第二章 「幻の町」
―エスル村 レインディア亭―
「おう、ジーク、スゥはもう眠ったのか?」
ジークがレインディア亭の二階から階段を下りてくると、カウンター席に座っていたカレハが声をかけてきた。時間は夜8時過ぎ。外は日が落ちてあらかた暗くなっていたが、それに反比例するようにレインディア亭は賑わっていた。
エスル村では昼の間は家畜の世話に忙殺されている農夫や他の町や村から来た人達の数少ない娯楽と社交の場として、レインディア亭は重宝されている。ランプの赤っぽい明かりのもと、あちらでは羊飼いが仲間同士でが酒を飲み、こちらでは吟遊詩人気取りの素人がめちゃくちゃな詩を歌うというように、バーは小さいなりの賑わいを見せていた。
「まあな」
ジークは短く答えた。スゥがジークに甘えたがってなかなか寝付けなかったなどとは、恥ずかしくて口が裂けても言えない。
「お前もガキなんだから早く寝た方がいいだろ。成長止まるぞ」
シグルスが言う。
「だからガキ扱いすんのはやめろって」
ジークは怒る気力もなく言った。
「まあいい。ちょうどよかった。ジーク、お前に聞きたいことがある」
とシグルスがジークを手招きした。
「何だよ」
ジークはカウンター席に座りながら聞いた。といっても、何を聞かれるのかは察しがついていた。
「昼はいろいろあってちゃんと聞けなかったが、うちとしても正体の分からない奴をおいそれと泊める訳には行かないんでね」
シグルスは遠回しに言ったが、ジークにはその言葉の意味ははっきり分かった。
「……スゥの事か」
カレハも気がついて静かに言った。
「結局のところ、あいつは一体何者なんだ?」
シグルスが問い詰める。
「……正直、オレも知らない」
ジークが目を反らして答える。
「じゃあ、危険かも知れないやつをわざわざ連れているのか? お前らしくもない。時期が時期なんだ、用心するに越したことはないぞ」
シグルスは多少責めるような口調で言った。
「危険? それどういう意味?」
とカレハが口を挟む。
「阿保か、カレハ。あいつのあの紫の瞳も、尖った耳も、『精霊族』だけが持つ特徴だ。たいていの国じゃ不吉の証とされている」
シグルスがそう説明している間、ジークはずっと目を背けていた。
精霊族というのは、魔法の力を持ったあらゆる生き物のことを、人間が呼ぶときの総称だ。魔法になじみのない一般の人間達のほとんどは、精霊族は不吉で恐ろしい物だと信じている。
「……『精霊族』が不吉ってのがそもそも、人間が勝手に作った偏見じゃねえかよ」
ジークが吐き捨てるように言った。
「そうは言ってもな、ジーク。人間が『精霊族』を怖れるのだって、ちゃんとした理由があるからなんだよ」
シグルスが諭すように言った。
「……とにかく、スゥのことはオレに任せてくれないか」
ジークは静かな声で言った。
「なぜだ? なぜそんなにあの娘を庇う」
シグルスが訝るような口調で尋ねる。カレハはその様子を黙って観ていた。
「それは……それも、オレにも分からねえ」
ジークは情けない声で答えた。
シグルスは深くため息をついた。そしてしばらく黙っていたが、やがて言った。
「……テグレスには、オレが適当に伝えておく。それくらいはいいだろう?」
それは暗に、それ以上口出しはしないと言う意味を込めていた。
「すまねえ、シグルス」
ジークは静かに、しかし感謝の気持ちを込めて言った。
「話は代わるけど」
その時ジークが思い出したように言った。
「リゲルがカレハに用があるって言ってたが、あれは何だったんだ?」
街道でリィトの伝令役のイタチ・リゲルに会った時、確かにそう言っていた。
「ああ、あれか」
カレハも思い出したように言った。
「なーに、たいしたことじゃないよ。気にすんな」
カレハは持ち前の軽快な声で言った。
「それより、ジークもカレハももう寝ろよ。二人とも、明日発つんだろう?」
シグルスのその言葉に、ジークとカレハは渋々従った。
「ふぁ~あ……」
次の朝、目が覚めたスゥは大きなあくびをした。
これほど気持ち良く寝たのも、スゥにとっては久方ぶりのことであった。なにしろ父親が死んで、放浪するようになって以来、その日その日の宿さえもないような生活を送ってきたのだ。こうしてちゃんとしたベッドで寝れるというだけで、スゥは幸せだった。
