第六章 「魔之手」
―ノーレラス地方中央街レイアーク―
「……いらっしゃい」
それは、ジークがレイアークを離れた次の日の朝だった。扉のベルが鳴る音を聞き付けて、店の奥にいた老人は無愛想に言った。ちらりと目をやると、入ってきたのは茶色い質素な旅行用マントに身を包んだ青年だった。
老人はそのフードの中を覗いた。まさかとは思ったが、知っている顔だった。
「まったく、このところ珍しい客が多いもんじゃな」
老人は言った。
「多い……というと、前には誰が?」
青年は店内に所狭しと並べられている装飾品を物色しながら、さりげない様子で尋ねた。
「白銀の獅子じゃよ。スピルナ動乱の時、この街だけにとどまらず数え切れないほどの無力な人々を護った英雄じゃ。よもやこの目でお目にかかれる日が来るとは思わなんだ」
老人は淡々とした調子で言った。
「何しろワシはスピルナ動乱の時は孫娘にせがまれて疎開しとったからのお」
「なるほど……それにしても」
青年はそこで話題を変えた。
「あなたのような方が、こんな所で装飾品店を営んでいるとは……あなたのお孫さんから伺った時は驚きましたよ、レイゲル・ベン・ルネア殿」
「ふん、政治やら式典やらよりも、こっちの方がワシの性にあっとると思っただけの事じゃ。行政などというつまらん事は、シーゼルに任せてしまうに限る」
老人・レイゲルはあくびをしながら言った。
「人は裏切ることもあるが、宝石は裏切らんからの」
「僭越な事を申し上げますが、ろくでも無い祖父ですね」
青年は少し笑って言った。
「何とでも言え」
レイゲルはぶっきらぼうに返した。
「大体そっちこそ、一体どうしてこんな所にいるんじゃ?」
「訳あって、その白銀の獅子の力を借りなければならない事になりましてね」
青年は答えた。
「それでここまで追って来たって訳かい。悪いが、ワシに聞いても行き先は知らんぞ」
レイゲルは言った。
「でしょうね。リィトの行き先を知っている人は、なかなか居ませんから」
青年はレイゲルの言葉を予期していたかのように言った。
「もっとも、僕はもうシーゼル殿から伺っているので、彼がどの方角に向かったかは知っているんですがね。ここへはただ、あなたに挨拶をしに来ただけです」
「ほう、そいつは有り難いねえ。ついでに何か買ってってくれると、もっと有り難いんだが」
レイゲルは冗談混じりに言った。
「この店で下手に物なんて買ったら、途端に破産してしまいますよ」
と青年も冗談で返す。この店の物がどれも、平民なら見るだけで失神しかねないような高価な物ばかりである事を、青年は知っていた。
「ふむ、しかし白銀の獅子は買ってってくれたぞ。それもエンリアル製の特別高級なやつだ」
「なるほど。あの人が、ですか」
青年はどこか面白がるような声で言った。
「きっと恋にでも落ちたんでしょうね。でなきゃそんなもの欲しがるような人じゃない」
「じゃ、アンタはどうなんだい?」
レイゲルも面白そうに尋ねた。
「僕は、別に……」
青年は目を背け、言葉を濁した。
「……そんな事をしても、僕にとっては無意味なだけです」
青年はしばらくして言った。その声には微かな憂いが混じっていた。
「訳ありかい。でも、好きな女は居るみたいじゃの」
「とにかく、行き先が分かった以上、僕は彼の後を追わなければ」
青年はレイゲルの言葉を遮るように言った。
「それでは、またお会いしましょう」
早口にそう言って、さっさと店を出て行ってしまった。
「……まったく、せっかちな若造じゃの」
一人店に残されたレイゲルは独り言を呟いた。
―ノーレラス地方~ハシラ地方間の街道―
「ジークさん、この『音』……」
夜営に使った荷物を片付け終わって、微かな陽光の射す曇りの天気の中、林に挟まれた道を歩いている途中、尖り耳で何かを聞き付けたらしいスゥが突然言った。
「悪魔か?」
ジークが尋ねる。同時に、辺りの木々がざわめいた。その風が、ジークの髪も軽くなびかせる。
「うん……前と同じひと」
スゥは落ち着かない様子で言った。
「どっちから来るか、分かるか?」
一対の大刀の鞘を払いながら、ジークが緊張した声で続けて尋ねた。
「えっと、多分あっちのほう……」
スゥはジークの後ろを指差した。ジークはそれに反応して、すぐに身構える。
「スゥ、下がってろ!」
数秒後、何者かの気配を感じたジークが叫んだ。気配は、スゥの言った通りの方向から迫っていた。
