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第一章 「悩み事」

―パテル~ノーレラス地方間の街道―


「ねぇ~、ジークさん~、あたしもう疲れたよぉ~」

 スゥはその言葉通りかなり疲れた様子で言う。

 二人は昨晩、メトネスが去った後、無事にパテルから脱出し、そしてその夜は城壁の外で野宿したのだった。

 そして今はパテルから南に延びた街道の一つを通って、地方境を越えたその先にあるノーレラス地方エスル村へと向かっていた。

「それならついて来なきゃいいだろ」

 ジークが答える。

「そっちの方がよっぽど嫌だよ~」

 スゥは頬を膨らませて答える。

「それなら少しの疲れくらい我慢しろって」

 ジークは少し呆れ顔でそう言いながらも、スゥを気遣うように立ち止まって振り向いた。

(なんだかジークさんって、冷たいんだか優しいんだかよく分かんない……)

 スゥがそう考え込んでいたちょうどその時、二人の前を横切るごく小さな物があった。

 街道を横断していたそれは、一匹の茶色いイタチだった。見ると、なぜか首の辺りに何かの緑色の宝石のような物をぶら下げている。

「ふあ、イタチさんだ!」

 それを見たスゥはさっきまでの精根尽き果てた調子とは一転、喜び勇んでその後を走って追う。

「疲れてたんじゃなかったのかよ……」

 ジークは呆れたように言ったが、その時のスゥにはまさに馬耳東風だった。

「……つっかまえた!」

 言うが早いが、もうイタチを捕まえたスゥ。

 彼女のぼんやりした性格とは裏腹に、その素早さは驚異的だった。

「くそ、放せ、ガキ!」

 スゥの胸に抱かれたイタチがじたばたしながら喚いた。

「……ねぇ、ジークさん、このイタチさん喋るよ?」

 しかしまったく驚かないスゥ。いつも通りのおっとりした目でそのイタチを観察している。

「当たり前みたいに言うなよ……」

 スゥのこのマイペースに慣れるには相当な時間が必要だろうとどこか苦い思いを噛み締めながら、ジークが言った。

「おい、ジーク、コイツ何とかしろ!」

 イタチが叫ぶ。スゥはいまやさも楽しそうにそのイタチを抱え上げてブラブラさせていた。

 対してイタチはと言えばスゥの手から逃れようと必死にもがいているが、よほどしっかり捕まえられているのか、無駄な努力に終わっていた。

「あれ? このイタチさん、ジークさんのお知り合い?」

 それを聞いたスゥがジークに尋ねる。

「まあな。とにかくまずは放してやれよ」

 ジークはため息混じりに言った。

 スゥは少しの間黙っていたが、渋々その言葉に従った。



「……ったく、ひどい目にあったぜ」

 イタチは怒ったような声で言った。言葉を話すとは言え、あくまでイタチはイタチなので、表情はまったく読み取れない。

「それで、一体何の用なんだ、リゲル」

 ジークがめんどくさそうに言う。このリゲルというのがイタチの名前のようだ。

「ねぇ、ジークさん、このイタチさんは誰?」

 そこにスゥが横槍を入れる。

「ん? ああ、コイツか? コイツはリゲル。『リィト』の伝令役だよ」

 ジークが答える。

「『りぃと』ってなに?」

 スゥが続けて尋ねる。

「『リィト』ってのは、平たく言えば、『旅人』のことだな」

 今度はイタチのリゲルが答える。

「つまり、旅する理由も目的も違う旅人達が、互いにとって利益になる情報のやり取りとか、いざというとき助け合うとか、そう言った取引をするための組織だな。まぁ、それだけってわけじゃねぇが」

 スゥは半ば理解して半ば理解してない様だった。

 かれこれ丸一日一緒にいて気付いた事だが、スゥはやけに表情の変化が薄いので、ほとんどの感情は目を見て判断するしかない。

「オレもそのリィトの一人で、リゲルはその伝令役って訳だ。それで、一体何の用だ?」

 ジークが改めて聞き直す。

「ちぇっ、別にお前に用があったんじゃねぇよ」

 リゲルはどこかバカにするような声で言った。まるで『自意識過剰な奴だな』とでも言いたげだ。

「エスル村に来てるカレハに用があっただけだ。そう言えば……」

 ふと思い出したように、リゲルが言葉を切った。

「ここに来る途中、パテルを通ったが、ありゃひどい有様だったな。どこもかしこも燃えカスだらけだったぜ。お前達、パテルから来たんだったら、何か知らないか?」

 それを聞いたスゥが、少し顔を引き攣らせたように、ジークには見えた。

 しかしそれはごく一瞬の事で、後になって思えば、見間違えだったようでさえあった。

「あれは、『悪魔』だった」

 ジークが一転、厳かな声で言った。

「自分で悪魔だと名乗っていた」

「悪魔、か……」

 リゲルはそう言ったきり黙り込んでしまった。

「ねぇ、ジークさん、あの『悪魔』っていったい何ものなの?」

 ここでまたスゥが口を挟む。

「お前な、もう少し空気を読めよ……」

 ジークが呆れて言った。

「……悪魔ってのは、もともとはこの大陸の北端にある極寒の地に住んでた、闇の力を支配する一族だよ」

 リゲルが説明する。

「けど、ここ数年でなぜか、ここスピルナ公国での目撃情報が出てる。やつらは闇を操る人知を越えた力を持っているし、それに何より怖いのは目的が不明な事だ。しかし、ついに人を襲うようになったか」

