序章 「運命の邂逅」
―スピルナ公国・レグラ地方のとある街道―
両側を林に挟まれた下り道を、少女は息を切らせて走っていた。
後ろから追ってくる男の足音と怒鳴り声がはっきりと聞こえてくる。しかしわざわざ振り返ってそれを確認する暇はない。
ただでさえ、所詮小娘である自分と大の大人である追っ手とではかなりの体力差がある。その上そんな隙まで見せれば、途端に追いつかれる事は火を見るよりも明らかだ。
もっとも、そうでなくても少女にはすでに限界が近づいて来ていた。
普段からまともな食事も摂れない事による体力の低下、走り続けてひどく痛む脚や脇腹や肺、次から次へと流れ落ちる汗の粒、自分の耳にまで聞こえてくる程に張り裂けんばかりに高鳴る心臓の鼓動、そういった事象すべてが、彼女にこれ以上は無理だと訴え続けている。
そもそも、男はなぜ自分を追っているのか。思い返せばそれは、あまりにも理不尽な理由だった。
しかし、それを必死で説明した所で、男が信じることは無いだろう。悲しいことに、それは彼女にとって、いつものことだった。
みなし子として生まれてから今までの人生で、運命が自分に味方してくれた事など、一度たりともなかった。自分の言うことをまともに信じてくれた人などほとんどいなかった。
いつもいじめばかりを受けて、誰にも受け入れられずに、常に孤独の中で生きてきた。
人生の中で唯一自分を愛してくれた育ての親さえも、二年前に病気で亡くなった。
その後の放浪生活の末にたどり着いたこの村でも、やはり不運ばかりが続いた。
その揚句に、あの男の店で自分が盗みを働いたと誤解されて、今こうして必死に逃げている。
まるで、世の中のすべての幸福という幸福に見放されたような人生を、彼女は送って来たのだった。そして、それは、これからもずっと続くのだろう。
ならば、自分は何のために生まれて来たのか。何のために、今、生き残ろうとしているのか。
そう考えた時、その答えは、誰にも、本人ですら見当もつかなかった。
突然、目眩が起き、急激に視界が狭まる。足がもつれ、体勢を立て直すことも出来ずに、少女は不様に道に倒れ込む。過呼吸に陥って、体に力も入らない。
ぼやけた視界に男が追いついてくるくのが見えた時、力尽きた少女は心の中ではもはやほとんど諦めかけていた。
次の村に向けて街道を歩いていた彼はその時、数十メートル先の道端で何やら事件が起こっているらしい事を見て取った。年端もいかない長髪の少女が、精根尽き果てたように横向に倒れこんでいる。
その目の前には、一人の男が何やら怒ったように腕を振り上げている。
男は、見たところ武器は何も持っていない様だし、筋骨隆々とは言えないその体格からみても、どうやら山賊などではないらしい。
ということは、恐らくあの男は、ただの商売人か何かだろう。
多分、あの少女に大事な商品を盗まれるか、壊されるかなどして、激昂しているのだろうと、彼には容易に予測がついた。
まだスピルナ動乱と呼ばれる巨大な内戦が終結して間もなく、いまだ多くの戦争孤児を抱えるスピルナ公国では、そんな泥棒の孤児を店の店主が追いたてている事など、よくある光景だった。
孤児は、泥棒にでもならなければ生きては行けず、庶民は庶民で戦争の間に財産を奪われたために生活に窮していて、苦労して仕入れた商品の一つ一つが命綱となっている。何よりどちらも、戦争で心に傷を負っていて、他人に構ってやる心の余裕はないのだろう。
もっとも、スピルナ公・アルデバランのお膝元である首都アルスや、その周辺の町などは、戦争が終わってからは、次第に治安もよくなりつつある。
しかし、例えばこのレグラ地方などのような片田舎などは、今でもこんな差別や貧困に満ち溢れている。戦争を終結させた英雄と持て囃されるアルデバラン・アルトも、全能ではないのだ。
とは言っても、実の所、彼にとってはスピルナ公国の情勢などどうでもいいことだ。そもそも彼はスピルナ公国の出身ではないのだ。スピルナの西側に広がるガブル平原が、彼の故郷である。
それが、こうしてスピルナを旅しているのにも、ある理由があるからである。
少し話が逸れたが、とにかく理由はともあれ大の大人が少女に向かって暴力を振るおうとしている様は、見ていて楽しい物ではない。とにかくもっとよく状況を見ようと思い、彼はその現場に向かって歩きだす。
諦めて目をつぶって、殴られる事を覚悟し、身を堅くして永遠とも一瞬ともつかない時間を待っていた少女は、しかしいつになっても男の拳が振り下ろされないことを訝しんでいた。
前に一度、この男の商品だった魚を盗んで、男に捕まった孤児の男の子を見かけた事があったのを思い出す。その男の子は、一も二もなくボコボコに殴られたあげくに、破れた革袋のように道端に打ち捨てられていたのだ。