次の瞬間、右手の林から、真っ黒な人のような形の影が飛び出した。これもスゥが言った通り、一昨日戦ったのと同じ『尾』の悪魔、ベリウスだった。
「ハッ、やっと見つけたぜぇ!」
ベリウスは歓喜の声を上げた。
「一昨日てめぇにやられてから、ずっとウズウズしてたんだぁ!」
そう叫んでベリウスは自慢の真っ黒で長い、見るからに強靭そうな尾を振りかざした。
「そうかよ」
ジークは相手の調子に乗せられまいと平静を装って言ったが、内心不安を感じていた。前の時と同じような『力』の解放を感じていないのだ。あの『力』はあの時だけの一時的な物だったのか、それとも何か解放するための条件があったのかは分からないが、どちらにしろ『力』がなければベリウスに勝てない事は、前回の戦いから見ても明白だった。
しかし、たとえ『力』の解放がなくとも、だからといってすぐに諦める気も全くない。とにかく、出来るだけの事をするべきだ。
そう思ってジークは両手に握った刀を構え直した。
「ハッ、それじゃあ、行くぜぇ!」
ベリウスは一瞬屈み、脚の筋肉を最大限に使ってジャンプした。どうやら、前の時に建物の上からやったような攻撃を仕掛けるつもりだろう。『力』が解放されていないジークでは、何とかして避けるしかない。
ベリウスは空中で回転し、勢いをつけた尾をジークにたたき付けてきた。ジークは屈んでそれを紙一重で躱した。そして右の刀を振り上げて反撃すると、ベリウスは軽々とそれを避ける。
着地したベリウスはすぐに地面を蹴り、再びジークに攻撃を浴びせてきた。『力』の補助がない今の刀では、ベリウスの攻撃を受け切れる保証はなく、ジークにはただ避けるしかなかった。
前の時と同じく、スピードではジークが勝っている。しかし、これも前と同じく、ジークには攻め手がなかった。
ジークの背中に、木の幹が当たった。後ろに躱し続けている間に、道の端まで追い詰められてしまったのだ。
ベリウスがここぞとばかり横薙ぎに尾を鞭のようにしならせ、打ち付けてきた。ジークは再び屈んで躱そうとしたが、それを読んでいたベリウスの攻撃はさっきのよりも位置が低くなっていた。
ジークはすぐに、刀をベリウスの尾とほぼ平行に構えて、その攻撃を受け流した。尾は刀の上を滑り、ジークの後ろにあった木を粉砕した。
「ハッ、相変わらず避けるのだけはうまいなぁ!」
ベリウスは多少いらついた声で言った。ジークはそれに答えず、目の前に立ちはだかるベリウスの脇の下を素早くくぐり抜けて、追い詰められた状態から脱出した。
しかし、後になって考えてみると、ベリウスの武器である尻尾のある背中側に回り込んだのは失策だった。ベリウスはジークが自分の後ろに回り込んで来てもあえて振り向くことはせず、高くもたげたその尻尾を上からたたき付けてきた。無論、背中越しで攻撃して来るときよりも射程は長い。
ジークは急いで横に飛んだが、鞭と剣の利点を併せ持ったベリウスの尾を避け切れず、左足に傷を負ってしまった。傷は深くはないが、脚をやられたのはこの状態では絶望的だった。ジークが唯一ベリウスより勝っている能力である素早さを奪われてしまうからだ。
ジークは左手に持っていた刀で、地面にめり込んでいたベリウスの尾を押さえ付け、右手の刀でベリウスに切り付けた。ベリウスは身を屈めたが、真っ黒な長い髪の一部分が切り落とされた。
ベリウスは尾を押さえ付けていたジークの刀を払いのけて、ジークの方に体を向けた。
「ハッ、見たところ、一昨日オレを負かしたのと同じ力は、今はねぇみてぇだなぁ! 戦っててつまんねぇぜ!」
そう言ってベリウスは突然身を翻し、十メートルほど離れた場所に立ちすくむスゥに向かって走り出した。スゥを危険にさらし、ジークを本気にさせて力を引き出させようとしているのだ。
ジークはすぐさまベリウスを追おうとしたが、左足の傷が疼いた。ベリウスの思惑通り、どうにかして『力』を解放させなければ、スゥを護ることはまず出来ない状態だった。
ジークは、謎の声に『力』を目覚めさせられた時の事を思い出した。
―僕は、君の『力』を少しだけ、目覚めさせることができる。だから、一つだけ約束して。君が護りたいと思う大切な人を、絶対に護り通すこと―
あの声はそう言っていた。もし、大切な人を護りたいという思いが、『力』を解放させるのに必要な物なら……。
(頼む……)
ジークは心の中で強く念じた。
(オレに、スゥを護れるだけの力を……!)
