『ファーストアタックに対する、それぞれの反応』 バーシュウレイン視点
ガウチは大のお風呂好き。
檜、ステンレス、ホーロー、大理石。いろんな種類の浴槽を試した上で選んだのが、バブルジェットバス。
同じ製品を、世界的に有名な女優が使っているのを、ファッション雑誌で見たことが決め手になった。
設置したその日から、気分はハリウッド女優。
朝昼晩、すべて、泡モッコモッコのバブルバス。
取り寄せた発泡剤の種類は、数知れない。
しかしここ数年、高級乗用車が買えるほどのバスタブは、浴室のオブジェと化している。
といっても、自分の柄じゃない。分不相応。などと思ったわけではない。飽きたのでもない。
それなりの、きちんとした理由がある。
バーシュウレインのメンバーのひとりが、新方式のシャワーを考案したのだ。
マイクロナノバブルシャワーヘッド。体感水圧は、従来方式に比べて三倍。節水率は50%。
カートリッジ無し。メンテナンス不要。ナノレベルのきめ細かい泡によって、皮脂や汚れを洗い落とす方式。シャンプーや石けんの使用量も減らせる。
これよ、これ。これこそ、世界中の人々が待ち望んでいたシャワー。絶対売れる。
いの一番に太鼓判を押したこともあって、ガウチは試作品の使い心地を試すメンバーに選ばれたのだ。
ひと月に一本の割合で届けられる試作品。そのテストを繰り返しているうちに、シャワーのとりこになってしまったのだ。
しかし、身体的な疲労を感じたときは、迷うことなくバスタブに湯を張る。
設定温度は四十一度。発泡剤無しのバブル風呂。
バスタブの縁に頭をのせ、膝を軽く曲げた姿勢で、微かに聞こえる泡の弾ける音を聞きながら、十数分もすれば、疲労感がなくなることを知っているからだ。
今日の私、調子に乗りすぎたみたい。いくらなんでも、この年齢で宙返りは無理。あれはやっぱり、再生ソフトのバクが原因。朝一番にセキュリティ会社に電話して、原因を突き止めてもらおう。
身体を湯に浮かせながら、そんなことを考えていた時だった。
ぴくり、
ガウチの身体が、一瞬左右に揺れた。
しかし本人は、そのことに気づくことはなかった。
その瞬間、ガウチの思考回路は切れたような状態になっていたからだ。
ちょうどその頃、ベッキーは鏡の前にいた。
点検したいのは、首の部分だけ。でも、目隠し用のカーテンをぜんぶ開けた。
現れたのは、高さ二メートル、横幅三メートルの一枚鏡。プロ仕様のレッスンミラー。
鏡自体はそれほど高価なものではなかったが、八階への搬入と、歪みのない平面をキープするための工事に結構なお金がかかった。
ベッキーはバレエダンサーを夢見たことがある。しかし幼い頃の家庭環境は最悪。月々のレッスン料はおろか、練習用のシューズやレオタードを買う余裕すらなかった。
バーシュウレインが買い取ったこのマンションを当分の住まいにする。そう決めた時買ったのが、この鏡。
でもこの前で、バレエのまねごとをしたことはない。カーテンを開けたこともほとんどない。
しかし、買ったことを後悔しているからではない。
このカーテンの向こうから、曇りひとつ無い鏡が私を見守っていてくれる。そう思うことで、幸せな気分に浸ることができるからだ。
自分の裸を眺めるのには慣れているつもりだったが、今日のベッキーは、自分の姿にどきっとした。
こっちを見ているのは、若い頃の自分。なぜかそんな気がしたのだ。
頭のどこかがおかしくなったのかしら。視神経の疲労の蓄積かな。シャワーを浴びる前後に、熱を計ったけど異常はなかった。でも、首筋のあたりは相変わらず熱を帯びている。こんなことだったら、さっき、ふたりに見てもらえば良かった。
そんなことを考えながら、首筋のあたりを確認しようと体をねじったとき、微かな音がした。
カーテンが動いたのだろうか。
ベッキーは辺りを見回そうとしたが、それは叶わなかった。
あっ、
何かに驚いたような小さな声を残したまま、彼女はふかふかの絨毯の上に、ゆっくりと崩れ落ちていった。
フラットポジションにしたマッサージチェア。 背中と足の裏に、ヒーターが入っている最高級品。
体を横たえているのは、カモシン。
テレビの前に置いたのは、ソファより、こっちの方で過ごすことが多くなったからだ。
といっても、ロッキングチェアも使う。でも風呂上がりは、必ずこれ。
「眠りへの誘い器」
カモシンは、医療機器メーカが開発したこの機器をそう呼んでいるが、ベッド代わりに使ったことは一度もない。うたた寝専用。
しかし、エメラルドグリーンのバスローブを羽織ったカモシンは、決めていた。
今夜は、ここで眠る。朝まで眠る。場合によっては、昼を過ぎてもかまわない。
このマッサージチェアのソフトに組み込んであるのは、プロの施術士の手の動きらしい。
スイッチを入れて一分もしないうちに、いつものようにとろりとした眠気がやってきた。
眠りに落ちながら、カモシンは、ガウチに感謝した。
さっきの、呼びかけは、ありがたかった。あのまま夢を見続けていたとしたら、絶対にうめき声を上げていた。あぶないあぶない。ふたりに笑われるところだった。でも、願いが叶うのなら、さっきの続きを見てみたい。
カモシンの体が、ぴくんと揺れたのは、彼女のしずかな寝息が聞こえ始めた頃だった。