 リゲルはそう言ってまた黙る。スゥはといえば、相変わらず状況を掴みかねて首を傾げている。

「つまりどゆこと?」

 スゥがジークを振り返って聞く。

「キケンなやつらがこの辺りに来て、目的も言わずに人間を襲ってるってことだ」

 ジークは適当に答えた。

「……まあとにかく、目的も分からないやつらのことをクヨクヨ考えてもしかたがない、か」

 リゲルは諦めたように言う。実際、何故昨日メトネスがパテルを襲ったのかすらも、皆目見当がつかないのだ。

「とにかくこの事はオレからテグレスに伝えておくぜ。それじゃあ、オレはこれからカレハの所に行くが、お前はどうする? ジーク」

 リゲルがジークに尋ねた。

「この一本道行ってるんだからどうせ行き先は同じだろ。一緒にいけばいいじゃないか」

 ジークは軽い皮肉をこめて答える。

「へっ、分かってねえな、お前みたいなノロマと同じスピードで動いてるようじゃ、伝令役はつとまらねえよ!」

 そう言うが早いがリゲルはあっという間に駆け出し、道の脇の森に姿を消した。

「ふあ、もう行っちゃった」

 スゥが至極残念そうに言った。あれ以上リゲルを使って何をしようとしていたのだろうか。

「それで、ジークさん、どうしてあのイタチさんはしゃべるの?」

 スゥの今更なその問いに、ジークは一考してから答える。

「……さあな。それより、早く行くぞ」

 そう言ってさっさと歩きだすジークに、スゥは膨れっ面で付いて行った。



「あんね、ジークさん、あたし、一つ聞きたいことが……」

 その後、しばらく無言で歩きつづけた後、唐突にスゥが尋ねる。

「なんだよ、スゥ」

 ジークが聞き返す。

「どうしてジークさんは、旅してるの?」

 スゥにそう聞かれて、ジークは少し顔をしかめてしばらく黙っていた。

 しかし、不意に言った。

「お前には関係ないだろ」

 そう言うジークの声は、さっきまでよりもずっと冷たかった。さすがのスゥにも、この時ばかりはジークが聞かれたくないことを聞いてしまったのだと覚った。

「ごめんなさい……」

 スゥは目を伏せ、消え入るような声で謝った。まるでちょっと触られただけで頭を引っ込める、亀の様だと、ジークはふと思った。

 そういえばスゥは初めてあった時、ずっと人に嫌われて生きてきたと言っていた。それを考えれば当然の事ではあるか。

「別に謝れとは言ってねえよ」

 ジークは、頭の後ろをかきながら言った。ジークなりの一応の気遣いなんだろうかとスゥは思った。

 互いにそれ以上言葉を発する事も出来ないまま、二人はしばらく無言で歩いた。

 しかし、その沈黙は長くは続かなかった。その沈黙を破ったのは、押し込めたようなゴロゴロという音だった。

 すると、俯いたスゥの顔が尖った耳の先まで真っ赤になった。ジークにはそれだけで何が起こったのかが分かった。

「そういえば、昨日の夜から何も食ってなかったな……」

 ジークは思い出したように言った。メトネスに襲われたせいで、すっかり忘れていたのだ。

「しょうがないな、ここらで飯にするか」



 二人は道の脇の森の中に適当な場所を見つけ、そこで昨日仕入れた干し肉などの食料で、簡単な食事をすることにした。

 そして、そこでまた、ジークはスゥの新しい一面を見ることになる。

 スゥは大食いだった。そのやせっぽちな体のどこにそんな隙間があるのか、ジークが一日で消費する量の肉を、あっという間にたいらげてしまった。しかも、さらにおかわりをねだってくる。

「お前、オレを一日で破産させる気か?」

 焼き上がった一切れの肉を頬張りながら、ジークが怒っているというよりは戦いた様子で言った。

「だって、だって、こんなにおいしい食べ物が食べれるなんて、すごく久しぶりだから……」

 しかしそれを全く聞いていないスゥは、感無量といった様子で、今にも泣き出しそうなほどに目を潤ませていた。

 あの味気のない干し肉で目を潤ませるとは、今までどれほどひもじい生活を続けていたのだろうかと思わずにはいられない台詞である。

 もしかすると、この大食いも、食べられる時に食べられるだけ食べて栄養をつけ、食べ物が手に入らないかもしれない明日に備える、そんな本能的行動ではないかとも思えた。

 ジークは不意に、さっきからスゥの事しか考えていない自分に気付く。その事に自分自身でも驚いて、彼は無意識の内にスゥから目を離していた。

「あんね、ジークさん」

 やっとおねだりを止めたスゥが、ジークの顔を覗き込むようにして尋ねる。その頃にはジークの荷物の重さは始めの半分くらいになっていた。

 たぶんジークが目を逸らしている間にもう何枚かの干し肉でも胃に納めたのだろう。

「次の町にはどんくらいで着くの?」

「ん? ああ、エスル村か? この調子で行けば明日には着くな。どうかしたか?」

「ううん、別に……」

 口では何でもないようなふりをしてそう言いながら、スゥはどこかほっとしたような顔をした。

 一体この少女は何を考えているのだろうか。ジークはますます分からなくなってきた。

 まったく、生まれてこのかたスゥほど悩ましいものには出会ったことがない、とジークは思った。ずっとどこか寂しそうな表情をしている上、そのわりにいつもぼーっとしていて何を考えているのかまったく分からない。