その時、ジークの持つ刀が微かに輝きはじめた。
それは、まさに一瞬の出来事だった。ジークには、まるで自分自身が光そのものになっているようにさえ感じられた。次の瞬間、ジークはベリウスの目の前に立ちはだかり、構えられた尾を刀で弾いていた。ジークの左腕の刀の内側には、たった今ベリウスの射程に捉えられていたスゥが抱き留められている。
ジークの体内に流れる『力』の奔流は、前の時よりもその量を増していた。意思の強さが原因なのか、前よりも体が『力』に慣れているのか、それとも使う度に能力が上がるようになっているのか。理由はともかく、その力は前よりも強くなっていた。
「ハッ、そうこなくっちゃなぁ!」
ベリウスは怯みもせずに言った。
「これで一昨日の借りも返せるってもんだぁ!」
「ジークさん……」
腕の中のスゥが心配そうな声を出して、ジークの服をぎゅっと掴んだ。
「大丈夫だ。オレに任せろ」
ジークは『力』が解放している時の常らしい、落ち着いた口調で言った。もしかすると、体内に溢れるエネルギーが、ジークを無意識のうちに厳かな気持ちにさせるのかもしれない。
ジークはスゥを離し、後ろに下がっているように合図した。
「お願いだから、無茶はしないでね……」
スゥはそれだけ言うと、素直にジークの合図に従った。
「……ハッ、さぁて、そろそろ本番と行くかぁ」
ベリウスは待ち兼ねたような声を出した。やはり、今のベリウスにとって重要なのは、公平な勝負でジークを負かす事なのだと、ジークは改めて覚った。
「ああ」
ジークは答え、白銀に輝く一対の刀を構えた。
ベリウスは体を素早く回転させ、手始めとばかりに尾をジークにたたき付けてきた。ジークは今度は躱すことはせず、右の刀でその攻撃を受け止めた。
そして間髪容れずに左の刀で反撃する。ベリウスは地面を蹴って宙に上がり、その攻撃を避けた。そして空中で前転し、上からしならせた尻尾を打ち付けた。
ジークは地面を蹴ってそれを躱した。さっきと同じ、光そのものになるような奇妙な感覚を感じ、次の瞬間には宙にいるベリウスの真上に来ていた。当のジークにはあまり実感はないが、恐らくベリウスにはジークが瞬間移動しているように見えただろうし、もしかしたら本当にそうなのかも知れない。
後になって自分で信じられなくなるほど、この時のジークは落ち着いて物事を考えていたのだった。
ジークは空中で体の自由が効かないベリウスに向かって刃を振り下ろした。
ベリウスの体は、自慢の尻尾ほどではないがかなり頑丈だったようで、刀は深くは切り込めず、振り下ろしたエネルギーのほとんどがベリウスを地面に向かってたたき付ける力に消費された。
地面にぶつかったベリウスは微かにうめき声を上げたが、まだまだ余力は残しているように見えた。すぐに立ち上がり、落ちてくるジークを迎撃しようと尾を体の前で構えた。
落下と共に振り下ろしたジークの刀とベリウスの尾がぶつかり、火花を散らした。『力』が強くなってもなお、その尻尾は驚くほど堅く、しなやかで、ジークの刀で傷つけることはできなかった。
「ハッ、そういや、一つ聞きたい事があったんだよなぁ」
ベリウスが突然口を開いた。
「何だ?」
ジークはベリウスから少し離れた所に着地しつつ聞いた。
「てめぇは一体、どうしてスゥ・ロ・ヤマなんかを護ってやがんだ? てめぇに何のメリットがある?」
ベリウスが尋ねた。
「別に深い理由はない」
少ししてジークは答えた。
「ただ、オレはいつ何時でも自分が本当にしたいと望んだ事をするだけだ。そして今、オレの心はあいつを護ることを望んでいる。メリットなんて、考えたことも無いな」
ジークは淡々といった。
「ハッ、何とも変な奴だなぁ! ま、こっちはそのお陰で計画が進んでるんだから、感謝しなきゃなぁ!」
ベリウスのその言葉に、ジークは微かに眉をひそめた。オレの存在がやつらの計画を進めさせているとは、一体どういう意味だ?
