『再びでてきた南まさきという名前』 バーシュウレイン視点
「僕がいうのもなんですが、すこし休憩をとりませんか」
遠慮がちに言うちぎれ雲の声で我に返ったガウチは、自分が泣いていることに気づいた。
涙の理由はひとつしかない。
『しばし待たれよ』
それとまったく同じセリフを聞いたことがあるからだ。
バーシュウレインを結成する遙か昔。 すべての資産を失い、生きる気力を無くしていたころだった。
もしあの日あの声を聞いていなければ、今の自分たちはない。ひょっとすると、三人ともこの世にいないかもしれない。
最初ガウチは空耳かと思った。
「私、絶望に打ちひしがれると、聴覚までおかしくなるみたい」それから苦笑いを浮かべながらつづけた。
「今ね、しばし待たれよ、って聞こえたの。どうなってしまったのかしら私の耳。ばかみたいでしょ、私って」
するとカモシンもベッキーも、同じセリフを聞いたと言った。
しかしガウチは信じなかった。彼女らの優しさが言わせた罪のないうそ。株式相場を見誤った責任を背負い込んで情緒不安定になってしまった私を庇おうとしているのだろう。
そう思ったが、それを受け入れないことに決めた。
同情されるほど惨めなものはない。かねがねそう思っていたからだ。
ふたりの好意を踏みにじるのは心苦しかったが、訊いてみた。
「どんな声だったのか教えてよ」
意外なことに返事はすぐに返ってきた。
「風邪を引いたようなしゃがれ声」
「ヨボヨボのお爺さんみたいだった」
ガウチは戸惑った。
三人三様。表現は違っていたが、相通じるものがあった。ガウチには、壊れたお寺の鐘を想像させたのだ。
だがそこであることに気がついた。
しばし待たれよ。
こんな時代がかったセリフに似合う声の主と言えば、アニメ番組で見る仙人しかいない。
「じゃあ、聞こえてきた方向は?」
ガウチは自分の身体を分厚い鳥肌が覆うのがわかった。
自分よりはやく後ろを振り向いたふたりが指さしたのが、これから指さそうとしていた場所だったからだ。
お石様。
のちにそう呼ぶようになった拳ほどの黒い石があったのは、波打ち際から数メートル離れた砂の上だった。
と、ガウチはそこで頭を切り換えた。
いまは昔を懐かしんでいる場合ではない。ちぎれ雲を名乗る若者に、なぜあの時と同じ言葉が聞こえてきたのか、その理由を調べなければならない。
ガウチは小指の先で目の辺りを拭う振りをしながら、ちぎれ雲を観察することにした。
どこにでもいそうな若者だった。
あえて特長をあげるとすれば、存在感のなさ。へたをすれば、そこにいることに気づかないまま見過ごしてしまいそうな人間。
しかし、そのことがとても重要な意味を持っていた。
われわれの守り神、お石様も、どこにでも転がっていそうな黒い石。
ちぎれ雲とお石様のイメージは、その点においては、みごとなまでに重なる。
その事実に気づいたガウチは、それまでの考えを修正することにした。
ちぎれ雲とお石様は、クモの糸より細いもので結ばれていると思い込んでいたが、もっともっと強い絆で結ばれているのではないだろうか。ひょっとすると、我々三人よりも、彼との結びつきの方が強いのかもしれない。
ちぎれ雲の件は、すべてカモシンに任せると約束していたのだが、ガウチの口が勝手に動いた。
「ねえ、ちぎれ雲さん」ガウチは彼の視線がくるのを確認してから訊いた。
「今の声は、どっちから聞こえてきたの?」
ちぎれ雲はニッと笑うと、後ろを振り向いた。
「あっちです」
彼がその方向を指差したとたん、冷静さを取り戻しつつあった三人の表情が再び固まったようになった。
しかし今回の立ち直りははやかった。というのも、三人は、お石様の祀ってある方向を指指すだろうという予測を立てていたからだ。
しかしそれでもガウチの心臓は激しい音を立てていた。
もしかすると、この若者は、我々のこれからの人生を左右する何かを携えているのかもしれない。
「でしょうね」ガウチは胸の動悸を悟られないように、素っ気ない声でそう言うと、カモシンに顔を向けた。
「あとはよろしく」
「わかった」バトンを渡された格好になったカモシンは、待っていましたというように勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、ちぎれ雲さんのアドバイス通り、このあたりで休憩をとりましょう」
それからちぎれ雲に向き合った。
「好きな飲み物はありますか?」
ちぎれ雲が答える前に、ベッキーが、ハイと言って手をあげた。
「ちぎれ雲さんの大好物なら知っているわよ」
「ほんとですか?」
すこし驚いたような声でちぎれ雲が言うと、ベッキーはクスッと笑った。
「コーラでしょ」
「大当たり」
ちぎれ雲は嬉しそうな声でそう言ったのだが、カモシンとガウチは、すこしがっかりしたような表情を浮かべた。
「コーラ好きな人は結構いるわよ」
不満そうなガウチの声に、ベッキーは笑いながら応じた。
「確かにそうよね。今朝ネットで調べた南まさきさんも、その中のひとりっていうことよね」




