の中に冷たいコーラを流し込むだけの傍観者でしかなかった。

 しかし、そのあと僕に向けられた質問から、話は僕を中心に回り始めた。

「お訊きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか……」

 遠慮がちなベッキーの声に、僕の頭に浮かんできたセリフがあった。

 申し訳ございませんが、ガウチの話を聞いていただけないでしょうか。

 絶対そうだと思った。話の流れから、それ以外に考えられなかった。

 いいですよ。何時間でもけっこうです。延長料金はいただきません。

 急いでそんな返事を用意したわけだが、それは使えなかった。

「どのような経緯を経て、聞き屋ビジネスを思いつかれたのですか?」

 それに関する明確な答をもたない僕には、ありのままを話すしかなかった。

「思いつきです」

 言いながら 僕の横に置いてある風呂敷包みを意識した。このあとの話次第では、このまま席を立とう。そしてそのあとに、こう言おう。

 その風呂敷包は置いていきます。ごちそうさまでした。期待に添えなくてすみませんでした。

 でもそのセリフも使うことはなかった。

「聞き屋を思いついた理由を考えたことはありますか?」

 はあ?

 思わず間の抜けた声を発した僕を見つめながらベッキーはつづけた。

「あなたが我々の前に現れた理由が、なんとなく、わかるような気がしてきました」

 自信なさそうに言ったが、その目は確信に満ちあふれていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