そっと木の床に足を下ろす。裸足が冷たい木に触れるのを感じた。ベッドから立ち上がると、サラサラとネグリジェの裾がすねを擦る。
たまたまこの部屋のクローゼットに使われずに眠っていたのをスゥがもらったその薄桃色の綿のネグリジェは、スゥには多少大きかったが、寝巻としては十分な役目を果たしていた。
スゥは大きく伸びをして、残る眠気を振り払った。そして右手の袖で目を擦りながら窓に歩み寄り、左手でカーテンを開ける。やわらかな朝の日差しが、スゥの影を長く映し出し、その光はスゥの隣のベッドで寝ているジークの顔をも照らし出した。
「う……ん、もう朝か?」
その光で目が覚めたジークが、寝むたげな声で言った。そして窓際に立っているスゥを一瞥して、一言
「お前、寝癖ひどいな」
と言った。スゥは赤面して、慌てて左手で自分の長い髪を撫で付ける。が、効果は皆無だった。
「そういうジークも、だいぶひどいぜ」
ちょうどその時ジークのベッドの後の扉を開いて入ってきたシグルスが言った。
「うるせえな……」
と言いつつジークも自分の髪を撫で付けた。
「とにかく、朝メシできたから用意できたら下に来いよ」
シグルスはそう言い置いて、また下に戻って行った。
「よっ、スゥ、ジーク」
二人が下のレインディア亭に降りると、先に起きてテーブル席に座っていたカレハが声をかけてきた。
「おはようございます、カレハさん」
スゥがそれに応えて挨拶する。
「よう、カレハ」
続いてジークも言った。
「……おっと、そうだ、スゥ、あんたに渡したいもんがあるんだ」
カレハは思い出したように言った。
「あたしに……?」
「そうそう、あった、これだ」
そう言ってカレハがそれを取り出した。
スゥにはそれが何だか解らなかった。陶器でできた手の平大より少し大きい楕円型のそれは、表面に穴がいくつも空いていて、端っこの方に丸っこい出っ張りがあった。穴の様子から、どうも中は中空のようだ。
「なんだ、あんた、オカリナを知らねえのか?」
首を傾げるスゥに、カレハは拍子抜けしたように言った。スゥはこくりと頷く。
「……オカリナ?」
スゥはそれの名前を繰り返した。
「そ。ようは笛だよ、笛」
カレハはそう説明して、オカリナの吹き口に口をあて、実際に吹いて見せた。
すると、オカリナの穏やかな音色が、店の中に広がった。その音は、聞く人の心を鎮め、慰めるような優しい音だった。低く、高く、その音は響いた。
カレハが吹き終えると、スゥは名残惜しそうに音の鳴らなくなったそのオカリナを見つめた。
「……やっぱ、アタシじゃ吹けてもこんくらいか」
カレハはどこか情けなさそうにそう言った。
「そんなこと……すごく綺麗でした」
スゥは首を振って言った。世辞などではなく、正直にそう思ったのだ。
「褒めてくれるのはうれしいけど、こんなんじゃまだまだなんだよ、実際」
そういいつつも、カレハはちょっと照れているようだった。
「これはだいぶ前にリィト仲間からもらったオカリナなんだけど、アタシはあんま音楽は好きじゃないし、特別上手でもないから、持ってても宝の持ち腐れなんだよ。だから、あんたが持ってた方が良いと思ってさ」
そう言ってカレハはスゥにそのオカリナを手渡した。が、スゥはただただ戸惑うばかりだ。
「でも、あたしだって笛なんて吹いたことないですし……」
「大丈夫、基本のところはアタシが教えるから。次の街までは一緒に行くことになったし、あんたも何がしか趣味があった方がいいぜ。見たところなんにも持ってないみたいだし」
カレハは明るい声でそう言った。
「あ、ありがとうございます……」
スゥは感激した様子で受け取った。
近くで見ると、オカリナの表面には不思議な模様が刻まれていた。
のたうつ蒼い炎のような。逆巻く水の流れのような。スゥはその美しい模様にしばし見惚れていた。
「おい、スゥ、お前も早く朝メシ食っちまえよ。じき出発するぜ」
ジークにそう言われ、スゥは一度カレハにお辞儀をしてから、ジークと同じテーブルに座って食事に取り掛かった。
そんなスゥの素直で可愛い仕種を、カレハは微笑んで眺めていた。そして思った。
こりゃ、ジークが惚れ込むのも分かるな。