 どれほど危険な山賊とか、悪魔なんかと戦うよりも、よほど肩が凝る。

 しかし、その時ジークは、自分がなぜスゥがついて来ることを許しているのかという所までは、考えが及んでいなかった。



 その後、昼食の片付けを終えて、再び歩きだした二人は、パテルからここまでの街道をずっと囲っていた森をついにぬけた。道は、森を背に、まるで緑色の海のような、雑草に覆われた草原の中を果てしなく続いていた。

 ここの地理はほとんど分からないが、多分この草原はずっと西のガブル平原まで続いているのだろう。

 スゥは爽やかな風にそよぐそんな雑草達を眺めつつ、改めて昨日の事を思い出していた。

 無意識の内に、背中に回した右手の指で左手を包む。

 その左手には、未だ昨日、ジークに手を引かれた時の感触、人の手の温もりが、余韻となって残っていた。

 ジークの握力は強くて、掴まれた方は多少痛くさえ感じたが、その力強さが、何より心強かった。

 あんな風に力強く手を握られたのは、いつ以来だっただろうか。

 少なく見積もっても二年ぶりだろうと、スゥは頭の中で数えた。

 そういえば、まだセル国の山奥の小屋に住んでいた頃、父はよくスゥの手を優しく包んでくれた。

 父と言っても、もちろん前述の通り実の父親ではなく、捨て子だったスゥを拾って育ててくれた親である。

 歳から見ても、父親というよりは祖父だった。まあ、スゥにとってそんなことはどうでもよかった。血の繋がりがなかろうと、年寄りだろうと、その人がスゥの『父』だった。

 その頃スゥは、父と二人暮らしで、ほとんど麓には下りなかった。

 なぜかというと、スゥ達にとって麓の村に下りるということは、自らいじめられに出向くようなものだったからだ。

 理由は知らない。当時幼かったスゥに分かったのは、村の人々が自分を嫌っていたことと、同じように父の事も嫌っていたこと、ただそれだけだった。

 でも、村でどれだけいじめられても、家に帰れば父が出迎えて、慰めてくれた。傷を優しく手当てしてくれた。

 そんな時、父はスゥの手を、その大きな手で優しく包んでくれたものだった。スゥはただその温もりだけで、村であった嫌なことを、すべて忘れられた。

 そこにたった一つ、帰るべき場所があることが、スゥにとって最高の幸せだった。

 それに対して、ジークの手の温もりは、また別の種類のものだった。どう表現したらいいのか、スゥにはまだ分からなかったが、とにかく違ったのだ。

 父のように落ち着いていない、自分とたった四歳しか違わない、父ほど大きくはない、どこか頼りなげな手。

 でも父よりもずっと力強く、手を掴んでくれた。

 スゥは、前を歩くジークの後ろ姿を見つめた。

 白くて長い、ボサボサな髪、背中に背負った重そうな刀。スゥの事を振り返りもせずに、ただ黙って前を歩いている。

 風が少し強くなった。スゥは顔にかかった髪を左手で尖った耳にかけ、ただ黙ってジークの後をついて行った。

 その胸に様々な想いをめぐらせながら。



―パテルの傍の森の奥深く―


 そこには三つの『悪魔』がいた。どれもいびつな人間のような形で、誰一人はっきりとは見極められないような、曖昧な影のような姿だった。

 そこに、さらにもう一つ同じような悪魔が、地上を滑るようにやってきた。やたらと長い腕に、三日月型の赤い口と、同じように真っ赤な丸い目。

 それは、昨晩魚屋を使ってパテルを炎上させた、メトネスという悪魔だった。

「ほう、今戻ったか」

 その悪魔の内の一つが、メトネスに語りかけた。そこにいた悪魔達の中では最も背の高い、細長い悪魔だった。

「ケケケ、まあね」

 メトネスは持ち前のバカにするような口調で答えた。しかしその笑い声とは裏腹に、その声は心なしか疲れを含んでいるように思えた。

「ケド、全部思い通りにはならなかったしね」

 メトネスは、どこか吐き捨てるような言い方をした。

「どうやら、そのようだな」

 長身の悪魔が、メトネスの様子を見て、メトネスに昨日何があったか推理でもするように、ゆっくりと言った。

「途中で邪魔でも入ったのか?」

 悪魔は、推理の末に結論づけるように言う。

「……ったく、『リィト』のやつらめ、いかんせん行動が速いんだよ! これもきっと『テグレス』、奴のしわざだしね!」

 メトネスはなおも、見えない何かに叱り付けるように叫んだ。一瞬して、そんな自分の不様さに気づき、また悪態をついた。

「ったく、存在が影なだけに陰口かよ! また宿主の癖が移っちまったぜ」

