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『どうでもいいような質問』    混合視点。

「どうかなされましたか?」

 カモシンの声で我に返った。

 いえ、べつに、と言おうとしてやめた。そんないい加減なことばを使ってはいけない。相手をがっかりさせてしまうだけ。

 なにしろ僕の時給は、三万円。普通のアルバイトの三十倍。すでにそれを受け取った今、いや、別に、なんてことばは絶対禁止。

 でも自分を偉く見せようとしても、それは無理。簡単に見破られてしまう。

 となれば、相手が話しやすい雰囲気をつくるのが僕の役目。

 僕はストップウォッチを押したあと、さっきから気になっていたことを訊いてみることにした。

「皆さんは、いつも着物なんですか?」

 カモシンが代表するかたちで答えた。

「これは我々の勝負服です。めったに着ることはありません」

 そのとき祖母から聞いた話が脳裏をよぎったのは、目の前の三人に、祖母と似通ったものを感じ取ったからかもしれない。

「勝負服は、競馬の騎手がレースで着る上着からきたと聞いたことがあるんですが、ほんとですか?」

「え?」

 三人は同時に顔を見合わせた。

「知ってた? 勝負服の語源」

 カモシンがベッキーとガウチにたずねると、ふたりは自信なさそうな声で「ううん」と言って首を振った。

「ごらんのとおりです。私も知りませんでした」

 見たところ、三人は豊富な知識の持ち主にみえた。彼女らが知らないことを、僕だけが知っているはずがない。勝負服と競馬は、まったく関係ない。

 僕はそんな結論を下したわけだが、知ったかぶりをして、申し訳ございませんでした。勘違いでした。そんなことばで済ませるつもりはなかった。

 正しい答を導き出した上で、すみませんでしたと謝ろう。そうすれば、災い転じて福となすのことわざ通りの結果を生み出すかもしれない。

 僕は部屋を見回してみた。しかし、生活感の欠片さえない和室に、僕の欲しいものは見当たらなかった。

「なにか、お探しですか?」

 カモシンが、僕の顔を覗きこむようにして言った。

 ここにパソコンは、と言おうとしたところで、気づいたことがあった。

 勝負服の語源なら、スマホの検索機能を使って調べることができる。スマホの普及率は五割を越えたらしい。三人のうちのだれかが持っているかもしれない。そのスマホを貸してもらえばいい。

 でも僕は、ダメ元で訊ねてみることにした。

「どなたか、パソコンを、お持ちじゃないですか?」


★ ★ ★


 私たち三人と、名刺を投げ込んだ人物は、太くて頑丈な糸で繋がっている。

 これはまぎれもない事実。

 でも、相手はそのことに気づいていない可能性が高い。しかし、そのことを直接告げるのはやめる。お石様の予言の話をするのは、相手がそのことに気づいたあと。それまでは話の流れにまかせる。

 カモシン、ガウチ、ベッキーのあいだでは、そんな取り決めになっていたが、ひとつだけ悩みがあった。

「ビッグバンルーム」にどうやって案内するかだ。

 自分たちが知っている事実を、明確なかたちで伝えるには、ビッグバンルームは欠かせない。一目でいい。あの設備があることを知ってもらうだけでもいい。そうなれば、私たちの出会いの謎が、短時間で解明できる。

 しかし嬉しいことに、その悩みの解消法が、すぐに見つかった。

 今の彼の質問がそうだ。私たちが、それに答えるだけでいい。 

 順調すぎるときは、気をつけなさい。

 そんな話を、バーシュウレインのメンバーの前で何度かしたことがあるけど、今日に限って言えば、そんな心配はいらない。

 だっていまのセリフは、あらかじめ決められていたセリフ。お石様のご意志によって、彼が発したことばなのだから。

 カモシンは、そんなことを思い浮かべながら、ちぎれ雲を見た。

「ございます。こちらにどうぞ」


★ ★ ★

 

 その部屋は八畳ほどの広さだった。

「どれでもお使いください」

 カモシンはそう言ったが、躊躇してしまった。

 パソコンルームなるものを個人で所有している人間は、珍しくないと思う。

 しかし、この部屋の規模は、そんなことばで言い表せるレベルのものではなかった。

 部屋いっぱいコの字型に配置された机。天井まで埋めつくされたディスプレー。

 椅子は一目でそれだとわかるアーロンチェア。たぶん最高グレード。

 一番の驚きは、半数以上のディスプレイが点灯していたこと。その画面に映しだされていたのが、様々な種類のグラフと、数字だったこと。

「まるで、ディーリングルームですね」

 思ったままを口にすると、カモシンは驚いたような顔をした。

「さすがですね」そのあと少し間を置いてから、彼女はつづけた。「最初から、何もかもお見通しなのではございませんか?」

謎めいた問いかけだったが、懐疑的な響きはなかった。できれば、そうであって欲しい、そんな感じだった。

 でも、そのことばの裏にあるものがわからなかった僕は、返事の代わりに、にこっと笑って、一番近くにあった椅子に腰掛けた。

「このノートパソコンを使わせて下さい」


 勝負服 (競馬) 競輪におけるレーサージャージの別名。

ウィキペディアに、そのような文言があったおかげで、僕の評価は高くなったようだ。

「よくご存じでしたね。私たちも知らないことを」

「いえいえ」僕は正直に話した。「祖母から聞いたんです。幼かった頃に―」

 とそこで、それまで黙っていたガウチが割り込んできた。

「ちぎれ雲様、じゃなかった、ちぎれ雲さんの、おばあさまはおいくつなんですか?」

 ガウチの声にすこし驚いた。どこかで聞いたような声だったからだ。でも、世の中には同じような声の人は多い。それにいまは、そんなことを気にしている場合ではない。

 僕は頭の中を切り換えた。

 祖母は、年齢を口にするのと、団塊世代と言われるのを嫌っていた。だから、僕は、祖母が言っていたように答えた。

「第一次ベビーブーム生まれです」

 すると、ガウチだけでなく、他のふたりまでもが嬉しそうな表情を浮かべた。

 しばらくしてから、ガウチが、

「つかぬことを、お伺いしますが……」

 と恐縮したような声で言ったが、そのあとにつづいたことばには、まことに失礼ながらとか、不躾をお許しください。といったようなニュアンスは、まったく感じられなかった。

 興味津々。それ以外に何もなし。そんな感じだった。

「おばあさまと比べて、どうですか?」

 質問の内容が、どっちが若く見えるかだというのはわかった。

 三人にとってそれは、とても重要なことなのだろうが、僕にとってはどうでもいいことだった。でも考えてみると、もちろんあなた方ですよと答えた場合、ちょっとした問題が起きる。

 じゃあ、この三人の中で一番若く見えるのは?

 とつづけられたときの対処法が見つかりそうもない。

一瞬ことばに詰まった僕だったが、結果的に言えば、その問いかけは、実にありがたいものだった。

 というのは、そのどうでもいいような質問がきっかけとなって、僕と三人を結んでいた見えない糸の存在を知ることになったからだ。


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