そうしてジーク、スゥ、カレハの三人はエスル村を後にした。次なる目的地はノーレラス地方の中央街・レイアークだ。今度はパテルからエスル村の旅よりも数倍長い距離があるので、かなり長い旅になりそうだ。
スゥにとって、それは有り難かった。それはそのまま、カレハと同行できる時間が長くなるという事だからだ。スゥは自分を理解してくれるカレハに早くも好感を持ち始めていた。もし、スゥにとってジークを不器用な兄に例えるなら、カレハは面倒見の良い姉のような存在だった。
スゥはジークの事が好きだし、慕っているが、なにぶん異性であり、その分の価値観の違いもあって、今までも気まずい空気が流れることが多かった。それに対して、カレハは親切だし、いろいろと気を遣ってくれた。
そんな道すがら、カレハはスゥにオカリナの吹き方も教えてくれた。すると、どうにもスゥには音楽の才能があったらしく、指使いや音の出し方などの基本はあっという間にマスターしてしまった。
旅の一日目が終わる頃、三人は道の脇の岩影に丁度いい夜営場所を見つけた。ここなら一晩、誰の邪魔も入らなそうだ。
「それにしても」
とジークは言った。
「お前らなんでそんなに仲が良いんだ? 昨日、何かあったのか?」
そう言われてスゥとカレハは顔を見合わせた。そしてスゥは微笑んで言った。
「ひみつ♪」
「……そうかよ」
カレハがなぜか笑いをこらえているなか、ジークはぶっきらぼうに答えた。
「あんね、ジークさん」
たき火も消えかけた真夜中、隣で寝袋に包まっていたスゥが、同じく寝袋に包まっていたジークに尋ねた。カレハはたき火を挟んだ向こう側で眠っていた。
「なんだ、スゥ」
ジークが静かに言った。
「少し、お話しない?」
スゥのその提案は、昨日のカレハに影響されて出たものだった。
「お話ったって、何を話すんだよ」
「うーんと……ジークさん、あたしに何か聞きたいこと、ある? 何だかいっつもあたしの方から質問してばっかりだから」
スゥはそう言った時、もしかしたらジークは何も聞きたいことはない、と言うかと思った。しかし、その予感は外れた。
「お前さ、自分の親の事って、覚えてるか?」
ジークがそう言うときにスゥに背を向けたのを、スゥは物音とたき火の薄明かりで見て感じた。
「あたしの、親?」
スゥは少し意表をつかれて聞き返したが、やがて答えた。
「本当の両親は、覚えてないけど、あたしを拾って育ててくれた人なら覚えてる」
「そっか。どんな人だった?」
ジークはなおも静かに尋ねた。
「すごく、優しい人だった。セル国の山の真ん中の家で一緒に住んでたの。すごくいい人だったのに、あたしと同じで村の人達からは嫌われてた。だけど、二年前に死んじゃったの」
スゥは二年前まで住んでいた、今は遠く離れてしまったその家を思い出すようにして話した。
あの家の庭に、春にたくさん咲いた勿忘草の一本一本まで、思い出すことができた。そして、その勿忘草から連想される、父親の優しい顔…。
「名前は?」
「確か……シルート・サーズ」
父親を名前で呼ぶこともなかったので、スゥはその名前を思い出すのに少し時間がかかった。
スゥはそこでふと、思いついて尋ねた。
「じゃあ、ジークさんは? ご両親のこと覚えてる?」
その、あくまで無邪気にスゥの口から漏れただけのその問いに、ジークは悩むようにしばらく黙って、それから答えた。
「覚えてない。オレは何も、覚えてないんだ。親も、家族も、いたのかどうかさえもな……」
スゥはそれを聞いて、自分の胸に痛みのようなものを感じた。それが単なる憐れみなのか、それとも他の何かなのか、スゥ自身にも解らなかった。
しかし、今まで自分だけが不幸だと思っていた自分に気づかされたのは、紛れも無い事実だった。
ふと、昨日カレハが、ジークのことを不器用だと言っていたのを思い出す。それに、ジークは自分の弱みを人に見せたがらないとも言っていた。
もしかしたら、表には出さないだけで、ジークはスゥよりも、他の誰よりも辛い思いをしているのではないだろうか。普段は気丈に振る舞っていても、その心は誰よりも寂しさに溢れ、そしてありふれた愛を求めているのではないだろうか。
「じゃあ、ジークさん」
スゥは胸に込み上げて来る思いのままに言った。
「あたしが、最初の家族じゃいや?」
「スゥ、お前……?」