その男の子が、その後どうなったかは知らないが、それ以来顔を見かけなくなった所からすると、恐らくは恐怖のあまり村から出て行ったのだろう。
この男は、近隣の村全てを引っくるめた中でも、一番の頑固者で通っていたのだ。実際、彼の魚屋で盗みを働いて、無事だった者はいまだかつていないという。
しかし、今、自分が盗みを働いたと誤解しているこの男が、自分にげんこつの一つも喰らわせないのは、一体どうしたことだろう。少女は訳が分からなかった。
しばらく横たわっていた間に、多少は息が整い、酸素が体に回ってくる内に、体の感覚も、徐々に戻りつつあった。すると、自分の近くで二人の人間が言い争っているのが聞こえてきた。
「……だから、この小娘がウチの魚を盗みやがったんだ! テメェみてぇなガキに口を挟まれる筋合はねぇと言ってるだろが!」
一人はあの魚屋の男の声だった。やはり猛烈に怒っている。
「だからといって、すぐに子供相手に手を上げてるようじゃ、お前の器の広さはたかが知れてるな」
対してもう一方の声は初めて聞く声だ。声からするとたぶん、ちょうど自分の何歳か上の少年だろうか。
それなのに、我を忘れて怒鳴っているのは主に男の方だった。
魚屋よりも年下のはずの少年の方がずっと落ち着いているとは、奇妙な状況だ。
もっとよく状況を知ろうと、少女は勇気を出して薄目を開ける。
どうやら、休んでいた間に視力もちゃんと戻ったようだ。
見えたのは、やはり男と少年だった。男の方は紛れも無くあの魚屋の頑固者の店主で、もう片方の少年は多少乱雑に伸びた手入れのされていなさそうな真っ白な髪を風になびかせている。
身長は少年の方が少々高い。
「ガキィ、黙って聞いてれば、勝手な事言いやがって。これ以上ぬかすと張っ倒すぞ!」
魚屋の店主はどんどん声を荒げる。よほど子供相手に足元を見られることに慣れていないのだろう。
「まったく、安っぽ過ぎるぜ、オッサン。まぁ、張っ倒したいなら好きにすればいいけどよ。後悔しても知らないぜ」
少年はあくまで落ち着いた声で言う。
この状況でのその落ち着きぶりは、むしろ挑発に近かった。
「なんだとぉ!」
魚屋の店主はその言葉で遂にぶちギレたようだった。腕を振り上げて少年に飛び掛かる。
しかし、その腕が少年に届く前に、突然店主が仰向けに転び、尻餅をついた。
少女には一瞬、何が起こったのか分からなかったが、店主が飛び掛かった瞬間に、少年が目にも止まらぬ早さで相手の足を払ったのだと気付いた。
店主の方も、初めは何をされたのかも分からなかったようだったが、状況を飲み込むと始めに驚き、そして次に怒りの表情がいかつい顔の上を走り抜けた。
しかし大人の自分が尻餅をつき、少年の相手がまったく動じていないという情けない状況から、怒りの言葉を発することもできず、最後には居心地が悪くなって、急いで立ち上がると、驚くほど多岐にわたる様々な悪口をまくし立てながら走り去って行った。
「……あの、」
店主が去って行った後、少女は立ち上がり、なぜか居心地悪そうに頭をかく少年に声をかける。
「ありがと……助けてくれて……」
「……別に気にすんなよ。ただ単にオレはああいう大人が大っ嫌いなだけだ。恩に着せたりするつもりはねえよ」
少年はぶっきらぼうにそう答える。
「ただ、ついでに言うけど、お前も、泥棒するならもっとバレないようにやれよ」
「……やってないよ。泥棒なんて」
少女は目を泳がせながら、今にも消え入りそうな小さな声でつぶやくように言う。
「ゴカイされただけだもん」
「なんだ、冤罪か? そりゃまた運が悪かったんだな」
少年は心から同情するでもなく、しかしまったく無関心という訳でも無いような中途半端な声で返す。
「それなら、今度は間違えられないようにするんだな。じゃあよ」
そういって少年はさっさと去って行こうとする。
「待って……」
少女は自分でも無意識の内に彼を呼び止めていた。理由はどうあれ、ああして自分をいじめてくる人間から守ってくれた人は初めてだったのだ。
少女はあまりにも守られる事に対する免疫がなく、そのためにどう対応していいか戸惑っているようだった。
「なんだよ、まだ何かあるのか?」
少年は振り返って尋ねる。自分を見つめるその視線を感じて、少女は理由も分からないのに唐突に恥ずかしい気持ちになった。
「あの……お名前は……?」
なぜそんなことを尋ねたのかも、少女には分からなかった。
さっき自分で声を掛けた時から、まるで自分の口が他の誰かに操られてでもいるかのように勝手に言葉が口をついて出てくるのだ。