その時、ベリウスの尾が左から迫ってきた。ジークは一瞬反応出来ず、危うくその攻撃をまともに喰らってしまう所だった。
風を切って音を立てる尾を辛うじて屈んで躱した直後、ジークはここぞとばかりに反撃に出た。
その後はしばらく一進一退の攻防が続いた。どちらも相手に大きな傷を与えることができないまま、時間は過ぎて行った。もともと悪魔として強靭な肉体を持つベリウスはもちろん、『力』を解放しているジークも、常人にはありえないような持久力を持っているため、消耗戦にもならなかった。
数え切れないほど打ちあった末、ジークはベリウスの動きに一瞬の隙を見つけた。ジークはその隙を見逃さなかった。左の刀でベリウスの尾を押さえ付け、右の刀をベリウスの喉元に突き付けた。
「所詮お前の尾は一本。二本の刀を相手にするには分が悪かったな」
ジークは言った。しかしそれを聞いた時、ベリウスは何故か不敵に笑んだ。
「ハッ、一本の尾じゃ二本の刀には勝てない。確かにそれは道理かもなぁ! けどよ……」
ベリウスはそう言ってニヤリと笑った。
「オレの尾が一本だけだなんて、どこの誰が言ったんだぁ!?」
その瞬間だった。ベリウスの背後から、さながら首をもたげる蛇のような黒くて太い一本の尻尾が立ち上がった。当然、ジークが押さえ付けているのとは別の物だった。
ジークはすぐさま、振り下ろされた二本目のベリウスの尾を右の刀で受け止めた。
しかし、それで終わりでは無かった。二本目の尾の陰から、三本目の尾が姿を現したのだ。ジークはこのままではその尾の攻撃は受けきれない事を察し、急いでバックステップで距離をとった。ついさっきまでジークがいた場所の地面に、三本目の尾は深々と突き刺さった。
「お前……」
ジークは言いかけたが、言葉を最後まで発することはできなかった。ジークの背後の地面から、四本目の尾が突き出てきたのだ。恐らくは地面の中を潜行させていたのだろう。
ジークはその尾の攻撃も何とか避け、充分に距離を取ってからベリウスに目をやった。
ベリウスの尾はジークを攻撃していた間も増え続けていたらしく、今は九本にまでなっていた。しかも、一本の尾が分裂して九本になったのではなく、九本の尾それぞれが最初の一本と同じ太さと強靭さを持っていた。
尾の増殖は九本で止まったようだった。九本が最大の本数なのか、それともベリウスが力を出し惜しみしているのか。ジークはせめて前者であってほしいと願った。
「ハッ、前の時は計画の必要上、本気が出せなかったからなぁ! やっと本来の姿に戻れたぜぇ!」
ベリウスは高笑いして言った。その後ろから放射状に伸びた九本の尾が、それに反応するようにのたうっている。
そして、ベリウスは尾の一本をジークに向けて突き出した。もともとの長さなら届かない距離だったが、ベリウスの尾はその動きに併せて一気に数倍の長さに伸びて、ジークを射程圏に捉えた。ジークはその尾を刀で払ったが、すぐに次の一本が迫ってきた。ジークがそれを躱すと、間髪容れずに三本目が目の前に現れた。
ジークはその尾を右の刀で払ったが、その時さっき左の刀で払った一本目の尾が、体勢を建て直して攻撃を仕掛けて来ているのには、反応できなかった。
ジークは何とか多少体を反らせて、直撃を避けることはできたが、尾はジークの腹に当たり、ジークを吹っ飛ばした。
ジークは空中に高く放り投げられ、十メートルも離れた場所に落ちた。どうにか受け身は取れたが、『力』による保護を通してジークが受けたダメージは相当な物だった。もし『力』によって保護されていなければ、今の攻撃だけで死んでいたかもしれなかった。
ベリウスが地面を蹴って距離を詰めてきた。ジークはそれを目の端で捉えた。反撃しなければとすぐに立ち上がったが、体中に痛みが走り、頭が衝撃でクラクラした。立ち続ける事さえ出来ず、ジークは敵の眼前で膝を折った。
「どうやらこれで終わりみてぇだなぁ!」
ベリウスが言った。
「オレが一度ちょっと本気を出しただけで、ここまで簡単に倒せちまうとはなぁ、結局てめぇも、所詮はただの人間って訳だ!」
ベリウスは一度負けたジークに仕返しができた嬉しさと、もう戦いが終わってしまったつまらない感情が入り混じった声で言った。そしてジークの目の前に立ったベリウスは、ジークから反撃する体力を奪うために、尾の一本をジークの脇腹に突き刺した。体を襲った激痛に、ジークは思わず悲鳴をあげた。
「ハッ、そんじゃ、手加減していたとは言え一度オレを負かした事に敬意を表して、苦しまないように一瞬で楽にしてやるとするかぁ!」
ベリウスはジークから引き抜いた血塗られた尾を高く掲げ、残虐な笑みを浮かべた。真っ黒な顔に浮かぶ真っ白な口は、半月状に歪んでいた。しかし次の瞬間、ジークの視界は真っ黒い物に覆いつくされた。視界がぼやけているせいで、それが何なのかは分からなかった。