ジークは驚いたように聞き返した。
すぐに、スゥは自分の言った言葉が誤解を招きかねないということに気がついて、急いで付け足した。
「だから、そのう、そういう意味じゃなくて、家族みたいに仲良くしようって、いう意味で……」
ジークはそんなスゥを信じられないような表情で見つめていた。スゥは自分の声が尻すぼみに消えて行くのを、まるで別の人間として横から聞いているように感じた。そして、スゥはジークを見つめ返していた。
スゥとジークは暗闇の中、そうしてしばらく見つめ合っていた。が、最後にジークが口を開いた。
「スゥ……ありがとう」
その言葉は、スゥの胸に、そして言った本人であるジークの胸にも、深く、深く、暖かい温もりとなって伝わっていった。
翌日、三人は同じように旅を続けた。地図によると、目的地レイアークまでは五十キロほどで、早ければ明日には到着する計算だ。
しかし、そうしてしばらく歩いていると、一行は思いがけないものにぶつかった。
なぜか、村があったのである。地図に載っていない、存在しないはずの村が。
「どういうことだ? 地図の間違いか?」
道の先に突然姿を表したその侘しい感じの村を見て、ジークは言った。
「いや、アタシは前にこの辺りを通った事があるけど、こんな所に村なんてなかったぜ」
カレハも戸惑いつつ言った。
その村は、茶色い荒れ地に木造の小屋のような家がただ並んでいるだけの、淋しげな村だった。
しかし、その古びた家はどうみても、昨日今日に新しくできたばかりの物には見えなかった。
「こりゃあ何かありそうだな……とにかく、中に入ってみるか?」
ジークがそう言うと、カレハも警戒しつつ頷いた。
村に入ると、乱雑に並んだ小屋の中から、物音がして、あちらこちらの小屋から、村人達がぞろぞろと出てきた。
村人達は、みなみすぼらしい姿をしていた。やせ細った身体にぼろを纏っていて、持っているものといえば、刃こぼれしたナイフだけだった。
いつの間にか、ジーク達は武器を持った村人達に囲まれていた。
「こいつら、追い剥ぎか!?」
ジークは焦った声で言う。村人達はその言葉には何も反応を見せず、ただ黙って距離をつめてくる。
「どうもそうっぽいな」
カレハも少し焦ったように言う。
「おい、スゥ、危ないから……」
振り返りつつそう言いかけて、ジークは絶句した。一瞬して、カレハもその事態に気付いた。
スゥは忽然と消えうせていた。
気がついた時、スゥは暗闇の中にいた。辺りを見回すが、どこにも光の一筋も見えない。そこにあるのは、完璧な闇。それだけだった。
「ここ、どこ?」
そう言った、はずだった。しかし、声は出てこなかった。スゥの背中に悪寒が走った。
さっき、ジークやカレハと一緒に歩いていて、あの村が見えた時、スゥは何か嫌な予感がした。
耳の奥で妙な耳鳴りがしたのだ。それは、危険が迫っている時のスゥによく起こることだった。
しかし、それをジークに伝えようとした矢先、突然目の前が真っ暗になって、気がついたらこの暗闇の中にいたのだ。
「ジークさん、どこ?」
再び喋ろうとするが、やはり声は出なかった。口からはただ、スースーと空気が出るだけだった。スゥは底知れぬ不安に押し潰されそうになっていた。
「ケケケ、いくら喋ろうとしても無駄さ。オイラの術にかかっている限りはね」
闇の中から、突然声がした。その不気味な笑い声に、スゥは聞き覚えがあった。込み上げてくる恐怖を押し隠すように、スゥは声のした方向の暗闇をにらみつけた。
「ケケケ、アンタみたいな小娘に睨まれたって怖くとも何ともないしさ」
その言葉と共に暗闇に二つの丸くて赤い目と、同じ赤色の三日月型の口が現れた。完全な真っ暗闇の中で、その不気味な目だけが、獲物を観察するかのように、スゥを眺めていた。
それは間違いなく、スゥとジークが出会ったあの夜に、魚屋を操ってパテルを襲撃し、火の海に沈めた悪魔、メトネスだった。
「ま、とにかくしばらくここで静かにしてるのさ。オイラの仲間が、アンタの大事な人達を殺すまでね」
メトネスのその言葉に、スゥは戦慄した。
自分はこの悪魔に捕えられて、あの怪しい村では、もう一体の悪魔が、ジークとカレハを狙っている。
何とかして、この事態をジークに伝えなくては。
……でも、どうやって……?