 あのやたら頭の硬い魚屋に取り付いたせいで、その変な癖までが身についてしまったのだ。

 昨日、パテルから脱出する時に、わざわざ敵に弱みを見せることはしなかったが、彼にとってジークによる妨害はそれなりに堪えていたのだ。

「ハッ、まったく、いいザマだなぁ。お前みたいな雑魚がイキがるから、そういうことになる」

 そこで、もう一つの悪魔が口を挟む。

「大体、本来の目的も忘れて街を燃やす方ばかりを楽しむようじゃ、まだまだだなぁ」

「うるさいね、悪魔が人を痛め付ける事を愉しんで何が悪いのさ!」

 不機嫌なメトネスが食ってかかる。二人目の悪魔はそんなメトネスをバカにするかのようにそれを無視した。

「フン、まあ構わん」

 先に話していた方の悪魔は、そんな不満タラタラなメトネスにはまったく取り合わずに、相変わらずのゆっくりした口調で言う。

「どちらにしろ、今回だけで目的が果たせるなどとは思っていなかったからな」

 悪魔のその言い方は、再びメトネスを怒らせた。

「つまり、オイラごときじゃダメ元の噛ませ犬だったってことかい!?」

「違う、ここで果たせなくても問題はないと言ったのだ」

 長身の悪魔はやはりすました声で答える。

「なにも焦ることはない。ゆっくり、着実に、駒を進めて行けばいいのだよ」

 悪魔はそう言ってふふふと控えめに笑った。

「ともかく、メトネスも帰ってきた今、このままここに居てもらちがあかないなぁ」

 二人目の悪魔が言う。

「そろそろ移動を開始するべきじゃねえか?」

「それで、次は何処へ向かうのさ?」

 メトネスが八つ当たりするように、詰問するような口調で尋ねる。

「行くべき場所へ、だ」

 長身の悪魔が、さも当たり前のように言う。

「……だから、それがどこかって聞いてるのさ!」

 メトネスが苛立った声で聞き返す。

 長身の悪魔は、しばらくもったい付けるように黙っていた。そして、静かに言った。

「……南だ」

 次の瞬間、四つの悪魔達は、一瞬深い闇に包まれ、そして、ふいにその闇ごと霧散して、跡形も無く消えた。

 そこに、さっきまで悪魔がいたことを示すものは、何も残っていなかった。



―パテル~ノーレラス地方間の街道―


 スゥとジークは、日が沈みかけた夕暮れの草原の中で、たき火の赤い光を眺めていた。

 そこは街道から外れたところに、ジークが見つけた空き地だった。中央にはたき火の跡と思われる窪みの中に炭が残っていた。おそらくは前にここを通った旅人が、ここに野宿したという証だろう。周りは背の高い草で囲まれていて、街道は見えない。野宿する場所としては、なかなかの物件だった。

 唯一問題なのは、薪がないことだった。

 今のような春の時期では、草は水分を含みすぎていて燃えづらいし、たとえ燃えたとしても草ではすぐに燃え尽きてしまう。

 かと言っても周りはどの方向を見ても草原が続いていて、薪になりそうな木などはどこにも見当たらなかった。

 もっとも、スピルナの春の夜はそれほど寒くない。したがって暖房としてのたき火は必要ない。

 しかし、他の動物を近寄らせないためと、何より食事のためには、たき火は絶対に必要だ。味の良し悪しは別にしても、細菌による食中毒のことを考えれば、食料はできるかぎり熱を通してから食べるのが妥当だ。

 特に、ジーク達のように旅をしているのなら、なおさら衛生には気をつけなければならない。食中毒で倒れたあげく、誰にも見つけられずにそのままお陀仏、ということになりかねないからだ。

「ジークさん、お腹すいたよぉ」

 スゥが子供っぽく駄々をこねる。

「お前、昼にあれだけ喰っといて良くそんなことが言えるな。太るぞ」

 ジークが言い返す。これ以上スゥに好きなように食べさせていたら、本気で破産しかねない。彼の脳裏にそんな確信が過ぎった。

「だいたい、薪もないのに飯が作れる訳無いだろ」

「でもぉ~……」

 スゥは諦めきれない様子で口を尖らせる。

 スゥはそうしてしばらくの間ジークを見つめつづけた。すると今度はジークの方が居心地が悪くなる。知らぬ間に、スゥがジークと一緒に旅をしたいと頼んだ時と同じ状況になっていた。

 ジークはその視線をできるかぎり無視しようと必死で努めたが、結局、それもまた無駄な努力に終わったのだった。

「ったく、しょうがねえな……乾パンなら食中毒にはならねえだろ」

 ジークはそう言って渋々荷物から、一見クッキーのようにも見えるその保存食を探り出し、むすっとした顔でスゥに投げ渡した。スゥは、まるでフリスビーを追いかける犬のようにその袋に飛びついた。

