『あの頃の肌の張り』 バーシュウレイン視点
黄色地のブラウスが、その口癖に気づいたのはエメラルドが「もしかすると、この現象は、昨夜のお石様のお告げと関係があるのかもしんないわね」と言った時だった。
「あら」黄色地のブラウスは、笑いながらエメラルドを見た。「久しぶりに聞いたわ、あなたの昔の口癖」
エメラルドは、きょとんとした表情を浮かべた。
「私の?」
「そうよ。今、かもしんないわねって言ったでしょ」
「空耳よ、それ」
エメラルドが不満そうな声でそう言うと、黄色地のブラウスは同意を求めるような目をルビーに向けた。
「ね、あなたも聞いたでしょ」
三秒ほどの間を置いて、ルビーはうなずいた。
「そういえば」
「言った覚えはないけど……」
エメラルドは口を尖らせた。でも、二人に腹を立てたわけではない。この二人がつまらない冗談をいうはずがないからだ。だとすれば、言った自分が、それを覚えていないだけ。しかし、話は深刻。笑って流すわけにはいかない。
「どうしたのかしら、私」
とつぶやいたエメラルドは、自分専用のソファに腰を下ろした。そして、組んだ両手を頭の後ろに回した。意識していないのに、深い溜息が漏れた。
「やっぱり年のせいなのよね」
観察するような目でエメラルドを見ていたルビーが「大丈夫」と言った。「それは、あなただけじゃないみたいだから」
「え?」驚いた顔でエメラルドはルビーを見た。「あなたも痴呆症の自覚があるの?」
「違う違う」ルビーは慌てて手を振った。「そっちじゃなくて、昔の口癖のほう」
三人が住む八階建てマンションの特徴の一つに、強力なセキュリティシステムがある。外部からの侵入を未然に防ぐセンサーつき防犯カメラ。建物内に侵入した不審者を感知し、それを警備会社に通報する数々の電子機器。といった基本的設備の他にも、安心安全を確保するための様々な工夫が凝らされている。
他の住民は知らないが、マンションに使われている窓ガラスは、すべて耐熱性に優れた特殊な構造の防弾ガラス。外壁に一定以上の圧が加わると、それを感知したセンサーが警報音を鳴らし、五分以内に警備会社のスタッフが飛んでくるシステム、等々。
「この部屋にもカメラがついていたわよね。それで調べれば、はっきりするわ」
お石様が祀ってあるこの部屋には、コンピュータと連動する監視カメラが天井の四隅に設置してあり、ハードデスクには、半年あまり前の記録まで残っている。
パソコンを立ち上げたのは電子機器に強いルビー。音に反応して録画を開始するカメラのデーターをモニター上に呼び出した彼女は、三つのキーワードを入力した。
「カモシン」「ベキ」「チガウ」
結果は瞬時に出た。
「あら、いやだ。全然、気づかなかったけど、あなたたちも結構使っていたのね」
そんな感想を漏らしたのは昔の口癖が「かもしんない」だったエメラルド。
「私の場合、必要だから使っただけよ。口癖なんかじゃないわ」
と言い訳じみたことを言ったのは「何々すべきよ」が昔の口癖だった黄色地のブラウス。
「違う違う、べきは、物事を決めつけていた頃のあなたの口癖に間違いないわ」
と自分のことは棚にあげて締めくくったのは、昔「違う違う」と否定の言葉ばかり吐いていたルビー。
「そう言えば」と言って、しばらく遠くを眺めていたエメラルドが、二人に視線を戻した。「私たちがニックネームで呼び合うようになったのは、出会ってから一週間もしないうちだったわよね」
するとそれにルビーが食いついた。
「覚えている? あの頃の私たち、いつも腹ぺこだったわよね」
「そうそう、ひとつのおにぎりを三人で分けあったこと、何回もあった」
「でも、中の梅干しは、じゃんけんで勝った人がひとりじめ。種を割って、中身を食べるのがあの頃の最高の幸せだった」
「出がらしのお茶の葉に塩を振りかけて食べたこともあったっけ」
唐突に始まった二人の昔話に、黄色地のブラウスが、遠慮した声で割り込んだ。
「今、気づいたんだけど……」
「え? なに?」
二人の視線がきたところで、黄色地のブラウスは自分の頬を、ゆっくり撫でた。
「チクリが消えたみたいなの」
「消えた? チクリが?」
信じられないという表情を浮かべたエメラルドとルビーは、体をバルコニーに向けると、気持ちを集中させるように、目を閉じた。
「あ、ほんとだ、何も感じない」
それが自分だけじゃないことを確認した黄色地のブラウスは、今度は指先でかるく頬をつついて「気のせいかもしれないけど」と言ってから小首を傾げた。
「このあたりの肌の張り、あの頃と同じくらいになっているみたい」
「あの頃?」ルビーがおそるおそるという感じで訊いた。「あの頃って、いつ?」
「私たちが、ニックネームで呼び始めたあの頃」