「くそっ、どうなってんだ!」
ジークは襲ってくる追い剥ぎ達を、鞘をつけたままの大刀で押しのけながら言った。今やジークとカレハは、数十人に及ぶぼろを着た村人に囲まれていた。
「スゥを捜そうにも、こんなしぶとい奴らに纏わり付かれちゃ……」
いくら襲って来るとはいえ、人間相手にそうそう刀を使えないのは、まだ少年と言っても良いくらいの年齢であるジークには、当然の事だった。
「しょうがねえ。追い剥ぎども! ちっと痛いかもしんないけど、我慢しろよ!」
そんなジークを見かねたカレハは、そう見栄を切って腰に挿した曲刀を抜いた。日の光がその刀に反射して、白く輝いた。
よく研がれた白刃を見れば、さしもの追い剥ぎもたじろぐか。と思いきや、それに対しても村人達は何の反応も示さなかった。
そんな追い剥ぎ達の様子に、ジークは違和感を覚えはじめた。どんな物にも反応を示さず、自分の命にさえ興味が無いかのように、ただ黙々と向かってくるその姿……
「待て、カレハ! こいつら、もしかしたら悪魔に操られてるだけかもしれない」
はっと思い出してジークは叫んだ。たしか、パテルに現れた、メトネスという悪魔に操られた魚屋が、ちょうどこんな雰囲気だった。
「たとえそうでも、こっちは早くスゥを捜しに行かなきゃなんねえんだろ! ちょっとくらい攻撃したってしょうがねえだろ!」
そう言いつつもカレハは素早く手の中で刀をひっくり返し、峰を使って村人を押しのけた。
そして、スゥというキーワードはジークにも響いた。この事件に悪魔が関係しているなら、なおさら急いでスゥを見つけださないと、最悪の事態も考えられるのだ。考えたくはないが。
「分かった」
ジークはそう言って背中に背負っていたもう一本の棒状の包みも取り払った。そこから出てきたのはジークの『二本目』の大刀だった。
そしてジークは二本の刀の鞘を取り去った。まさに秋水と言うべき曇り一つ無い二つの細長い煌めきが、中から解き放たれた。
そこにジークの両側からナイフを持った追い剥ぎが飛び掛かってきた。ジークはそのボロボロの刃物をしゃがんでかわし、それと同時に両手を左右に突き出して、刀の柄をその腹に食い込ませた。まずは、二人が倒れた。
すると今度は後ろからジークの足に向かって腕が伸びてきた。ジークはそれをジャンプで避けて、逆にその足を(骨を折らないように加減しつつ)踏み付けた。
間髪容れずに正面から追い剥ぎが投げたナイフが飛んできた。ジークはそれを刀で弾き返し、一瞬で追い剥ぎとの距離を縮めておもいっきり刀を振って、峰を使って隣にいたのを含め三人の追い剥ぎを吹っ飛ばした。
一方カレハも、曲刀を巧みに操って一振りごとに追い剥ぎを蹴散らして行った。
いかに峰打ちとはいえ、本気を出したジークとカレハの前に、始めから飢えていた追い剥ぎなどは、物の数に入らなかった。
最後にジークが正面の敵のナイフを身軽なスウェーバックでかわし、右手を地面について、カウンター気味の上段蹴りをかませて、追い剥ぎ達は全員静まった。
「それにしてもスゥは一体どこに行ったんだ?」
ジークは焦った声で言った。
「おい、ちょっと待て、ジーク」
カレハはそう言って村の一角にある小屋を指差した。
そこに、スゥがいたのだ。小屋の前に立って、必死で右手を振っている。
「スゥ、今までどこに行ってたんだよ!」
カレハはそう叫んでスゥに駆け寄った。ジークはなぜか冷静にその様子を見つめていたが、やがてカレハに続いた。
どうやらスゥには目立った外傷は無いようだった。
「ごめんなさい。でも、もう大丈夫……」
カレハとジークが近くに来ると、スゥは伏し目がちに言った。
「いいっていいって、とにかくまずはこの村からでようぜ」
カレハはホッとした声で言った。しかし相変わらず、ジークは何も言わない。カレハも、さすがに訝しんだ様子で言った。
「どうしたんだよ、ジーク。こんなとこからは早くおさらばしようぜ」
しかしやはりジークは黙って見ていた。カレハもスゥも不思議がっていた。スゥは首を傾げて、無意識の内に右手で左の前髪をかきあげた。
次の瞬間、ジークはありえないことをした。突然、目の前のスゥに切りかかったのだ。スゥは驚いて後ろに跳び退いた。
「何すんだ、ジーク!」
カレハが信じられない思いで叫んだ。
「……その程度で、オレを騙せると思ったか?」
ジークはカレハの問いには答えず、スゥに向かって静かだが怒りの篭った声で言った。カレハにはその言葉の意味がにわかには解らなかった。そしてスゥが言った。
「騙す? どういう……」
「お前はスゥじゃない」
ジークはそう言って再びスゥに切りかかった。
スゥは再び避けようとしたが、今度は間に合わなかった。ジークの大刀がスゥに迫る。
スゥが刀に切られた瞬間、カレハはスゥの姿がぼやけ、そして霧散するのを見た。スゥの体は一瞬にして黒い霧となり、それが再び集まって、全く違う姿が現れた。
それは、人間の姿をした真っ黒な影だった。その出で立ちは、前にパテルを襲った悪魔、メトネスに酷似していた。が、メトネスよりもずっと長身だった。
「……なぜ偽者だと判った!?」
長身の悪魔は唸り声で言った。
「残念だったな」
とジークは答えた。
「スゥは左利きだ」
「……なるほどな。私としたことが、そんな単純なミスを……」
長身の悪魔は呟くように言った。
「ジーク、コイツが悪魔か?」
カレハはその長身の悪魔を睨みつけながら聞いた。