「……ああん?」
その時、奥からベリウスが声を上げるのが聞こえた。
「そんなとこに突っ立って、てめぇに一体何が出来ると思ってんだ? ……スゥ・ロ・ヤマ」
ジークはその途端、目の前に広がる黒いものがなんであるかに気がついた。
スゥがベリウスとジークの間に、両腕を横に広げて立ちはだかっていた。ジークが見ている黒い物は、背中にかかったスゥの髪だった。
「スゥ……」
ジークは荒い息の合間に言葉を発した。
「下がってろよ……そいつの言う通りだ……お前がいても、何もできねぇだろ」
ジークは目の前のスゥに手を延ばしてその場所から退けさせようとしたが、体が動かなかった。
「……ジークさんは、そこで休んでて」
スゥが有無を言わせぬ毅然とした口調で言った。スゥがそんな態度を取るのは、出会ってから初めての事だった。
「お前……」
ジークが反発しようと口を開いた。ジークでさえ敵わない相手に、スゥは一体何が出来るというのだ。
「いいから、休んでて」
そう言ってスゥは気遣わしげにジークを振り返ったが、その仕種とは裏腹に、その目は今まで見たことが無いほどに爛爛と輝いていた。それは決意と、ベリウスに対する明らかな怒りの色だった。
スゥがこれほどに怒りを顕にするのを、ジークは初めて見た。もしジークが前に考えたように、怒りの感情がスゥの正体と関係があるのなら……。
その事をスゥに伝える力もなく、ジークはついにその場にくずおれた。強い意思の力のおかげか、辛うじて気を失うことはなかった。
「そこを退きなぁ、スゥ・ロ・ヤマ」
ベリウスが言った。九本の強靭でしなやかな尾を持つ真っ黒な悪魔のあまりの威圧感に、普段のスゥであったら、真向かうことすらもできなかっただろう。
しかしこの時は、スゥの中に芽生えた圧倒的な怒りの感情に打ち消されたのか、恐怖は微塵も感じなかった。
「……どかない」
スゥはそれだけ答えた。自分でも驚くほど、その声は怒りに打ち震えていた。ジークの悲鳴を聞いた瞬間から、自分の大切な人を傷付けた相手へ対する激しい怒りが、灼熱の如く体中を駆け巡っていた。
「これ以上、ジークさんには……指一本、触れさせない!!」
スゥの脳裏に何故か、今の自分がするべき事が浮かんだ。スゥは左手を前に掲げた。そして、怒りの感情の全てをその左手に集中させた。
次の瞬間、ベリウスは何の前触れもなく後ろに大きく吹っ飛ばされた。道の脇にある林に突っ込み、太い木を一つ薙ぎ倒して、二本目の木にめり込んでやっと止まった。
「ぐ……てめぇ……」
ベリウスは痛みを堪えながら呟いた。そして体を動かそうとしたが、全く身動きができなかった。それは、真っ黒い巨大な手がベリウスを木に押さえ付けていたからだった。
その手はスゥの左の手の平から生えていた。スゥは自分のしたことに驚いたが、その感情も怒りに打ち消されて表には出てこなかった。
「クソッ、この小娘が……なめんじゃねぇ!」
ベリウスは叫び、九本の尾をスゥに向けて構えた。
しかし一瞬にして、その尾は後ろの木々に釘づけにされた。スゥから生えた巨大な腕の途中から、九本の腕が枝分かれした枝のように生え、ベリウスの尾の全てを押さえ付けていた。ベリウスは尾を動かそうともがいたが、押さえ付ける腕の余りの握力に、尾は微動だにしなかった。
その様子を見ていたスゥは、ふいに左手を握った。するとそれに併せて、その真っ黒な手も握る力を強めた。その余りに強い握力に、ベリウスはたまらず耳をつんざくような悲鳴を上げた。
「くそがぁ、コイツが……兄貴の言ってた……スゥ・ロ・ヤマの……真の力……かよ……」
ベリウスは息も絶え絶えに言った。そして雄叫びを上げて、スゥから生えた手ではなく、その後ろの木々を薙ぎ倒すことでなんとか束縛から逃げ出した。
ベリウスは体内に残ったエネルギーの全てを使い、高々と跳躍した。真っ黒な腕がどんなに無敵の力を持っていようと、その根源となっているスゥは華奢だ。そのスゥを倒せば勝てると踏んだのだろう。
しかし、空中で回転するベリウスの尾の一本を、スゥから生えた腕が捕まえた。スゥはそのまま腕を振り下ろし、ベリウスを地面にたたき付けた。激しい地鳴りと共に、ベリウスは地面にめり込んだ。
スゥが歩いてベリウスの元に着いた時、ベリウスはほとんど気絶して、口から泡を吹いていた。
「や、やめろ……」
ベリウスは弱々しい声で懇願した。
「……あなたはあたしの大切な人を傷付けた」
スゥは表向きは淡々とした調子で言ったが、その声には激しい怒りが篭っていた。
「頼む……許してくれ……」
「……許さない……!」
そう言ってスゥは左手を構えた。左手から一瞬にして五本の真っ黒な腕が生え、その内の四本がベリウスの両手両足を地面に押さえ付け、残りの一本がベリウスの喉元に突き付けられた。ベリウスはうめき声をあげたが、もはやもがくほどの気力も残っていないようだった。
