『屋号に対するカロンの反応』 管理人側視点
僕の部屋は、十二畳程度のワンルーム。
パソコン用として、ニトリで買った折りたたみデスクはベッドの横。
「ちょっと待っててね」
ノートパソコンを手に取り、キッチンテーブルに置くまでの十数秒の間に、僕は考えをまとめた。
「結論から先に言うよ」と言ってパソコンを立ち上げた。「究極のビジネスモデルが、通用するかどうかを試すことに決めたんだ」
真向かいに座って、僕の様子をうかがっていたカロンが、すこし身を乗り出した。
「つまりそれは、消去法によってということなのね」
カロンが何を言いたいのか分かったが、とぼけた。
「どういうこと?」
「わたしの暴力を未然に防ぐ最善の策が、それなのね」
明らかに冗談だと分かる声だった。カロンは僕が否定することを前提として、そんな言い方をしたのだろう。
「そうだよ」
正直にそれを認めると、彼女は肩透かしを食らったような表情を浮かべた。久しぶりに僕のペースで話が進められそうな予感に、うれしくなった。
「最初は、そう思っていた。でもね、シャワーを浴びているうちに、あの時の一連の言葉は、僕の本能が言わせたのかもしれないと思うようになってきたんだ」
「本能?」
思案顔になったカロンは、小首をかしげながら天井を見上げた。
僕は祖母から聞いた話を、少し加工して話した。
「ばあちゃんが言っていたんだ。自分では失言だと思っている言葉の中に、宝の山につながる何かが隠れていることがあるってね」
カロンの視線が再び僕に戻ってきた。
「ふぅーん」
気のない返事に聞こえたが、彼女の目には、興味津々という光が宿っていた。
「じゃあ、あなたは見つけたわけね、宝の山につながる何かを」
「多分、そうだと思う」
自分では断言したつもりだったが、自信のなさが言葉に出たらしい。
「たぶん?」
尻上がりのイントネーションには、挑戦的な響きがあった。僕はムキになって答えた。
「何事も、やってみなけりゃ分からないってことさ」
しばらくの沈黙の後、カロンは口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「で、いつそれを実行するの?」
「名刺が出来次第」
パソコン画面の名刺作成ソフトのアイコンをダブルクリックして、カロン側に向けた僕は、椅子を持って彼女の右側に座った。
「この中に、君の大嫌いなものがあるけど、悪しからず。なにしろ、君と出会った直後に作った名刺なもんでね」
保存フォルダーから呼び出した名刺に、プースケの文字を見つけたカロンは「アララララ」と歌うような節をつけて笑ったが、嫌そうなそぶりは見せなかった。
「これが、究極のビジネスモデルの名刺なの?」
名刺にあるのは、プースケと住所と、僕の携帯電話番号だけだった。
「いや、これは単なるベース。これから業種を打ち込む」
名刺の左上にカーソルを当てて、キーボードを叩くと、カロンは僕の顔をのぞき込んだ。
「これ、キ、キ、ヤ、と読むの?」
声の感じからすると、聴き屋が、どのようなビジネスなのか理解できていないようだった。でも僕はそれを無視して、カーソルをプースケに移動させると、右クリックから切り取りを選んだ。
「そうだよ。聴き屋。でも、この屋号は使わない」
プースケの文字が画面から消えると、カロンは、ちょっと遠慮がちな声で訊いてきた。
「もしかすると、聴き屋の屋号は、今わたしの頭の中にあるものを使うつもり?」
もちろん、それに決まっているだろう、
と答えるつもりだったが、違う言葉が飛び出したのは、あれほど親しみを持っていたプースケを、いとも簡単に削除した自分を責める気持ちがあったからだろう。
「事業とプライベートを混合してはいけないと思うんだ」
心にもないセリフの後、再び口が滑った。
「実を言うと、とっておきの屋号があるんだ」
言いながら、まずいことになりそうな予感に体が震えた。
プースケの名刺は、カロンが僕だけの彼女になりますように、という願いを込めたもの。働く意欲のない人間が、屋号なんて考えるはずがない。
その屋号、なんて言うの?
話の流れからすると、当然そんな質問がくる。
どうしよう。なんと言って逃げようか。
そんな焦る僕の脳裏に、ぽっかりと浮かんできたものがあった。それは、死の間際に祖母が言っていた言葉だった。
助かったと思った。なるほど、これならぴったり。悪くない。ばあちゃんありがとう。
僕はその言葉を、頭の中で数回繰り返してから声に出した。
「音の響きとしても良いと思うんだ。聴き屋。ちぎれ雲。ねっ」
同意はもらえなくても、反対はないだろう。それぐらいの自信はあった。でもなぜか、カロンの顔から表情がすっと消えた。