「ああ。といっても、パテルを襲った奴とは違うみてえだが」
ジークはそう答えた。
「ふふふ、その通り。私の名はグルナ。見ての通りの悪魔にございます」
長身の悪魔、グルナはニヤリと笑ってそう自己紹介した。そして、続けて言った。
「さて、それでは、そのお命頂戴いたします」
その言葉にジークとカレハは身構えたが、グルナは襲って来なかった。その代わり、二人の後ろで何か物音がした。
二人が振り返って見ると、さっき倒したはずの追い剥ぎ達が、再び起き上がって来ていた。
暗闇の中、スゥはメトネスを睨み続けていた。それに対してメトネスの方は余裕たっぷりといった様子でスゥを眺めている。
スゥは、ただ捕まっているだけのふりをしながら、必死に耳を澄ませて外の音を聞き取ろうとしていた。
スゥの耳は、尖っているだけの事はあって、普通の人間にはできないことができた。
だから、今のスゥには外のどこかでジークやカレハが戦っているのが音で判った。そして、二人がなぜか何もない場所で空気を相手に戦っていることにも気付いていた。その近くに悪魔の気配がする。
スゥは生れつき回転が遅いらしい頭を必死で働かせて考えた。
メトネスを見れば分かるように、悪魔には、特異な能力がある。おそらく二人は、その悪魔の術にかかって幻覚を見せられているのだ。
だとすれば、このままでは、際限なく起き上がってくる幻の敵と戦って、二人はいずれ力尽きてしまう。どうにかしてその事実を二人に伝えなくては。
しかし、どうやって?
メトネスがいるかぎり、声を出すことはできない。ここから出ることもできない。こんな状況で、どうやってジーク達にメッセージを伝えることが出来ようか。
大事な人が殺されようとしているのに、自分には何もできない。
そう実感した時、スゥは突然弱気になった。メトネスを前にしてピンピンに張り詰めていたスゥの心は、今にもプツリと切れてしまいそうになっていた。
スゥのそんな感情の変化を感じとってか、メトネスはその不気味な笑みをさらに深めた。その残酷な赤い光を放つ
今や心の鎧が崩れ、目の前の恐怖に直に晒されてしまったスゥに出来ることは、ただ震え、弱々しい姿で座ったまま後退りすることだけだった。
スゥの背中が壁に当たった。その時、何かが壁にあたって鈍い音を立てた。それは、スゥが肩からかけた丸いポーチだった。
それを見て、スゥの中に微かな希望が芽生えた。
そのポーチの中に入っているのは、スゥが生まれて初めて他人からプレゼントされた物だった。それと同時に、一つの記憶が蘇った。
それは、スゥがカレハからオカリナの吹き方を習っていた時の記憶だった。
「そういうや、スゥ、そのオカリナの前の持ち主が言ってたんだけどよ」
とカレハは思い出したように言った。
「音楽には『魔を祓う力』があるって、知ってるか?」
「魔を、祓う?」
スゥは小首を傾げて聞き返した。
「そ。音楽には、不思議な力がある。突き詰めて言えばただの音色と音階の繋がりなのに、人の心を安らげたり、感動させたり、いろいろな事ができる。まるで小さな魔法みたいにな」
カレハは遠くを見るようにして言った。
「しかもそいつが言うにはよ、そのオカリナには、音楽が持つその不思議な力を、手助けする魔法の力が秘められていて、その力を使いこなせば、音楽の魔法が本物になるって言うんだ」
それを聞いてスゥは自分の手の中にある、そのオカリナを見つめた。例の不思議な模様が描かれている以外には、別にどうということはない、ただのオカリナだ。
「音楽の魔法が……本物に……」
スゥはその言葉を繰り返した。音楽の魔法、その言葉はスゥの中に強く響いた。そして、カレハに尋ねた。
「それって、どうすればできるんですか?」
「えっ……と、それは……何て言ってたっけな」
「…覚えてないんですか?」
どうやらど忘れしてしまったらしいカレハのその言葉に、スゥは残念そうに聞いた。
「いや、ちょっと待て、今思い出す!」
半ばスゥを励ますように、半ば自分に言い聞かせるようにそう言ってカレハは、なんとか思い出そうとしてしばらく首をひねって唸っていたが、いつまで経っても思い出せないようだった。
「『清き心と、麗しい姿を持つシオンの姫よ、静かなる星空に届かんばかりの、暗闇にさす希望のごとき聖曲を奏でよ』……だろ」
横からそう口を挟んだのは、意外にもジークだった。
「あ、そうそう、確かそんな感じだった!」
カレハもピンと来たように言った。
「ジークさん……それって?」
スゥが尋ねた。
「そのオカリナに纏わる詩だよ。そして同時に、そのオカリナに秘められた魔法を解明するためのヒントでもある。そのオカリナの前の持ち主が、そう言ってた」
ジークは少し芝居がかった厳粛な声でそう言った。
スゥは、その詩にどういう意味があるのか、後で考えてみたが、何も思い付かなかった。
もし、このオカリナに魔を祓う力が、本当にあるのなら、もしそれを使えれば、この悪魔達にも対抗できるのではないか。
しかし、そのためにどうすれば良いのか、スゥには解らなかった。
それに、もしここでオカリナなど吹いたら、自分は間違いなく目の前の悪魔・メトネスに殺されてしまうだろう。
でも、このまま何もしないで、ジークやカレハが死ぬことになるくらいなら、たとえ針の穴ほどの希望でも、せめて何かしたほうがマシだ。
スゥはポーチ越しにオカリナを握る手に力を込めて、必死になって願った。
(どうか、できることなら、あたしに、みんなを救う力を……!)