「これで……終わり――」
その時背後で微かな声がして、スゥは今まさにベリウスの首を掻き切ろうとしていた手の動きを止めた。
「……スゥ……やめろ……」
それはジークの声だった。スゥのような尖り耳でなければ、間違いなく聞き逃していたであろう、微かな声だった。
その声を聞いた瞬間、スゥは突然正気を取り戻した。怒りに輝いていた紫の瞳は一転、自分のしたことに気付いて、その後悔の涙で潤みはじめた。
「ジーク……さん……あたし……」
その時、ふいにスゥの体を激しい疲労が駆け巡り、スゥはその場にくずおれて、気を失った。スゥの左手から生えていた真っ黒な腕も、同時に黒い霧と化して消滅した。
「ハァ、ハァ……どうやら、最後は……オレの勝ち、みてぇだな……」
その時、ボロボロになったベリウスがよろよろと立ち上がって呟いた。その九本の尾全てが、気絶したスゥの喉元に突き付けられる。ジークはなす術もなくその様子を見ていた。
「まずはてめぇだ……スゥ・ロ・ヤマ……よくもオレをこんなに……しやがったな……」
その時、道の向こうから馬の駆ける音が聞こえた。その音はありえないような速度でこちらへと向かって来た。
次の瞬間、馬の足がベリウスの尾を蹴飛ばし、その馬に乗っていた人間の剣がベリウスに向かって振るわれた。ベリウスは不様に飛び下がって、そのまま後ろを向いて、最後の力を振り絞って逃走した。
騎手は一瞬、ベリウスを追い掛けようとしたが、怪我人の保護が優先事項だと考えた様で、颯爽と馬から飛び降り、スゥを介抱しはじめた。
そこまで見た後、ジークはついに力尽きて気を失った。
ジークは目覚めと同時に脇腹の強い痛みに襲われた。体には包帯が巻かれているのが分かる。ジークは一瞬、今の自分の状況を掴みかねてボーっとしていたが、すぐに事のいきさつを思い出した。そして、痛みを堪えて体を起こす。
そこは、林の中の空き地だった。恐らく、ベリウスと戦った場所からそう離れていないだろう。ジークはそこに寝かされていて、近くにはスゥが眠っているのがぼんやりと見えた。その脇では、あの旅装束の騎手が体を屈めて、スゥの手当てをしていた。彼が乗っていた鹿毛の馬はその近くに落ち着いた様子で佇んでいた。
「おい、お前……」
ジークが呼び掛けると、その騎手はスゥの額に当てていた手をさっと引き、ジークの方を振り返った。それによって、フードで見えなくなっていた顔が顕になる。それは高貴な風格を持つ、端正な顔立ちの青年だった。
「あ、起きましたか、ジーク殿」
青年はジークに話し掛けた。その顔も声も、ジークの知っているものだった。
「誰かと思えばお前か……オレはもう、お前らに付き纏われる理由は無いはずだぜ、アトル」
ジークは言った。
「でも、僕に付き纏われていなければ、今頃あなたは死んでいたでしょうね」
アトルと呼ばれた青年は悪戯っぽくいいかえした。
「そんな事より、何の用事があってオレ達の後を追ってきた? お前の事だ、『偶然通り掛かった』なんて下手な嘘はつかないだろ」
ジークはそう言いながら、体を引きずるようにしてスゥの元へと行った。スゥはまるで死んだようにぐっすりと眠っていた。胸がゆっくりと上下していなければ、本当に死んだのではないかと心配にさえなっただろう。
ジークがそっと触れてみると、スゥの手は恐ろしく冷たくなっていた。
「ジーク殿」
アトルがジークの視線を捉えて言った。
「彼女は一体どうなっているのですか? 先ほどからいろいろな手当てを試しているのですが、全く反応がありません。それに、この耳は……」
アトルはスゥの尖り耳を目で示して言葉を切った。
「……オレにも、分からない」
ジークは憂鬱な気分でスゥの顔を覗き込んだ。自分が気を失う直前の出来事が、頭から離れなかった。その瞳に怒りをたぎらせ、圧倒的な力でベリウスを追い詰めて行くスゥの姿が脳裏をよぎった。
あの力、真っ黒い巨大な腕を自身の体から生えさせ、その数も大きさも自由に操り、敵を圧倒する。それはまさに、ベリウスの戦い方と同じ種類のものだった。
それは、ついにスゥに関する謎の一端が明かされた事を表していた。しかしその答えは、ジークが何よりも恐れていた物だった。
スゥは、悪魔だったのだ。それも、あのベリウスですら全く太刀打ち出来ない程に強力な。
しかし、スゥは今まで自分が悪魔であることを自覚しているそぶりも見せなかった。もしスゥが初めからジークを騙そうとしていたのでないなら、スゥは事実、自分が悪魔であることを知らなかったのだ。
そして今日、スゥに悪魔の力を目覚めさせる原因となったのは、ジークを痛め付けたベリウスに対する『怒り』の感情だったようだ。今までジークがスゥに欠如しているのではないかと危ぶんでいた感情、それこそがスゥの中の悪魔の部分を引き出す鍵だったのだろう。