「何でそんな事聞くんだ?」
少年は訝しむように聞き返す。しかし、一瞬経って考え直したように答える。
「オレはジーク。お前は?」
「あたし……スゥ……スゥ・ロ・ヤマ・イシュラーグ」
スゥは反射的に答えた。
「……随分と変な名前だな。どこの出身なんだ?」
とジークは尋ねる。
ここスピルナ公国は元々いくつもの民族が住む国である。
当然、名前の付け方なども民族ごとに様々であるため、スピルナには多種多様な名前のパターンがあるのだが、彼女の名前は今まで聞いたことのあるどの民族の名付け方の特徴にも当て嵌まらないのだ。
だとすれば、ジーク自身も知らないような少数民族か、あるいは、出身はスピルナ公国ではないのではないかと考えたのだ。
そして、仮にそうだとすれば、なぜそんな少女がレグラ地方にいるのだろうか。
しかしスゥの方はそんなジークの懸念など露知らずに、ちょっと考え込んでから答える。
「うんとね、育ったのはセル国っていうところ。だけど、生まれた場所は分かんない」
それを聞いてジークは考えを巡らせる。
セル国と言えば、スピルナ公国のゾド山脈を挟んだ東側にある小国である。ラシエル教という独特のカルト宗教を持っていて、他国を認めない排他的・封鎖的な国として知られている。
そのために、今やいくつもの国が加盟している大規模な組織である『テルフ同盟』にも加盟せず、独立姿勢を貫き通している。
しかし、だからといって国内の団結が強いのかというとそうでもなく、国民に対して、為政者側にとって都合のいいラシエル教を押し付け、その考えを脳に刷り込ませる事で何とか国家としての形を保っているのが現状だ。
その排他的な政治姿勢から、セル国に関して他の国が知り得る情報はきわめて少ない。
そこでふと、ジークはあることに気付く。
よく見ると、このスゥという少女は、耳が尖っているのだ。それに、彼女の大きな瞳は、いままで見たことも無いような、宝石を思わせる紫色だったのだ。体中泥だらけで髪も乱れ、ボロ布みたいな服を着ているというみすぼらしい姿のせいか、今まで気づかなかったのだ。
それは、彼女がただの人間では無いことを如実に表していた。
「……お前一体、何者なんだ?」
ジークは半ば独り言のようにつぶやく。
人知を越えた力を持つという、いわゆる『尖り耳』の一族の話は、遠く南方で語られていると聞くが、あいにくジークにはその知識は無かった。
しかし、スゥはその質問の意味をはかりかねて、首を傾げるだけだ。出身地が分からないと言うのだから、あるいは自分でも自分が何者なのか分からないのかもしれない。
しかし、具体的な事はともかくとして、『尖り耳』である以上、スゥが普通で無いことは確かである。
「まあ、そんな事はオレにはどうでもいいか」
ジークはため息混じりに言う。こんな小娘相手に、何を真剣に考えているのか。
「で、もう用はないのか?」
「え……?」
スゥはぼんやりした瞳でジークを見返す。どこか、心の中の考え事に心を奪われていて、周りに気を配れていなかったような表情だった。
「だから、オレはもう行っていいのかって聞いてるんだよ。」
ジークはスゥのあまりのマイペースぶりに多少むしゃくしゃしつつ繰り返す。
するとスゥは少しの間逡巡したのち、意外にも首を横に振った。
「……あんね、あたし、お願いがあるの……」
スゥは言いづらそうに伏し目がちに言う。
「……あなたがこれから、どこに行くのか知らないけど、あの、できれば、あたしも連れてって欲しいの……」
スゥはそう言って、すがるようにジークを見つめる。
「なんだそりゃ?」
しかしジークは心底呆れたような声音で応える。
「オレとお前は今初めて出会ったばかりなのに、なんでお前を連れてかなきゃならないんだよ」
「う……うん……やっぱり、そうだよね……」
そう言ってスゥはしょんぼりと悲しそうに俯いた。
「……何か、事情でもあるのか?」
その様子を見て、ジークはふと、ついでのように尋ねる。
「え……それは……」
スゥはジークが自分に興味を持ってくれた事が嬉しかったのか、いままでよりも目を輝かせていた。
「あたし……いままでどこに行っても……ずっとのけ者で、誰からも優しくして貰えなくて……一人だけ、あたしの面倒を見てくれた人も、もう死んじゃって……それで、これからも……どうしていいか分からなくて……」
いつしかスゥの目は、今度は泣き出さんばかりに潤みはじめていた。人付き合い、特に異性に慣れていないジークはスゥのその無防備さに、どうしていいか分からずに居心地が悪くなった。
「だから……さっきみたいに……助けてくれたのが、うれしくて……だから……お願い……」