「ちくしょう、一体どうなってやがんだ、こいつら!」
ジークはそう唸った。
相手はただの村人だ。ただの飢えた追い剥ぎだ。なのに、なぜだ。
なぜ倒れない。
なぜ、いくら攻撃しても、まるで痛みもダメージも無いかのように立ち上がってくる。
それは、横で戦っているカレハも同じだった。
「やっぱり、あんたが何かしてるのか!?」
カレハは虚空に向かって叫んだ。
さっきまでそこにいたはずの悪魔、グルナは居なくなっていた。ジークとカレハが不死身の追い剥ぎ達に気をとられている間に、忽然と消え失せてしまったのだ。
「ぐっ……この状況、どうにかしないと……」
目の前の追い剥ぎの一人を押し倒しつつ、ジークが言った。
悪魔が関わっていると分かった今、少しでも早くスゥを見つけなければ、何をされるか分かったものではない。しかし、この村人達はどれだけ攻撃しても全くダメージを受けないのだ。
ジークとカレハはまさに、敵の策略に乗ってしまったのだ。
そして、ジークのその焦りが、わずかな隙を作ってしまった。その隙をついて、追い剥ぎが後ろから体当たりをしてきた。
ジークはその追い剥ぎを切り付けた。追い剥ぎはジークの右の刀をまともに受けて、吹っ飛んだ。しかし、しばらくするとやはり、再び起き上がってくる。
終わり無き戦いが続くうちに、ジークは大分息を荒げていた。横を見ると、カレハも似たような状態だった。
このままじゃ、全滅する。
ジークは、そう感じ始めていた。
その時だった。どこからともなく、戦場にオカリナの音が響き渡ったのは。
「これは……アタシがスゥにあげたオカリナの音だ……」
カレハが唖然としてその音に、曲に聴き入った。
その曲は、カレハが教えたものではなかった。静かな短調で奏でられる、落ち着いた、どこか淋しげな曲だ。その音が、ジークとカレハの心に響いた時、不思議な事が起こった。
二人の周りを取り囲んでいたあの追い剥ぎ達が、一瞬で影となり、その形を失い、そして消えたのだ。
そこまで来て、ジークとカレハは初めてその追い剥ぎ達が単なる幻覚だったことに気がついた。
そして、追い剥ぎ達だけではない。気づけば周りにあったはずの村さえも、闇となって消え去っていたのだ。そして、二人の前には、さっきのあの長身の悪魔、自分の幻術を無力化させられ、うろたえているグルナだけが残った。
「く……これは、どういう事だ……!?」
グルナは狼狽した声で言った。
「私の術が、掻き消されただと!?」
しかし、ジークはその悪魔に構っている暇などなかった。
「スゥのオカリナが鳴ったってことは、鳴った方向にスゥが……」
そう言ってジークは音のした方を振り返った。もうオカリナの音は止まってしまったが、その方向は間違いなく分かった。そしてその方向へ走り出そうとしたジークはしかし、思い止まったように立ち止まって向き合っているカレハとグルナを見遣った。
「ジーク、気にすんな! こっちは任せとけって」
そんなジークの気遣いを見て、カレハが言った。
「……分かった」
ジークはそう言い残してその場を走り去った。それを見たグルナはジークを追い掛けようとしたが、それをカレハの曲刀が制した。
「そうそう思い通りには行かせないぜ、悪魔ヤロウ!」
ジークはカレハのその声を背中に受けつつ、走りつづけた。
音のした方角にジークがしばらく走っていると、村の幻影のあった荒れ地の端にあった林にたどり着いた。
その中にあった獣道にそって行くと、その先には小さな洞窟があった。周りにはそれ以外にそれらしい場所はなかった。ジークは急いでその中に入った。
スゥは足をバタつかせて必死にもがいていた。メトネスに首を掴まれていたのだ。ジークとカレハを救うためにスゥが決死の覚悟で吹いたオカリナは、今は地面のどこかに転がっている。
「よくもやってくれたね、この疫病神が」
スゥを宙づりにしたまま、メトネスは罵った。計画を破綻させられたことに怒り狂っているのだ。
メトネスはもともと直接戦うタイプの悪魔ではないのだろう、特別強い筋力を持っている訳ではないようだ。それがスゥにとって唯一の幸運だった。それでも、このままでは自分は息が出来なくてすぐに死んでしまうだろうということは分かった。
