カロンの思惑? 管理人視点
カロンには、どこか頑固なところがある。
自分がいったん口にした言葉は、絶対と言っていいほど撤回しない。
今回も、そうだった。
「つまり、わたしの頭の中が透けて見えているってことなのね」
短いセリフだった。でもパソコン操作に気持ちを切り替えていた僕にとっては、唐突過ぎて理解不能な言葉でしかなかった。
「え、なに?」手を止めて彼女を見た。「もう一度言って」
「だってほら、これ」
じれったそうな顔で指さしたのは、 ディスプレィ上に呼び出した名刺の屋号。ちぎれ雲。
「信じてもらえないかもしれないけど、あなたの新しい呼び名も、これと同じだったの」
自分で言うのもなんだが、僕の読解力はきわめて低い。それは会話においても同じ。
僕の脳が、先ほどのセリフの意味を理解するまで、けっこうな時間を要した。
そんな能力、僕にはない。偶然の一致ってやつだよ。
そんなことを言おうとする前に、彼女は早口でまくしたて始めた。たぶん僕の沈黙が、言い訳の言葉を必死に探しているように見えたのだろう。
でも、僕たちのあいだで、このような展開は珍しいものではない。僕はいつものようによそを向いて、話を聞き流すことにした。そうすればカロンの気持ちはすぐに静まる。
「どうして、黙っているの。黙秘権を使うつもり? まさか、ずっとわたしを試していたってことはないわよね。もしそうだったとしたら、わたしたち、もうおしまい」
そこまで聞いたところで、ちょっと待てよと思った。
何かがおかしい。なにかが変。
カロンはこれまで、僕の心の中をかき混ぜるようなことを、繰り返してきたが、その根底には、僕に対する深い愛情のようなものがちりばめられていた。
だが、今、カロンが口走った言葉の中に、そのようなものはない。
もうおしまい?
恋愛経験に乏しい僕でも、それが何を意味するかぐらいは分かる。
とたんに胸の奥が痺れたようになった。
カロンとの付き合いに、終わりがくるなんて、考えたことすらなかったからだ。
「だったら、どうして最初の段階でそう言ってくれなかったの。そうすればいくらでも方法があったのに、もう手遅れだわ」
そのような言葉を、なおも吐き続けるカロンに目をやった僕は、ほっと胸をなで下ろした。
彼女は僕を見てはいなかった。
壁の一点を見つめる目は、うつろ。その表情に、別れに直結するようなものは何も浮かんでいなかった。
一言で言えば、早く、わたしを止めてちょうだい。そんなふうに見えた。
反射的に、この展開の謎が解けた。
すべて、カロンが描いたストーリー。ただ僕がそれに、乗り遅れただけ。
なんだよ、お前は。
一瞬だったにせよ、涙ぐみそうになった自分をあざ笑った僕は、頭の中を整理した。
つまりこの後、僕がどのような反応を見せたとしても、結果的には丸く収まる仕掛けになっている。
そう決めつけた僕は、心の中で「くそー、またやられてしまった」とギブアップして、気持ちを楽にした後、自分が思ったことをそのまま口にした。
「ねぇ、ねぇ、芝居はもういいんじゃない」
するとカロンは、我に返ったような顔をして、目をぱちぱちさせた。
「芝居?」
「ストーリーに無理があるよ。僕を霊能者扱いにした時点で、バレバレ。もしここに霊能者がいるとしたら、それは君」
だがカロンは白々しい声で応じた。
「そんな言い方で、ごまかさないで」
でも僕は、その言葉を完全無視。さっと立ち上がって冷蔵庫に向かった。
「わたしには、そんな能力ないわよ。だとしたら、偶然だったわけね」
予想していた通りの言葉が、カロンの口から出てきた。
そのことも、追求すると「霊能力があると言われたら、誰だって、わたしと同じことを言うはずよ」の一言で逃げられた。
「確かにね、僕でもそう言うかもしれない」
そう言いながら、よく冷えたコーラを飲んだ僕はこの後の展開を考えた。。
この部分は、どうでもいい話。重要なのは、この流れの中で、カロンが僕に伝えたかったこと。
あなたには未知の能力が眠っている。それをあなた自身の力で探し出しなさい。
もちろん、それはカロンの妄想でしかない。でも僕はそれは言わないことにした。と言っても無視するつもりはなかった。僕にできる範囲で、彼女の思いに近づこうと思ったのだ。
「じゃあ、霊能者の件はこれで終わりにして、名刺を仕上げようか」
僕の提案に、カロンは、やっと落としどころが見つかったというような笑みを浮かべた。
「偶然は、神様からの何かのサイン。ばあちゃんが、よくこんなこと言っていたんだ」
ディスプレイの屋号に目をやりながら言ってみた。
これだけでも、僕が何を言おうとしているか理解してもらえる。そう思っていたが、
カロンは、口元に微かな笑みを浮かべただけだった。
ちょっと拍子抜けしたが、僕は気を取り直して言い直した。
「それを今の僕たちに当てはめると、ちぎれ雲を屋号にすれば、この商売は間違いなく成功するってことになると思うんだけど、どう?」
何か考えるような顔でパソコン画面を見つめていたカロンが、僕に視線を向けた。
「聴き屋って、どんな商売なの?」
「文字そのままだよ。人の話を聞いてあげるんだ」
しばらくの沈黙の後、カロンは首をかしげた。
「商売って、お客様から、お金をいただくって事よね」
僕は黙って頷いた。
「これが、あなたの言っていた究極のビジネスなの?」
さっきに比べるとずいぶん小さな声だった。
「ああ、そうだよ」
意識して声のトーンを高くして言うと、カロンは、僕が待っていた質問を投げかけてきた。
「究極の意味がわからないんだけど」
「経費はゼロ。売り上げが、そっくりそのまま利益。資本金ゼロで立ち上げられる」
即答したのが功を奏したようで、カロンは深いため息とともに、肩を落とした。
「今後のことを踏まえて言うんだけど」カロンはあきれた声で言った。「冗談なら、笑えるものにしてほしいの」
独り言のようなつぶやき。予想通りの反応に、僕の頬は緩んだ。
この後の僕の言葉で、カロンの気持ちはパチンと音を立てて切り替わる。逆転劇は点差が開いているほど、相手に与える衝撃は大きくなる。
でも僕は、事務的な声で淡々と言った。
「ペットボトル入りのお茶や、コンビニのおにぎりは、今では当たり前になっているよね。でも、発案者がそれを最初に口にしたとき、そこに居合わせた全員が大笑いしたらしいよ」
今度の言い回しは、カロンに響いたようだ。
「つまり、こう言いたいわけね」大きく見開かれたカロンの目は輝いていた。「何事もやってみなければわからない」
その通り、の代わりに、僕は残りのコーラを飲み干した。