「ふわあ、ありがと、ジークさん!」

 スゥはうれしそうに感謝の言葉をジークに投げかけたが、当のジークはといえば、また少し軽くなった荷物を見てため息をつくばかりだった。

「……ねえ、ジークさん、ひとつ聞いていい?」

 スゥはポリポリ乾パンをかじりながら話しかける。

「一つどころか、今日一日だけですでに軽く十回近くは質問されてるけどな」

 ジークは面倒臭そうな声で言うが、別に批判するような口調ではなかった。

「ジークさんってなんでそんな優しいの?」

 その質問はジークにとって予想外だった。

「お前にはオレが優しそうに見えるのか?」

 ジークは呆れた声で聞き返す。ジークは、自分で自分が優しいなど、露ほどにも思ったことがなかった。

「だって優しいもん」

 スゥは声を大きくして言った。

「そりゃ、あの魚屋なんかよりは優しいかもしれないけどさ」

 ジークはやはり曖昧な答え方をした。今までジークは、人に『優しい』などと言われた事はなかった。それゆえ、それに対してどう対応すればいいのか分からないのだ。

「けど、少なくともオレはお前が思っているような人間じゃない。これだけははっきり言える」

 ジークはそう言うと、どこか後ろめたそうに目を逸らした。

「なんで? なんでそう思うの?」

 スゥは続けて尋ねる。ジークの考えとは真逆に、スゥにしてみればなぜジークがそんなことを言うのかが分からなかった。

「だってジークさんは昨日、あたしのこと助けてくれたじゃない。もしジークさんが優しくないんだったら、あの時はどうして助けてくれたの?」

「それは……」

 ジークは言葉に詰まった。改めて考えると、自分でもはっきりとは分からなくなっていた。

「別に、ただのちょっとした気まぐれだっての」

 彼はなんとかその場しのぎの台詞を言ったが、しかしやはりスゥはその答えに満足していない様だった。

 スゥは頬をぷ~っと膨らませてジークを見つめていたが、やがて、

「もう、寝る」

 むすっとした声で一言それだけ言って、スゥは自分の分の毛布に包まって、ジークに背を向けて横になった。

「……やっぱ訳が分からねえや」

 しばらくその姿を無心に眺めていたジークも、しまいにはそう言い捨てて、自分の毛布を引き寄せて、それに包まった。


 その後、日が暮れて辺りが真っ暗になってからも、ジークとスゥは互いがいつまでたっても寝付けないでいるのを心のどこかで感じ取っていた。



 次の朝、東に昇った太陽を左に見ながら、スゥとジークの二人は昨日と同じように街道を歩いていた。

 しばらく歩いていると、だんだんと辺りの風景が変わってきた。

 今までただの草原だった道の周りに、高さ1メートルを越す木製の柵が見えてきた。どうやら草原の一帯を囲んでいるらしいのだが、あまりに広いため、柵の反対側はまったく見えなかった。その柵の中では、晴天の下、ちらほら見える牛が気ままに牧草を食べていた。

 別の方向を眺めてみると、同じような柵があちこちにあり、あちらには羊、こちらには山羊と、それぞれ別の種類の家畜が放牧されていた。

 これは、二人がとりあえずの目的地であったエスル村に近づいていることを表していた。なぜなら、それはエスル村に属する牧場だったからだ。

 この辺りに気持ち良く広がるだだっ広い草原は、地質が良く、牧畜には持ってこいの一等地として知られている。

 それゆえ、エスル村を含むこの一帯で生産される生乳や羊毛はスピルナ公国でもなかなかの評価を受けている、いわゆる一つのブランドである。

 リゲルの一件から判明したスゥの動物好きは、ここでもやはり表に出ていた。

「ねえねえ、ジークさん、羊さんって乾パン食べるかなあ」

 偶然近くで草を食んでいた羊のそばに駆け寄って、スゥは嬉しそうな声ではしゃいでいる。

「お前それ、オレが羊のために大事な食料を提供すること前提で言ってないか?」

 ジークは少しイラッとしながら言った。一方的にジークから食べ物を貰っているだけのスゥには、その日暮らしなリィト(旅人)であるジークにとっての食料の大切さが分かっていないのだ。

「あたしにはよくて、羊さんにはダメなの?」

 スゥは口を尖らせて言う。まるで自分と羊を同格に考えているような口ぶりだった。

「当たり前だろ。なんでわざわざ羊なんかに大事な食料を明け渡さなきゃいけないんだよ」

 ジークはため息混じりに言った。動物をさん付けで呼んでいる辺りからも、スゥがよほどの動物好きであることは分かっていたが、言うまでもなくそれは、ジークが羊に食べ物を与える理由にはならない。

「それに、そもそも羊は乾パンは食べないだろ」

「そうなの? でも、いっつも草ばっかり食べてて、つまらなくないんかなぁ」

 スゥは残念そうに言った。

「そりゃ、人間と羊とじゃ考え方が違うんだろ。そんな細かいこと気にするなよ」

 ジークは呆れた声で言う。

「でも、羊さんだってたまには草なんかよりおいしい物、食べたくなるんじゃないの? ねー」

 スゥはそう言って左の手を柵の間から入れて羊の頭を撫でていた。

 ジークは呆れつつもそんなスゥのやさしそうな横顔がどこか可愛く思えて、そんな自分に驚いていた。そしてそんな思考を振り払おうとするようにそっぽを向いたが、その感情の余韻はまだ胸の奥に残って疼いていた。

「まったく、ついて来ないなら置いてくぞ」

 ジークは焦って心にもない言葉を言ってしまう。そしてさっさと先へ進んだ。

 スゥはしばらくいやそうな顔をしていたが、仕方なくジークの後を足速に追った。

 エスル村は、中央街であり、城壁で囲まれていた都会だったパテルとは対照的に、まさに田舎風でのどかな村だった。どの方向を見ても、なだらかな丘陵地帯にあるのは農場ばかりで、家らしい家は所々にいくつか見えるだけで、人の数より羊の数の方が多いのは火を見るよりも明らかだった。

