『ベッキーが見た夢の最後の部分の検証』 バーシュウレイン視点
バーシュウレインの最高幹部の三人は、長者番付に載るほどではないが、結構な資産家なのだ。
たとえば、フェラーリー488GTB。世界中の車好きの羨望の的、最新型のスポーツカー。
このクラスの車だったとしても、即金で支払えるし、友人を何人か引き連れてパリに飛び立ち、付いたその足でシャンゼリゼ通りに向かい、ワインを一杯飲んで、そのままとんぼ返りといったような遊びだってできる。
しかしそのような事を思いついたとしても、実行はしない。若い頃、一円二円で苦労した苦い経験があるからだ。
要するに金の使い方は、人一倍厳しいのだ。自分が納得しなければ、たとえ数十円のものでも買わない。
しかし気に入ったものであれば、話は別だ。三人にとって、衝動買いは珍しいものではない。一般人の年収ほどの商品であったとしても、躊躇などしない。
『三十分後に、お石様の部屋に集合』
メールの送り主は、ベッキー。その日の太陽が、東の空に顔をのぞかせて一分もしないうちのメール。
それを受け取ったとき、カモシンはスマホに文字を打ち込んでいる最中だった。
用件欄にあったのは『夢の検証』
それを見たカモシンが、ホッと胸をなでおろしたのは、それがいま自分が打ち込んだ文字と、まったく同じだったからだ。
ベッキーもあの夢を見たんだわ。エロティックな夢は、私だけじゃなかった。ということは、ベッキーも今、金縛りから解放されたばかり。
カモシンの予想は大部分が当たっていたが、違う部分もあった。
夢の内容だ。
ベッキーは自分が見たという夢を語り終えたあと、こう付けくわえた。
「私一人で確かめようと思ったんだけど、一緒に行ってほしいの」
「どこに?」
カモシンの質問に、ベッキーは人差し指を真下に向けた。
「玄関に、何かが、あるような気がするの」
「玄関? ここの?」
「そう。目が覚めたときすぐに確かめようとしたんだけど、体が動かなかったの」
「つまり、金縛りにあったようになっていたっていうこと?」
カモシンは何気なさを装うために、そんな言い方をした。
「そう、そんな感じ。でも、息苦しいとか、身体のどこかが痛いとか、そんなことはなかった」
カモシンが経験したことも、まったく同じようなものだった。でも、念のために訊いた。
「金縛りからは、どうやって抜け出したの? 自分で解いたの?」
「ごく自然に、というか、朝日が昇ると同時に、手足が動くようになったの」
そこまできけば、十分だった。自分とベッキーのやりとりを聞いているガウチの横顔からだけでも、彼女も、なんらかの夢を見、そして、金縛りにあった。ということがわかったからだ。
ガウチはどんな夢をみたのだろう。案外、私と同じ夢だったのかも知れない。
いますぐ訊いてみたい気もしたが、やめた。ものごとには順序というものがある。私たちはベッキーのメールで集まったのだ。ガウチの体験話は、あとでもきける。
「じゃあ、検証開始」
カモシンが景気づけるように大きめの声で言ったのは、ベッキーの表情が、徐々に冴えない感じになってきたからだ。ベッキーは、どちらかといえば、責任を背負いこむタイプ。勢いに任せてメールを送ったことを後悔しているのかもしれない。そんな思いがカモシンにはあった。
このマンションの良さのひとつに、一日を通じての元気な挨拶がある。しかし今朝に限って言えば、ほかの住民たちとは顔を合わせたくなかった。できることなら、しばらくのあいだ、この三人だけの世界のままであって欲しかった。
その思いが通じたのか、それとも、単に朝が早かっただけなのかわからなかったが、一階に降りるエレベーターに誰も乗ってこなかった。
「どう? いまも何か感じる?」
低いモーター音だけが聞こえるエレベーターの中で、カモシンが訊いた。
「ううん」ベッキーは弱々しい声で答えた。「でもね、目が覚める直前に、玄関の一部がぴかっと光ったの。これだけは間違いないの。でも、なにもないかもしれない。もしそうだったとしても、がっかりしないでね」
「もちろんよ」カモシンはベッキーの肩に手を置いた。「中途半端が一番いけないと思うの。心に何かが引っかかったら、それを確かめる。あるいは取り除く。それが成功に近づくための鉄則だったわよね」
ドアが開くと同時に、さわやかな朝の空気がエレベーターの中に流れ込んできた。
「じゃあ。まず、ホールから」
カモシンは自分に言うように言った。玄関ホールは、エレベーターを降りて右側に数メートル歩いたところにある。
「輝くものといえば、ガラスか金属よね」
独り言のようなカモシンの声を合図に、三人は手分けしてホール内に変わった様子がないかを調べた。しかし、まだ朝日の射さないホールに、輝くものや、それを連想させるものは、なにもなかった。
ホールの壁の一部に、いくつかの絵画が飾られていたが、その絵のなかにも該当するようなものは見当たらなかった。
「おかしいわねぇ……」
ため息交じりに言うベッキーを元気づける意味で、カモシンは天井を見上げた。
「もしかすると、電球からのシグナルだったのかもしんないわよ。ほら、電球が切れるとき、一瞬パッと輝くことがあるでしょ。私の役目は終わりました。新しいものに交換して下さい。これまでどうもありがとうございました。そんな意味があったんじゃないかしら?」
しかしどこを探しても、切れた電球は認められなかった。
「どんな感じの光だったの?」
「真っ白」
「眩しさを感じた?」
ベッキーは何かを思い出そうとするように目を閉じた。
「いつまでも眺めていたいという感じだった……と思うけど」
ベッキーが自信なさそうに答えたとき、それまで一言もしゃべらなかったガウチが口を開いた。
「そろそろ新聞配達がくる時間よ。今のうちに調べておきましょうか」
このマンションの住民は、全員女性。それも一人暮らし。彼女らの意見も取り入れて、午後九時から朝の七時までは、住民以外は立入禁止。マンション入り口が開くのは、非常事態に見舞われたときのみ。仮にその時間帯に来客があった場合、住民の方が、マンションの外にでなければならない。
「あ、ポストだったら、私が」
ベッキーは、そう言って手をあげたものの、どうせ無駄だと思った。
はっきり覚えているといっても、夢の中のできごと。こんなことなら、自分一人で確かめればよかった。ふたりに迷惑をかけちゃった。
だが、ベッキーのその弱気は、玄関とホールのあいだの自動ドアが開くまでのことだった。