そう言ってスゥはまたジークを見つめた。
「なんだよ、まったく……この状態で断ったら、オレが嫌なやつみたいじゃねえかよ」
ジークはさらに居心地が悪くなる。
「……もう知らねえよ! 好きにすりゃいいだろ、ったく」
最後の最後でジークが折れた。と、言うよりはこの状況に堪えられなくなって半分やけくそになった、という表現が正しいかもしれない。
とにかくジークには、この少女は言葉でいくら言った所で聞かないだろう、という事が分かったのだった。
にもかかわらず、それを聞いて素直に嬉しそうに輝いたスゥの瞳から、ジークはなぜかしばらく視線を外すことができなかった。
「……まったく、あのガキめ!」
魚屋は独り言のように罵った。そこは帰り道の途中だった。しかし、いくら一人で悪口を言おうとも、うっぷんを晴らす効果は皆無だった。
あの、生意気な、白髪のガキ。
口で何と言おうとも、自分がその少年に一本取られた事実は変えられなかった。
「次会うことがあったら、ただじゃおかんからな!」
街道には誰もいないのに、彼は怒鳴り付けるように言った。しかし、そんな事をしても、ただ虚しさがますだけだった。
彼にとって、人生はストレスのかたまりだった。
戦争で親を失い、戦争が終わってからはゼロから商売を始めた。しかし持ち前の頑固さから商売はうまくいかず、女房は愛想を尽かして出ていった。
その後も商品である魚を狙ってくる戦争孤児達との戦いが、彼の中にストレスを蓄積し続けた。
相手が子供とはいえ、孤児は盗みが手慣れているし、己の命がかかっているだけに粘り強く、それが厄介だったのだ。
なのに彼はすべての原因とも言える自分の頑固さについてを考え直すどころか、まるで金鎚に打たれた鉄のごとく、その頭は日ごとに硬くなっていく一方だった。
鉄は鎚で打てば硬くなるが、その代償にしなやかさは失われ、それが過ぎれば逆に脆くなってしまうものだ。
彼の性格は、そんな打ちすぎた鉄に例えられるだろう。
あるいは、熟れすぎて腐った果物にも、例えることができるだろう。
しかし、今の彼は、自分が自分で思っている以上に脆くなっている事を、知る由もなかった。
やはり、彼はこれからもいままで通りに生活するのだろう。そして、自分も知らない内に、何かを失っていくのだろう。
せめて、彼がもう少し賢くて、己の弱さを自分で解っていれば、あれほど簡単に付け込まれることはなかっただろう。
「おい、そこの人間」
突然、声がした。魚屋は驚いて振り返る。ついさっきまで、いや今もまだ、人の気配など感じないのだ。
それなのに声がするのだ。魚屋は背筋が凍る思いだった。
「お前、なかなか良い『闇』を持っているな」
その声が再び淡々としゃべった。やはり何の気配もしない。
「てっ……てめえ何モンだ!?」
魚屋は恐怖のあまり上ずった声で叫ぶ。その声は誰もいない街道に、虚しく響く。ふいに風が吹いて、木々がざわめく。幾羽かの鳥が、バサバサと音をたてて木から飛び立った。その冷たい風が魚屋の膚に鳥肌を立てさせる。
その時、突然魚屋は気付いた。
何かいる。
自分の目と鼻の先、皮膚と皮膚が触れ合うほどの近くに、確かに何かがいるのだ。
なのに見えない。魚屋は、まるで喉元に刃物を突き付けられたかのようないい知れぬ恐怖感に襲われ、もはや声すらも出なかった。
「いいよ、お前」
その声は言った。今度はさっきのようなどこか遠くから聞こえるような声ではなく、まるで、耳元に囁かれたかのような静かな、しかしはっきりとした声だった。
魚屋の頬に冷たい汗が流れる。自分の中の理性は、今すぐ逃げろと叫ぶが、体は動かない。
彼の本能が、まぶた一つ動かしただけでも、その途端に殺されるのだと悟っていたのだ。
魚屋の耳のすぐ近くで、『それ』の息遣いが聞こえる。
『それ』は間違いなく、楽しんでいるのだ。彼の恐怖を。
長い間狙っていた鹿を、ついに追い詰めた狩人のように。
「お前の望みを叶えてやろう」
『それ』は今度は誘惑するように甘い声で囁いた。
実に甘い、しかし不気味な声で。
魚屋はだんだんと息苦しくなっているのに気がついた。気付けば自分の周りの世界が暗くなっていくように見えた。
ふいに、視界が歪んだと思ったら、魚屋は突然気を失った。
―レグラ地方 中央街パテル―
中央街とは、スピルナ公国に十二ある地方それぞれにある、その名の通りの中央都市である。
巨大な内乱だったスピルナ動乱が終わり、アルデバラン・アルトを公として平等主義であるスピルナ公国となってから、この中央街の制度も一新された。
元々、地域を表すあやふやな単位であった『地方』にはっきりした境界を引き、戸籍や納税の拠点として、それぞれの地方に『中央街』を置いたのである。