 なんだかんだ言って、この牧歌的な風景にはジークも心を和ませていた。

 ただ、恥ずかしいのでそういう感情を表にだすことはほとんどない。

 しばらく歩いて行くと、あるなだらかな丘を越えたところで、突然道の脇に一つの建物が見えてきた。

 二階建ての四角い木造の建物で、正面にある入り口の上には看板があり、その横にはいくつも枝分かれした大きな黄ばんだ角が飾られていた。

 看板には、何やら言葉が書かれていたが、あいにくスゥは文字が読めなかった。

「『レインディア亭』だ。レインディアってのはトナカイの事だよ」

 スゥが尋ねるとジークはそう答えた。

 スゥはそこで、看板の横に飾られた角がトナカイの物だと分かった。端から端まで5メートルはあるかというほどのこの角の持ち主は、一体どんなトナカイだったのだろうか。

 そんなことをボンヤリと考えていると、いつの間にかジークはそのバーに入って行ったので、スゥはいそいそとそれに続いた。


 レインディア亭は、数えるほどしかないテーブルに、数人の村人が座っている。カウンターの奥では眼鏡をかけた細身のマスターが、せっせとグラスを磨いている。窓からはほのぼのとした朝の日差しが差し込み、茶色い床を照らしていた。スゥが遠慮がちに開いた樫の扉は、扉にさげられたベルを揺らし、カラカラと乾いた音を立てている。

 朝のバーは、スゥの抱いていたイメージとは違い、実に閑静な物だった。酒場が活気づくのは、昼ではなく夜である。

 ただ、その中で多少目立つものがあるとすれば、それは一人カウンター席に座った旅装束の女性客だった。

 ジークはバーに入るなり、カウンターの方へと歩み寄った。スゥはジークの目的を知らないので、どうするべきか一瞬迷ったが、結局ジークと一緒にカウンターへと歩いた。

「よう、ジーク、来たか」

 すると、マスターがジークに話し掛けてきた。カウンター席に座っていた女性客も、それに反応したのかジークの方を振り向く。フードのしたから覗いたその顔は、だいたい二十歳前後と言ったところだが、化粧もしておらず髪は肩にかからない位の長さに切ってあるので、あまり女性らしくない顔立ちにみえる。一言でいえば、色気がない。

 マスターはふと視線をスゥに向けた。その刹那、スゥにはマスターの視線がスゥの尖った耳を見てにわかに鋭くなったように見えた。しかしそれはほんの一瞬の事で、次の瞬間にはにやっとした笑いを浮かべて、こう言っていた。

「今日はずいぶんと可愛い連れがいるじゃないか、ジーク」

 マスターはからかうような声音で言った。

「お前もそろそろカノジョが欲しくなる年頃か?」

「ちげーよ、成り行きだよ、ただの」

 ジークはイラッとした声で言い返した。

「そんなこと言って、顔が赤くなってるぜ、ジーク」

 男言葉でそう言ったのは女性客の方だった。

「うるせえ!」

 ジークはカッとして言った。

「あの、ジークさん……この人たちって……?」

 そこにスゥが遠慮がちな声で口を挟む。

「ん? ああ、悪い、紹介が遅れたな」

 ジークは頭をかきながら言った。

「こいつらは、オレと同じ、『リィト』のメンバーだ」

 ジークはマスターと女性客を指し示した。

「つっても俺は『元』だがな。シグルス・キエスト、今はこのレインディア亭でマスターをしてる。以後お見知りおきを」

 先にマスターのシグルスが言った。

「そんであたしはカレハ・ホーライク」

 それに続いて女性客のカレハが気さくな声で自己紹介した。

「……あたし……スゥ・ロ・ヤマ・イシュラーグ」

 スゥもそれに釣られるように自己紹介した。

「ずいぶんと珍しい名前だな~。ま、よろしくな、尖り耳のおチビちゃん!」

 カレハがそれに答える。

「ほらほら、二人とも、いつまでもそんなとこに突っ立ってないで、こっちにきて座りなさいな」

 シグルスがスゥとジークに向かって言った。

「それもそうだな」

 ジークはそう言ってカレハの右に空いていたカウンター席に腰掛ける。スゥはそれに続いてジークの右隣りに座った。

「さてと、ジークは酒は駄目だし……オレンジジュースでも飲むかい?」

 シグルスがからかうように言う。

「誰が飲むか!」

 その言葉にジークがキレた。

「そう言うなって。ジークみたいなお子ちゃまにはぴったりじゃねぇか」

 そこに追い討ちをかけるようにカレハがからかう。

「オレはガキか!」

「違うのかよ」

「っ…」

 ジークはそこで言葉に詰まった。認めようが認めまいが、十六歳という年齢そのものは変えられない。

「そもそも、こんなどうでもいいところでキレてるのがガキの証拠だな」

「っ…」

 どんどん追い込まれていくジーク。そしてカレハがさらに追い討ちをかけようとしたその時、シグルスが一言。

「そんなことで調子に乗るカレハも一緒にオレンジジュース行きだな」

「なっ……てか、オレンジジュース行きって何だよ!」

 そこでカレハがつっこむ。

「決まってるだろ? 『ガキ扱い』って意味だよ」

「つーかちょっと待て、今カレハ『も』って言ったろ! オレは外せ!」

 クールに返すシグルスと、小さな事を気にする子供っぽいジーク。

 そんな様子を、スゥは半ば放心したようにボーッと眺めていた。どうやら長い付き合いらしいこの三人の会話に、スゥは自分の入るすき間がないことに気がついていた。

 スゥは、胸に詰まる物があるのを感じて、俯いて、茶色い木製のカウンターに無数に走る木目を見つめた。そして無意識の内に左手の人指し指を伸ばし、横に走るその焦げ茶色の線をなぞる。ニスを塗られた冷たい、なめらかな木目の上に指を滑らせつつ、スゥはひそかにため息をついた。

(結局、あたしには居場所なんてない……)