とにかく、スゥが目覚めない限り詳しい事は何も分からない。今から心配しても何も意味がないと、ジークはその苦々しい仮説を頭の隅に追いやった。
「それで、オレの質問に対する答えは?」
ジークは少しでも気を逸らそうとアトルに向かって尋ねた。
「スピルナ大公アルデバラン・アルトの息子ともあろうお前が、どうしてこんな所に居る?」
「あなたと交渉をするためです」
アトルは率直に言った。
「悪魔による被害は今現在も着実に増えています。スピルナには、あなたの力が必要なのです」
それを聞いてジークには、アトルの目的の裏までがすぐに分かった。スピルナは実際にここしばらく悪魔の被害に悩まされているし、アルデバランが悪魔への対抗策として、かつて白銀の獅子と呼ばれた英雄であるジークの力を純粋に必要としていることは確かだろうが、その裏でアルデバランは恐らく、ジークを自分の目の届く所に引き留めておきたいのだ。
どの国家にも縛られない旅人であるリィトは、決して表舞台に立つことはなく、人々の与り知らぬ所で世界の平和を保つことを目的としている。それだけ聞けばリィトに反感を抱くものなどいるはずがないように思えるが、人々の支持を何よりも必要とする為政者にとっては、その存在が邪魔になる事もあるのだ。
だから為政者達はどうにかしてリィトを監視しつつ利用できる立場に立ちたいとあらゆる手を尽くそうとするものなのだ。
「リィトはどの国にも縛られない。お前達の下にはつかないぜ」
ジークはスゥの様子を心配そうに見つめながら、慎重に言葉を選ぶように言った。
「それはもちろん、わきまえています。ですから、これは国家とは関係ない、対等な関係としての交渉です」
アトルはまるで答えを用意していたかのように即座に答えた。
「あなたは僕達に悪魔について知っている情報を提供し、スピルナ公国の精鋭部隊であるトランプと共闘する。その報酬として、僕達にできる限りの、あなたの望む物を差し上げましょう」
「ったく、オレも舐められた物だな」
ジークは少し苛ついて答えた。
「オレが金で動くとでも思ってるのか?」
「報酬は金に限るとは言っていません」
アトルは言い返した。
「いくらリィトのあなたでも、欲しいものが全くない訳ではないでしょう?」
それを聞いてジークは、ふとスゥを見遣った。先ほどから眉一つ動かさず、静か過ぎるほど静かに眠っている。一瞬、このまま一生目覚めないのではないのだろうかと嫌な予感がしたが、そんな事を今考えていても仕方がないとその考えを頭から振り払おうとした。が、思ったようにはいかず、もやもやとした不安が漠然と脳裏に残る。
もしかすると、ジークにとってはスピルナ公国からの報酬など無意味かも知れないが、スゥに何かしてやれるのではないかと、ジークは不意に思い付いた。それに、悪魔に対抗するためなら、国の精鋭部隊と共闘するのもやぶさかではない。
「それなら……」
ジークは自分の言葉を吟味しながらゆっくり言った。ジークは、この一見優男のような青年が、実はとてつもなく抜目ない事を知っていた。下手な事を言えば自分が不利になるだけだ。
「……悪いが、その事は後で考えさせてくれないか」
しかし結局、戦いの疲れがとれていないジークには、名案は何ひとつ思い付かなかった。
「もちろん」
アトルは当然というように答えた。
「どうやら僕も、こんな時に言い出すなんて、提案する時期を誤ってしまったようですね。申し訳ありません」
アトルはスゥの様子を見て、付け加えた。
「そういうことなら、あなたの心が定まるまで、同行させていただけますか?」
「まあ、そうするしか無いだろうな」
ジークはため息混じりに言った。
「けど、どちらにしてもスゥが目覚めない内は下手に動けないな」
「……どうやら、その様ですね」
アトルはスゥの様子をちらりと見ながら同意した。
―戦いのあった場所から少し離れた空き地―
「ケケケ、ベリウス。まさか本気で戦ってそこまでボロボロにされた訳じゃないだろうね?」
メトネスはベリウスのやられ様を見て冷やかすように言った。
「冷やかすのはよせ、メトネス。ベリウスでこの有様だ。もしお前が行っていたら、今頃は間違いなく死んで居たのだぞ」
グルナがにらみを効かせてメトネスを戒めた。
「しかし、お前が尾を全て使ってそれだけやられたということは、予想した通り、スゥ・ロ・ヤマの力が目覚めたということか?」
グルナの問いに、喋る気力も失せたベリウスはゆっくりと頷いた。
「ケケケ……って事は、今回はオイラ達の計画通りに行ったって訳かい」
メトネスは長い腕を組んで言った。
「そういうことだな。ベリウス、ご苦労だった」
グルナはベリウスにねぎらいの言葉をかけた。少なくとも今はまだ、ベリウスの戦力を失う訳にはいかない。ベリウスがスゥ・ロ・ヤマと戦って、無事とは到底言えないまでも命を保って帰ってきた事は好都合だった。
「ふふふ、これで全ての準備は整った」