十二個の中央街は、その名の通りの広大な道『大街道』によって結ばれており、地方間の物資の出入りを効率的に行えるようにした。
その結果必然的に、中央街は地方ごとにもっとも豊かな街となったのである。
実際、今ジークの目の前にあるレグラ地方の中央街・パテルは、片田舎というイメージの強いレグラ地方とはとても思えないような、発展した都市だった。
都市は周りを高い城壁で囲まれ、南東の方角には大街道に向けて開く巨大な門がそびえていた。
その門から果てしなく延びる大街道は、茶色の荒野に向かってまっすぐにつきぬけていた。
「ふわあ、すごい……」
後から追いついてきたスゥが、灰色の城壁を見上げて、感嘆の声を上げる。
「なんだ、中央街に来るのは初めてか?」
ジークが尋ねる。
「うん……なんだか、おっきいケーキみたいだね」
「ケーキって……」
スゥの発想のあまりの自由さに、ジークはむしろ驚く。
しかし確かに、円を描くように張り巡らされた城壁と、その内側から天に向かってそびえる物見の塔は、百歩譲って見ればケーキっぽいと言えなくもない。
「そう思うんなら、ためしに食ってみたらどうだ?」
「え、いいの?」
嬉しそうに反応するスゥ。
「……好きにしろよ……」
ジークは呆れたようにそう言って、再び歩きはじめる。スゥはその後も少しの間城壁に見とれていたが、置いてけぼりにされているのに気付いて、たっと駆け出した。
正確には、スゥは、放浪していたころに中央街に来たことがあった。
しかしその時は、中央街だのなんだのも分からないほど、スゥは疲れ果てていたのだった。だから、この壮大な城壁を、見上げる事すら考えつかなかったのだ。
実際のところ、スゥは自分自身そのことを覚えてはいなかっただけなのだ。
中央街に関わらず、城壁のある街ではだいたい同じ事だが、門は昼は常に解放されていて、誰でも好きに出入りすることができる。
一応門番はいるが、それはほとんど形式的な物である。
そもそも、門を出入りする無数の人々を全員いちいち検問することは不可能に近いし、何より手間がかかるため、効率的とは言えない。
だからといって、この往来の中で怪しそうな者だけを間違いなく見つけることもまた、無茶である。
だから門番は、とりあえず念のため立っておき、いかにも怪しそうな者を見つければ気まぐれに尋問する、といった感じだ。
だから、ジークもスゥも、街に入るのには何の手間もいらなかった。
パテルの中に入ると、街はまた違った表情を見せた。
堅牢な雰囲気を纏う城壁とは裏腹に、その内側は田舎なりの賑やかさを持っていたのだ。
どの地方でも、中央街は大街道を通じた交易の中心地になる。交易の品々は、大街道を伝ってまず中央街に集められ、さらにそこからその周りの町や村に運ばれる。
だから、ここパテルも、常に様々な地方から来た物で溢れているのである。
スゥは、あちらこちらの店や、建ち並ぶ石作りの家々に目移りしつつ、前を歩くジークの後について歩く。
道の脇には、輸入品の出店が数え切れないほど列び、常に荷物を載せた馬車や買い物に来た人々が行き合い、そこここで値切り交渉が行われている。
八百屋、肉屋、洋服屋、小物屋、雑貨屋など、どこも客が群がっている。
「ここは月に一度、売れ残った輸入品を放出する市場をするんだが、まさかそれが今日とはな」
その光景を見てジークはどうでも良さそうに言った。
スゥは、周りの景色に目を奪われつつも、ジークとはぐれないように早足でついて来る。
ジークは、彼と同じ年頃の少年が、装飾品店を物色しているのを尻目に、食料品店で日持ちのする干し肉や乾パン、尽きかけていた塩などの調味料、そう言った物だけを買って、他の店には目もくれずに今度は宿屋に向かい、部屋を借りた。
宿屋は、大通りから外れた細くてくねくねした道の先にあった、木造りの小さくてみすぼらしい下宿のような場所だった。
一階はバーになっているが人影はなく、この分では二階の部屋もすっからかんだろうと容易に予測がついた。
しかしそこを一人で切り盛りしている(切り盛りするほどの仕事があればの話だが)小肥りな亭主は、気さくで気前のいい人のようだった。
そう思いながらもスゥは、今までの人生の中で身についた癖ということもあって、始終ジークの後ろに隠れるようについて行って、亭主に気楽に話し掛けられてもあやふやな反応しかできなかった。
そんなスゥの気持ちを鈍いジークが察したのかどうか、は定かではないが、二人は早々に部屋に引っ込んだ。
階段を上った所の廊下を進んで、三つある部屋の内、突き当たりにあった部屋が、ジークの借りた部屋だった。