 長年、周りの人間という人間にいわれのない差別をされてきた。父の居たあの家以外に、スゥには居場所などなかった。まして父が死んでから二年、スゥは居場所も生き甲斐も持てずに、流れるままに生きてきた。そして、ついに生きることさえも諦めかけたその時、ジークが現れたのだった。

 もしかしたら、この人なら、自分の居場所になってくれるんじゃないか。そんな淡い期待を抱いて、必死で縋り付いたのだ。

 けれど、もしかしたら、そんなものはただの自分の思い込みなんじゃないだろうか。そんな不安が、常にあった。

 実際、おそらくジークは今自分が居なくなったとしても、何も気にかけないだろう。スゥがどれだけ必死でも、ジークが同じように自分のことを思ってくれる訳ではない。

 自分勝手な考え方だと自覚はしている。出会ってまだ二日の自分とジークがあまり打ち解けられないのが当然だと言うことも、分かってはいる。でも、それでも、もっと自分を見てほしいと切に願う自分は消えてはくれない。そんなことを考える度、胸が苦しくなった。

 自分は誰にも必要とされていない。スゥの中でその思いは、父が死んだあの日から、日に日に強くなっていた。

 自分は一体どうすればいいのか。スゥはそう自問した。

 だが、返ってくる答えはなかった。



「……あれ? そういや、スゥちゃんはどこ行ったんだ?」

 不意にカレハが―オレンジジュースを飲みながら―尋ねた。

 気がつくと、ジークの隣にいたはずのスゥは、いつの間にか居なくなっていた。

「なっ、あいつ、いつの間に……」

 ジークが驚いた声をあげた。

「お前、隣に座ってたのに気づかなかったのか?」

 そう言うシグルスも、やはり驚いている様だった。

「……」

 ジークは返す言葉もなかった。三人もの人間がいる中で、誰にも気づかれずにその場を離れるなど、そう簡単にできることではない。というかそもそも、なぜいなくなったのだろうか。

「ちっ、仕方ねえ、とにかく捜しに行くか」

 ジークが舌打ちして言った。レインディア亭の中に隠れられそうな場所はない。そう考えてドアに向かおうとすると、シグルスがそれを引き止めた。

「待て、扉から出て行ったんなら、ベルが鳴って気づいたはずだ。あの子がそこを通ったはずはない」

「だとしたら、どこから……」

 そこでジークは思い出した。レインディア亭には裏口があるはずだ。スゥがバレないように出て行ったのなら、そこしかありえない。そこで裏口へ向かおうとすると、またもやシグルスがそれを制した。

「何だよ、シグルス」

 ジークが突っ掛かるようにシグルスに言った。シグルスはそれに対して冷静な声で答えた。

「行く前に、一つ教えろ、ジーク。あの少女はそもそも何者なんだ?」

 その問いに、ジークはたじろいだ。そこに、シグルスがさらに問う。

「あの紫の瞳に尖り耳、素人が見たって普通の人間じゃないって分かる。お前はなんで、あんな少女を連れているんだ?」

「……うるさいな、そんなのオレの勝手だろう」

 ジークはそう言い捨てると、裏口へと向かった。

「しゃーない、あたしも手伝うか」

 続けてカレハもジークの後を追う。

 二人が出て行った後、シグルスは一人、考え込んでいた。


 ジークとカレハは、裏口からレインディア亭の外に出た。パッと見たところ、辺りは一面緑の草原で、スゥが隠れられそうな所はほとんどない。

「おい、ジーク、あたしは念のため店の周り捜すから、お前はあっち捜してこいよ」

 カレハは、草原の中でも特に背の高い草が生えている場所を指差してそう言った。スゥがいついなくなったのか、定かではないが、そう遠くには行っていないはずだ。もしスゥが隠れているとすれば、それ以外に考えられる場所はない。

「分かった」

 ジークは一言そう言うと、走って行った。

 そしてカレハは店の横にある納屋に向かった。


 スゥは膝を抱えて、暗い納屋に座っていた。

 ほとんど使われていないらしい納屋は、所々にすき間ができていて、そこから差し込んだ細長い光が、スゥの指先を照らしている。その指の上を、小さなクモが這っていたが、スゥは嫌がるそぶりも見せなかった。

 スゥはまたため息をついた。何より、自分勝手な自分が情けなかった。

(何でこんなことしてるんだろ)

 その時、外で草を踏む足音が聞こえてきた。スゥはドキッとしつつその足音を聞いていた。

 足音は納屋の、スゥがもたれ掛かっている扉の反対側で止まった。

「スゥ、そこに居るのか?」

 それはカレハの声だった。

「カレハさん……」

 スゥはかすかにため息をついた。

「ジークじゃなくて悪かったな」

 スゥのため息を知ってか知らずかカレハが言った。

「ジークに捜しに来て欲しかったんだろ」

「そんなこと……」

 スゥはごまかすようにつぶやく。

「隠すなよ。隠したってアタシには分かる」

 カレハが言った。

「え……?」

 その言葉に、スゥはふと顔をあげた。その動揺は、扉の向こうのカレハにも伝わったようだった。

「アタシは、今のあんたとおんなじ表情をした奴を、今まで二人見てるんだ。だから、あんたが何を考えてるのか、大体想像がつく。せっかく時間もあるんだ。少し、話をしないか?」