グルナは満足げな含み笑いと共に言った。
「メトネス、フェレスの兄貴を呼び戻してこい。恐らく今頃は、この国のどこかで街を襲っているはずだ。
いいか、ベリウスが回復したらすぐに、スゥ・ロ・ヤマの捕獲を実行するぞ。今度は、全員でだ」
グルナのその言葉に、ベリウスとメトネスは頷いた。ようやく、今までの冗長な作戦の成果が試される時が来たのだ。そしてその先に有る最大の目的。スゥを手中に収められれば、その目的まではあと一歩の所まで近づく事ができるのだ。
だから次の戦いは、絶対に負ける訳には行かない。もしここで負ければ、全てが水泡に帰してしまう恐れさえ有るのだ。普段はいがみ合ってばかりのベリウスとメトネスも、その事は十分承知しているはずだ。
グルナは決意を固めるように拳を強くにぎりしめた。
―街道の脇の林の中の空き地―
スゥは、ゆっくりと眠りから醒めた。それと同時に、鈍い頭痛に襲われる。スゥは目を開けず、感慨に浸った。気を失う前の事は、鮮明に覚えていた。スゥは自分の中に現れた異常といえる程に熱く燃える怒りに任せ、あと少しでベリウスの命を絶つ所だった。もしあの時、ジークが止めていなかったら、どうなっていただろうと思う。そしたらきっと、自分が自分でなくなってしまっていただろうと、どういう訳か予想がついた。
ふと、左手の平に温かいものを感じた。目を開けて見なくても分かる。パテルの街でこの手を引いてくれた、あの強くて優しい手だ。目を閉じた真っ暗闇の中で、唯一それだけが確かな物に思えた。
もしかしたら、眠りについている間ずっとこうして握っていてくれたのかもしれない。まさかとは思いつつも、そんな気がして目から感激の涙が溢れそうになった。
しかし、ジークの手の感触を味わってスゥの中に生まれた感情は、必ずしも嬉しさだけでは無かった。
あの事のせいで、きっとジークは自分を恐れるようになるだろう、とスゥは思った。今まで出会った多くの人々と同じように。そうしてきっと、自分はまた一人きりになるのだろう。
実は、スゥにとってあの黒い腕の力《魔之手》を使うのは、今回が初めてではなかった。今なら思い出せる。セル国に住んでいた頃、スゥは自分に石を投げ付けてきた相手に対して、怒りに任せて一度この《魔之手》を使ったことがあったのだ。その時から、セル国の人々のスゥに対する感情は、生理的嫌悪から恐怖へと様変わりした。
スゥは自分で自分のしたことに戦き、二度とこんな事はしたくないと心に誓った。それ以来、この力は全く発現することはなくなった。そのお陰か、その出来事はスゥは心の中ではただの悪夢だったようにさえ思えるようになっていった。
そして、そんな記憶も次第に薄れて行き、やっと完全に忘れられるかと思っていた。そんな矢先に、《魔之手》の力は復活したのだった。
《魔之手》という名前は、スゥが初めてこの力を使った時に自然と脳裏に現れた言葉だった。まさにその名前通り《魔之手》は、敵はもちろんスゥ自身まで恐怖のどん底に引きずり落とす性質を持っているようだった。
ジークは優しいから、目を覚ませばきっと表向きには自分に今まで通りに接して、いたわってくれるし、自分の味方であり続けてくれるだろう。しかし、あんな物を見て恐怖を感じない人間など居るはずが無い。どれほどジークが表面に出さなかろうと、きっとジークは心の奥底で自分を恐れるようになるのだろう。
スゥは目を開くのが怖かった。目を開けば、現実の世界に戻らなければならない。いくつもの不安と絶望が待ち構える苦痛に満ちた現実の世界へ。
童話に出てくるお姫様のように、このままずっと眠りつづけていられたらどれほどいいだろうと、スゥはふいに思った。ジークに事の全てを任せ、この世の問題の全てをジークが解決した後に、ジークにキスと共に起こしてもらえるなら、どれほどいいだろう。
しかし、そんな事はありえないし、そんなのはただの現実逃避だ。だいたい、ジーク一人を危険な目に併せて自分だけ眠っているなど、スゥにできるはずは無かった。
どんな未来が待ち受けて居るにしろ、それに立ち向かって行かなければならない。どんな形であれジークが自分の味方であってくれる限り、自分はそれに応えて行かなければならない。
そんな決意をして、スゥはゆっくりと、重たい瞼を開いた。
「スゥ……! よかった、目が醒めたんだな」
心から嬉しそうな声を上げるジークの顔が、視界に入ってきた。その純粋に自分を気遣ってくれているような表情を見た瞬間、どういう訳かスゥには、たった今考えていた懸念などは取るに足らない物で、これからは全ての事が上手く行くように思えて来て、必死に堪えていた涙がどっと溢れ出てきた。
「……お、おいスゥ、なんで泣くんだよ! まったく……」
相変わらずのジークの戸惑いぶりに、スゥは微かに微笑んだ。
第六章「The devil's hands」完




