『原因不明の声がもたらしたもの』 管理人側視点
今回の声は先ほどの「ちがう」とは明らかに異なっていた。
何かが取り憑いた。何者かに声帯を奪われた。誰かが僕の声を勝手に操作している。 本当にそう思った。
こんな時、どうすればいいんだ。どうすれば自分の声を取り戻せるんだ。どんな方法でもいい、知っていたら教えてくれ。
そんな思いを込めてカロンを見ると、目が合った瞬間、大声で笑い出した。
僕の不幸を喜んでいるように見えた。
でも、どうして?
そんな疑問が湧いてきたとき、カロンは急に真顔になった。そして、何かに感動したような目つきで、僕をまじまじと見つめた。
「すごい、すごい。いつのまに、こんなことができるようになったの?」
何がすごいのか、こんなこと、が何を示すのか、まったく分からなかった。しかし、今のせりふが、僕に取り憑いた人物に向けられたものだとすれば、僕が取るべき行動はこれしかない。
「お願いがあるんだけど」藁にもすがる思いで言った言葉が、自分の声だったことにほっとした。「何でも言うことを聞きますから、こんな意地悪をしないで下さい。そう伝えてほしいんだけど……」
十秒ほど、何か考えるような目で僕を見ていたカロンが言った。
「だれに伝えるの?」
「君のお友達」
「私の?」カロンは辺りをきょろきょろ見回した。「どこに居るの。私の友達っていう人は」
「はっきり言えば、僕に取り憑いている人だよ。できれば、今すぐ僕から離れて下さいと頼んでほしいんだ」
かみ合わない会話と、恐怖で強ばった僕の表情から、カロンは何かに気づいたようだった。
「え、すると、なに? 今の女の人の声、あなたが誰かの口まねをしたんじゃなかったの?」
勘違いは誰にでもある。カロンに何の責任もない。でもほっとしたからなのか、つい責める口調になった。
「僕が勘違いするようなことを言わないでくれ。第一僕は物まねなんかできない。そんなに器用じゃない。それに、物事に集中している最中に、他のことを考えるだけの余裕もない」
それに対する感想や、答えを求めたわけではなかった。そんな風に言わなければ腹の中が納まらないと思っただけだ。だがカロンは「それもそうね」と言った後、明日の天気の話をするような口調で「だとすると、あなたの中にはもう一人の自分がいるのよ」と続けた。
荒唐無稽。推測とも呼べない大胆な意見。でも可能性はゼロとは言い切れない。もしそれが事実なら、僕の心の中には二人の女性がいるということになる。しかしその考えに僕を納得させるだけのものはなかった。今までこれに似た現象が起きたことはない。
そんな考えが、僕の表情に現れたらしい。
「じゃあこんなふうに考えたら」カロンはそこで少し間を置いた。「空耳」
「空耳?」
「これなら、なるほどって思えるでしょ。納得できるでしょ」
「つまり、君と僕が同じタイミングで、聞こえないはずの声を聞いたってこと? でも、そんな偶然はありえない。だって一度じゃないよ。二度だよ」
説得したわけでもないのに、カロンはあっさり自分の意見を翻した。
「でしょう。私もそう思う。あの声は聞こえた。あの声には何か意味があるのよ。絶対に」
セリフの最後に、絶対にという言葉がつくと、なぜかそれが真実のことのように思えた。
だとすると、二つの声が意味するものは何だろう。そのことについて考えようとした矢先に、カロンが、予想もしていないことを言った。
「口を、あーんと開けてみて」
いきなりだったが、それが何を意味するのか分かった。
「僕の喉のあたりに、女の人が隠れているってことだよね。それも二人」
冗談で言ったのだが、カロンは本気らしかった。
「しっ、黙って。相手に気づかれちゃうでしょ。そんなこと言う暇があったら、懐中電灯もって来てよ」
これ以上、カロンに協力を頼むと、MRIやCTスキャンで体の隅々まで調べてもらいましょうよと言い出すのは目に見えている。ここで会話を打ち切ることにした僕は、
「やっぱり、空耳だったんだろうね」
と言い残して冷蔵庫に向かった。
僕とコーラの相性はとても良いらしい。
冷たいコーラを一口飲んだところで、頭の中がすっきりしてきた。と同時に心も切り替わった。
あの声は、神様からの伝言。
なんの裏付けもなかったが、確信めいたものを感じた。
だとすれば、先ほどの声に従ってみよう。
黄色のちぎれ雲の文字に、黒で輪郭を付けてみると、印象が劇的に変わった。寝ぼけたような黄色が、びしっと引き締まった表情に変わった。飼い猫が虎に変身したような感じ。
そのことを言おうとする前に、カロンが言った。
「表情が劇的に変わった」
だがカロンのそれは、パソコン画面の文字に向けられたものではなかった。
「今みたいな真剣な顔、見たことがない」