 カレハは気軽な声でそう言った。それが自分を元気づけるためだということは、スゥにも分かった。

「それはいいですけど……ジークさんは?」

 思い出したように尋ねる。

「あいつなら今、あんたを捜しに出てったぜ」

「じゃあ、カレハさんはどうしてあたしがここにいるって分かったんですか?」

「悩んでる時は、誰だってどっか狭い部屋に入りたがるだろ?」

 カレハは当たり前のように言った。

「でも、今はそんなことよりあんたの話だ」

 スゥは自分の膝を抱く腕に少し力を加える。背中にあたった扉越しに、カレハが反対側に座ったことが分かった。

「あんた、居場所が欲しいんだろ」

 カレハは少し間を置いて言った。スゥは腕の力をまた少し強めた。図星だったからだ。そしてカレハは続けた。

「理由は聞かないよ。人間誰しも、自分一人の胸に仕舞って置きたい事はあるからな。理由はともあれ、あんたは自分の居場所が、居場所になってくれる人間が欲しかった。だから、ジークについて行ったんだろ」

「……はい」

 やはりこれも図星だった。スゥは隠そうとはせずに素直に認めた。

「だけど、あんたはジークが本当に自分の居場所になってくれるか不安だった。だから突然いなくなったりして、あいつがどう反応するかを試そうとした。これも合ってるか?」

「……どうして、そんなに分かるんですか?」

 スゥがそう尋ね返したのは、驚いたからでも、怖くなったからでもない。

 嬉しかったのだ。今までこんなに自分のことを理解してくれた人はいなかったから。

「アタシは、ジークみたいなデクの坊じゃないからな」

 カレハはそう言って笑った。そして続ける。

「それにしても、あんたもいくらなんでもここまでしなくたって、他にも方法はあっただろうにな。

 要するに、不器用なんだよな、あんたも、ジークも」

「ジークさん……も?」

 スゥは驚いて聞き返す。

「そうだよ。あいつは昔っから不器用だった。何よりあいつは、自分の弱さを他人に知られたくないんだ。アタシも、初めてあった頃はあいつの事を理解するまで大変だったぜ」

「ジークさんの弱さって、どういう事ですか?」

「あんたも気がついてるんだろ。あいつは、優しいんだよ。根っからのお人よしだからな。そんで、あいつはそれを自分の弱さだと思って、必死に隠してんだ」

 その言葉に、スゥは納得した。この前ジークが優しいのか優しくないのかはっきり解らないと感じたのは、実際にジークの中でその二つの気持ちが葛藤していたからだったのだ。でも…

「でも、優しさって弱さじゃないですよね」

 その言葉は、スゥの口から自然と漏れだしていた。

「やっぱあんたもそう思うよな。でも、それをあいつは分かってないんだよ。あいつはそういうところが不器用なんだ。だから言っとくけど、あいつが言った言葉をそのままに受け取るなよ。あんた達がどうやって出会ったのか知らないけど、もしあいつが『好きにしろ』なんて言ってたんなら、それは『一緒に来て下さい』って意味だからな」

 それを聞いてスゥは心の中でクスッと笑った。まったく図星だったからだ。そして今度は、また嬉しくなった。いつしかスゥは膝を抱えていた腕を解き、足を延ばしてリラックスした体勢になっていた。さっきまで自分の中に溜まっていた不安も緊張も、いつの間にやら無くなっていた。

「……おっと、そろそろジークが戻って来る頃だな。」

 カレハがそう言って立ち上がるのが、物音で分かった。

「あんね、カレハさん……」

 スゥが唐突に言った。

「なんだ、スゥ?」

 カレハの声は、始めと同じく気軽だった。

「……ありがとうございます」

 ありったけの想いを込めて、スゥはそう口にした。

「いいってことよ。困った時はお互い様さ」

 カレハが答えたその言葉もまた、温もりに溢れていた。


「まったく、今までどこ行ってたんだよ、スゥ」

 スゥの姿を認めたジークは、ため息をつきつつそう言った。

「ジークさん、あたしのこと、心配してくれてたの?」

 スゥはジークを見つめながら言った。

「な、何言ってんだよ。突然いなくなったから、びっくりしただけだよ」

 ぶっきらぼうにそう言うジークの頭には、そこここに雑草が絡まっていた。

「あんね、ジークさん」

 スゥは勇気を振り絞って言った。

「なんだよ」

 ジークは続きを促した。

「ジークさんは……ジークさんは、あたしが居てもいい?」

「何言ってんだよ……言っただろ、好きにしろって」

 ジークはゆっくりした口調でそう言って不自然に目をそらした。すると突然、スゥはジークに抱きついた。そして言った。

「やっぱり、ジークさんって優しいんだね!」

 そう言うスゥは、ジークに出会ってから初めて笑顔になっていた。

「どうしてそうなるんだよ! つーか、くっつくな!」

 しっかりと抱き着いて離れようとしないスゥに、ジークはドギマギして叫んだ。

 しかし、ジークは突然喚くのをやめた。

 自分に抱きついたままのスゥが、声を出さずに泣いてる事に気がついたからだった。

 ジークはどうしていいか解らずに、とっさに助けを求めるようにカレハに目を遣った。

 カレハは黙って見ていたが、意味ありげに一つ頷いて見せた。

 ジークは少し戸惑っていたが、やがて覚悟を決めて、両手でスゥを抱き返した。

 スゥが泣き止むまで、ジークはずっとその華奢な体を支えるかのように抱き続けていた。



一章「Sue's Hidden Trouble」完

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