とべないことり
ことりを飼い始めた。いや、正確には飼い馴らし始めた、だろうか。いずれは飼い殺すつもりでいる。
美しいことりは鳥かごの隅に寄り、私に怯えた目を向けてくる。無理もない。以前大事に扱われていた、広く豪華な鳥かごから半ば強制的にここへ連れ去ってきたようなものなのだから。小さなからだを震わしながら恐がる姿が何とも愛くるしい。
わたしは鳥類に精通しているわけではないから、このことりの名を知らない。
濡れ羽色の毛はあの不吉な鳥を髣髴させるし、こちらに持ち帰る際わずかに漏れた泣き声は金糸雀と形容しても過言ではないだろう。桜色の嘴は、紅でも塗っているのだろうか。そういえば、このことりは雌である。だからこんなにも男の私を魅了するのだろうか。
なにはともあれ、私とことりの共同生活が幕を開けた。
ことりを自分のものにしてから数日。未だにこの生き物がなつく気配はない。その警戒心と頑固さには呆れ、そして感心してしまう。
例えば、ペースト状のエサを与えてやろうとスプーンを口元まで運んでやると、頑なにそれを拒む。視線を合わせないよう、匙を視界の端に捉えないよう、ことりを追うわたしの手から必死に顔を背ける。その反応が癇に障り、つい乱暴に小鳥の貝のように固く閉ざす口をこじ開けてしまった。当然、わたしを嫌うことりは抵抗の一環として自分に暴力をふるうその指先に食らいつく。たかがか弱い生物が噛みついただけで痛みは零に等い。が、わたしのプライドがそれを許さなかった。このわたしが、小動物の雌から攻撃を喰らうなんて!
勢いだけでなら指を食いちぎりそうなことりの細い体に仕置きを加えるため、もう片方の手で握っているスプーンを床に落とす。音とエサが絨毯に吸収され、どろりとした物体が染みをつくった。私の胸に宿る像と酷似した形を濃く描く。
空いた手で、小さな体躯を払いのける。かすかに、苦しそうな声が聞き取れた。美声を耳にするのは、これでやっと二度目だ。衰弱したことりは簡素なかご内の床に伏せって、痙攣を繰り返していた。
二週間が経った。ことりは微弱な抵抗を無駄だと悟り、反抗はほぼ見せないようになった。素晴らしい、わたしが最初に述べた理想に一歩近づた。
相変わらずその華奢なからだに触れさせてはくれないが、食事は許してくれる。そのうち、口移しにでも挑戦してみようか。ちょっとした妄想が広がる。
また、ことりは最近歌を口ずさむようになった。音程に狂った箇所は見受けられない。華やかで、流石私が一目惚れしただけあることりだ。
だが哀しいことに、このことりの名前を知らないわたしは(彼女自身に聞いても応えてくれないのだ)この歌の名前も知らない。
しかし、そんな些末なことを知らずともことりがわたしにこころを開き始めたのは確かであり、それに対してわたしが優しくしてやろうと思うのも事実であり、この愛玩動物への愛情は深くなるばかりだった。
一か月が過ぎた。かご内――――室内――――は暗い。ことりが、窓の向こうの空ばかり切なそうに眺めるから、カーテンを閉め切ったのだ。ことりは間違いなく、ここに来る前の自分の居場所に帰りたいと願っている。帰巣本能とでもいえばよいか。ことりを愛しているわたしにはそれが分かるのだ。これをきっと、以心伝心と周りは呼ぶ。
傍にいてほしい。必死の思いでわたしは鳥かご以外の世界を根絶する。それから、少しでもことりの気を引き留めようと甘い睦言を囁く。
「愛してるよ」「世界で一番だ」「ここにいて欲しい」「何よりも大切なんだ」
驚いた。自分の口からつらつらとこんなにも陳腐なセリフが紡がれるなんて。まさかわたしに饒舌さが宿っているとは。もっと寡黙な人間だと自負していたはずなのに。愛が人を変えるとはどうやら真らしい。
それでもことりはそっぽを向いたまま歌を奏でる。ことりだけが名を知るメロディーを、見えない大空に向かって、愁いを帯びた声色でちいさく、ささやかに。
やりきれない思いが、わたしの身体をうごかす。ことりを引き寄せ、前々から感じていたいと思っていた体温を胸に収めわたし全体に伝える。拒絶はない。それは一種彼女の諦めだったのだろうか。温度を灯さない目はつめたく、初めて触れたぬくもりはやさしかった。
だから。
この先何があろうとも、この虚ろな目をしたことりを手放す気は、毛頭ない。
「とべないことり」
(飼い馴らされたのは、どっち?)
好きです、監禁ネタ。
ことりは一応人間の女性をイメージしましたが、どうでしょう?
感想・評価があればぜひお書きください。
今後の文芸部の活動の参考にさせていただきます。
それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。