こんな時なのに、ふとスゥは思った。少し前までの自分なら、死ぬことを怖がったりしなかっただろう、と。なにせ、自分の命にすら興味が無かったのだから。
しかし、今はなぜか違った。もう殺される事が分かっていても、心のどこかがそれを否定しようともがいていた。
なぜだろう。なぜ、そんな思いが沸き上がってくるのだろう。
その時だった。一瞬白い閃光が走ったかと思うと、突然、首を掴むメトネスの力が弱まり、そして手が離れた。スゥは糸の切れた操り人形のようにその場にくずおれた。
目の前に、なぜか苦悶の表情を浮かべたメトネスの二つの目があった。真っ暗なこの場所では、それ以上は何も見えなかった。
「スゥ・ロ・ヤマ! オイラはアンタを憎む! いつかまたアンタを殺しにきてやるしさ、せいぜい覚悟するんだね!」
そう叫び残して、メトネスの赤い目が消えた。そして、それまでスゥを締め付けていた言い知れぬ精神的な重圧も、それと同時に消え失せた。
「なんとか、間に合った、みたいだな……大丈夫か、スゥ」
走り続けて息切れした、ジークの声が、聞こえた。
死なずに済んだ。スゥはそう実感するのに少し時間がかかった。
しかし、真っ暗な中でジークの手が、スゥの手を握った時、そして腕の力でスゥを立ち上がらせてくれた時、そして外に出て眩しい光の中でジークの横顔を見た時。
スゥは、自分が今までなかったほど死ぬことを怖がった理由が、分かった気がした。
「ジークさん……怖かったよお……」
そう言ってスゥは堰を切ったように泣き出した。
「お、おい、泣くなって……」
ジークはやはりどうしていいか解らずに途方にくれていた。
「ぐ……メトネスは逃げたようだな」
グルナはジークが走って行った方を見て、不意にそういった。
どんな方法かは知らないが、どうやら悪魔は離れていても互いの気配を読むことが出来るようだ。
「よそ見すんなっ!」
カレハはそう言ってグルナに切り付けた。しかしグルナの体は、黒い煙のようになっていて、カレハの刀は空を斬った。カレハは諦めずに何度も刀を振るったが、結果は同じだった。
「いいだろう……どちらにしろ作戦は失敗したのだし、もはやここに居残って戦う意味はないか」
グルナはそう言い残して、よく悪魔がやるように、真っ黒な霧となって霧散した。
「最後に一つ言っておくが、この程度で我々悪魔を負かしたと思うなよ!」
グルナの声が、誰もいない虚空に響き渡った。
「カレハ、無事か!?」
そこに、ジークとスゥが駆け寄ってきた。スゥの頬は濡れていた。
「ああ。スゥも、とりあえず無事そうでよかったな」
カレハは、まだメトネスから受けたダメージが抜け切れずジークに手を引かれてよろよろと歩いてくるスゥを見て言った。その手にはあのオカリナが握られている。
「そういや、スゥ、さっきどうしてオカリナの力が使えたんだ?」
突然思い出してジークが聞いた。
「分かんない……必死になってたら、突然頭の中に、あの曲が思い浮かんで……それで、そのまま吹いてみたの。それだけ……」
スゥは、どこか落ち着かない様子で言った。
「それは、もしかしてスゥの正体と関係が……」
カレハは反射的に口走る。
「言うな、カレハ」
それをジークが静かな声で止めた。カレハも自分が言った事に気づき、ハッと口を押さえた。
「……やっぱり、あたしって普通じゃないのかな」
そう言うスゥの目は、はや潤み始めていた。
カレハは自分の言ったことを心から後悔した。普通の人間にはない紫の瞳と尖った耳を持つが故にこれまで、差別の下で生きてきたスゥにとって、普通ではない、ということがどういう意味を持つのか、少し考えれば分かったはずだ。
「そんなこと無い」
しかしジークは確信に満ちた声で言った。
「……え?」
スゥは驚いて聞き返す。
「大丈夫だ。お前は何もおかしくなんかない」
ジークは繰り返すように言った。
「ジーク……」
カレハが呟くように言った。
「とにかく、そういうことは後にしようぜ」
ジークが言った。
「オレは腹が減った」
二章「The Phantom Town」完