部屋には古びて多少色あせた紫陽花柄の毛布のベッドが二つあり、それに挟まれるように四角い小さなテーブルが置いてある。
テーブルの上には灯油ランプの他に、メモ用のペンや紙なども置いてあった。
大きめな窓の外からは周りの平屋の屋根の海、その奥には城壁や物見の塔の一つなどが見えた。
夕方の日差しは直接は入っては来ず、部屋の明かりは外の家の屋根に反射される光のみであった。
大通りの辺りには他にもっと居心地良さそうな宿もあったのにとスゥが聞くと、ジークは、寝る場所なんかにいちいち高いお金を払う必要は無い、むしろ下手に高い宿に泊まれば金持ちであると思われて、目をつけられる事もあるのだと気のない説明をした。
日は沈んだ。暗闇に包まれる大通りの脇には、そこここでランプがオレンジ色の明かりを放っている。
人間は、そうやってかりそめの明かりをつけることで、『闇』に対する恐怖から逃避するのだ。
しかし、結局そんな物は意味が無い。
『闇』への恐怖とは常に根元的なものだ。いくら目の届く周りを明るくしようとも、夜がなくなる訳ではないし、己の内なる闇をすべて取り去ることもできないのだ。
人間とは低脳な生き物だと、つくづく思う。
みすぼらしいランプ一つ掲げただけで、闇夜を照らし、克服したつもりになっている。
愛という浅い、偽りの感情で、憎悪という深い、真の感情を消し去ったつもりになるのだ。
しかし、本当の『闇』とはもっと深く、濃い。
それを思い知らせるのが、我等の生業であり、本能なのだ。
(そろそろ、始めようか)
心の中で、甘美で邪悪なあの声が響く。
それとともに、周りの情景が、霞がかったようになる。もはや、彼はその感覚の虜になっていた。
不思議と何をすればいいのかが頭に浮かぶ。そして彼は従順にそれに従った。
近くを数人で歩いていた町人のうち、一人の肩に手を掛ける。
町人は、おそらく酒を呑んで酔っ払っていたのだろう、上気した陽気な顔をこちらに向ける。
次の瞬間、その顔に苦痛の色が走った。
その町人を、彼が刺したのだった。罪悪感などという無駄な感情は完全に麻痺していた。
あるのはこの男を刺した、ナイフの感触だけだった。町人は一瞬何が起こったのか分からず、一度自分の腹に刺さったナイフを見て、次に自分を見た。
その顔は驚愕と痛みに満ちていた。
そして、町人はそのままの体勢で前のめりに倒れた。
どこかで女の悲鳴が上がる。続いて男の怒鳴り声も聞こえる。
それは殺した町人と並んで歩いていた、呑み仲間だろう。襲ってくるのが見えたが、所詮相手は酔っ払いの千鳥足だ。
彼は素早く動き、前のめりに襲ってきたその男の胸に、ナイフを突き立てた。
その、肉を突き破り、返り血を浴びる感触は、さながら麻薬のように、彼を昂らせ、快感で満たすのだった。
彼は、その快感を得るために、既に息絶えたその男に、再びナイフを振りかざした。
その時、ベッドで眠っていたスゥは、突然何かおぞましい感覚に包まれて、目を覚ました。何か恐ろしい事が起こっている。根拠も無いのになぜかそう直感した。
暗い中を急いで部屋の窓に走り寄り、身を乗り出して外を見る。ここからは大通りは遠くてはっきりと見えないが、明らかに様子がおかしかった。
夜だというのに、やけに騒音が耳に付く。そして、大通りでは一部の建物が赤く染まっている。燃えているのだ。
気がつくと、スゥが起きた気配を感じたのか、ジークも起きてきた。
「おい、スゥ、どうしたん……」
眠そうにいいながら窓まで来て、外を見る。瞬間、絶句した。
その横顔は暗くてよく見えないが、驚愕しているらしいことは分かった。
「何が起こってるんだ!?」
火はあっという間に広がっていた。普通に考えればおかしいくらいの速さで、炎は周りの家々を飲み込んでいく。
その姿はまるで、腹をすかせて、怒りのままにのたうち回る巨大な龍のようだった。
「わかんない……けど……」
スゥは震える声で、やっとの事でそこまで口にした。
「……この感じ、多分、さっきの……」
ジークにはスゥのその言葉の意味が分からなかったが、問い正しはしなかった。
そう言っている間にも、火事は四方八方に飛び火して、次第にこの宿へも近づいてきていたのだ。
「とにかく、ここから出た方が良さそうだな」
ジークはそう言うなり自分の外套を羽織り、荷物と、ベッドの傍の壁に立てかけてあった大きな二本の長い棒状の包みを手に取る。
スゥも少し外の光景に目を奪われていたが、すぐにそれに従う。
二人が宿を出る頃には、火事は手がつけられないほど広がっていて、辺りは火の光で赤く染まっていた。
一体どうすればこれほど速く炎が広がるのだろうか。
「……どうしよ、ジークさん……」
スゥが慌てたように言う。ふと思いつき、来たときの道を戻って、大通りに出ようとするが、ジークがそれを制した。
「町中がこの状態なら、大通りはきっと大騒ぎだ。それよりも、脇道を通った方がいい」
ジークは冷静な声でそう言って、スゥの手を多少荒々しく掴んで、大通りとは逆の方向にあった細い小路に向かった。
しかし、そうは言っても歩き慣れない街で、しかも火事が起きている家の周辺は避けなければならないため、なかなか速く進むことはできなかった。
それでも時折大通りの方から聞こえる逃げ惑う人々の喧騒が、もしあのまま大通りに出ていたらどうなったかを如実に語っていた。きっと大勢の人の波にもみくちゃにされて、あっという間にばらばらになってしまっただろう。
二人は建物と建物の間に挟まれた路地を、右へ左へと縫うように進んで行った。焦りのせいもあったのか、スゥにはどの道もまったく同じに見え、時間感覚も失って、本当にちゃんと進めているのだろうかと心配になるほどだった。
そうやって数分の間二人は無言で走りつづけた。しかしある家の前を通り過ぎ、その角を曲がろうとした時、大きな音とともにその家が、文字通り弾けた。
弾けた家は一瞬にして炎に包まれた。スゥはその様子を唖然として見ていた。
すると、崩れた家の残骸を乗り越えて、やって来る人影があった。しかしそこは当然火の海だ。普通の人間ならすぐに焼け死んでしまうはずだった。
しかしその人影はなんの躊躇も焦りもなく、悠々と炎の中をこちらの方へと歩いてくる。その姿は明らかに不気味だった。
やがて人影は紅蓮に染まった家を完全に乗り越え、その姿を二人の前に晒した。
「……お前は……!」
それは、昼間にあったあの魚屋の店主だったのだ。
その服は焼け焦げ、真っ黒になっていたが、体の方はやけど一つせず、むしろ昼間より健康的なようにさえ見えた。
ジークの声が聞こえたのか、魚屋はこちらを振り向いた。しかしその口から言葉は出てこなかった。まるでしゃべることを忘れてしまったかのように口をぱくぱくさせていたが、その口から出てきたのは微かな唸り声のような音だけだった。
「ジークさん……この人、なんだか怖い……」
スゥが怯えた声でつぶやく。そりゃそうだ。炎の中を平気で歩く人間をみて、やあこんにちはなどと言える人間などまずいるまい。
魚屋は鈍感そうにしばらくこちらを見ていたが、次の瞬間、突然二人の方に襲い掛かってきた。その手には赤く血塗られたナイフが握られている。
「何なんだ、コイツ!」
ジークは吐き捨てるようにそう言い、とっさに抱えていたあの長い棒状の包みを使って、その攻撃を受け止めた。ナイフの刃で、包んでいた布が少し裂ける。
魚屋は防御されたことに驚くでもなく、ただ無心に距離を取り直し、再び襲い掛かってくる。
「なんだか知らねえけど、攻撃してくるっていうんなら、反撃するしかねえぜ」
しかし魚屋には、ジークのその言葉が聞き取れたようには見えなかった。喋れないのと同時に、聞くことも出来ないのだろうか。
ジークは魚屋の突撃をひらりと躱し、持っていた包みの中から棒状の物を取り出す。
それは鞘に収まった刀だった。それも、1メートルを余裕で越えていそうな大刀だ。
ジークは素早く鞘から刀を抜き出し、今は邪魔な荷物と鞘を投げ捨てる。鞘が地面に当たる乾いた音が虚しく辺りに響いた。
鞘から取り出された白銀に輝く片刃の大刀は、火事の炎の光を反射して、まるでそれ自体が燃えているかのように赤く煌めいていた。
魚屋はその刀を見ても、いままで通り全く動じた様子はなかった。三度、ナイフを構えて、まるで馬鹿の一つ覚えのように突進してくる。
やはり、明らかに様子がおかしい。
魚屋のナイフが目前に迫るまで、刀を構えたジークは身動き一つしなかった。
しかし、ナイフがジークの体に触れるかというその一瞬、信じられないような素早さで身を屈めたため、魚屋のナイフは虚空を突いた。
ジークはその体勢から刀を振り上げた。
刀とは思えないような鈍い音と共に、魚屋は吹っ飛ばされ、建物の壁にたたき付けられた。
見ると、その体にはどこにも切り傷はなかった。峰打ちだったのだ。それでも、今の一撃はかなり効いただろう。
しかし、なんと魚屋はまるで痛みを感じないかのように、よろよろと立ち上がった。
効いていない訳ではない。彼の体は明らかにダメージを受けている。それなのに、彼は痛みを感じていないようだった。まるで人にナイフを突き立てることだけが目的の殺人ロボットにでもなったかのように、魚屋は再びナイフを構えた。
しかし既に肉体が弱っているのだろう。その構えはふらふらと危なげなものだった。
「ったく、まだやるのかよ」
そう言ってジークは再び刀を構える。
しかしそこで、唐突にジークを遮るものがあった。スゥだった。
「なんだよ、スゥ」
予期せぬ邪魔に、ジークは苛立った声で言う。
「ジークさん……この人、違う……」
スゥは一見意味の分からない言葉を口にする。ジークが戸惑っているのを見て、続けた。
「あの人じゃない。見た目は、同じだけど、何か……他のモノを感じるの……」
やはり何を言っているのか、ジークには訳が分からなかった。しかし、あの魚屋の方には、その意味が通じたようだ。
突然魚屋は体をビクンと引き攣らせ、大きく痙攣し始めた。
スゥとジークはその光景を愕然として見ていた。
すると今度は、痙攣を続ける魚屋の耳から、何やら黒い煙のような物体がニュルニュルと出てきて、その頭上に溜まっていった。
しばらくすると耳からの煙の放出はとまり、魚屋は糸が切れた人形のように膝をつき、そして倒れた。
その上に溜まった黒い煙は次第に凝る様にして固まっていき、だんだんと形を成していった。
それは、人のような、人でないような、奇妙なモノだった。真っ黒な体は人に似た形だったが、腕が異様に長く、目とおぼしき顔の上にある真ん丸な点と、口とだけが真っ赤に光っていた。
それはまるで、どこかの人間の足元から勝手に逃げ出した影のようだった。
「ちっ、意外と早くばれちったな。まあ、どっちにしろもうこの人間は使い物にならなさそうだから、脱ぎ捨てようと思ってた所だったんだけどさ!」
その影は場違いな程に陽気な声でそう言ってケケケと不気味に笑った。地面に倒れた魚屋を無関心に見つめたあと、それはこちらに向き直る。その真っ赤な口は、嘲笑うように三日月形に歪んでいた。
ジークには、後ろでスゥが恐怖で身を強張らせるのが気配で感じ取れた。
「お前がその魚屋を操っていたのか!」
ジークが半ば叫ぶように言う。
不気味な影が人の中に入り込み、その体を操る。当然それはにわかには信じがたい事だった。が、もしそうだとすれば、いや、そうとでも思わなければ、魚屋のあの異変は説明がつかない。
「ケケケ、だったらなんだい?」
影はニヤついた声音で応える。
「オイラはこのニンゲンの中に巣くっていた『闇』を、このニンゲンの願いが叶えられるように、力に還元してやっただけだぜ? 元々すべてはコイツが願ったことだったんだぜ。
遊び半分でそうしてみりゃ、見ろよこの街の有様を。ニンゲンの『闇』ってのは、ちょっとくすぐってやるだけで、簡単にこんくらいの事が出来ちまうんだぜ、末恐ろしいねぇ」
影はそう言って再び声を上げて笑った。
そうする間にも、周りの火事はどんどんと広がり、ジーク達のいる道を明るく照らしていた。
詳しい事は分からないが、この火の広がりの異常なまでの速さは、コイツの能力に拠るものなのだと、ジークは気がついた。
影の話を信じるとすれば、魚屋はオレにやられた事で負の感情、つまり怒りが高まり、そこを突かれて影に体を乗っ取られた。そして影は、まるで新しく手に入れた玩具で遊ぶかのように、魚屋を使って火事を起こさせたのだ。そして、魚屋が血塗られたナイフを持っていたことから、恐らくはあれで人を刺させたのだろう。
その傍若無人ぶりは、まるで……
「……悪魔かよ……!」
ジークは口に出してその言葉を呟く。今まで、安っぽい正義感など持った事はないし、また持ちたいと思った事もなかったが、それにしてもその影のしたことはあまりに残酷に思えた。
「ケケケ……その通り!」
影は面白そうに言った。
「オイラの名前はメトネス。種も仕掛けもない正真正銘の悪魔さ!
今日はもう十分楽しんだし、ここまでにしといてやるしさ。尤も、どっちにしろオイラはニンゲンにとり憑かなきゃ何にも出来ないしね。じゃあな!」
メトネスは嘲笑いながらそう言って、突然ジークの方へと、空中を滑るように飛んできた。
ジークは本能的にメトネスへと刀を振るった。しかし、刀は真っ黒な悪魔の体をすり抜けた。メトネスの体は魚屋の耳から出てきた時と同じく、煙状になっていたのだ。
メトネスはジークの体をすり抜け、かと思うと次の瞬間には闇に溶けて消えていた。
「ああ、そうだ、そこのジークとか言うニンゲン!」
メトネスの気配は完全に消えているのに、その声だけが残響音のようにどこからともなく聞こえてくる。
「アンタ、その小娘と一緒にいるつもりなら、また会うことになるぜ! なんたってソイツは、類い稀にみる疫病神サマだからなぁ!」
その最後の言葉が終わった後も、メトネスの笑い声は長い間通りに響き渡っていた。
序章「Encounter of Destiny」完




